幕間 皇弟、そっと呟く
「……くだらん。実にくだらん」
目の前で行われている〝醜い〟男同士の足の引っ張りに、「彼」は思わず溜息をついてそう漏らした。
「容姿」が、ではない。
むしろ流石は人界一の大国、レギオン帝国で血統を守ってきた門閥貴族だ、とばかりに皆年齢を感じさせない気品に溢れた美しい姿をしている。引き締まっているとは言えなくとも、決して〝醜く〟肥え太っているわけではない。
「彼」が言っているのは、彼らの「心根」の〝醜さ〟だ。
他者を蹴落とすことにその代々受け継がれてきた叡智と、財力と、武力と、人材の全てを投じ、そのことに一切疑問を抱かず、あまつさえそれを当然と考えてそうしない者を異常と捉えるその「心根」が、「彼」には到底理解出来なかった。
……彼らの闘争に巻き込まれて一体どれだけの〝幸せ〟が奪われたことか、「彼」には考えるだけで気が遠くなりそうなことに思われた。
――こんな者達の為に、愛する人の光と未来を失ったかと思うと、口惜しくてどうにかなりそうだった。
幸いなことに目の前の男達は互いに罵り合うのに夢中で、「彼」の呟きには誰も気付かなかった。
……「彼」としてはこんな声にすら気付かない程熱中するだけの価値がこの議論にあるとも思えず、再度溜息をつく。
今の議題は、どこぞの狩場に高ランクのモンスターが出た、とかいうものであった。
それなりの被害が出たのだ、議題に上がっていてもおかしくはない。だが、その論点にはいささか疑問を抱かざるおえないところであった。
やれ、モンスターが沸いたのは狩場近くの禁猟地内の獲物が減った、すなわち誰かが禁猟地で密猟をしたからだ、と片方が言えば、元より狩場周辺の警備兵の到着が遅れたことが被害の拡大につながったのだ、もしや警備兵共が弛んでいるのではあるまいな、と返す。互いに己が派閥に属する貴族やら役人やらを庇って罪をなすりつけ合っているだけだ。これ程無駄な時間もあるまい。
元より「責任者」とは読んで字の如く「責任」を「取る」為にこそ存在するのだ。つまり今この場で真っ先に取り組むべきは原因を究明して再発を防止する為に話し合うことであって、適当な理由をつけて敵対派閥を貶めることではない。
「ここは禁猟地の管理官の減給を――」
「いや狩場周辺の貴族にお叱りを――」
ああだこうだと言い合う門閥貴族達。結局その罰は執行されないというのに、えらい身の入りようである。
――彼らの潔いところは、己が派閥に所属する者が受けた恩賞をつまみ食いする代わりに、下った罰則もまた自らも受けることである。その一点だけは建国以来権力を欲しいままにしてきた全ての門閥貴族に共通する信念であった。
……まぁ本当に潔いのならば、罰もきちんと執行される筈であるが、そこは法務官の胃の具合と要相談である。恐らく今回の件では日頃の忠信云々でうやむやとなるだろう。
とは言え、こんなことを話し合う為に彼らは今日ここに集まったのではない。「彼」は我慢の限界を迎え――る一歩手前で静かに口を開いた。
「御一同、そろそろ本題に入ってもよろしいかな?」
「おお、これはこれは誠に申し訳ございません。殿下」
「殿下の申される通りにございます。直ちに始めましょうぞ」
欠片も心のこもっていない口だけの謝罪を口にして門閥貴族達は何食わぬ顔で会議の本来の議題について話し合おうと席を入れ替え出した。
――元々役職に応じて割り当てられていた席を彼らは勝手に座り直して派閥毎に固まっていたのだ。本来あるまじきことだが、それをたしなめる者はこの場にはいない。
そのことを異常とすら感じられなくなっているあたり、「彼」もまたこちら側の人間なのだ。本人としては虫唾が走る思いだろうが。
「では始めよう。ブイオン」
「はっ」
「彼」は門閥貴族の準備が整ったのを確認して側に控えていた側近に声をかける。それを受けて直ちに席に着いている全員に資料が配られる。
門閥貴族が無駄話をしてさえいなければ、この会議は極めて円滑に進むようになっていた。帝国は制度は完璧なのだ。人が駄目なだけである。
「先ずは『北方山地』に出現を確認した魔族軍に関してです。既にアサリに駐屯中の西部方面軍二万に加え、『捧剣の盟約』に従い諸侯軍一万もアサリへ集結中です」
「うむ、初動は完璧だな。流石は天下に誇る栄えある帝国軍である」
「教皇国からも『聖軍』二万が勇者パーティ、『青海』『紅空』の両修道騎士団とともに二手に分かれて巡礼街道を進軍中とのこと。勇者率いる第一軍はカンデア、聖女率いる第二軍はシナラスの目前まで迫っております。あと一週間ほどで両軍ともアサリに到着するかと」
その後も『北方山地』に出現した魔族軍に対する各地の対応が次々と報告されていく。その間、時折疑問点を尋ねることはあっても門閥貴族が邪魔をすることはなかった。
「ミロト=シュナクからの報告は? 『両骨山脈』に動きはないか?」
「はっ、現在『両骨山脈』方面の魔族に大きな動きがあるとの知らせは北部方面軍より入っておりません」
「となると……今回の奴らの動きは単なる配置換えなどではない、という事か……軍部としてはいかがお考えか」
そう水を向けたのは帝国内の二大派閥、通称『貴華族派閥』の党首を務める内務尚書。それに対し、もう一つの通称『貴士族派閥』の長、軍務尚書が応える。
「勇者の言うことには奴らは亜人の村落に散在しているそうだ。数地点からの同時侵攻の可能性も視野に、防衛線を厚く広げるべきと我々では結論を出した。既に西部方面司令部にはその通りに動くよう指示を出している」
「つまり問題は無いと?」
「魔族の大規模侵攻を〝問題〟と捉えなければ、その通りだ」
「ふむ、ならば良い。予算はこちらの方で融通しよう」
「ああ、奴らはこちらが全力で食い止めよう」
両者が一応の合意に達したことにより、この件に対する帝国の大まかな動きは決定された……だけならよかったのだが、後は下の者が詰めることだ、とばかりに門閥貴族達は両派閥に分かれてくだらないことを真剣に議論し始めた。
「……はぁ、やはりこうなるか。期待したオレがバカだった」
◇◇◇
「それで、帰ってきてしまったのですか?」
部屋の中央に置かれた豪奢な椅子に腰掛けた女性は、報告を受けその貌の良い小さな口を驚きのあまり開け放した。
「ええ、急に席を立たれるのでビックリいたしました。門閥の方々さえお話を中断されるほど驚いていらっしゃいました」
「まぁ、それは申し訳ないことをしましたね。あとでキチンと謝らなくては」
「かしこまりました。後ほど愚めのほうから謝罪を……奥様?」
突然立ち上がった〝奥様〟に慌てて手を伸ばして支える。女性はそのことには構うことなく声を上げた。
「ローちゃんが謝ることはありません!」
「そうだぞ。驚かしたのは卿ではないだろう。謂れのない謝罪は時として相手を不快にするものだと覚えておけ。第一、そんな事をすれば奴らを思い上がらせるだけだぞ」
「……す、すみません。……愚めの考えが足りていませんでした」
〝奥様〟に加え同輩からもそう言われ、彼女――ロディネ・ブイオンは心底恥ずかしく思いながら身を縮めた。
――一目見ただけでは細身の紅顔の美少年でしかない彼女のその姿は、見る者によってはひどく嗜虐心をくすぐられるものだったが、幸いなことにこの場にそんな趣味を持ち合わせている者は一人としていなかった。
「大丈夫よ、ローちゃん。私はバンス様が謝るべき、って言ったの。ね、〝旦那様〟?」
「む? オレか?」
部屋の奥で腕を組み会話を黙って聞いていた〝旦那様〟――「彼」は驚いたように見開かれたその燃えるような真紅の瞳を〝奥様〟――己が妻へと向けた。
「そうですよ? 悪いことをしたらすぐに謝らなくちゃ。貴方様はそれで赦されるんだから」
「……うむ」
「俺もこの件は早く片付けるのが賢明だと思うぞ。ここぞという時に揚げ足を取られてはたまったものではないからな」
「……うむむむむっ、…………分かった謝罪しよう」
二人に説得され、「彼」はしぶしぶ謝罪することを受け入れた。
「さぁ、そんなお話はおしまい! もっと楽しいお話をしましょ? ギル、なにか無い?」
「俺か? おぉーん、そうだな……」
「遅い! はい、次ローちゃん!」
「えっ⁉︎ 愚めですか⁉︎ そっそうですねぇ……」
「焦らなくていいのよー、じっくり考えてね」
「ううーん…………」
「……いや、俺と扱い違い過ぎないか⁉︎」
「だってギルだもの」
「ああ、ギルなら仕方ないな」
「バンスまで⁉︎」
そんな三人には構わず一人律儀に考えていたロディネがハッと顔を上げて口を開いた。
「……あっ、思い出しました。レインからt――アルノルト殿下からお手紙をいただいたのです」
「へぇそうなの? いつ?」
「今朝です! すぐに開けようかとも思ったのですが、お仕事があったn――任務に差し障りがあってはならないと思いとどまりました」
「そう。それは良かったわね」
「はい!」
微笑ましいものを見た、と言わんばかりに〝奥様〟は満面の笑みで――恐らく本人には自覚はないが――喜びを表現するロディネへ顔を向ける。
「お部屋に置いてきてしまったので、とってきます!」
「そう。いってらっしゃい」
「はい、いってきます!」
もはや口調を繕おうともせず、ロディネは部屋を飛び出した。
……そんな時でも扉を閉める際に一礼したのは、彼女の仕事意識の高さか、はたまた――
「そう言えばリヴィとシルフィからも手紙がきてたわね。ローちゃんのところにもきてたのかしら」
「かもしれんな。まぁロディネのあの様子じゃ来ていても目には入っていなさそうだが」
「ふふふっ、ローちゃん、嬉しそうだったわね」
「まぁレイン様からの便りですからね」
「ふんっ、あいつオレにはろくに連絡をよこさんくせに」
「仕方ないじゃない。あの子だってこんな口うるさいおじさんより可愛い可愛い幼馴染と文通したいわよ」
「なっ、なんだとォ⁉︎ オレはまだまだ若いぞ!!」
妻の軽口にムキになり、顔を真っ赤にするさまは、確かに「若い」と言うより「幼い」感じがする。
……断じて良い意味ではないが。
呆れ果てて口を挟まない親友兼腹心を押し退け、「彼」はドシドシ足音をたてながら妻に近付いた。
「言っておくがなァ、レイナ、オレはまだs――良いぞ、入れ」
「⁉︎」「……流石だな」
妻に文句を言おうというちょうどその時、扉の前に気配を感じた「彼」は、その気配が近衛のものではない鎧を身に付けているのを感じてノックの前に入室を許可した。
例え頭に血が昇っていようが、愛する妻とじゃれあっていようが、彼の気配感知は正確だった。
……まぁ正確には彼のスキルは既にただの〈気配感知〉ではないのだが、帝国の鑑定技術ではそれ以上は分からなかった。
「はっ、失礼します閣下」
そう言って入室してきたのは「彼」の感知通り近衛ではなく、高級武官――「彼」の公的な側近だった。
「お前にここへの立ち入りを許可した覚えはないが?」
「はっ、緊急事態かつ最高機密につき、特別に許可がおりました。……その出来れば」
「ああ、メイベール、退出しろ」
「かしこまりました。殿下」
妻が侍女に連れられて退出したことを確認し、「彼」はすぐさま武官の報告を受けた。
「……行ったな。始めろ」
「はっ、先程西部要衝都市シナラスから報告がありまして、本日紅の刻に西部s――」
◇◇◇
「ふんふふんふふー、ん?」
鼻歌交じりに自室から主人の部屋へと戻ったロディネは、部屋の前に集まった物々しい鎧の集団と、部屋の外に立つ女主人の姿を見て気を引き締めた。
「奥様、何があったのですか」
「それが私にも分からないのよ。急に大将軍府の方がみえて」
「大将軍府の⁉︎」
軍務省とは別に文字通り全軍を指揮する『大将軍』。戦時は最前線に出て陣頭指揮を執るその大将軍が率いるのが『大将軍府』である。
彼らが動くなど余程のこと、それこそ十万規模の戦が起きた時くらいだ。
「いったい何がa」
「ブイオン! 大至急御前会議を開く! 関係各位を直ちに集めろ!」
「はっ、かしこまりました」
いきなり扉を開け放し、焦った様子の主人が飛び出してくるなりそう命じた。
主人の命に従いロディネはすぐさま駆け出せるよう身形を整える。
そこに主人からとんでもないことが告げられた。
「西部商業都市ラポンが陥落した」
「え⁉︎」
「そっ、それは本当ですか?」
「ああ間違いない。すぐさま行動に移さなくては手遅れになるぞ」
主人の真剣な表情は、とても嘘を言っているようではない。第一こんな事態でもなければ大将軍府は動いたりしないだろう。
ロディネは起こってしまった最悪の事態に震えつつ、自らの職務を果たす為駆け出した。
◇◇◇
「閣下、こちらを」
「うむ」
側近の差し出した宝剣を腰に帯び、「彼」は『御前会議の間』の扉へと近付く。
すぐさま扉の両脇を固めていた近衛が帝室の象徴たる孔雀の羽を持つ獅子の彫刻が彫られた大きな扉を開いた。
「大将軍閣下のおなぁーりぃー」
開かれた扉から入室した「彼」――レギオン帝国大将軍にして皇弟、クレイハット・バンス・ドワイト・フォーク・ブッシュバウンは小さくこう呟く。
「……はぁ、なんでオレがこんな目に……神様、オレなんか悪いことしました?」
彼は未だ知らない。これが彼にとっての、そして人族にとっての苦難の始まりに過ぎないことを。そして――
「……したか。いや、しなかったのか。オレは結局何も守れなかったもんな。『剣帝』なのに」
――『剣帝』としての彼の長い闘いの始まりでもあることを。