幕間 ハズレ
「――うわぁーー!!」
そう叫んだ男は、突然現れた〝敵〟になす術もなく斬り伏せられた。なんとも情けないその叫びが、彼の最期の言葉となった。
事前の情報では、こんなところに現れるわけがない〝敵〟だった。
戦場はもっと西、『城塞都市アサリ』のはずではなかったのか?
そこで準備を整えた〝味方〟が、〝敵〟を迎え討つ、そのはずだった。
それなのに何故、〝敵〟が自分達の目の前にいるのか。大勢の〝味方〟を殺し、今まさに自分の生命まで潰えさせようとしているのか。
男は、その疑問に対する答えを得る間もなく、想定より早くその〝人生〟に幕を下ろした――
◇◇◇
[――いつでも行けるぜ、大将]
[そうか、では合図と同時に開門してくれ]
[了解!]
都市内に忍び込んだ部下からの〈念話〉を受けて、彼は周囲の部下達を呼び寄せる。
彼の一族は決して強くはない。
本来なら目の前にいる一時的に率いることとなった者達が彼の言うことを素直に聞くことなどありえなかっただろう。
しかし、今まさに彼の前に集まった者達は彼に対し、紛うことなき畏怖の念を抱いていた。
理由は単純明快、彼がその「実力」を見せつけたからだ。
例え恵まれた体躯でなかろうと、突出した能力を持ち合わせていなかろうと、強ければ良いのだ。
それだけが彼らの信奉するもので、意のままに振る舞うための唯一の条件だった。
こちらを恐れのこもった目で見つめる部下の姿に湧き上がる優越感を抑えつつ、彼は自分につけられた兵の数と合っているか素早く数える。
脱走されたならまだしも、先走った者がいようものなら彼の筋書きが無に帰してしまう。
幸い、都市内に送り込んだ直属の部下以外の全員がそろっているようだ。
「集まったか」
「なっなんですかい、旦那ァ」
この中ではまだ理知的な部下の一人が、恐る恐る質問してきた。
コイツらに説明しても無駄だろう、と彼は今まで意図的に説明を極力省いて、つどつど次の動きを指示していた。
次はなにをさせられるのか、部下達が不安に思うのも無理はなかった。
「都市内に侵入した部下から連絡がきた。他の都市の連中から準備完了の連絡があり次第、門を開いて突入する」
「おおっほっ」「やっと、か」「うへへっ」「ついに……」
そこで彼から告げられた攻略開始の宣言に、目に見えて部下達は浮き足だった。
これも仕方のないことだ。
部下達としては一刻も早く敵と殺し合いを始めたいだろう。
にも関わらず、直属の上官である彼は――部下目線では――意味の分からない行動を繰り返して、なかなか戦闘を始めようとしない。
それを不満に思い、〝行動〟に移した仲間の〝末路〟を見たことで、表立って反発する者こそいなかったが、心から命令に従っていたとは彼も考えていない。
だが、もう彼の計画は後一歩のところまで来ている。もはや部下達がなにをどうしようが、妨げるつもりも咎めるつもりもない。好きにすればいい。
――自分も好きにさせてもらうのだから。
そして、待望の都市攻略の時はそれほどかからずに訪れた。
一番準備に手間取りそうな大所帯の部隊から連絡が入ったのだ。
[――以上だ]
[了解した。武運を祈る]
[誰に言っている。俺様をなめるなよ?]
相変わらず傲岸不遜な同僚の態度に少なくない苛立ちを覚えつつ、彼は〈念話〉を切る。
癪に障ることこの上ないが、この連絡が最後だ。
これで彼を縛るものはもうなにも無い。今回は許してやることにしよう。
念の為、他の都市を攻める同僚達全員から準備完了の連絡が来たことを再度確認し、彼はついに動き出した。
周囲の部下達には突入するまで勝手な行動は慎むようによく言い聞かせ、彼は都市まで後少しの地点まで接近する。
門は送り込んだ部下が開くが、下手に距離があれは再度閉められる可能性がある。一度きりの手段である以上、一回で突入を成功させなければならない。
[十秒後に走り出す。タイミングを合わせろ]
[分かってるって、大将]
[頼むぞ]
[了解!]
背後の部下達を見ると、全員今からはやる気持ちを抑えきれていない様子だ。
だが他人のことは言えない。彼も今、同じ顔をしているのだから。
「行くぞ!!」
「「「「「「「うぉおおーー!!!」」」」」」」
走り出した彼らの声に城壁から兵士が一人顔を出した。
そいつは無視して門まで走る。
言動はともかく、彼が最も信頼する部下を送り込んである。今更どれだけの兵士に気付かれようとも、門は確実に開く。
そして実際、接近する彼らに兵士が唖然としている間に城門は開いた。
開いた門のその向こうに町並みと生活する人々の姿を認め、彼は恐らく部下に出す最後の命令を叫んだ。
「突撃ぃ!!! まずは戦闘員を鏖殺せよ!!! あとは各自好きに行動して良し!! 解散っ!!!」
その後しばらくの間、都市内に意味のある言葉を発した者は一人もいなかった。
◇◇◇
「――グァアアア、ギィヤァーー!!」
市内に突入したその兵士は、とりあえず目についた〝敵〟を真っ二つに引き裂く。
武器など軟弱者が使うものだ。その教えを胸に生きてきたその兵士にとって、戦場で頼りになるのはこの腕達だけだ。
死体から溢れ出る血を思う存分浴びると、次の〝敵〟に狙いを変える。
楽しい楽しい遊びはまだ始まったばかりだ。
「ヒィイy、ゴヘッ」
別の兵士は〝敵〟を掴み地面に叩きつけた。
武器で殺すなんて面白みに欠ける。投げ飛ばした相手が潰れるのを眺めるのが一番だ。
やはり、頭の中身がぶちまけられる様ほど見ていて楽しいものはない。
人を丸飲み出来そうな大きな口を歓喜にゆがめながら、とうに絶命している〝敵〟の頭部を執拗に叩き潰す。それが一番の娯楽だから。
「ウグァ、グオッ、グビッ、ギヒュ」
また別の兵士は〝敵〟を滅多斬りにしていた。
生かさず殺さず、その塩梅を保ち長く遊ぶのは実際に行うとかなり難しい。
それでも、自分ならば、この磨き上げた技術ならば可能だと、あえてその行為を繰り返す。
他者と競う必要などない。ただ過去の自分の記録をどこまで更新出来るか、それだけを目標に自慢の鎌を振るう。
「ウヒッ」「ギゴッ」「ドヒュ」
こちらの兵士は思い思いに遊んでいるのろま共を馬鹿にしつつ、自慢の脚力を活かして次々に〝敵〟を仕留めていた。
一人に時間をかけてなどいたら、すぐに他の奴に殺され尽くして楽しめなくなるではないか。誰かに先を越される前に楽しみつくさなくてはならないということが何故分からないのか。はなはだ疑問だが、そんな阿呆共に遠慮する気もない。
全ての〝敵〟を一撃で葬り、心臓を抜き取る。これだけをひたすら繰り返す。
「クッ、ォ、オォ……」
一方別の兵士は、長く楽しむために殺す〝敵〟の数を調整していた。
全員が無計画に手あたり次第殺しまくったりしたら、あっという間に終わってしまう。それはあまりにも馬鹿々々しいことだ。
そのことを碌に考えず本能のおもむくままに楽しむ他の連中に怒りがこみあげてくるも、なんとか我慢する。
言葉すらまともに使えない連中だ、寛大な心で許してやるのが賢い者の務めというものだろう。
そう考え、考えの足りない愚か者共を心底軽蔑しながらも上位者の余裕を見せて短慮な行動を咎めることはなかった。
「クェ、イイェ、ケプッ」
この兵士は、先程捕らえた〝敵〟の身体を操って楽しんでいた。
もはや意識などないであろうその身体からは、無数の槍が突き出ている。
口から漏れ出る声にならない音は周囲の喧騒に掻き消されてその兵士にすら届いていなかった。
攻撃を防ぐための盾としてですらなく、ただ単に面白いからという理由でいたずらに生命を長引かせている。
この哀れな〝敵〟に救いが訪れるのは、この兵士が飽きた時だ。
そして、意外と一つのことに熱中しがちな性質の兵士がこの〝敵〟に飽きるのには、もうしばらく時間を必要としそうである。
「ヒッ、イッ、y――」
――都市のいたるところで悲鳴が上がる。
しかし、それに兵士達が怯むことはない。
〝敵〟とて生きているのだ。死の恐怖から叫び声の一つや二つ発することは最初から分かっている。
今更そんなものを聞いた程度では、止まるわけがない。
散々お預けをくらっていた鬱憤を晴らすためにも思う存分楽しませてもらうつもりだ。
……生命の奪い獲りを。
◇◇◇
「――大将、俺の方は見つからなかったぜ」
「俺のとこもです」
「俺も」「俺もっす」「同じく」「ねぇっすね」「俺は探してねぇっす」
戦闘民族が散々溜め込んだ欲求を住民相手に思う存分満たしているのを尻目に、彼と直属の部下達は都市を完全に掌握すべく中央部を攻略していた。
前線から遠く、さほど大きくもないこの都市は当然のことながら守備兵もそれほど強くも多くもなかった。
恨みのこもった視線で怨嗟を振り撒きながら死んでいく守備兵には目もくれず、彼はあるものを探させていた。
作戦通りに他の都市にも襲撃が行われているのなら、今のところこの都市に増援が来ることはないだろう。
それでも、万が一他の都市を担当する同僚達が失敗して敵の戦力にゆとりが出来たら、もしかするとこの都市にそれなりの戦力が送られてくるかもしれない。
それまでに、探しだせるものなら見つけておきたい。
「ご苦労だったな。お前以外はなっ。……見つからないものは仕方がない。後は奴らに聞こう」
部下達の労を労いつつ、サボっていた一人に制裁を加えた彼は、捕えておいた守備隊の士官の下へと向かう。
確実に手に入れんければならないことに変わりはないが、それほど急ぐ必要もない。
元々彼ら襲撃部隊に要求されているのは都市を掌握するところまで、その先は彼が勝手にやっていることだ。
それに、いくら同僚達が彼とは違って考えなしの阿呆揃いとは言っても、こんな短時間で全滅させられることなどないだろう。
仮に全滅させられていたとしても、この都市の優先順位はさほど高くないはずだ。
時間はたっぷりとあるのだ。
言ってしまえば、士官達に尋ねたところで知っているとも正直思えない。これはあくまで万が一のことを考えたまでのこと。そこまで期待しているわけではなかった。
襲撃の連絡がいかないように、民を捨てて真っ先に投降してきた貴族達は皆殺しにしてあるのだ。
通信に使う魔道具も教会もこちらが押さえてある。
他都市に襲撃の事実が伝わっている可能性は限りなく無に等しい。
故に、彼はそれほど焦ることなく穏やかな気持ちでいた――
「それにしても、楽しそうっすね」
「ああ、俺たちには理解出来ん楽しさだがな」
――眼下には追い回され虐殺される住民達の阿鼻叫喚の地獄絵図が広がっていると言うのに。
散々虐殺を敢行している者達を馬鹿にしていようとも、彼らも所詮は同類、似たような考えの持ち主でしかないのだ。
生まれた時から植え付けられた価値観は、そこに疑問を挟むという思考すらを彼らの脳から塵一つ与えていなかった。
彼らがその事実に気付く日は、永遠に訪れることはない、が……
彼らのいる中央部は都市全体を見渡せる高台にあるので、窓からは殺戮を楽しむ戦闘民族の姿が見える。
縛っておいた士官達の猿ぐつわ解かせている間、彼と側近達はぼんやりとそれを眺めていた。
「ふっ、猿共を殺し回って悦ぶとは、とことん理解出来n……ぬぁ⁉︎ なんだっ⁉︎」
楽しげに住民を殺して回る戦闘民族を呆れと侮蔑――とわずかながらも羨望――の目で見ていた彼らは、その鏖殺の真っ只中に突如として現れた人影を発見した。
逃げ惑う血塗れの住民とも、返り血で真っ赤に染まり歓喜の声を上げている戦闘民族とも違う、しわ一つ無い綺麗な格好をした青年だった。
その見た目はどう見ても彼らの同類ではない。むしろ鏖殺されている住民に近いだろう。
明らかに場違いな、しかし何故か欠けていたピースが嵌るような感覚を感じ、彼は記憶の中からその姿を思い出そうとする。
「……あの姿、どこかで見たようn」
一陣の風が吹き、彼らの目の前に血の嵐が舞った。
◇◇◇
「――ぐがぁ」
袈裟斬りにされた身体から血が噴き出す。
これで三十四人目だ。
全員が一撃で仕留められ、抵抗する時間どころか自分が死んだと認識する時間すらなくあの世へ送られていった。
この間、突然現れた謎の青年は顔色一つ変えず、返り血の一滴も浴びずひたすらに狩り続けていた。
その姿は、〝敵〟にとって恐怖以外のなにものでもない。
「うっうぉーー、うr」
自棄を起こして特攻をかけた者は近寄ることすら出来ず、遠距離から綺麗に首を落とされた。
それを見た部下達に明らかな動揺が走る。
ただでさえ絶望的な実力の差があると言うのに、そんな精神状況でまともな勝負になるはずがない。
ほんの一瞬で部下達は強者から弱者になった。
彼がなにか手を打つ前に、青年の周囲にいた部下達は全滅してしまった。
「ちっ、バカ共め。素直に殺されやがっt……他人のことは言えんか」
他の者よりも早く衝撃から立ち直った彼は、その頭脳をフル回転させて状況を打開するための策を練る。
幸い、あの青年の正体が彼の想像通りならばすぐに彼のところへ来ることはないだろう。その前にやらなければならないことがあるからだ。
何故ここにいるのか、ということは気になるが、そんなことは今考えてもどうしようもない。
「おい、正気に戻れ。そこの士官共を始末s――」
しかし、彼の予想は外れ、その命令が部下に伝わることはなかった。
ただの一言も発することなく、我に返ることが出来たのかすら分からないままその部下は胴体を真っ二つにされ絶命した。
青年は、下から一瞬で彼の目の前まで移動していた。
「うg」「なn」「うw」「ひy」
ほとんどなにもすることが出来ないまま、次々に部下が殺されていく。彼らの固有スキルを発動する暇すら与えられることなく、一方的に。
それは、ほんの先程まで彼らの眼前で繰り広げられていた虐殺と配役を入れ替えただけのようで、その実全く異なるものだった。
青年の実力は、想像を絶するほど隔絶していた。
「おいっ、こいつらg」
捕虜としていた士官を人質としようとした部下は、士官を素通りした――ように見えるほどの卓越した技巧による――一閃で首を落とされてその目的を達することなく息絶えた。
固有スキルを使って攻撃の回避を図った者達は、常識はずれの速度で振るわれる剣にスキルの発動の如何に関わらずに一様に斬り伏せられた。
――ただ一人、上位種であった彼を除いて。
青年の背後に潜んだ彼は、目の前で一瞬で行われた惨劇を今一度確認する。
彼が率いてきた百を超える部下達は、ものの一分もかからず全滅した。
その間、まともな抵抗が出来たものどころか意味のある文章を口に出来た者すらいなかった。
文字通りの「瞬殺」である。
あまりの状況の急転直下ぶりに、思わずこみあげてきた笑いを彼はすんでのところで抑え込んだ。
彼の固有スキルから考えて仮に笑ったりしたところで気付かれる心配などないのだが、今回は相手が相手である。
根拠はないが、身動き一つすらしてはならない気がした彼は自分を厳しく制御することにした。
今は生き残ることだけを考える。恥も外聞もなんの価値もない。最期に重要なのは自分が生きていることだ。
自分はこの都市に連れてきた部下の誰よりも強い、彼はそう自負していたし、実際にそうだった。
それでも、この青年との力の差は絶望的だ。
勝てるという気が本当に微塵もしない。
彼が圧倒的な力を見せつけられたのは、この青年が初めてではなかったが、前回とは全く受けた印象が違った。
彼の一族が住む里を突然襲ったあの集団は、確かに恐ろしかったがその目的ははっきりとしていた。
故に、その意にそぐわない行動をしない限りは殺される心配はなかった。
勝てはしないだろうが、戦う必要もないのだ。黙って従っていればそれで良かったのだ。
しかし、この青年はそうではない。
彼がなにをどうしたところで埋めることが出来ないほどの絶望的な差がある点は同じだが、青年の狙いは全く読めない。
つまり……落としどころの探りようがないのだ。
青年が彼らを問答無用で皆殺しにしようとしていることは分かる。その理由も、青年の正体を考えれば当然のことだろう。
その上で、もし青年にとって彼らを必ずしも皆殺しにする必要がないのなら、彼にも生き残る道が残されていることになる。
しかし、皆殺し意外あり得ない、と青年が考えているのなら、彼は絶対に見つかるわけにはいかない。
元々スキルの効果で彼の立てる音は青年に聞こえないはずだが、突然青年が振り向く気配を見せたので彼は慌てて動きを止める。
下手に動けば逆に気付かれかねない。仮に気付かれて斬りつけられれば避けきれない。その時は奥の手を使うつもりだが、出来ればそんな事態にはなりたくない。
気付かれないように心から願いながら、彼は度々発揮される自らの間の悪さを呪わずにはいられなかった。
最初は兄達を殺した時のことだろう。
現実の見えていない馬鹿な兄達だったが、残念ながら当時の彼よりも強かった。
このままでは彼が族長につくことは出来ない。そればかりか兄達に逆らったとして殺される可能性まであった。
だから――その前に殺した。
だと言うのに、実行した直後に彼の父が亡くなってしまった。
おかげで族長の座は成人前だった彼ではなく別の者に渡されてしまった。
取り戻すのにはそれなりに時間を要したので、回り道を余儀なくされてしまった。
……族長位を奪還するための雌伏の中でこの強さを手に入れることが出来たので、丸っきり無駄な時間だったとも言えないが。
今回の出征もそうだ。
あの軍団の襲撃を受けた時、彼は他の集落とは違い自分達の力を見せつけつつも早々に降伏した。
例え「軟弱者」と馬鹿にされようとも、一族を守るにはこの方法が最も効果的だと考えた結果だ。
多少自分や一族が軽く見られようとも、犠牲を限界まで抑えて一族を存続・繁栄させるのが族長としての役目、そう信じていた。
いつもならば、最期まで抵抗を続けた集落は跡形もなく消し去られ、生き残りは奴隷とされるはずだった。
しかし、今回は違った。
今度の襲撃は、過去例を見ない大規模な侵攻に向けて兵を集めるためのものだったのだ。
最後まで抵抗した集落も滅ぼされることはなく、むしろ彼ら相手に叩きぬけるその戦闘力を高く評価された。
早々に降伏したことでその力を十分に見せる機会が少なかった彼の一族の評価は、自然高くなどならない。
なんとか彼の指揮官としての能力を買われ、臨時指揮官の一人に選出こそされたものの、良い扱いを受けているとは言えないだろう。
そして、この青年の襲来だ。
当初の作戦では別の都市を攻略している部隊が、万全の態勢で相手を務めるはずだった。
彼を除く臨時指揮官達の醜い争いの末にその部隊を率いることになった背の低い同僚の歓喜の叫びがありありと思い出される。
強い者との生命のやり取りのどこにそこまで喜ぶ要素があるのか、彼には甚だ疑問だった。
死ねばそこで終わりではないか。
他者より強いのなら、一族を守ることに集中すべきだろう。個人的な快楽を満たすために上に立つ者が生命を好き勝手に賭けるのは馬鹿げたことだ。
そんな戦いに乗り気でない彼が割り当てられたのは、最も価値の低い――強敵に遭遇する可能性の低いこの都市だった。
だと言うのに、今彼の目の前には〝最強〟がいる。彼の部下を全滅させた青年が。
薄れゆく意識で、最後に彼が思ったのは里に残してきた一族のことでも、かつて手にかけた兄達のことでも、愚かだが気の良い友人達のことでもなかった。
それは幼き日、自らの不幸を呪っていた無力な自分のことだった。
あの時、自分は世界一不幸だと信じて疑わなかった。しかし、成長した後で思えば、それは間違った考えだった。
運が悪いことこの上なかったし、あれだけ生き延びることだけを考えて生きてきた割には想定よりはるかに短かい呆気ない終わり方だったが、それなりに楽しい一生を送ることが出来た。
だから、当時の自分にかけるのならこの言葉にしよう、そんなことを考えた。
――自分の心に従え。他人の目なんて気にするな。それが出来る奴が、結局一番強い。
これが自分には欠けていた。
常に他者からどう見えるかを考えていた。
彼なりにこの生涯を楽しく思えるようになったのは、兄達を始末した直後に父が亡くなったことで一気に転落した時に覚悟を決めたからだろう。
己が信じるもののため、多少の無茶も侮蔑も甘んじて受け入れることが出来るようになった。
それが死の間際でようやく分かったからには、もし「来世」なんてものがあるのなら、次はもっと楽しく生きたいものだ。
意識を完全に手放す直前、彼の唇からは自然とこんな言葉がこぼれ出ていた。
誰に向けてなのか、なにについてなのかを知る者は、もうこの世界にいない。
「――ありがとう」
「――※※※※」
◇◇◇
「――※※※※※」
「――さよなら」
最後の一体の死亡を見届け、青年は剣を鞘に納めた。
最期になにか言っていたようだが、残念ながら彼にはその言語は分からなかった。
……まぁ、知る必要もないのだが。
[……急に背後に立たないでって言いましたよね?]
[申し訳ございません――『勇者』様]
青年――勇者は、背後に突然現れた男を〈念話〉で冷たく叱責した。
男側も慣れたものだ。特に悪いとも思っていなさそうな態度で本題に早速入ろうとする。
[他の都市へも襲撃があったようです。お聞きになられますか?]
[いえ、結構です。アサリにはオリヴィアとブイが向かってますし、カミュもアサリへ向かっている途中のはずです。シナラスにはアイリスがいます。僕は彼女たちを信じてますから]
[かしこまりました]
その言葉は一見、仲間を信じたパーティのリーダーのものだった。
しかし、次に続く言葉は、全く別の視点から発せられた言葉だった。
[……いざとなればゲイルがなんとかします。アイツは魔物ですから。どんな手も使える。使わせられる]
[……信頼なさっているのですね、『神獣』様を]
[当然でしょう、僕の仲間達では最後の最後で〝敵〟を倒し切れませんから]
普段の彼からは想像もつかないその口調は、先程まで行っていた〝敵〟の駆除の様子と合わせて彼が表には見せない裏の顔と呼ぶべきものだった。
[『英雄』では魔族に勝ちきれません。やはり『神獣』――魔物でないとね。彼らはそのために矮小な僕らに神がお遣わしになったのだから]
本当の『勇者』は慈愛に満ちた正義の使徒などではない。
『勇者』とは、「神の敵を殺す」ただそのためだけに絶対的な力と縛りを課せられた哀れな『英雄』――神の奴隷の一人に過ぎない。
当代の『勇者』もまた、そのことを知りながら戦う。戦うしかないのだ。
……それがあの日――『勇者』を引き継いだ日に誓ったただ一つの〝約束〟だから。
[……この者共はいかがいたしましょうか]
[放っておいてください。どうせ僕がどれだけ殺したところであちらにはほとんど意味がないでしょうから]
[かしこまりました]
『勇者』の詳細を省いたその指示にも、男――『男』の隊長は即座に従った。
それが『勇者』の護衛と監視のみを任務とする彼ら『男』は、その本来の役割を果たす『その日』まで『勇者』のありとあらゆる命令に従うことになっていた。
今回の命令も意味不明なものに思われたが、粛々と行動に移し、部下にもその通りに動くように指示を出す。
全てはいずれ来たる『その日』に、人族に残された唯一の勝利条件を守護するため。
[彼らがここを訪れたということはあるのかもしれません。時間の許す限り探してください]
[かしこまりました]
『勇者』がそう言っているのだ。恐らく今はここにあるのだろう。
この機を逃すわけにはいかない。男は部下に全力で捜索に当たらせる。
仮に手に入れば、人族は彼ら以外の切り札を得ることが出来る。
なにより、〝敵〟より先に手に入れなければ、人族はいよいよ危うくなる。
アレはそれほどまでに危険な――そして魅力的な代物だった。
ある程度『真実』を識る者なら、一度は手に入れることを考えるだろう。
――個人では到底扱いきれない、その強大な力に魅せられて。
ソレは、奇しくもこの都市を襲撃した部隊を率いていた指揮官が探していたモノと同じだった。
さらに言えば、この一週間以上前からラポンで魔王軍が探していたモノも同じだ。
ラポンを奪還する際、『神獣』が遭遇した黒ずくめの集団が見つけ出した――
[僕は僕のやるべきことをやります。協力をお願いします]
[当然、全力で当たっております]
[何百年ぶりでしょうかね、僕らが手に入れるのは]
[分かりかねます。しかし、やはり分かるのですね]
[ええ。正確な位置までは分かりませんが、確かに感じます――]
『男』を引き連れ、『勇者』は都市を見渡せる塔の上からこう呟いた。
「――新しい『板』が降って来た、その気配を」