幕間 城塞都市の守将
「――もう一度、報告しろ。どこが襲撃を受けているって?」
「はっ、はい。シナラス、ヒーフラ、トンフ、スティカ、ナティ、そしてここアサリ、です」
「おぉ、僕の聞き間違いじゃなかったか。……そうか、六城同時ねぇ……」
自分の聞き間違いであることを祈りながら部下に再度の報告を命じるも、聞こえてきたのは先程と一言一句変わらない知らせだった。
部下の前で取り乱すわけにはいかず、彼は大きく息を吸い込んで自分を落ち着かせると、指示を出すべく口を開いた。
「なんでだよぉーー! なんでそんなめんどくさいことすんだよぉーー! 誰も助けに来てくんないじゃぁーーん」
「将軍、そのような子供の駄々のようなことを言われますな」
「だってだってぇ、嫌なんだもぉーーん」
「そのように膨れっ面をされましても……我らにはどうして差し上げることも出来ません」
部下に呆れられながら突っ込まれて、拗ねて文句を垂れるその姿は、とてもこの都市と西方軍を預かる将軍とは思えない。
だらしなく着崩された軍服と、簡易机の上に乱雑に置かれた徽章や勲章。もはや携帯しているとは言えないほど遠くに立てかけられた剣。
このやる気のない姿を見て、いったいどこの誰が彼の正体を見破れると言うのだろう。
しかし、間違いなく彼はこの『城塞都市アサリ』長官にしてレギオン帝国西方軍最高司令官、ヴィルジール・ロルス・ルジューメル公爵である。
◇◇◇
「――現状の整理をしてもよろしいでしょうか?」
「うん、全然良いよ」
彼らが〝巣〟と呼ぶ彼の個室には、アサリとその周辺をかなり精巧に再現した模型が置いてあった。ヴィルジールが私財を投じて作らせた一点物の高級品だ。
これの存在を知らされること、それは彼の側近として認められたということを意味していた。
当然、『捧剣の盟約』に従い集まってきた貴族達は知る由もない。
彼らは、外様に知られたくない秘密の話し合いをするためにこの場を利用していた。
〝巣〟に集まっていた側近達から次々にもたらされる報告を模型をいじりながら聞いていた彼が口を開いた。
「諸侯には穴から雪崩れ込んだ亜人の対処をお願いしよう。僕の指示に従ってくれるかは……ね?」
「そうですね」「……それがよろしいかと」
それに対して反対する
部下の前では普段通りに振舞いつつも、明らかにヴィルジールはペースを崩されていた。
先ずは数日前からアサリに集結しつつある貴族達の存在。
都市内での権力を自分に一本化することで西方国境を守護してきた彼にとって、小規模とは言え独自の軍を有し必ずしも自らの指揮下にあるとは言えない諸侯とその兵達は心から歓迎出来る存在ではなかった。
一方の貴族達からしても、苔の生えたような取り決めのために「公爵」ではあるが中央から睨まれ辺境に籠るヴィルジールの指揮下で戦うことには不安と不満と不平と不服があった。
そんな上同士のわだかまりは当然、下にも伝播してしまっている。
既に貴族達が率いてきた兵と元からアサリにいた兵との衝突の報告も上がってきていた。
それを収束させる前に、第二の問題が発生したのだ。
魔王軍の襲撃である。
西方軍は全二万中、アサリに到着しているのは半数程度。残りは未だ進軍途中、もしくはそれぞれの砦にて亜人らを迎え撃っている最中である。
『捧剣の盟約』による諸侯軍も、想定されていた一万には到底届かない。
帝国随一の防御力を誇る『城塞都市』の城壁は、実に百年ぶりにその第一層を突破された。
未だ防衛体制が完全に整わないこの時期の襲撃に、ヴィルジールはある疑念を抱いていた。
「……やはり将軍は内通を疑っておいでですか?」
「うん。まぁ、そう思いたくはないけどね」
軍内部に内通者がいる。
この場にいる側近のことは完全に信頼している。彼らが裏切ることはないと信じていたし、仮に裏切ったとすればこんなお粗末なことにはならないとも思っていた。
だが、貴族達はどうだろうか。
彼らが持っている情報を元に軍を動かせば、ちょうど今の状況のようになるのではなかろうか。
「襲撃を受けた都市もなかなかに痛い所を突いて来るじゃないか。どの都市も『捧剣の盟約』で従軍を命じられる範囲ギリギリに位置してる。中央からよりも、一度出た軍を戻した方が早い。それがあちこちで起きるから、本命のここが手薄になる」
「『要衝都市』を奪われると厄介ですね」
「それはトンフでも同じなんだけど……こっちはたぶん偶然かな。それよりも、どの都市も普段とは違う体制で防衛戦を強いられる上に、避難民が知らせられる程度には隣の都市と近い。このくらいが一番動きづらいよね」
「遠くの『城塞都市』よりも隣の都市を救う、ということですか……」
「うん。そっちの方が手っ取り早いし、なによりアサリには他の軍も向かっているはずだからね」
そこが巧妙なのだ。
人族側の連絡がそれほど密でないことを熟知した上で、自分ではない誰かがやるだろうという人族の心理――習性を上手く利用している。
さらに、彼はもう一歩踏み込んだ考察を立てていた。
しかし、この場での言及はしなかった。
これは流石に士気に関わる。いくら側近相手と言えども迂闊には明かせない。
「将軍、そろそろ出てきてください」
「いや、未だやめておこう。僕が〝巣〟から出ると兵が動揺するからね」
「ですがっ」
「命令だ。従いたまえ」
「はっ」
彼の強い口調に、説得を試みていた参謀は即座に引き下がった。
彼がここまで言うということは、そうしなければならない理由があるのだ。
そこに自分如きが異を唱えるなど有り得ない。
そこには、一種の妄信と言えるほどのヴィルジール・ロルス・ルジューメルという男に対する信頼と尊敬があった。
「ただし、情報は逐一持ってきてくれると助かるね」
「……御意」
側近達が全員退室するのを見送り、彼は再び模型に視線を落とした。
貴族はアサリの外に追い出いしたので、ひとまずは安心だ。
元々この都市の防衛は常備兵力だけで十分なのだ。
兵を大勢配置すれば良いというものでもない。
常備兵力での防衛を想定した訓練を積んでいるアサリの駐屯軍の連携に、諸侯軍が入る余地はなかった。
むしろ、余計に増えると邪魔とすら思えた。少なくとも彼はそう思っている。
一層目が抜かれた程度で揺らぐほど、帝国西方国境は柔くはない。その確かな自負が彼らにはあった。
よって、なんらかの方法で国境を侵して帝国領内で暴れ回っている魔王軍の対処に諸侯軍を充てることにはなんの問題もない。
問題は、もう一つの可能性の方である。
これが仮に事実だとすれば、今回の戦いそのものが根底から覆ることになる。
だからこそ、その見極めは慎重に行わなければならない。
自分以外誰もいなくなった部屋で、ヴィルジールは模型に向き合い、駒を動かす。
相対する敵は人ではない。
亜人などと言ってはいるが、やはりその本質は魔物よりだ。彼からすれば理解し難い存在であった。
帝国軍の主力が配される東方国境より左遷されて八年になるが、彼の本領はやはり対人戦でこそ発揮される。
無論、彼は赴任以来、対亜人を想定した防衛計画を立て、それに基づいて訓練をさせていた。
それでも、ここまでの状況に陥るとは聞いていない。
「……推定二万とはね。いったいどうやって集めたことやら」
第一層に詰めていた部隊長からの報告を信じるのなら、攻め寄せる敵の数は二万近いという。
到底信じられないような数である。
亜人は基本的に集落、部族単位でしか群れない。
よって、その兵力も多くても数百程度にしかならない。
それが二万である。自然なものではない。
これだけの数の部族を同一目標攻略に投入できるほどの存在が、この眼前の軍勢の背後にはいるということになる。
……互いに激しく殺し合いを続けている諸部族が、黙って轡を並べるほど恐れるような存在が。
◇◇◇
「――クーゼル百長、重傷!」
「クーゼル隊、壊滅!」
「第二層、突破されます!!」
ヴィルジールが一人で対抗策を考えている間にも、亜人の攻撃は途切れることなく続いている。
第一層と第二層を繋ぐ橋を守っていたクーゼル百人隊長が重傷を負ったとの報告を受け、第三層の守備隊長の一人であるコルゼオ・バーンスタイン百人隊長は拠点から飛び出した。
目の当たりにしたのは、第二層方面から運ばれてくる負傷者の列と、その後方から雪崩れ込んでくる亜人の大群であった。
いつも通りに口をパクパクさせるだけで何も言わない彼に代わり、副長を務めるケイオンが部隊に号令をかける。
「バーンスタイン隊、構えぃ!! これより退却する味方を援護しつつ敵の足止めを図る!! 各員、奮起せよ!! ……と坊ちゃまが仰せです」
諸事情により滅多に人前で口を開かないコルゼオを心配した家族がつけてくれたのが、このケイオンであった。
ケイオンにしか聞こえないほど小さな声で漏れ出る僅かな言葉から主人の意をくみ取り、部下に正確な命令を下してくれるケイオンのおかげで、コルゼオはここまでやってこれたと言える。
「我ら百人だけでありますか?」
「当たり前だろうが! 我らが行かずして誰が行く! 我らは誇り高き帝国軍人たるぞ。己が生命などいつでも捧げられる覚悟を持てい!! ……と坊ちゃまが仰せです」
……コルゼオの真意よりも若干熱血かつ脳筋かつ勇敢かつ無謀な言葉に訳されるのだけが少々気にならなくもないが。
「しゅ……しゅつっ」
「出撃ぃーー!!!」
コルゼオの号令を遮り、ケイオンが先頭に立って飛び出した。
コルゼオの精一杯の努力を尊重したいところだったが、一瞬でもタイミングを逃せば無駄死にだと判断した。
その背後からバーンスタイン隊百人の兵が飛び出す。
無口で副官の通訳なしではろくに意思疎通もかなわないような隊長だが、口に出さずとも伝わる大らかで度量も広く責任感も強く持っているその人柄に触れ続けた結果、この百人隊の忠誠心は高い。
コルゼオが中央軍にいた頃から各地を彼と共に転戦する中で培われた一糸乱れぬ統率と一体感からくる勇猛さは、都市長官ルジューメル公から第三層最大の要所を預けられる程の信頼を得ていた。
そのバーンスタイン隊が第三層へ退避してくる第二層守備部隊とすれ違う。
その中には、豪傑クーゼル百人隊長もいた。
普段の豪放磊落な姿はどこにもなく、担架の上で呻くだけである。
その周囲を退却してくる――逃げてくる兵達も、誰も彼もが目も当てられぬ惨状であった。
目からは生気が消え失せ、ただただか細い生命の糸を手放さぬよう必死に背後の脅威から逃げている。
彼らも西方軍が誇る精鋭である。少なくとも、朝までは精鋭であった。
そのあまりにも無惨な姿に、戦意を喪失する兵も中にはいるだろう。
しかし、この隊にそんな者は一人とて存在しない。
この勇猛果敢ながらも部下を失うことをなによりも恐れる心優しい隊長を見捨てて逃げ出すなどという考えは全く思いつかない。
心から心酔した上官と共にこの都市を守る一助となれるのなら、生命など惜しくはない。
――これこそが、教皇国とは別の方向へと進んだ帝国の軍事政策の成果である。
コルゼオを先頭に高い士気を保ったままで第二層をよじ登ったばかりの亜人へ襲い掛かる。
「うあがぁ!!! あがぁああ!!!!」
コルゼオが振るうのは槍である。
見た目は単なる歩兵用の槍。材料にもなんら特別なものを用いていない。一般的な槍と同じ材質である。
違いは二つ。
使い手が並を遥かに上回る巨漢であること。そして、それに合わせて槍自体も巨大である、ということだ。
「ガバファッ」ゴギュ
「るはぁああああ!!!」
コルゼオが振り回した槍を喰らい、第二層をようやく登ってきたばかりの亜人は再び第一層へと叩き落された。
……そして、恐らくもう二度と第二層の地面を踏むことはないだろう。
「グルォオオオ!!」「ウッカッ、ハエッ」「ブヒャヒャヒィ!」
「ぐぁああぁん!! があっ!!」
「止めろぉ! 絶対にここを通すなぁ!! 全員叩き落せぇい!!! と隊長が仰せである!!!!」
次々に第二層を登り切った亜人を返り討ちにするコルゼオらバーンスタイン隊に、他の隊も合流してきた。
高所からのアドバンテージを活かし、登っている途中の亜人も落としていく。
敵が未だ少ないうちに一体でも多く狩らなければならない。
その一念で皆必死に斬り、殴り、蹴り、突き、叩き、焼き、潰し、落とし、殺した。
「魔法の援護が来るぞぉ! 退けぇい!!」
後ろの部隊からの報告に、相対する敵を落とした兵から一歩下がる。
そこへ亜人が流れ込むその瞬間、第三層の魔法兵部隊が一斉に魔法を叩き込んだ。
連射性と持続力を重視したためそれほど威力の高くない『球』系統の魔法だが、これだけの数を集中して叩き込んだことでかなりの被害をもたらすことが出来た。
訓練通りに生き残りを歩兵達が狩っていく。
第二層を突破した敵の第一波は、ものの十分も経たぬ間に殲滅された。
第一層、第二層でも同じ目に遭ったというのに、全く学習している気配はない。
しかし、現場の指揮官達には侮りも油断も一切なかった。
敵は単調な突撃の繰り返ししか仕掛けてこない。それでもなお突破を許しているという事実は、彼らにそんなものを抱いている余裕など与えなかった。
多種多様な亜人の混成軍だが、主力は――少なくとも彼らの眼前においては――氷雪鬼という亜人であろう。
見た目は熊そのものである。額から水晶状の角が生えてさえいなければ――それと鎧を身に纏い武器を持っていなければ――熊にしか見えない。
そして、残念ながらこの熊によく似た亜人はあくまで見た目が似ているに過ぎない。単なる「熊」などではもちろんない。
その名の表す通り、この亜人種は氷を操る。先天的に氷属性の魔法を使うことが出来、全ての攻撃に氷属性が付与されている。
しかし、『氷雪鬼』の本領発揮は死の直前に訪れる。
「あっ、たっ隊長ぉ! そのグリュターブは未だ息があります! 離れてくだs」ピキャカカッ
「く……くかっ」
部下の叫びも虚しく、コルゼオは足元にいた氷雪鬼の放った冷気をモロに受けてしまった。
これこそが氷雪鬼の『氷雪鬼』たる所以――〈寒肝〉である。
生命の危機を感じると、全身の毛穴という毛穴から冷気を噴き出す、たったそれだけのスキルである。
ただし、その威力は馬鹿に出来ない。
肌に直接受ければ、凍傷を通り越してその部分が崩れ落ちかねないほどの〝冷〟気であった。
……途轍もない臆病者が持てば、そこかしこを氷の世界に落とすことの出来る恐ろしすぎるスキルである。
「が、がぁああ!! あぁああがぁ!!」
「たっ隊長ぉ、あがっ」
全身に冷気を受けて苦しむコルゼオに駆け寄ろうとした部下も彼の全身から立ち上る冷気に当てられてそれ以上近付けなかった。
そこへ亜人の第二波が到達した。
冷気の所為でコルゼオに近付けないにまま、乱戦になってしまう。
コルゼオの負傷で動揺したバーンスタイン隊が穴となり、敵が群がってくる。
唯一の救いは、冷気のおかげで耐性のない亜人はコルゼオを避けるので、ひとまずこれ以上攻撃を受ける心配はないこと……だと良かったのだが、現実はそう甘くはなかった。
氷雪鬼は氷属性に対する耐性をしっかり持っているので、コルゼオにも平気で近付くことが出来た。
苦しむコルゼオの周囲には氷雪鬼にしかいない。彼がいくら巨体と怪力を誇る強者であっても、この状況ではなすすべなく討ち取られるほかない。
「ぐ、がぁ……あ、あぁーー!!」
「隊t――坊ちゃん!!!」
コルゼオの姿が氷雪鬼の群れの中に消えるのを見て、ケイオンが叫んだ。
しかし、その悲痛な叫びも虚しく、コルゼオは姿だけでなく声も次第に聞こえなくなった。
バーンスタイン隊の綻びと、第一波よりも数の多かった第二波に押し込まれ、少しずつ戦線が崩壊していく。
一人、また一人と兵士が倒れ、その穴に亜人が入り込む。
「くっ、兵が足りんぞ! こっちにもっと寄越せ!」
「こっちもだ!」
「このままじゃ抜かれるぞ!」
想定を上回る亜人軍の攻勢に、西方軍の精鋭達も薄々敗北を悟る。
今も魔法による攻撃は続いているが、もはやそれでどうこう出来る数ではない。
十体吹き飛ばそうが、その後ろから二十体出てくるのではじり貧である。
「っ、……ここまでか」
部下が次々に倒れていく現状にケイオンが一時撤退を考え出した。
既に大きく押し込まれ、このままでは第三層も突破されてしまう。
魔法攻撃で敵の後続はいくらか減ってはいるが、乱戦となっている以上味方を巻き込む覚悟で撃ち込まない限り前線の状況を変えることは出来ないだろう。
そして、恐らく味方ごと魔法攻撃を撃ち込んだとしても、効果が出る前に人族側が全滅するだろう。それではなんの意味もない。
「……退くか」
今なら未だ立て直せる。
組織だって撤退出来るうちに撤退に踏み切れば、第三層は突破されたとしてもある程度の兵力を残すことが出来る。
第四層に大兵力を集中すれば、あるいは……
この場における最高位の指揮官はケイオンではなかったが、この乱戦ではそんなことも言っていられない。
戦線が崩壊して各個撃破されてからでは遅いのだ。
司令部がどう動く気なのかは分からないが、今すぐに動かなければ目の前の仲間達が死んでしまう。
覚悟を決めたケイオンは目の前のオークを突き殺すと、退却命令を出すために声を張り上げようとした。
しかし、
「総員、t、がおはっ」ボゴッ
別の亜人に殴り飛ばされ言い切ることは出来なかった。
更に、地面に投げ出されたケイオンは前進してくる亜人に蹴り飛ばされてしまう。
「うっうわあぁあ」「にっにぎゅっ」「うぎゅえはぁ」「がっ、ぎぃやぁ」
コルゼオに加えケイオンまでもが指揮を執れなくなってしまったバーンスタイン隊は完全に崩壊してしまった。
混乱し、逃げる背を討たれて一人また一人と倒れていく部下を見ながら、ケイオンは声にならない苦悶の声を上げる。
しかし、殴られ蹴られ、更には踏まれて立ち上がれなくなっていた彼にはどうすることも出来なかった。
亜人達は既に満身創痍のケイオンをわざわざ狙ってくることはなかった。
なにかに追い立てられるように我先にと先へ先へと進んでいく。
それでも、進路上に横たわっている以上踏まれてしまう。
ダメージを喰らい続け、ケイオンはもはやいつまで意識を保っていられるかも怪しいところまできていた。
第三層を守るどころの話しではない。
このまま総崩れになれば当初の防衛計画自体が破綻し、この都市が陥落するのではないか。
そんなことを考えているうちに、彼にも最期の時が迫っていた。
痛みを訴えていた全身から感覚が消え、周囲の音も聞こえなくなり視界も白けてくる中で、彼の脳裏を最後によぎったのは主家たるバーンスタイン子爵家のことだった。
最後に会ったのはいつのことだろう。
もう二度と会えないと分かっていれば、もっと他に話すべきことがあったはずだろう。
自分も、コルゼオも、彼の兄弟もいつ死んでもおかしくない、そんな覚悟を持つべき職に就いているのに、何故そうしなかったのだろうか。
悔やんでも悔やみきれないが、何故かケイオンの心は晴れやかだった。
いや、理由は分かっている。
敬愛する主人の後をすぐに追えたことが唯一の救いだった。
そして、それだけで彼は満足だったのだ。
それだけが、彼の望みだったのだ。
最期に彼は薄れゆく意識を無理矢理覚醒させて主人がいるであろう方向を見る。
何が見えるかは分からない。何も見えないかもしれない。何も見えないだろう。
だとしても、彼にはありありと感じられるのだ。
主人の存在が。
氷雪鬼の死体の山に埋もれたコルゼオのすg――
「ぐぅうおおおおおおおお!!!!!」
――山が吹き飛び、中から一人の男が現れた。
誰がどう見ても満身創痍で、生きているのが不思議な状態ながらも、男の目には生気がみなぎっていた。
立ち上がるや否や周囲の亜人を薙ぎ払い、他には目もくれず一路一番の忠臣の下へと向かう。
「ここで死んでたまるかぁ!!! 不屈ぅぅうう!!!! おらぁあああ!!!!!」
そうコルゼオである。
気絶こそしていたものの、彼は未だ生きていた。
全力で忠臣に駆け寄り、抱き寄せ、背負った。
「我らはこれより撤退する!! 退却!! 総員隊列を組み直し、我に続けぇぇぇ!!! 疾駆ぅぅうう!!!」
◇◇◇
「――第三層も突破されたと?」
「はっ、どの部隊も満身創痍です」
駆け込んできた側近からもたらされた報告に、ヴィルジールはようやく〝巣〟から出る決心をする。
既におおまかな作戦案は出来上がっていた。後は現場の部隊を動かすだけだった。
「戦況は?」
「はっ、第三層守備部隊五百が作戦通りに第二層を突破してきた敵を迎え撃ちましたが、敵の勢いが想定を上回ったため戦線が瓦解、やむなく退却したとのことです」
「現在第一、第二、第三層守備部隊の残存兵力と第四層守備部隊を糾合し、第四層で戦闘を行っております」
「第四層も芳しくありません」
〝巣〟から司令塔へ向かう道中で報告を聞きながら、先程立てた作戦案を修正していく。
戦況を逐一把握出来ないので、今回のような事態に陥った場合は後手後手に回ってしまうのが彼の弱点だった。
それでも、彼は〝巣〟に籠るのをやめないだろう。
それは彼の信念と関係していた。
所詮、敵の行動に対して場当たり的に打った手は場当たり的、最善手ではない。
その状況下における最善、最良の一手は相手の動きに惑わされず自分のやりたい方向へ相手を誘導することでのみ打つことが出来る。
そして、彼は自分がその通りには生きられるような人物ではないことを知っていた。
目の前で部下が死んでいくのを目の当たりにすれば、その場しのぎの手を打とうとするだろう。
だから、〝巣〟に籠って情報を絞って作戦案を一人で立てるのだ。
そうすれば、大局を見据えた作戦を立てられる。
目の前の状況だけに左右されない、相手の一挙手一投足に右往左往するような無様など絶対にさらさない、そんな作戦を。
「本営にいる全魔法兵を第六層に投入。各階層から部隊を第五層へ集結させろ。部隊の集結が済み次第、第四層は放棄、魔法兵による法撃を浴びせ、その間に守備部隊は退却する。異論は?」
「少し性急過ぎませんか?」「当初の防衛計画よりも敵の侵攻速度が速いと思われます」「想定より被害も出ております」「やはり諸侯軍も加えてはいかがでしょうか?」「西方軍だけでは兵力に不安が残ります」「魔法兵の――」
口々に上がる意見の中から作戦案の修正に必要なものを抜き出す。
いつものやり方だ。参謀達も聞き届けられないと分かった上で進言している。
どんなに無茶苦茶に見える作戦であろうとも、ヴィルジールが立てた作戦が大きな失敗に終わったことなどただの一度もなかった。
自分達に出来ることは精々その作戦の精度を上げることだけだ。
「精鋭を一人でも多く生存させるためにも、すぐに動かなければならない。よって作戦は即座に発動する」
「当初の防衛計画に固執する必要は全くない。被害が想定より出ているとしても、許容出来る範囲だ。問題ない」
「諸侯軍は編入しない。我らがどれほど奮戦しようとも後背を突かれればどのみち陥落してしまう。小部隊ごとに独立している諸侯軍は遊撃に向いている。近隣の貴族同士の連携も、西方軍と組むよりはマシだろう」
「兵力の件は作戦で補填する。軽視するわけではないが問題はないと考えている」
「魔法兵の――」
「――最終的な作戦はこれに決定する。各将に伝達。ただちに開始せよ」
「「「「「「「御意」」」」」」」
参謀達の進言も一部盛り込み最終作戦案が出来上がった。
即座に都市中の部隊に号令がかかり、作戦案通りの配置につく。
練度の面での不安は全くない。急な配置転換であろうとも即座に対応出来るだけの訓練は常日頃受けている。
「配置、完了いたしました」
「うん。作戦開始。第四層守備部隊、退避!」
「第四層守備部隊、退避ぃ!!」
「続けて法撃開始!」
「法撃開始!!」
司令塔から魔法兵の法撃に遭う亜人軍の姿が見える。
これほどの大軍を見たのは、帝都での閲兵式以来だろう。
しかも、着飾って整列、行進していただけの閲兵式に対して、この軍はこちらへ向かってくるのだ。死に物狂いで。
そんな情景を見るのは、それこそ彼がここへ左遷される所以となったあの戦い以来か。
背筋を冷や汗が伝う。
出来ればあの光景はもう二度と見たくない。思い出したくもない。
「第四層守備部隊、退避完了!」
「……よし。第二段階に移行。合図を」
「はっ」
そこへ作戦の第一段階が終了したという報告が入る。
一気に現実に引き戻された彼は、平静を装って次の指示を出す。
見れば、知らぬ間にキツく握りしめていた手のひらからは血が出ていた。手汗もひどいことになっている。
どれほど取り繕ったところで、恐怖は全く取り除けていないではないか。
偉そうなことを言ったところで、今も不安で胸が張り裂けそうだ。今にも腹の中身を全てぶちまけてしまうかもしれない。
そのことに、何故か笑いがこみあげてきた。
誰にも気付かれぬように静かに笑うと、彼は目の前の戦況をもう一度直視する。
動き始めてしまった以上、もう後戻りは出来ない。
ならばせめて、成功する確率が少しでも上がるように自分に出来ることを全てやらなくては。
「伝令、前線のファウリンに左が弱いと伝えろ」
「はっ、左が弱い、ですね」
「ああ」
ヴィルジールの抽象的な指示にも、なんの疑問も持たず伝令役は司令塔を飛び出していく。
しかし、前線の指揮を任せているファウリン将軍とは長い付き合いだ。これでも十分通じる。
その後も、ヴィルジール以下参謀達は司令塔から戦場を見下ろし、効率よく兵を動かした。
かなりの被害が出るだろう。
それでも、この都市を落とされるわけにはいかない。
全ては西方国境を――帝国、しいては人界を守るためだ。
一度決めた以上、もう迷わない。
ヴィルジールは剣を取り、再度命令を下す。
「死守せよ! ここを抜かれれば我らに未来はないと心得よ!!」
――魔王軍第二軍第二亜人軍団二万は『城塞都市アサリ』第四層まで突破するも、ルジューメル公以下帝国西方軍一万に阻まれ第五層で一時撤退。
翌日も亜人軍団司令官ギャマネノムは攻撃を繰り返したものの、第五層を突破することなく『勇者』に討伐された。




