第六節 シバイ
1
「おはよう。気分は……良さそうじゃないね。なにせ彼女の槍で腹を突かれたのだから」
闇の中。今度は男の声が聞こえてボクは目を覚ました。
体を起こせば、ボクは現実と同じ場所に置いてあるソファーに横になっている。
現実と違うところといえば、ボクはソファーから転げ落ちていない。それに、ボクに声をかけたのは、妻ではなく燕尾服を着た夢魔だ。
夢魔がそう言うので、ボクは咄嗟に自分の脇腹に触れた。
シャツを捲れば、そこには包帯が巻かれており、血も滲んでいる。けれど、そこは夢のご都合主義なのか、包帯に滲む血の量にしては痛みなどまるで無かった。
「ボクはどうして刺されたんだ?」
「罪悪感を抱いたから」
「罪悪感を抱いたら? 当たり前だ。普通、子が死んだら、なぜ守れなかったと罪悪感を持つ」
「ふうん?」
「父親は、そんなものだ」
ボクがそう言うと、夢魔はふうんと面白そうにする。
「父親はそんなものなのだね。……まぁいい。彼女は夢魔の中でもだいぶ特殊でね。夢の主が少しでも罪悪感を抱くと刺さずにはいられない。どうか悪く思わないで欲しい。彼女は彼女なりに、ただ純粋に罪を償わせようと、救済の一種として襲ってくるのだよ」
納得は出来ないが、言葉は理解出来た。ボクはとりあえず、夢魔の言葉に頷いた。
「だが、無事に事故現場を見る事は出来たようだ。見てどう思った?」
夢魔はそう言いながら、興味津々といった具合を一ミリも隠さずボクを見る。
「事故現場……。車内で誰かが死んでいた。ケイリーではない。ケイリーは、あんな死に方はしない」
「あんな死に方?」
「硝子に血がベッタリとついていた。それに、肉片も。あれはどういった死に方は分からない。けれど、まだ子供のケイリーには無理だ。それこそ、強盗か何かに襲われたに違いない」
見た光景を思い出しながら、ボクは言葉を探す。
「血と肉片しか見ていないのに、何故ケイリーには無理だと?」
「あの子は、銃の扱い方を知らない」
「ふうん、銃が関わっているのか。だが、君は「死因は分からない」と言っていたじゃないか。何故、銃の扱い方に話が変わるんだ?」
「なぜなら……」
ボクは、そこで言葉を止めた。
どうしてボクが知っているんだ? 知っているならどうしてボクは今まで黙っていたのだろう。だって、先程まで全く分からなかったのに、だ。
パンッ。
これで三度目の破裂音が近い場所で鳴った。
ボクは反射的に家を出て、車が停めてある場所に向かう。
家の入り口に立てば、そこからすぐ車内の光景は見える。ちょうどこの夢が始まった時と同じ立ち位置だ。
その車の中にいたのはマネキンだった。
スーツを着て、こちらに気が付き、己のこめかみに銃口を向け微笑んだままその引き金を引いた。
再度、破裂音が周囲に響き、車内には血と肉片が飛び散った。ボクが見た時のように、ガラスにも血痕が付着している。
そのマネキンはあまりにもリアルに作られていた。髪も、目元も、シワも、無精髭も、疲れ切った瞳も。その顔には見覚えがある。何度も見てきた顔だ。
それは未来を憂い躊躇なく引き金を引いたボク自身だった。
2
「ボクは、幽霊か?」
立ち尽くしたままボクは呟く。しかし、すぐこの世界を思い出して自嘲した。ボクとあのマネキン、そして二人の夢魔しかいない世界だ。応えてくれる者など居ない。
車内で拳銃自殺したのは、ボク自身だった。
「それなら、なぜボクは夢を見ている?」
あれは間違いなく即死だ。あれだけ脳味噌が吹き飛んだのだ、生きている訳がない。
ボクはフラフラとした足取りで家に戻り、夢魔に問う。
「夢は脳の情報整理だと君は言った。あの光景は、ボクが整理しなければならない事か」
「そうだとも」
夢魔は、そう答えながら二つの手紙をテーブルに並べてじっくりと見比べている。
それはどちらもボクがこの夢の中で拾い、走っている途中で落とし鎧女に奪われた物だ。後で読んで貰おうとしたことを思い出し、ボクは夢魔に飛びかかるかのように近づく。
「君はそれが読めるのか?」
「読めるとも。君は読めないのか?」
「知らない言語だ」
「いや、これは君が知っている言語だよ。読めないのは君が言葉の意味をまだ習っていないからだ」
夢魔は手紙の文面をボクに見せるように裏返した。たしかにそれは慣れ親しんだ英語だが、やはりボクは言葉の意味を理解出来ない。
「スティーブの生命保険について詳しく書かれた紙と借用書」
「借用書?」
「覚えていないのかい?」
そう言われてボクは思い出そうと頭を働かせる。が、依然として何一つ分からない。
わざと忘れようとしている夢のご都合主義なのか、借用書の内容を音読されてもピンとこなかった。
「君の家にはそれなりの借金があり、スティーブにはそれなりの保険金がある。そして、彼は車内で死んだ」
夢魔はどこか楽しそうに言いながら、二つの手紙をわざわざ広げてテーブルに置いた。
「自殺したのはケイリーではない? じゃあ、ケイリーはどこに居るんだ? いや、待て、現実で死んだのもボクなのか? ボクは今こうして夢を見ているのに?」
混乱するボクをよそに夢魔はポケットから煙草を取り出すとそれに火をつけた。
「謎解きは自分でしてもらいたいものだが、しかたあるまい。自身が隠そうとしているのだからね。芝居はとても上手だよ、ケイリー」
紅目の夢魔はそう言い、立ち尽くしているボクを見た。