幕間5:アザレアの蕾
それは花開く前の蕾
「好きとは、いったいなんなのでしょうか」
誰もいないギルドホームで、私はつぶやいた。
今日の昼間、ツツジさんと言い争った時に言われた言葉の1つだ。
よく、分からない。好きとは好意を示している以外になにかあるのだろうか。ないからこういう風に疑問に思っている。
それに最近自分でもわからない変化が起きようとしていた。
私はレアネラさんを見ると、とても胸がざわつくのだ。身体的に異常が起きている、というわけではない。自分の体をスキャンしてみても、目立った外傷や故障などはない。
そもそも私の身体は本来存在しているものではない。あるとすればそれはデータの存在であり、現実にはただのチップが1枚あるだけ。だから胸がざわつくという感情がわからない。
今日言い争ったのだって、それが原因と言っても過言ではない。
ツツジさんが煽ってきたから、返しただけなのに。でも返す必要なんてどこにもない。レアネラさんとツツジさんはとても仲がいいんだから。ツツジさんがレアネラさんが自分のものだと言い張っても……。
「自分のものとは、いったいなんなのでしょうか」
また疑問。そもそも人とは一個人の存在であり、誰かのもの、だなんて定義するのは奴隷かなにかだと私は考えている。
ツツジさんが何を考えているのかわからない。そもそも、なんで突然そんなことを仰ったのか。それが一切理解できない。
でも何故か私はそれに応じた。友達だと言い張った。衝動的な何かが私に言えといったと思う。
考えれば考えるほど、ドツボにはまっていくのを感じる。このままでは埒が明かない。誰かに相談するしかない。幸いにも今はビター様がアトリエにログインしているみたいだった。だから行こう。
◇
「分からないを知りたい?」
「はい。ビター様なら色々とご存知だと思いまして」
「うちにだって分からないことぐらい人並みにあるが、こうやって来てくれたんだ、無下にはできないさ」
ビター様はアイテム画面から取り出したティーポットをカップに注いで、紅茶を用意してくれた。その気遣いに感謝しながら、私は椅子に座った。
「で、相談ってのは?」
「実は…………」
昼間こんな事があり、自分の中でモヤモヤが取り除けずにいる。ということを伝えると、キミもか、とため息をつかれてしまった。
「あの、何かありましたか?」
「いや、特にないさ。でも揃いも揃ってキミたちは似ているなと思っただけさ」
「誰と、ですか?」
「そこはほら。守秘義務ってやつだ」
言葉を取り繕った後、誤魔化すように紅茶に口をつける。その姿はこれ以上聞くなと言っているようで、無粋にも誰と誰が似ているなどと聞けるような雰囲気ではなかった。
私も冷静に紅茶を飲む。中身はきっとインスタントなものだろう。あまり紅茶特有の風味がしない。味も大したことはないが、それを言うほど私は無粋じゃない。
カチャリとソーサーにカップを乗せて、彼女は話を始めた。
「好きっていうのは、うちにも分からないよ」
「そうなんですか?」
「そもそもうちは恋をしたことがない。だから教えられるようなことなんて……」
「好きとは恋なんですか?」
「……まずそこからか」
好きだから恋、というのは変だろう。そもそも私はレアネラさんが好きとは言っても、恋というには程遠いと考えている。恋とはなんだろう。検索してみる。
恋とは、特定の相手のことを好きだと感じ、大切に思ったり、一緒にいたいと思う感情。らしい。
なら好きと恋はどう違うのだろうか。一緒にいたいという思いは友達として当然のことであり、大切に思うことだって人間として当然だと思う。だから分からない。好きと恋の違いが。
「まぁ、なんだろうな。うちにも分からん」
「好きというならば、レアネラさんのことが好きです。ですがそれが恋と言われてもピンときません。人工知能にそのようなプログラムは刻まれていませんから」
「そうなんだろうな。基本的に人工知能は定められたことしか動けない、はずだ」
そのとおりだ。レアネラさんが作ってくれた感情というのも、本来なかったものだ。楽しい、嬉しい、悲しい、怖い。最後の1つ以外、全てレアネラさんが教えてくれたものだ。
でもその中に胸がざわつくなんて感情はない。考えても考えても、考えても。その答えが出ることは恐らく出ない。自分だけでは、分からないものだ。
この感情を分かりたい。理解したい。その一心でビター様に相談したけど、答えが出ることはなさそうだ。
「アザレアは人間に近づきすぎたんだろうな」
「私が人間に、ですか?」
「シンギュラリティの到達って知ってるか? なにかしらの技術的特異点。何かが変わる瞬間」
「本来、IPCとはそれを目的としていると聞いたことがあります」
「そうなのか……」
ビター様は手を口に添えて考えるような仕草をする。なにか思い当たる節でもあるのだろうか。
私の母、というべき存在だろう。開発者はそんな事を言った。
このオンラインゲームは私たちIPCが成長できるような場所だという。だから人間とは積極的に関わり、シンギュラリティの到達まで言ってほしい、と。
その技術的特異点とは何なのかわからない。だけど感情を手に入れることができたのなら、もしかしたら私は既にシンギュラリティに到達しているのかもしれない。
でも私に開発者は何も言わない。何がしたいのかも分からない。私たちの母は、いったい何を考えて、私たちを生んだのだろうか。
「話を戻そう。と言っても、うちから助言できることなんて1つしかないがな」
「それはいったい……」
「ツツジを見ていれば分かる。多分な」
そこに帰結するのはなんとなく分かっていた。
私の抱いている感情を、ツツジさんは知っている。ツツジさんは分かっている。だからあの時私に向かって「レアネラさんが自分のもの」であるように主張した。
私に分からないものを、あの人が持っている。そう考えるだけで、少しだけ胸がざわつく。ズルい。人間だからって、そんなのズルすぎる。レアネラさんを独占するのは、許せない。
「……私はいったいなにを…………」
「どうかしたか?」
「い、いえ。何も」
突然ハッとなって気づいた。なんだろうこの感情は。ヴェネチードのときも感じたこの負の感情。よく分からない。分からないけど、嫌な気持ちだ。
私はお礼にアトリエの掃除をすることにした。こうすれば少しでも胸のざわつきが収まると思ったから。
私の知らない私。胸のざわつきは、きっと何かが私に語りかけているんだろう。
知りたい。私の中にあるもの。その鍵がツツジさんだというのなら、私はツツジさんを見ることから始めたいと思う。




