91 優しくないな②
「――何をしているのですか?」
後から来た方が、先に声をかけた。
そんな声出んの? ってくらい低い声で、ちょっとちびりそうなくらい怖いんだけど。
そんな声をかけられた〝ヤツラ〟は、まさかそんなところから声をかけられるなんて思ってもみなかったようで、避難民に対する高圧的な態度から一転、明らかに動揺した様子で急いで振り返る。
完全にビビり倒したその姿は、おいたが親にバレた子供のようだ。
そんな〝ヤツラ〟の様子に頓着することなく、声の主はこちらへ近付いてくる。
その場にいる全ての者が、一言も発することなくその到着を待つ。
永遠とも思える時間を経て、遂に足が止まった。
「お答え、いただけないのですか?」
問い掛けに一言も返さなかったことに対し、再度冷ややかな声で尋ねる。
見てるこっちが哀れに思えてくるぐらいに縮み上がった〝ヤツラ〟は、結局何も言えないままだ。
その様子を、極めて冷ややかな目で一瞥したのち、興味を失ったように今度はこちらに目を向ける。
「あなたがたは……避難の準備をされているのですか?」
「はい。現在避難民の第一陣の出発を進めていたところです」
「そうですか」
先程から謎の冷気を纏ったまま、声の主こと『聖女』様は淡々と言葉を発する。
なに? めっちゃ怖いんだけど。
あの後、いったい何があったの?
「おっ、お言葉ですがっ!」
そこへ、割り込む声がある。
明らかに裏返ってしまってはいるものの、静まり返ったこの場では恐ろしいほどによく通った。
〝ヤツラ〟こと帝国軍は――正確にはその中の士官は――、聖女様にビビり倒しながらも、ようやく自分達の目的を思い出したらしい。
「我らはっ、本営の命令を受けておりまして……」
「それで?」
頑張って割り込んだところまでは良かったんだけど、残念ながらそう長くは続かなかった。
やっぱ、今の聖女様、めっちゃ怖いな。
マジでなんでなんだ?
「避難を進めてください。護衛には騎士の方をお付けするように」
「そっそれは……」
流石にそれはいくらなんでも難しいだろう。
ただでさえ騎士ってのはほんの少ししかいない上に、さっきの戦闘で大打撃を受けた後だ。
残ってるのは大部分が指揮官クラスだろう。そんな連中を避難民の護衛に付けるのは無理ってもんだ。
とは言え、『聖軍』や帝国正規兵ならともかく、傭兵やゴロツキに毛が生えた程度の貴族の私兵に護衛を任せるのもかなり危険なのも確かだ。
その点、騎士ならまず間違いは起こらない。
例え「下民」に対する強い差別意識を有していようとも、騎士の誇りを汚すような真似は死んでもしないだろう。
これはなかなかに難しい問題だ。かなりの時間をかけて慎重に検討すべき案件だろう。
……僕がいないのなら、だが。
「――護衛には、私が付きましょう。正確には、私の分体が、ですが」
「『神獣』様?」
いくらでも――もちろん限度はあるが――分体を作り出せる僕なら、一体や二体程度護衛に付けた程度なんの問題もないし、間違いなど起こりようもない。
襲撃を受けた時も〝奥の手〟があるし、生理的嫌悪感さえ我慢してもらえれば単純に避難民を保護するなら、現状の手札の中では『神獣』が最適解だろう。
突然の僕の発言に、今度はこっちに視線が集まる。
正直、ようやく脱出だ、ってタイミングで待ったをかけられた避難民のためにも、一刻も早くこの重苦しい状況を終わらせたい。
聖女様の考えは、正直全く読み切れないけど、まぁそんな反対したりしないだろう。
「なりません」
「ならん」
残念ながら、僕の読みは大きく外れた。一瞬で拒否された。
問題は、聖女様に拒否られたことじゃない。
もう一人にも拒否されたことだ。
いや、正確にはもう一人来たことだ。
……これ以上カオスな状況にする気か? 頼むからもうやめてくれ。
今度はさっきみたいな失敗はしない。
「理由をお聞きしても? 都市長」
「そんなこと、言わずとも分かるであろう」
分かんねぇから聞いてんだよ、このタコ。
質問に答えない都市長にイラつきながらも、僕はこの後確実にくるであろう面倒を考えて気が遠くなる思いだ。
それにしても、重武装の騎兵を引き連れてくるとは、思ってたより切羽詰まってるのか?
さっき来た帝国兵共は、上官の登場で見るからに安心した様子で、そちらへにじり寄ろうとする。
そこへ、剣を突き立てた奴がいた。
聖女様の護衛についていた修道騎士だ。
お前らいたのか。申し訳ないけど、全く眼中になかった。
そして、これで益々面倒くさい状況と化すのが確定した。
いい加減にしてくれないかな。もうこれ以上はダメっしょ。
「貴様ら、『聖女』様のご意思に従がえんと言うのか?」
「その者らは帝国の兵だ。『聖女』様と言えども勝手は困る」
「『神能教』の信徒として、民を思う『聖女』様に従うのは当然のことであろうが」
「我らも助けを待つ帝国の民の為に動いておるのだ。そのような物言いはやめてもらおう」
双方ヒートアップして敬語が抜け、今にも斬り合いそうなほどにバチバチにやり合っている。
こりゃマジでヤバいな。下手すれば、いや下手しなくても死人が出るぞ。
ただでさえ壊滅的な被害を受けたばかりだってのに、こんなところで同士討ちの末に被害を出すなんて馬鹿げている。
とりあえず、これ以上の大事に発展する前に、僕の疑問にだけは答えてもらわないと。
……それさえ分かれば、最悪〝実力行使〟すればなんとかなるだろう。
「私が護衛につくのに反対なさるのは、万全の状態でお使いになりたいからですか?」
「そうです」「そうだ」
うーん、やっぱりそうか。
どいつもこいつもこっちの事情も考えずに、好き勝手言いやがって。
とは言え、それならまぁ、納得は出来る。
切れるカードが少ない現状では、なるべく最高の状態で運用しようとするのは当然のことだ。
『聖女』様も都市長側も、魔王軍への対処に僕を使いたいようだ。
揉めているのは、それ以外の戦力の使い道だろう。
神能教――教皇国としては、避難民の速やかな保護と魔族の討伐が急務と考えているのだろう。
本国からそういう指示が来たのかは分からないが――たぶん来ていない――、根っからの神能教徒たる『聖女』様が、政治関連の問題を除いて教皇庁と考えを異にすることはないだろうし、間違ってはいないと思われる。
言い方を選ばずに言えば、一般兵は民の救出、騎士は民の保護に投入して、『勇者』を筆頭とする最精鋭で陥落した都市を奪還していくつもりなのだと推測できる。
今まさに困っている民の保護が迅速に行われ、しかも当面の脅威は速やかに排除されることはほぼ間違いない。
それでも、一時的とは言え最高戦力が一堂に会することになるので、仮に一網打尽にでもされようものなら想像を絶する事態になる。考えられる中では最悪のシナリオだ。
一方の帝国は、都市を奪われたままでは示しがつかないし、ましてやその都市を外国の戦力に奪還させたとなれば国家の威信に係わるので絶対に阻止したいのだろう。
自前の軍の直ちに投入して速やかな奪還を図りたいはずだ。
正直少数の精鋭だけでは取り返した都市の運営なんてできないから、その後のことまで考えるのならこっちのが確実に良いだろう。
浮いた最高戦力を次の敵への警戒に当てられる、というメリットもある。
しかし、兵を大勢必要とする以上どこかにしわ寄せが行くのは確かだ。
どちらの言い分も理解出来ないことはない。
……色々言いたいことはあるが。
両者の考えの最大の違いは、やはり『英雄』級に対する認識の違いだろう。
帝国は国力を示すための一種の道具として扱っている節がある。
よって、一気に失われる可能性にかなり慎重にならざるを得ない。
一方の教皇国、と言うよりも神能教は、その教義上『英雄』のことを「弱き民を護るために神が力を与え給うた存在」と認識している。
このような状況で使わずしていつ使う、といった具合に躊躇いなく投入してくる。
それに、教皇国には元々『英雄』級がかなり多い。
『勇者』パーティを筆頭に表の戦力だけでも修道騎士団の団長クラスや総司教・大司教クラスにも――戦闘経験を考慮しないのなら――それなりの数がいる。
裏の戦力まで含めるのなら、『十四聖典』どころか第三聖典だけで十を超す『英雄』級を有している。
教義も相まって、他国に比べれば『英雄』の損耗に頓着していない。
帝国はその広大な領土により(教皇国を除く)周辺諸国よりも『英雄』級の発現数は多いものの、その領土を治めるためにはかなりギリギリの数らしい。
本音を言えば、一人も失いたくはないだろう。
ただでさえ、過去に幾度かあった魔王軍の本隊との決戦では万規模の戦死者を出すと言うのに、それに加えて近隣の『英雄』級を根こそぎ失った日には……考えたくもないだろう。
今この状況のことだけを言うのなら、戦力の出し惜しみはどうかと思わないでもないが、そう誕生んな話じゃないのも理解出来る。
実に難しいところだ。
そして、その両者からしても『神獣』という存在は非常に都合の良いものらしい。
元が魔物なので――ゾンビだってことは言ってない――使い潰すことに対した罪悪感もないだろうし、飯代もなにもかからない上にそこらの強者程度では相手にならないくらい面倒くさい。
特殊攻撃に状態異常、更には生理的嫌悪感をそそる粘手を使うので、かなり対応しにくい相手だと認識されているようだ。
強いのか、と言われると断言しづらいが、まぁ討伐しづらいのは間違いないだろう。
心から信用出来る存在ではないが使う価値はある、そんなとこかな。
それに加えて、帝国からしてみても教皇国の人員感があまりないので使い易いのだと思う。
『神獣』というのは、神話に登場するタイプの存在だからね。
宗教上の存在だから、教皇国と縁が深いのは確実だが、厳密に彼らが手綱を握る存在なのかは未知数だ。
現状、こっちの自由意思で命令に従っているに過ぎない部分は確かにある。
なんせ、こちとら魔物なんで。
そして、僕を挟んで行われている、この不毛……と言うと語弊があるが、もう少しやりようがありそうな議論は、あまりにも散々な結果に終わることとなった。
「――マッケロウ卿! こんなことが許されると思っておられるのか!」
「……申し訳ない、とは思っておりますよ」
「ふざけるな!」「おい、待て!」
――先に増援が到着した帝国兵が無理矢理押し通ったのだ。
◇◇◇
「――おのれ! 神罰が降るぞ!」
いつまでも元気に吠えているのは、第一大隊所属の修道騎士だ。
髪は金髪、ようするに帝国貴族出身だ。
まぁ、色々思うところもあるだろうさ。
問題は――
「…………これ、僕を縛る必要、ある?」
――何故か僕は拘束されてしまったことだ。
げせん。何故こんな扱いを受けなければならないのだ。
増援の到着でかなり強引に突破を図る都市長に、ある意味感心していたら、あっという間に縛り上げられてしまった。
まぁ、この程度の拘束なんていつでも抜け出せるんだけど、その狙いが気になったので大人しく縛られてあげることにした。
避難民を押し退け門を開ける帝国兵を止めようと、修道騎士が追ってくるが、他ならぬ避難民に被害が及ばないように気を使っている所為で思うように動けないらしく全く止められていない。
でもなぁ、さっきの様子を見るに、帝国兵も結構後ろめたいとは思ってるっぽいんだよな。
そりゃ命令とは言え、弱り切った同胞を見捨てて行くのは気が引けるだろう。
なんなら、シナラスとその周辺からの徴兵で賄われている都市守備隊の歩兵連中に至ってはこの避難民の中に知り合いや、下手すれば家族や恋人がいる可能性まである。
そのリスクを承知で断行した以上、相当の覚悟があってのことと思われる。
「手荒な真似をしたことは詫びよう」
そう思うんなら、まずは荷物みたいに運ぶのをやめてもらおうか。
結構強引に縛られて担ぎ上げられたもんだから、狙いが全く読めなくて特に逆らうことなく従ってるけどさぁ、別にこの状態を甘んじて受け入れてるわけではないから。
それに、やっぱり避難民を押し退けてるのが問題だよな。
それは為政者としてやっちゃいけんでしょうが。
まぁこれは早く軍を出したい、ってのとは別に、なるべく避難させたくない、ってのもありそうだが。
帝国側が避難に難色を示している理由は、思い当たらないではない。
それでも、目の前でこんなことやられたら民衆に反感を買うのは避けられないし、流石に悪手過ぎると思うんだが……そんだけ中央の命令はキツイのか?
都市長の顔の険しさからは、迂闊には触れられない必死さがにじみ出ている。
半端な説得には耳を貸す気はなさそうだ。例え本人は貸したくとも。
そんな時に正論を説かれれば、冷たく突き放さざるを得ないのも納得できなくもない。
……その事情が聖女様はともかく修道騎士共に通じているとは思えないけど。
そして、遂に恐れていたことが起こってしまった。
「おい! 俺らを見捨てる気か⁉」
「どっどけい! 邪魔だ!」
自分達を無視して都市外に出ようとする帝国兵に対して、男が一人抗議のために前に出てくる。
それに対して、騎馬兵の先導をしていた下士官とみられる帝国兵が槍で追い返そうとする。
しかし、その穂先がわずかに下がり過ぎてしまった。
下士官ではなくその背後にいる都市長の方へ話しかけていたその男は気付くのに一瞬遅れた。
吸い込まれるように穂先が男の胸に――
「――なにをしている」
――刺さる前に僕が止めた。
拘束を一瞬で破り、僕を担いでいた下士官を踏み台にして間に飛び込んだのだ。
……少し勢い余り過ぎて穂先があらぬ方向へ曲がり、掴んだ腕がミシミシいってることは大目に見て欲しいところだ。
「それは貴様らが決してやってはならないことだ。それは分かっているな?」
返事はない。
まぁ、この状況で返事出来たらそれはそれで引くし、なんならそっちの方が怒りを買うまである。
思わず掴む手に力が入る。
下士官はもはや悲鳴すら上げず、ひたすらブルブルと震えている。
顔面蒼白でへたり込んだ下士官の下腹部からは、ジュワァーという音と共に鼻につくにおいと謎の液体が流れ出している。
まぁ、それを指摘するような鬼畜はこの場には一人もいなかったけど。
と言うよりも、そんなこと言えるような雰囲気ではなかった、ってのが正解かな。
哀れな下士官が失k――排出してしまったのは、なにも僕の所為だけではない。
彼はもう一人、とても恐ろしい人物に押さえ込まれているのだ。
彼の頭に手を添え、決して動かさせはしないとばかりに押さえているのは、他ならぬ――
「――わたくしからもお聞きします。自分がなにをしたのか……分からないとは仰りませんよね?」
――『聖女』様だ。
その身から放たれる冷気を幻視するほどに冷たいその声は、下士官の下部からの放出を更に加速させる。
目測数十メートルをほんの一瞬で移動した方法は個人的にとても気になるけども、それよりも一気に高まった緊張の方が問題だ。
恐怖のあまり気が狂いそうになって小刻みに震えている下士官は、もう再起不能だろう。
民を護る兵が故意でなくともしでかした大問題に、帝国兵の強行突破で終わるかに見えた東門前のひと悶着は一気に振出しに戻った。
修道騎士も避難民も無視して門を開けようとしていた帝国兵の足も、完全に止まった。
後を追っていた修道騎士達も突然起こった不測の事態と、聖女様の静かな憤怒に完全に足が止まっている。
誰も身じろぎ一つできない中で、一頭――一人だけが兵をかき分け騒動の中心へと近付いてきた。
一言も発せずただただこちらへ向かってくるその男に、僕も聖女様も視線一つ向けることはない。
見なくても、誰なのか、何をしに来るのか、分かるからね。向ける必要なんてない。
「――放してやってはくれまいか」
「……分かった」
馬から降りた都市長の要望通りに、僕は下士官を掴んでいた手を離す。
一方、聖女様は都市長を睨みつけるだけで、頭を押さえ込んでいる手をどけようとはしなかった。
それに対し、それ以上何かを言うことはなく都市長の方も黙って聖女様を見つめるだけだ。
両軍のこの場におけるトップ同士の睨み合いに、少しずつ身体の自由を取り戻した兵士や騎士が互いに牽制合戦を再開する。
こんなことやってる場合かよ、って本気で思うが、神能教としては教義の根幹に係わる重要な部分だ。
絶対に譲れないだろうし、それを蔑ろにされたように感じるだろう。
一方の帝国兵側もここでけ引けば沽券に係わる。
目の前の民を見捨ててでも果たさなければならない役目がある以上、絶対に引くわけにはいかない。
互いに一歩も引けないまま睨み合う。
多少の掴み合いくらいはあるが、どちらも実力行使には出ない。
同士討ちしている場合じゃないってのは全員が痛いほど理解しているし、このメンバーが本気で殴り合えばただでは済まないと理解しているんだろう。
ちょっと見くびっていたかもしれない。
……でもまぁ、この睨み合いもそう長くは続かないだろう。
どちらの目的も一分一秒を争うものだし、こんなところで止まっている場合じゃない。
壊滅的な被害を受けた都市をそのままにするわけにはいかないし、最終的には聖女様側が折れて終わりになるだろう。
単純に帝国兵の方が数が多いから、ってのもある。
戦力的には教皇国側の方が強い可能性はなくもないが、それを発揮出来ないこの状態では数が多い方が勝つことになる。
もし未来から過去の自分へ助言が出来るのだとすれば、この時の僕は迷うことなく過去の自分にこう言うことだろう。
ひっぱたいてでもこの争いを終わらせろ。避難民を早く逃がせ、と。
僕は呑気に睨み合いを眺めている場合ではなかった。絶対に。
僕――『神獣』が明確にどちらかの国に肩入れするのはマズいだろう、なんて気を使うべきじゃなかった。
無理矢理でもこの場を収めさせるべきだったんだ。
――この後こんなことになると知ってさえいれば、絶対にしなかったのに。
◇◇◇
「ぐっ」
――それは突然のことだった。
「なっ」
さっきの下士官による男性殺害未遂以来、なるべく兵士に近付かないように下がっていた避難民と僕らの間には少し距離があった。
だからだろうか、僕がそれに気付いたのは少し経ってからだった。
その一角から上がった声に、ふと目をやると視界の一部だけ誰の姿も映らなかった。
最初は単に人がいないだけだと思ったが、違和感を感じて再度視線を向ける。
さっき見た時よりも〝穴〟は拡大していた。
何とも言えない寒気を感じ、周囲の騎士を押し退けてそちらへ向かうと僕の感じた違和感の正体をありありと見せつけられた。
その〝穴〟は人がいなかったから開いていたものではない。
上がないから開けて見えていただけだったのだ。
――僕の視界の中央、およそ三十人ほどの上半身が忽然と姿を消していた。
「どっ、なにg――ぬあっ⁉」
僕が咄嗟に飛び退いたその空間に、目に見えないなにかが侵食してくるのを感じる。
避けなければ、僕もあの人達と同じ目に遭ったいただろう。
僕には〈自己治癒〉があるから再生したかもしれないけど、この攻撃に〈自己治癒〉が効くなんて保証はどこにもない。
幸い(?)、攻撃が来る前にゾワーッとする妙な感覚があるので事前に察知することは可能だ。
まぁ、かなりの速度で飛んでくるので実際に避けられるかは別問題だが。僕なら大丈夫……なはずだ。
それより、この攻撃はいったいどこから飛んで来ているんだ?
確実に敵の攻撃だ。それは間違いない。
問題は、その敵の出処だ。
撤退したと思っていた魔王軍の残党なのか、新たにやってきたのか。
それとも――魔王軍とも別の新勢力なのか。
それを知るためにも、攻撃している奴を早く探し出さないと。
突然の僕の挙動不審っぷりに、他の連中も異常事態に気付き始めた。
それは別に良いんだけど、下手に騒がれるとパニックが広がってしまう。
誰かにしっかり統率して欲しいところだが……
「きぃy」「ぎゃ」「うb」「ひg」「いy」
一瞬で、数人の少女達が――少女達だったものが辺り一面に広がった。
間髪入れず、彼女達の名前と思しきなにかを叫んだ少年や青年も同じ目に遭った。
恋人や夫だろう。
見た所未だ若そうで、子供もいなそうなのでさっきの割り振りで徒歩組に入れられた連中だ。
それを割り振ったのは僕なので、彼女らの死には少なからず責任を感じてしまうな。
でも、謝罪するのは後だ。
先ずはこの敵に対処する。
攻撃方法がさっきまでとは違う。
空間を抉り取る空間干渉系っぽい攻撃だったさっきまでと異なり、今回のは物理的に人体を押し潰す感じだ。
同じ敵が別の攻撃を仕掛けてきたのか、それともまた別の敵が現れたのか。
なんにせよ、今度の攻撃は物理っぽいから近くにいる可能性が高い。
どこだ⁉ どこにいる?
人間態の頭部に視覚を与えた分体を大量に出して360度全方位をくまなく探す。
瞬間移動している可能性もあるが、それだとしても攻撃がこれでやむとは思えない以上、なにかしらの痕跡くらいは発見出来るはずだ。
突然の襲撃と惨劇に、ようやく皆が気付いたようで、急にざわざわし始めていた。
幸か不幸か、余りにも急なことで理解が追いついていないのか集団パニックには陥っていないが、それもいつまで保つか分からない。
ここで敵が姿を現せば緊張の糸が切れて一気にパニックが拡大するだろう。
そうなればもう反撃なんて夢のまた夢だ。
唯一の救いは、都市長と『聖女』様という両軍のトップがこの場に集まっていることか。
指揮系統の混乱はすぐに解消出来そうだ。
どちらも護衛としてこの都市の現状で用意出来る最強の部隊がついている。
ソイツらを使えば対処自体は可能かもしれない。
……もちろん、相手によるが。
「あっぐ」「くっ」
「遅かったか⁉」
ちょうど僕が背を向けていた方向から新たなうめき声が聞こえた。
粘槍を放ったが、一足遅く既に姿を消した後だった。
今度の犠牲者は二人、綺麗に腹に大穴を開けられている。
目の前で再度起こった惨劇に、今度こそパニックが起きそうなその時――
「『聖護光』」
――周囲を眩い光が覆った。
聖女様が魔法を発動させたのだ。
闇を払い魔を滅する聖なる光が、人々の心を明るく照らす。
あと一秒でも遅ければ大混乱に陥っていたであろう場を、一瞬で鎮めてみせた。
流石は『聖女』様。
『英雄』級は伊達じゃない、ってことか。
ちなみに、僕はこの『聖女』様の勇姿をまるで目撃していない。
見てきたように語ってるけど、これは全部音などから判断しただけで、見ていない。
理由は至極単純――
「――ウォッ、やはり噂通りの恐ろしい力だなァ!!」
「だから遊ぶなと言ったのだ。ケッ、何故オレっちばかり……」
――遂に姿を現した敵と相対していたから……ではなく――
「……うっ、うう……。何故僕がこんな目に…………」
――『聖護光』をモロに浴びて苦しんでいたからだ。
……神聖属性の魔法なんか僕の弱点そのものじゃないか。
それを不意打ちで喰らえば誰だってこうなるだろうよ。
むしろ、聖女様の攻撃対象だったはずの敵よりも僕の方がダメージ受けてるまであるぞ、これ。
何故だぁ! 何故こうなる⁉
全身を焼き尽くされながら、僕はどこにもぶつけようのない恨み節を天に向かって吐く。
お前のペットがお前の力で満身創痍になるのは流石にクソ仕様過ぎるだろが!
なんとかしやがれェ!!! この◯◯がァ!!!




