5 久々の再会と、彼女の宣言
放課後になった。
俺は校舎の廊下を歩き、ある場所へと向かっていた。
ある場所というのは、校舎三階にある、視聴覚室。
そこで紺戸高校演劇部の活動が行われているのや。
俺がそこへ向かう理由はただひとつ。
演劇部に入部する為や。
今日の昼休み、旧校舎で会った謎の占い師(別に謎と言う程謎ではないけど)のミスターベロベロは言った。
『片思いの相手と同じ部活に入れば、その想いは叶うでしょう』と。
それだけの事で、あの糸山さんと俺が結ばれるとは到底思われへんけど、俺が彼女に少しでも近づく為には、同じ部活にでも入らんとあかんのは確かや。
なので俺は、演劇部に入部する事に決めた。
そんな不純な動機で入部する部を決めてええのかという声も聞こえてきそうやけど、実際にそういう動機でこの学校に入った俺なので、その辺は全く問題ない(はず)。
という訳で俺は、校舎三階の視聴覚室へとやって来た。
そしてその扉の前に立つ俺。
この向こうに、あの糸山さんが居る。
そう思うだけで、俺の鼓動が否応なしに高まっていく。
そんな中俺は心を決め、扉のノブに手をかけようとした。
と、その時やった。
「あら?」
と背後から声がしたのでそちらに振り向くと、そこに、栗色のストレートヘアを肩の辺りまで伸ばした、俺より少し背の高い女子生徒が立っていた。
ちなみに、その人は糸山さんではない。
演劇部の人やろうか?
とか考えていると、その人は優しく微笑み、物腰の柔らかい口調で言った。
「初めて見る顔ね。もしかして、入部希望なのかな?」
「は、はい!そうです!」
俺はその人の方に向き直って言った。
すると彼女はまたにっこり微笑んで続けた。
「私は演劇部で副部長を務めている、三年の菅道翔子よ。よろしくね」
朗らかな笑顔が何とも素敵な人や。
こういう人が俺の姉ちゃんやったら良かったのにとつくづく思うが、今はそんな事を考えている場合ではないので、俺は彼女、菅道さんに言った。
「あ、俺、一年の桂木敬介っていいます!今日は演劇部に入部したくてここに来ました!」
「あらそう、それは嬉しいわ。あなたも演劇が好きなのね」
「え?あ、はい!好きです!大好きです!」
性格に言うと、演劇をやっている糸山さんが大好きなんやけど、それを知らない菅山さんはこう続けた。
「そうよね、やっぱり好きでやるのが一番いいものね。ちなみに桂木君は、中学時代も演劇部だったの?」
「あ、いえ、違います」
中学時代の俺は、空手部に入っていた(姉ちゃんに虐められない強い男になる為に。しかしあの姉ちゃんは、空手で鍛えた俺より今でも強い)。
すると菅道さんは俺の言葉に、
「え・・・・・・」
と、何やらバツの悪そうな顔をした。
そして何か言おうとした菅山さんの背後から、
「それなら、ウチの部に入るのは無理ね」
と、何とも冷たい調子の女性の声が聞こえた。
その声の方に振り向く俺と菅道さん。
するとそこに、ブラウンのスーツを着た黒髪のショートヘアーの女性が立っていた。
年は三十前後やろうか。
キリッと引き締まった顔の輪郭に、鋭くつり上がった目と眉。
一見するとウチの姉ちゃんに近い目つきの鋭さやけど、この人の場合はそれに加えて、えも言えぬ冷たい雰囲気が漂っている(ちなみにウチの姉ちゃんの場合は、ハッキリした悪意が漂っている)。
その女性を見て、菅道さんは言った。
「菊井先生」
どうやらこの女性は、菊井という名前の先生のようや。
この状況から察するに、この菊井先生が演劇部の顧問なんやろう。
さて、それはさておき、俺はこの先生がさっき言った言葉が気になり、その事を菅道さんに小声で訊ねた。
「あの、俺が演劇部に入るのは無理って、どういう事ですか?」
その言葉に菅道さんは俺の方に向き直り、何とも気まずそうに口を噤んで俯いた。
その菅道さんの代弁をする様に、菊井先生が冷たい口調で言った。
「ウチの部はね、演劇の未経験者は入部出来ない事になっているのよ」
それを聞いた俺は、思わず声を荒げた。
「な!何でですか⁉どうして未経験者やと入部出来ないんですか⁉」
それに対し、菊井先生は変わらぬ冷たい口調で続ける。
「それはウチの部が、ヨソの学校でやるようなお遊びの演劇じゃなくて、毎年全国のコンクールでトップを狙う演劇をやっているからよ。だから高校に入ってから演劇を始めようというような素人は、お断りしているの」
「そんな!経験がなくても、やる気があって努力をすれば、何とかなると思うんですけど!」
「ウチの練習は、あなたが考えている程甘っちょろいものじゃないの。仮に入部した所で、すぐに音を上げるに決まってるわ」
「なっ⁉」
菊井先生の言葉に俺はカッチィンときた。
俺の糸山さんに対する気持ちをけなされたような気がしたのや!
いくら先生とはいえ、ここまで言われて黙っていられるかい!
と、俺が菊井先生に文句を言おうとした時、横から菅道さんが口を挟んだ。
「先生、彼は本気で演劇が好きで、ウチの部に入部したいと言ってくれているんです。確かにウチの練習は厳しいですけど、それに耐えられると言うなら、入部してもらっても構わないんじゃないでしょうか?」
おぉ!何とお優しいお言葉!
菅道さんがホンマに俺の姉ちゃんやったら良かったのに・・・・・・。
じゃなくて!
俺は菅道さんの言葉に大いに頷いた。
しかし、それに対する菊井先生の答えはこれやった。
「駄目よ」
ふんぬぅううっ!
この人は何としても俺と糸山さんの恋路を邪魔したい様やな!
もう怒ったで!こうなったら思いっきり文句言うたる!
と、菊井先生に食って掛かろうとした、その時、
バァアアン!
という乱暴な音とともに、物凄い勢いで、視聴覚室の扉が開け放たれた。
そしてそのまん前に居た俺は、
「ふんぐぅっ⁉」
とその扉の直撃を受け、そのまま壁と扉に激しく挟まれた!
俺は思いっきり鼻を打った!
そして後頭部も打った!
ていうか全身痛ぇ!
何やねん一体・・・・・・と、俺が半泣きになっていると、
「ちょっと待ちなさいよっ!」
という、菅道さんでも菊井先生でもない女性の声がした。
そしてその直後に、さらに違う女性の声がした。
「もう離してぇや!私はこの部を辞めるって決めたんやから!」
扉と壁に挟まれた俺は、今どういう状況になっているのか全く分かれへん。
しかしどうやら扉の向こうでは、何か修羅場的な展開になっている事は確かやった。
「ちょっと、一体どうしたのよ二人とも?」
菅道さんのうろたえた声が聞こえた。
二人というのは、たった今視聴覚室から出てきた(そして俺をこんな目に逢わせた)二人の女子の事やろう。
恐らく演劇部員なんやろうけど、喧嘩でもしたんかいな?
とか考えていると、『もう辞める』と言った方の女子が続けてこう言った。
「私、演劇部を辞めます」
続いて『ちょっと待ちなさい』の女子が声を上げる。
「何も辞める事はないでしょ!気に入らない事があるなら、ハッキリ言えばいいじゃない!」
「ちょっと月、落ち着きなよ」
声を荒げる女子を宥める様に菅道さんが言った。
というか、え?今菅道さんは、『月』って言うたか?
月っていうたら、俺の憧れの、あの糸山さんの下の名前とちゃうんか?
という事は、そこに居る『ちょっと待ちなさい』の女子って、糸山さんなんか⁉
そんな中菅道さんは続けた。
「美千ちゃんも、自分のお姉さんにそんなツッケンドンな言い方をしちゃ駄目よ」
ほう、『もう辞める』の美千という子は、糸山さんの妹なんか。
「美千、ここを辞めたい理由を言いなさい」
新たな事実に関心していると、菊井先生が聞こえた。
するとそれに反発するように月さんが、
「先生!」
と声を上げたが、それを制して美千という子が静かな口調で答えた。
「この部やと、私のやりたい事が出来ないからです」
「そう。で、辞めてどうするの?」と菊井先生。
「辞めて、自分で部を創ろうと思います」
「何言ってるのよ⁉そんな馬鹿な事!」
美千という子の言葉に激しく声を荒げる月さん。
しかし菊井先生は全く口調を変えずに続ける。
「いいんじゃないの?他にやりたい事があるなら」
「先生!そんな言い方はないと思います!」
月さんが菊井先生に食って掛かる。
それに対して菊井先生。
「どうして?美千は自分でやりたい事を始めようとしているのよ?それに対して私達がどうこう言う事はないわ。大事なのは、美千の気持ちでしょう?」
口調こそ冷たいが、それはご尤もな意見やった。
そしてその言葉に何も言い返せないといった様子で月さんは、
「ぐっ・・・・・・」
と口を噤んだ。
・・・・・・それからやや間を置いて、美千という子が言った。
「先生、この一年、お世話になりました」
「正直残念だわ。でも、自分で決めて行動するというのは、結果がどうなろうと、あなたの人生にはプラスになるんじゃない?」
と菊井先生。
この人は口調こそは冷たいが、意外と生徒の気持ちを考えてくれる先生なのかも知れない。
と、菊井先生の見方を改めていると、菅道さんが心配そうな声で言った。
「でも、美千ちゃん、新しい部を作るには、最低五人は部員が必要なのよ?当てはあるの?」
それに対し、美千という子はこう答えた。
「当ては、ありません。でも、一人は確実に決まっています」
「へぇ、何でいう子?」と菊井先生。
「それが、名前はまだ分からないんですけど――――――」
と、美千という子が言葉に詰まったその時、何の偶然か、俺を壁に押し付けていた扉がギィッと音を立て、ゆっくりと戻っていった。
すると俺の目に、再び廊下の光景が映った。
そしてそれと同時に、そこに居た四人の視線が、一斉に俺に集中した。
「あら、まだ居たの?」と、菊井先生。
やっぱり、冷たいお人や・・・・・・。
「あ、忘れてた・・・・・・」
と、気まずそうに菅道さん。
そりゃまあ、こんな事があれば仕方ないですけどね。
「誰?」と、眉を潜める月さん。
俺はあなたに告白をする為に、この高校に入学した者です!
と、それよりも、
「あ・・・・・・」と、美千という子は声を上げた。
俺もその子を見て「あ」と声を上げ、
互いに大きく目を見開いた。そして、
「あーっ!」「あーっ!」
俺と美千はほぼ同時に叫び声を上げた。
どういう事なのかというと、俺はこいつの事を知っていた。
そしてこいつも俺の事を知っていた。
この、月さんの妹であるという美千という彼女は何と、今朝俺に絡んできたあの変な女やったのや!
オーマイガッ!こいつは月さんの妹やったんか!
そして演劇部員で、その演劇部を今日で辞めて新しい部を作って部員を集めて――――――だああっ!
情報を処理しきれん!
とパニクッていると、彼女、美千はやにわに俺の隣に来て俺の右腕を掴み、他の三人に向かい、声高らかにこう宣言した。
「私、この人と新しい部を創るんです!」
「な、何ぃいいいいっ⁉」
その言葉に一番驚いたのは、この俺やった。
何がどうなってんのか全く状況が分からへん!
これから、どうなんの・・・・・・?