幕間 公爵令嬢の憂鬱
「――アリーナちゃんが?」
自身の腹心にして一番の親友であるエリスの言葉に、ラルファス王国第三王子カイン・エイヘル・ゾン・ラルファスの婚約者にしてクロムウェル公爵家長女、シスベル・レム・クロムウェルは耳を疑った。
「はい。教皇国、帝国を中心とした義勇兵五万八千の総司令官として第四教皇女様がこちらへ向かわれているそうです。王都よりの情報なので間違い無いかと」
「それなら間違いは無いだろうけれど……あのアリーナちゃんがねぇ。がんばったわね」
シスベルの記憶にあるアリーナ――神聖アゼルシア教皇国第四教皇女アリーナ・ソファリムは物静かな少女で、自分の意見などをハキハキと話せる様な人物ではなかった。正直あまり司令官に向いているとは思えない。
だが、彼女の知る教皇国首脳部――『神能教』教団上層部は司令官として相応しく無い人物を司令官に据えるような無能でも、間抜けでもない。そんなに甘くも無ければ、残酷でもない。
つまりアリーナは実力でその座を掴んだという事だ。
それは素直に称賛すべき事だ。
基本的にシスベルは他者を公正に評価出来る人物だ。生まれや育ちで人を判断したり、個人的な私怨は少なくとも評価に一切関わらない。
――カインが絡まない限りは、だが……
「アリーナちゃんが来るってことは……あの二人も?」
「いえ、あのお二人は今回は同行しないとのことです。……と言うより、別にあの騎士団は第四教皇女様直属の騎士団ではありませんよ?」
「そんなことは分かってるわよ! 『居ないのかな?』ってちょっと気になって聞いてみただけじゃない! なんでそんな言い方するのよ⁉︎」
(シスベル的には)何気ない質問をしただけの筈がエリスにチクッと毒を吐かれてシスベルの「お嬢様モード」は解けた。
――因みに気を利かせたエリスが既に人払いを済ませてあるので、シスベルが多少『白銀』のイメージにそぐわない言動をしても問題はない。こういうところは万事抜かりがないのがエリスの特徴だった。
「冗談でございますよ、お嬢様。そんなに大声を張り上げて怒らないでくださいませ」
「なにが〝冗談〟よ! けっこう本気でわたしのことバカにしてたでしょ⁉︎」
「……」
「そこは否定しなさいよ!」
◇◇◇
その後もシスベルとエリスのじゃれ合い(?)は続き、いつしか話は再びアリーナ――『神能教』の事へと戻ってきた。
「それにしてもアリーナちゃんが総司令とはねー。正直意外だなー」
「左様でございますか?」
そう返しつつ、『いつまでその事にこだわるつもりだ?』という本音は飲み込む。
そんな事を言えば主人が本気で臍を曲げるとエリスはよく理解していた。
――あんな面倒事は二度とごめんこうむる、というのが偽らざるエリスの本心である。
「うん、だってあの子そんなに自己主張強そうなタイプじゃなかったもの、昔も今も。……まぁ〝今〟と言ってもここ一年くらいあってないけど。それでも一年やちょっとでこんなに変わるものかなー?」
「……人は案外簡単に変われるものですよ、お嬢様」
「えっそうなの?」
そう、人は他人からすれば少々意外な程に簡単に変われる生き物である。実際エリスも人が変わるその瞬間を間近で見た事がある。
誰もが経験するとは限らないが、経験すれば十中八九人は変わる。変わってしまう。
だが、それをシスベルに正直に伝えられるかと言うと、それは難しい。
出来るならシスベルには真っ白なままでいてほしい。あんな思いをするのは自分だけで充分だ。それがエリスの偽らざる本心である。
「……まぁアリーナ様がお変わりになられたとは限りませんが」
「えっどういうこと……いややっぱ良い。自分で考える」
エリスの発言に驚き、シスベルはすぐさま質問しようとしたものの、「ここで聞けば負けた気がする」という謎のプライドを発揮し、自分で考え出した。
それを微笑ましく思いながら、エリスは本来の主人の狙いについて考えた。
(恐らく〝ご主人様〟は今回の捜索及び地龍討伐戦に投入した冒険者――〝兵〟をそのまま〝あの計画〟に流用するおつもりなのでしょう。となるとカイン殿下の下に結集しつつある貴族軍も〝ご主人様〟の息が……? ……流石にそれはないか)
と思いつつも、あの〝ご主人様〟ならあり得るかもしれない、などと一瞬でも思ってしまい、歓喜にエリスはブルッと震える。
(仮に〝あの計画〟が成功すれば、もうこんな生活を送らずに済むのよね? そうすればこれ以上酷い目に遭うこともない)
そう遠くない未来を想像して、エリスは思わず震える。恐怖で。
「そんな都合の良い事がそうそう起こるのか?」という疑問と、「せっかく手に入れた幸せをまた奪われてしまうのではないか」という恐れによるものだ。
(大丈夫、取り敢えず今は〝ご主人様〟を信じよう)
そんな事を考えている事自体が〝ご主人様〟を信じられていない事の現れであるという事に、エリスは気付いていなかった――
◇◇◇
「――でね、カインったらわたしのこと見るなり抱きついてきて、ほんとに困っちゃったわ」
「そうですか、良かったですね。八回話しても未だ続けられる程度には嬉しかったんですね。お嬢様の嬉しさのみ伝わってまいりました」
「……ねぇエリス。何度も同じ話を聞かせてしまったのはわたくし、悪かったと思っているわ。でもね? 仮にも主人であるわたくしにその言い種はどうかと思うのだけれど」
「『その言い種』と申されますと? 私めにも分かりやすいように喋っていただけますか? お嬢様のお話は時折分かり易い時があるのですが、それ以外は分かり辛いのでm――」
「そういうところよ!! そういうたまに混ぜてくる「嫌味」とか「皮肉」の「毒」について言っているのよ!!!」
思わず声を張り上げたシスベルは、エリスがこれでも首をコテンと傾げて皆目見当がつかないかの如く不思議そうにしている姿を見て、「殴ってやろうか」などという淑女にあるまじき事まで頭をよぎった。
流石にはしたないと感じ、エリスを殴れば確実にカインに伝わると思った為実際に行動にこそ移さなかったものの、拳は既にいつでも出動出来る用意を整えていた。
――なお、カインに伝わらない場合に彼女がどのような行為に出るか、それは触れてはいけない部分である。まぁ大体想像は出来ると思うが……
「ご不快に思われたようなら謝罪はいたしますが、下々の多少の無礼を笑って許せる度量の広さも上に立つ者には必要でございますよ」
「……ん?」
「え? なんでございます?」
「…………はあ、何でもない。もういいわ」
「これが『多少』で片付く程度の無礼か?」という疑問を無理矢理飲み込み、シスベルは心底諦めたように言い放った。
エリスは決して悪い人間ではない。シスベルの前では。
むしろ自分を「クロムウェル公爵家長女」ではなく「シスベル」として見て、接してくれて、心からの忠誠を向けてくれる唯一の存在として、シスベルからは全幅の信頼を得ていた。
だがそれとこれとは話が別だ。
全幅の信頼を置いていて、シスベル自身エリスに礼を強要するつもりなどない。
とは言っても度々チクリと言葉の棘を刺されるのは正直あまり気分の良い事ではない。特にシスベルは自分を器が小さいと思っている。なおさらイラッともくるだろう。
それでもエリスの並々ならない忠誠心の高さと、今まで受けてきた恩義に免じて今までは許してきた。
――エリスに今の言葉を聞かせれば泣いて笑いだすだろう。
「『許してきた』? あまり許せていなかった気がいたしますが?」と。
だが、それにしてもこの頃は「毒」の頻度も上がり、笑って許せるレベルを超えてきている。
エリスを一番の親友として特別扱いしてきたシスベルだが、「主人」と「使用人」の線引きだけはきちんとする必要があると考えていた。これはその線を越えかねないとシスベルは感じていたのだ。
「最後に一度だけ尋ねておくわ。本当に分からないのね?」
シスベルはエリスを主人として叱る覚悟を決めて念の為にもう一度だけ尋ねた。なんだかんだ言いながらもエリスと出会ってからの十二年間、ただの一度も〝主人として〟エリスを叱った事は無かった。
「エリス……?」
シスベルは不安そうな顔でエリスに再度呼びかける。
「しなければならない事」が必ずしも「したい事」と一致するとは限らないのはどこに行っても同じだ。
正直なところシスベルもエリスにこんな事言いたくなどない。だが示しを付けなければならないのもまた事実。シスベルからすれば正に苦渋の選択である。
それに対するエリスの返事は――
「勿論、分かっておりますよ。私の言動が礼を失していて流石に目に余るという件ですよね? 最近の――」
――完璧だった。正にシスベルが言おうとしていた事そのままであった。
エリスはその後も一分の狂いもなくシスベルの言いたい事をつらつらと羅列していく。
「――とまぁこんな感じでございましょうか?」
「すごいじゃない、まさにそう言いたかったのよ。分かっているならなんで初めからマジメに話してくれなかったの?」
エリスが本気で人の気持ちが理解出来ない人で無しなのではないと分かり、シスベルは思わず聞かなくていい事を聞いてしまった。
「それは当然、その方が面白いからでございます」
「……」
「お嬢様? どうなさったのですか?」
「…………そういうところよ! 全然分かってないじゃない! 分かってるのに分かってない!!」
「お嬢様? 何をおっしゃっているのか私には分かりかねます」
どう考えても分かっているのに白を切っているエリスに、シスベルは遂に殴りかかった。
――と言っても趣味の乗馬以外、カインに太っていると思われない程度にしか運動をしていないシスベルの拳など大した威力ではない。「ポカポカ」と音が鳴りそうな程度の威力だ。
全く効いていなさそうなエリスの様子に更に気を損ねたシスベルは遂に叫んだ。
「エリスなんて大っ嫌い!!!」