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白昼夢  作者: 和鏥
2/9

第一節 ヒトリ


 まるでアクムだと。誰かが言った。

 どうしてそう言ったのか分からない。

 どうしようもなかったのだろう。

 何か方法はなかったのだろうか。

 遠くの方で声がするけれど、それもやはりボンヤリとしか聞こえない。

 暫くすると、急に冷静になっていく自分がいた。先程までの緊張が嘘のようだ。

 正面に立つのは、知らぬ男。立っているだけでも印象に残る特徴的な姿。彼はニヤニヤと笑みを浮かべて言葉を待っている。

「頼みが……あるんです」

 渇いた喉は、それでも発声することを許した。


 1


 ボクの視界には、見慣れた景色が広がっている。

 空の色、そして靄があるあたり、今は早朝だ。ボクだけが家の前でただポツンと立っている。

 不思議な事は、この世界は無音だった。鳥も鳴かなければ生活音すら聞こえない。

 何か変化はないのか少し待ってみたが、変わりはない。

 無音。

 鳥や人も、虫さえいない。この異常下は、夢だからなのだろうと仮定する。

「誰もいない……」

 そう呟いてみたが、誰も返事をしてくれない。

「ここは君の夢の中だからだよ」

 ボクの考えに反して聞き慣れぬ男性の声が聞こえた。

 ボクは驚きながら周囲を見た。ガーデンフェンスの向こうには、見知らぬ男が立っている。

 先程まで、ほんの数秒前まで人は居なかった。それに、変化は無かった筈だ。それなら、この男は、いつ現れたのだろう。

 ボクに声をかけた長身の男。

 大きくて黒い傘を杖のように持っている。血のような紅い瞳。葬儀の帰りにも思える黒のスーツ。オールバックで足首まで伸びた黒髪は一つ結びにされており、まるで紐のようだ。

 その容姿が、なんとも奇妙に思えた。

「……あなたは、誰ですか?」

「私に驚かないでくれるのは助かる」

 男はそれ以上、近寄る気はないのだろう。柵を開けて、庭に入ろうとはしない。それどころか、ボクをじっと見たまま動かない。

「私は()()。夢に巣くう悪魔だよ。今は、君の夢にお邪魔しているね」

 それは悪い冗談に思えた。だが、紅い瞳はそれを冗談とは言わせない雰囲気を抱いている。ボクは反応に困って、肯定も否定も出来ず呆れて笑った。

「ドリームキャッチャーを吊していたと思うが?」

 男はボクの笑い方を真似たのか、不器用に口元を歪める。面白そうにしているのに、目は一つも笑っていない。

「悪夢を絡めとる呪い道具は、私には無効だ。私とその道具では、根本が異なっている。ようするに、生まれた場所が違うんだ」

「どうして、ボクの夢の中に?」

「単純に興味があったからだ。とても興味がある。何故こんな夢を視てしまうのか、それが気になってね」

「夢を見るのに理由がいるのか?」

「ああ。いるさ。夢は無意識の内に視るもの。閉じ込めている感情(モノ)が出てくる、恐怖、欲望、願望。夢は脳の情報整理でもある」

 夢魔はそう言い、品定めするかのようにボクを見る。

「さて、君が友好的であるうちに、幾つか質問がしたい。君の名前と年齢、家族構成。それを知りたい」

 ボクは黙って男を見た。

「ボクが悪魔に教えると、本気で思っているのか?」

「警戒するなら、それでもいい。賢明な判断だ。しかし、もし君が困った時、どう声をかければいいのか分からない」

「ここはボクの夢の中だ。困る事なんてあるのか?」

「夢だからこそ、制御出来ない理不尽はいくらでもある。……それに、これは強制ではない。教えてくれなければ、私が調べるだけさ」

 夢魔はそう言い、片目を閉じる。余裕な態度を見せる夢魔とは反対にボクは恐怖を覚えていた。調べられる。しかも、悪魔に。だったら、自分から曝け出した方がまだいい。余計なことまで知られたら困る。

「……ボクはスティーブ。今年で四十になる」

「聞き分けの良いニンゲンだ。スティーブ。相応に私の名前も教えてあげよう」

「結構。夢魔に助けを求める事はない」

「そうか、それは残念。……それで、君に子供はいるかい?」

「いる。一人息子だ」

 それを聞いた夢魔は、ニヤリと笑った。

「そうかい、スティーブ」

 その笑い方は知っている。けっして良い意味では受け取れない、意地の悪い感情。

「君の息子の危機だ」

 夢魔がそう言うや否や、耳をつんざくような激しい音が、一度辺りに鳴り響いた。

 ボクは目を見開き、何が起きたのだと夢魔を凝視する。彼は笑みを絶やさぬまま、静かに上を指さした。その方向はボクの家、二階。おそらく子供部屋だ。

「困っていたんだ、スティーブ。この深刻な事態をどう伝えればいいのかと」


 2

 

 あの夢魔に悪態すらつけなかった。

 衝動的に走り出し、乱暴に玄関の扉を開ける。

 後方にいる夢魔が「気をつけた方が良い」と、遅すぎる忠告をしている。

 ボクは転げるように二階に駆け上がり、見慣れた部屋を見渡す。

 そこにケイリーは、……ボクの息子はいない。

 ケイリーは、どうしようもないヤンチャ坊主だ。

 日頃から注意しているのにこうして部屋は散らかったまま。ベッドも机の上も物が散乱している。

 学校に通って二年経っているのに整理整頓すら覚えられない有様。どこに何が置かれているのか、ボクは理解出来ない。

 息子の名前を呼びながら机の下、ベッドの下、クローゼット、できうる限り彼が隠れていそうな場所を探す。

 結局、ここに彼は居なかった。

 家には妻もいる筈だが、息子と同じように姿が確認出来ない。

 夢魔の「君の息子の危機だ」という忠告が事実だったことをいやでも知らされる。

 数十分かけて調べてみても、彼の部屋にも、その付近にも、ましてやこの家には誰一人として人間の姿を確認出来ない。


「学校鞄がない」

 息子を探し、どれくらい経っただろう。

 再度、彼の部屋に戻り、探索する。ふと、この部屋には、息子にとって大事な物がないことに気がついた。最初から違和感があったのにどうして気が付けなかったのだろう。

 普段なら、机の横にかけられている通学用鞄が見当たらない。という事は、彼はまだ学校にいるのか、それとも下校途中のどちらかだ。

「……は?」

 机の上を見て、驚く。

 先程まで、物が散乱していたはずだ。机の横を見たのはたった数秒の間だ。その短い間で、机の上にあったあ物がきれいさっぱりなくなっていた。

 片付いている。というよりは、乱暴に床に落とされたといった方が早い。床には音もなく、物が散らばっている。

「本当に夢の中に居るんだな……」

 驚きのあまり、思わず声が出てしまう。

 机の上には、画用紙が一枚だけ置かれている。

『彼は死んだ』

 赤いクレヨンで描かれた短文。

 乱暴で癖のある字は、息子のもので間違いない。殴りつけるような筆跡は、ボクの心を酷く乱してくれる。

 死んだ? 誰が? 彼って? それよりも、これはいつ、何故書いたんだ?

 いくら考えても分からない。

 それでも、分かることは一つある。

 死んだ誰かはケイリーではない。

 そんな確信があった。

 『死んだ』というのは過去形だ。幼いケイリーがこんな奇怪な文を書く理由が無い。けれど、どうして書く必要があったのだろう。

 そういえば、とボクは思い直す。夢魔は、ここがボクの夢だと言った。


 ――……夢は無意識の内に視るもの。閉じ込めている感情(モノ)が出てくる、恐怖、欲望、願望。夢は脳の情報整理でもある。


 あの発言を信じるのならば、ボクはケイリーに死んだと書かせたい願望か、欲望かを持っている。もしかしたら、そう書かれるのが怖いと思っている。

 それは、なぜ?

 混乱が混乱を呼ぶ。この世界が、夢か現実なのかも判断出来ていない。

 この世界を夢だ、と言ったの夢魔だ。彼の話を信じる証拠がない。強いて言えば、耳が痛くなるほどの静寂が異常だと思うくらいだ。

 これがもし本当に夢だとしたら、嫌な夢だ。それこそ悪夢に違いない。

「早く眼を覚まさなければ」

 ボクは頬を抓る。

 こんな悪夢から目が覚めるように、指先に力を込める。

 それでも景色は歪まない。

 頬を抓ったままボクは目を閉じた。

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