第三王子武勇録第四巻 『会敵』
「敵の旗は? 何の紋章を掲げている?」
「はっ、『金槌』です!」
「『金槌』……第五軍か。今まで出てきたことはなかったな?」
「はっ、小官の記憶する限り人族と接触したことはありません」
「つまり……まるっきり初見の敵ってわけだな」
マジかよ。第五軍か……
魔王軍のうち、第三、第十、そしてこの第五軍は魔王が代替わりしてから一回も人族軍と戦ってないから、情報が皆無なんだよな。正直勝てる見込みはほぼ無い。
なんせ魔族と人族の種族的な実力差は絶大だ。初見で勝てる可能性は限りなくゼロに近い。
……俺の目的に合致してるから文句は無いんだけどさ。
「数は?」
「現在観測可能な限りでは約二千から二千五百」
「予備軍を合わせれば……ざっと三千ってとこか」
「はっ、仰る通りかと」
となると……この戦力じゃ時間稼ぎにもなるか微妙なところだな。
こっちの予備軍四千は近衛に並ぶ精鋭。普通なら倒すならまだしも時間稼ぎくらいにはなるはずだ。
でもコイツらは普通じゃない。いくら彼らでも長くは保たないだろう。
とは言え……
「……動かないな」
「はい。こちらの狙いに気付いたのでしょうか」
突然姿を現してから、魔王軍は一定の距離からまったく動こうとしない。
数は現時点では敵の圧勝。ここを狙わない手はない筈なんだが……
バレたか。
俺はわざわざ周囲をドリュフェス以下近衛騎士約百五十だけにしていた。
俺は自分を囮にしたのだ。
俺に飛び付いた敵を裏に回した部隊で挟むつもりだったんだが……
「殿下ぁ、おまたせいたしました! この不肖ダマスが参りましたぞ!」
「おお、ダマス卿か。待ちわびたぞ」
ここで地上に置いていたダマス卿率いる予備軍が到着した。
こうなったらもうしょうがないな。さっさと切り替えて次にいくか。
「グライン隊を呼び戻せ。挟撃作戦は中止だ」
「ではいかがいたしますか?」
「敵が動かないならこっちが行くしかない。ダマス卿! 騎兵に突撃させろ! 奴らを引きずり出せ!」
「御意に!」
俺の命令で騎兵隊が魔王軍へ向けて突撃の構えを取る。
ダマスはこう見えて騎馬戦士としてかなりの腕利きだ。配下につけた精鋭と合わせれば敵陣を大きく抉ることもできるだろう。
「行くぞ! 突撃ぃーー!!」
「「「「「「「おぉう!!」」」」」」」
錐形の陣形で一斉に騎兵が飛び出して行く。
王国は騎兵戦術に定評がある、騎兵の国だ。どの貴族家にも選りすぐりの熟練の騎兵が一人はいる。
その上、ダマス卿には俺が今回集めたやる気のある貴族の手勢の中でも特に強い二家の軍を与えてある。初撃は相当良いのが入るだろう。これで敵がわずかでも崩れてくれれば文句無しだ。
「喰らえ! 不浄の魔の者めが!」
騎兵の第一陣が敵の先頭に到着。馬上槍を騎兵が敵歩兵目掛けて突き出す。そんな状況でもなお魔王軍は顔色一つ変えず微動だにしない。
なんか不気味d ――
「――撃て」
馬上槍が歩兵の胸を貫くその瞬間、敵歩兵の列の背後から火の玉が大量に飛んできた。
「なっ⁉︎」「うぎゃあ!!」「に、にg ――ぶあっ!」「退避、たi ――うごえっ‼︎」
先頭にいた百人程が一斉射撃でバタバタと倒れていく。
それを受けてその背後の隊も足並みが乱れ、そこにも敵の攻撃が降り注ぐ。
さすがのダマス卿と精鋭たちも、思いもよらない攻撃に急には対応できない。被害はドンドン拡大していった。
結局、ダマス卿が態勢を立て直すまでに、二百人程が戦闘不能になってしまった。
それにしても、味方ごと撃つなんて、信じられない。
敵の魔法部隊は、俺たちの騎兵と戦っていた味方の歩兵ごと撃ち抜きやがった。
だから、王国軍だけでなく魔王軍にも被害が出てる。
なのに、
「前進せよ」
「んなっ⁉︎」
奴らは気にせずに味方の死体を踏み潰し、王国の騎兵が退避したことでできた空間へ向けて魔王軍が前進を始めた。未だ動いている奴もいたのに、救援する様子もなく平気で踏み殺していく。
そして一切の悲鳴があがらない。
またたく間に魔王軍は王国軍と3mぐらいの所まで進み、そこでまた微動だにしなくなった。
「どうなってる、奴らあの後また動かないぞ」
「まるで……何かを待っているかのようですね」
「何かを待っている……はっ、まさか⁉︎」
狙いはあそこか? でもそんな……でもそれならつじつまは合う。俺たちを少しずつ外へ追い出してるとすれば、そうなるだろう。
そうなったらヤバい。
「ドリュフェス! グライン隊を『錠』へ向かわせろ! 絶対に奪われるな!」
「⁉︎ ……はっ、かしこまりました」
俺の言葉でドリュフェスは悟ったらしい、すぐにテキパキと部下に指示を出しだした。
こういうのは俺よりこいつのが上手いからな。このまま任せたほうが良い。
それより問題は戦力だ。味方ごと撃ってくる敵に対して、こちらはそう易々とは反撃できない。
それなりに広い空間とは言え、敵の魔法を防ぐ為の大盾部隊を密集させるにはリスクが伴うし、王国軍にはほとんど魔法士がいない。
犠牲覚悟で近付いて、仕留めるしかない。
「ディファット卿は未だか⁉︎」
「はっ、伝令を送りましたが、未だ……」
「冒険者もいるはずだろ? 地龍の討伐にそんなに手こずってるのか?」
「……分かりません。ですが、弱体化した地龍相手にSランクパーティ二つがかりに三百の冒険者と一万四千の兵を合わせてなお伝令を返すことすら叶わぬほど追い込まれているとは考え辛いかと」
「やはり、そうか……」
となると、しばらくはここの四千ぐらいで敵を抑えなくちゃならないわけだ。
こうなったら、いっその事一旦全軍で『錠』の封鎖に向かうか? 兵力ではこちらが多少上回っているとは言え、損害度外視の敵に押し込まれ続けていてはジリ貧だ。
だが、俺たちが全員でそこに向かったら、敵も全軍をそこに集中させてくるだろう。
とは言え、今この瞬間にも『錠』を奪われるかもしれない。そうすれば、人族は終わりだ。
何にせよ、このままどっちつかずのままでは兵を無駄に死なせてしまう。
一先ず俺だけじゃ判断できない、誰か頼れる奴に相談した方が良いだろう。
「オリオル卿を呼べ、意見を聞きt――」
それは、あまりにも突然だった。そのほんの直前まで、そんな様子など微塵も無かった。その場にいた全員の目線が、釘付けになった。
――その光景は、あまりにもバカげていた。
◇◇◇
「――おい、あれは何だ⁉︎」
それに最初に気がついたのは、俺を周りで守っていた近衛の一人だった。
俺もその方向を見ると、明らかにおかしなことになっていた。
魔王軍が次々と吹き飛ばされていたのだ。
「どっどういうことだ⁉︎ 何が起きて⁉︎」
俺はとっさに自分の正気を疑った。
だってあり得ないだろ?
そんなことが起きるわけないだろ⁉︎ あの魔王軍だぞ⁉︎ ついさっきまで俺たち王国軍はあいつらに押し込まれてたんだぞ⁉︎
「殿下! 落ち着いてください! 詳細は不明ですが殿下が狼狽えているのは兵の士気に関わります」
「あっああ、分かった」
ドリュフェスに落ち着くように言われ、俺は何度か深呼吸をして落ち着きを取り戻した。
見れば、急に起こったそのでき事に魔王軍も驚いたらしい。完全に足が止まっている。
当然、俺たちにとっては体勢を立て直す絶好の機会だ。
俺はすぐに各部隊長へ伝令を出し、陣形を編成し直した。
「殿下、密集陣形への再編、完了いたしました」
「分かった。ただちに〈遠視〉持ちに何が起こっているか確認させろ! 状況を見極めたのち、それに応じてこちらも動くぞ」
「御意」
先ずは無駄に騒ぎ立てたりせずに落ち着いて状況確認だ。俺の護衛をしていた近衛の内の数人がスキル〈遠視〉を発動させて次々に吹き飛ばされている魔王軍を観測する。
報告を待つ間、俺は可能性をいくつか挙げてみる。
先ずは真っ先に思いつくやつ。ディファット卿が来た。つまり、彼率いる貴族軍が俺たちに合流しようとしている、というものだ。
とは言え、これはかなり可能性が低いだろう。
なんせここまで合流が遅れたのだ。地龍討伐を冒険者に引き継いでから何かあったのは確実だ。ほぼ間違いなく損害を受けているはず。それもかなりひどいやつを。
そんな状態で、わざわざ魔王軍を吹き飛ばしながら合流する必要はないし、できないだろう。
第一、あの軍にそんなことができそうな奴は所属してない。
冒険者が合流しているとしても同様だ。
確かに彼らは強者だが、それは対魔物での話。たかだか三百ほどで魔王軍相手にああは立ち回れないだろう。
この可能性はほとんど無い。
次は若干期待しすぎかもしれないけど、援軍が来た、というものだ。
無い話じゃない。教皇国を中心とした義勇軍がこちらに向かっているはず。俺は義勇軍の到着を待たずに作戦を開始したけど、一部の部隊が先行して今到着したのかもしれない。それこそアルスダルク公爵家が重い腰を上げてようやく到着したのかも。
どちらにせよ、ただの人に魔族を吹き飛ばすことなどできない。援軍が来たのなら、その援軍は十中八九『英雄』級を含んでいる。逆転とまではいかなくても、これでだいぶ楽になるはずだ。
それでも何か違和感がある。
まさか帝国が『英雄』を出す訳はない。なんせ神の名のもとに手を組んでるだけで、本来俺たちは仲ちょー悪いからな。
中央小国郡、南方都市連合の国々にとっても彼らは生命線、王国の為に危険にはさらさないだろう。
つまり、義勇軍に『英雄』が参加しているとすればそれは教皇国の奴、つまり修道騎士団の騎士ということだ。
俺は何度か会ったことがあるけど、あいつらはあんな風に人が宙を舞う、みたいなスキルは使わないはずだ。
宙を舞うとしてもあいつらのスキルでは、あんな何かで殴られて吹き飛んだ、みたいな飛び方は絶対にしない。
これはアルスダルクにも言えることだ。『剣聖』のスキルは強力だが、どっちかと言うと一対一向きで、間違ってもあんな風に大人数を吹き飛ばしたりはできなさそうだ。
仮にできるとすれば俺が思いつくのは『剣帝』だけだが、あの人がここに来るわけないし、あのスキルはこんな連射はきかないだろう。
あと残る可能性の中で最も有力かつ、考えられる限りではだいぶ最悪なのは、やっぱこれだろう。
――冒険者が地龍討伐に失敗した。
これの可能性がやはり何度考えても一番高い。なんせ今起きていることの説明がほとんどできるからな。
弱っているという話だった地龍に冒険者が敗れたとは考えたくないが、常識的に考えれば、そうとしか考えられない。何らかの要因で一時的に弱体化していた地龍がいきなり元の力を取り戻したら……戦闘中の冒険者はひとたまりもないだろう。
となると、ここからは賭けになるな。なんせヤバけりゃ一万以上の兵も一緒に死んでる、そこから巻き返すのは結構難しい。
何か考えないと……
「なっ、何だと⁉︎」
そんなことを考えていると、〈遠視〉で観測していた近衛が急に大声を出した。
俺も含め、周囲の奴らが全員そいつに注目する。
「どうした、何が見えた?」
「そっそれが――」
俺が代表して尋ね、そいつが答えようとしたまさにその時、
「ぎぃやぁーー!!」「たっ助けぼごえぁあ」「いっいやだぉあえあーー!!」
吹き飛ばされていた魔王軍の列が、ついに俺たちの目視出来る距離まで迫ってきていた。
おかしい。
かなりの速度で動いていたとしても、流石にこんな急に距離を詰めるのは、おかしい。
おかしい。
それだけ仲間が悲鳴をあげているのに、誰も逃げようとしないのは、おかしい。
でも、そんなことはどうでも良かった。心底、どうでも良かった。それどころじゃなかった。
「きゃははははははぁーー!! 道を開けなさーーい!! さもなければ……死んじゃうわよ?」
――全身を返り血で染めながら、彼女は笑っていた。
「虫けら掃除でそこまではしゃげるのは、もはや尊敬に値する才能ですね」
――全身に恐怖と怨嗟の声を受けながら、彼女たちは笑っていた。
疑う余地もない、紛れもない〝怪物〟だ。
どれだけ可憐な容姿をしていても、隠し切れないその「異様」さ。
「――あっ見つけたぁ」
俺と目が合い、ニタァーっと笑った彼女は、次の瞬間には俺の目の前にいた。
「でっ殿下ぁ!」「殿下をお守りしろ!」
流石は近衛の精鋭、すぐさま俺を守ろうと動き出す。
でも、
「やめろ。動くな。何をしても無駄だ。俺たちの生命はこいつの気まぐれでいつでも取れる。だろ?」
「あったりぃーー! だから動かないでね? アンタらが思ってるほど手加減って簡単じゃないからぁ。あははははぁん」
ひどくご機嫌な彼女は今にも鼻唄を歌いそうな感じでそう告げた。
『手加減が簡単ではない』という彼女の言葉は、たぶん、と言うか絶対事実だろう。間違いない。俺たちを殺すのは、彼女――彼女たちにとっては造作もないことなんだろう。
蚊を叩く、その程度の些細なこと。
「はぁ、何故貴女はそう勝手に行ってしまうんですか?」
もう一人も、遅れて到着した。先に来た方ほどではないにしても、こちらも全身返り血だらけだ。それを心底不快そうに拭いながら歩いてくる。
見た目は――全身返り血まみれであることを除けば――普通の少女なんだ。
先に来た方は黒いワンピースドレス。
シンプルなデザインだが、その美貌に非常によく似合っている。
後に来た方はなんとメイド服を着ていた。
王城に勤めてるメイドの中でも、比較的年配の人たちが来ているようなロングスカートのやつだ。
どちらにしても、とてもこんなところにいる格好じゃない。
だけど、何故かしっくりきた。
彼女たちにとっては、ここは危険でもなんでもないんだろう。そんな格好で気軽に来れるようなところなんだろう。
……そのことが、何故かたまらなく悔しかった。
「じゃあぁ、早くすましちゃおっかぁ?」
「そうですね。その貴女にも飽きてきましたし、そろそろ元に戻ってもらわないと気味が悪いです。早く終わらせてしまいましょう」
言葉は分かる。しかし何を言ってるのかは分からなかった。
でも、まぁ良い。なんせ、俺は今から死ぬんだ。
こいつらに殺されるのか、それとも自分から突っ込むのかは知らんけど、こいつらの狙いはたぶん『錠』だろう。
あれを渡す訳にはいかない。あれは死んでも守り通さなきゃいけない。
……最後にシスベルにもう一度会いたかった。それだけが心残りだ。
俺は静かに目をつぶり、死刑の宣告を待ってる死刑囚の気持ちで俺はその瞬間を待った。
せめて堂々としていよう。
第三王子は、カイン・エイヘル・ゾン・ラルファスは最後まで立派であったと言ってもらえるように。
そうだ、これは言っておかないといけない。カッコつけてる場合じゃなかった。
「……部下の生命は助けてやってくれ」
「ほぉ、猿の頭目にしては殊勝な心がけですね。個人的には好感が持てる発言です。出来うる限りその願い……申し訳ありませんが叶えてあげられそうにありません」
「は?」
声的にメイドの方が俺の頼みを聞いてくれそうな流れで、何故か断られ、思わず声が出た。
ヤベっ、と思いつつ特に何も言ってこないことに違和感を覚える。
そう言えば辺りが異様に静かな気もする。
うっすら目を開けると、彼女たち二人も、俺の周りにいた近衛も全員一点を見つめて黙り込んでいた。
「悪いけど〜、その子は渡してもらうよ?」
宙に、新しく現れた何者かが浮いていた。しわしわになった何かを掴んで。
「お前ぇ、誰だぁ⁉︎」
「そんな怖い顔しないで〜、可愛いお顔が台無しだぞ♪」
「あぁん⁉︎」
ワンピースの方が、宙に浮いた何者かに問いかける、と言うより怒鳴ると、そんな返答が返ってきた。
ワンピースのお気には召さなかったらしい。先程までの機嫌の良さそうな声とは一変したドスの効いた声が出る。
一方のメイドの方も、警戒120パーって感じでこう尋ねた。
「さしずめ……魔王軍軍長といったところでしょう。安直に考えれば第五軍長ですが……」
「ビンゴ〜。よく分かったね〜。そうだよ〜、何を隠そうこのあたしが魔王軍第五軍長d」
「――興味ないわ」
魔王軍第五軍長だというその人物――声的に女性かな――の名乗りを遮りワンピースの方が言い放った。
「アタシ達に与えられた命令は『鍵』の確保。邪魔する奴は皆殺しよ」
「同感ですね。ここまで来た以上手ぶらで引き下がる訳にはいきません」
「へぇ〜、じゃあ仕方ないね♪ ……殺し合うか」
敵意むき出しの二人に対し、第五軍長もいきなり冷たい声を出した。
両者とも殺る気満々だ。今にも殺し合いを始めそうだ。
話を聞く限り、こいつらの狙いは『鍵』――つまり俺だろう。
彼女たちの正体は知らないが、どっからどう見ても人族じゃないだろ。魔王軍でもないとなると可能性は限られてくるが、そんなことはどうでも良い。
この人外決戦に勝った方が俺を持っていく、そういうことだ。
ふざけんな。俺はモノじゃねぇ。俺の行動をお前らが勝手に決めんな。
なんでさっきまで死を覚悟していた俺がこんなことを言い出したかと言うと、理由は簡単だ。
希望が見えたからだ。
怪物どもがメンチの切り合いをしていた時、俺は見てしまったのだ。王国の旗と共にある旗を掲げた軍勢を。
天に向けて突き出された光の剣の紋章――アルスダルク公爵家、つまり『剣聖』が到着したのだ。