番外編 イライ
1
「頼みが……あるんです」
歪んだ夢の中。
色も建物も混ざり合い混沌としている。それは心境、深層心理も同じ事で、真実を知りたいとも、知りたくないとも思い揺れ、こうして形にならないでいる。
それを創り上げた主人、ケイリーは深刻そうな顔で《クラ》に言った。信じると告げる私とは逆の性質を持つ夢魔。
「何の頼みかな? 嗚呼、言わなくても分かる。ボクに台本を書いて欲しいわけだ」
《クラ》は面白そうにケイリーを見下ろしていた。彼の手には白紙の台本が握られており、それは常に悲劇を謳う。
クラの問いにケイリーは答えようとした。が、嗚咽で言葉にならない。しだいに、彼はうずくまり大声で泣き始めた。
泣きじゃくる子供を相手にしなければならないのか。と、うんざりするのはクラだけではない。
感情的な子供、真実を全て曝け出す夢魔の私、真実を全て隠す夢魔のクラ。我々の相性はとにかく悪い。会話にすらならないだろう。そう考え、ここが彼の夢であり私たちが夢魔である事を利用した。
私たちはパニックに陥る彼を強制的に落ち着かせた。それだけではない。会話がちゃんと成り立つように少し知性を与えた。
これは夢を上手く操作しただけの事だ。目の前にいる幼い彼に説明するには単純に《魔法》という単語を使うべきだろう。
恐怖と混乱で言葉の通じなかった彼はもう居ない。今や私と対等に話せる程、冷静さと賢さを取得していた。
「いずれ起きると覚悟はしていましたが、恐ろしい出来事を間近で見たのです」
いくら私たちが介入し、彼を冷静にさせたとはいえ、彼はひどく動揺していたのだろう。地面を睨みながら、シャツの端を強く握り震えた声で言う。
「保険金詐欺です。知っていますか? ドラマで見た事があるんです。父親には銃も、借金も、覚悟もありました。母とこれからどうやって生きていくかという事で口論していたのも聞いています。なのでボクは、父親がいずれ死ぬ、自殺する事を薄々ながら知っていました。そしてそれは実際、現実に起きてしまった。父親はボクの目の前で拳銃自殺をしたのです」
辛い記憶を詳細に思い出し説明する彼を見て少なからず私は少しだけ驚いた。
一種の興奮状態が彼を益々聡明にさせている。このままいると彼は気が触れてしまうだろう。
「このまま真実を受け入れたらボクは壊れてしまう。逃避をしなければならない。ボクの心が言っている。だから、ボクは忘れようと思うのです」
すると、真実を歪めることを得意とするクラは「だからボクを呼んだわけだ」と嬉しそうにしながら《夢》という舞台を再構築し始めた。
舞台こそ彼の日常の一片だが、真実を隠すための濃霧が発生している。役に立って満足といった顔のクラを見て、少年は気まずそうにその景色から目を背けた。
「いいえ。違うんです。ただ私には、真実を理解する時間が欲しいのです。全てを忘れたボクを真実にまで導いてください」
「忘れたいことを、わざわざ蒸し返すだなんて!」
クラはそう言って、わざとらしく嘆いてみせる。
「逃げたくはないんです」
「私が呼ばれた理由はこれか」
私はそう言い、目を腫らした哀れな少年を見る。
「忘却の中で真実を知っていく」
感情と心が離れ離れの中でも達成させるのは無茶な話だと思う。けれど、同様にこのような夢の使い方をする話は聞いた事がなかった。
夢は所詮夢で、目が覚めてしまえば今まで逃げてきた現実に嫌でも直面するだろう。ましてやここで倍に知性を得てしまった彼だ。矛盾に疑問を抱いて事実を探ってしまうだろう。
だからこそ、彼の提案は真実を開示する力を持つ私の興味を刺激した。
「悪いね、クラ。今回は私が引き受けよう」
「……そう。今回、君が脚本家だけれど。もし、彼が真実を見つけられなかったらボクが成り代わって良いわけだ」
不満げなクラはよほど私の仕事を邪魔したいのだろう。濃霧を周囲に撒き散らした後、消えながら言うので私は「そうだね」と頷いた。
そして、すぐさまケイリーの意識を操作し、彼にとってとても都合の良い夢を構築した。
2
私の視界には、見慣れぬ街並みが見える。
空の色を見て早朝。これは彼の父親が自殺した瞬間の景色だ。そんな残酷な世界の中、事件を目撃した場所に彼が心細そうに立っている。
クラはこの夢という舞台から追い出されたが、真実を隠す濃霧が広がっている。
真実を隠してしまう濃霧の対抗としてこの夢の主人が問題とする物以外、人や動物という『雑音』を全て奪った。鳥も鳴かなければ生活音すら聞こえない。
矛盾に気がつき自ら隠してきた事実を暴こうとしても、他者の生活というのは雑音になる。逆に言うとここまで徹底しなければ、彼は無意識下に自身の記憶を都合の良いように改竄していく。
けれど、待ちきれなくなったクラがこの夢に介入し、あの少年を真実から遠ざけるだろう。
邪魔をしてくる夢魔は彼だけではない。夢の主が少しでも罪悪感を抱けば断罪を行うジャンが。夢主の逃避願望が強くなれば、夢に閉じ込めるマリが来る可能性もある。
「誰もいない……」
そんなことを何も知らない舞台の主役は、どこか不安げに呟いた。
不安定なこの世界を固めてこれから都合よく展開していくには、ケイリー自身がもういないことを教えなくてはいけない。そこで《父親》の役柄を受け持った彼は、いなくなったケイリーを探し始めるだろう。
矛盾に気付き真実を求めるならば、不安定なこの夢の世界は音を立てて崩れる。その絶望を昇華するか、新たに逃避としての夢を造るかは私にはまだ分からない。
私が失敗し、彼が現実への拒絶を示すなら、私はこの夢から追い出されてクラがこの舞台に立ってしまう。そうなれば、現実でのケイリーは廃人だ。
幼い彼は今後どう転ぶのか。
私はその一瞬を傍観したい。だからこそ、ガーデンフェンス越しから不安そうな彼に声をかける。
「ここは君の夢の中だからだよ」