第56話:負けた私は彼女に許してほしい。
それは友達という呪い
意識が現実世界に戻ってくる。いつもなら、ゴーグルを外して、そのままベッドに横になってしまうことだろう。だけど、今日はそんな気にはなれなかった。
いつまでもゴーグルを外さずに、モニター越しに見える天井を見上げて、ただひたすら後悔の念と、敗北のショックが私を襲った。
「さっちー、ごめん。ごめんね……」
気づけば胸が苦しくなって、目の奥から悲しみの大洪水が外に飛び出してくる。
なんであんなことをやったんだろう。そこまでして手をかけていいはずがないのに。この際さっちーに負けたことはいい。でも……。
私は1人で抱えきれないほどの思いを背負ってしまった。
好きで、好きで。大好きで……。虚空に晒すなら簡単なのに、いざ相手に向かって口に出そうとしても、それはきっと言えない。
見てほしくて、こっちに振り向いてほしくて、それでやったこと。
自分のエゴを好きな人に押し付けて、そして勝手に後悔してる。
「酷い女だよ、私は」
涙が邪魔だからゴーグルを取って目元を拭う。それでも止めどなく出てくる後悔の波はいくら拭っても一向に晴れやしない。
もう面倒くさくなった。拭うのをやめて、上体を起き上がらせる。
目についたのは1枚の写真。お姉ちゃんと、私と、両親で撮った写真が写真立てに飾られている。
「お姉ちゃん、今回ばかりは恨むよ」
誰のせいでもないのは分かっている。
でも、アザレアのモデルが誰だか知っているから、私は憎かった。
そんなんじゃない。見た目がどうこうとかじゃない。さっちーは、アザレアだから見ているんだ。
だから余計に行き場のない感情が、どうしようもない心の痛みが私を支配する。
「……明日も、学校だっけ」
残った思考は、事務的なこと。明日もさっちーに会わなくちゃいけない。でも嫌だ。どうやって顔を見ていいか、分からないよ。
「ごめんね、さっちー。アザレア……」
どうしようもなくなって、少しは寝れば晴れるだろうと思った。
再度ベッドに横になり、目をつぶる。いつか泣き止むことはあるんだろうか。分からない。
でも今日はこのまま。明日にならなければいいのに。
◇
「はぁ……」
「あ、ツツジ! おはよ!」
何も知らない騙された女がこちらに近づいてくる。
そんなのお構いなしに、私は自分の席に座り、かばんを机に置いた。
お願いだから、今日は。今日だけはそっとしておいてほしい。
「昨日忙しかったの?」
「……うん」
「…………」
私の並々ならぬ落ち込みように、流石のさっちーも察したのか、何やら考え事をしている。
私はあなたを欺いた。だからあなたの側にいる資格なんて……。
「ツツジ、来て」
「え? ちょ……」
突然手を掴まれると、引っ張られる。ど、どこに行くつもり? まさか私のやったことがバレてるんじゃ。だとしたら謝らないと。でも本当にさっちーは知ってるの? 分からない。分からないから、そのまま連れて行かれる。
階段を駆け上り、ちょっとだけ疲れながら最後の扉を開くと、そこは屋上だった。
「ここなら遠慮なく言えるでしょ」
「……何が?」
「何がじゃないよ。なんかあったんじゃないの?」
私を無条件で、疑わずにその笑顔を向けてくる。さっちーの気遣いは嬉しい。でも今日は、今日だけはそっとしてほしかった。大丈夫。明日にはきっといつもの私に戻れる。だから今日だけは……。
私はさっちーの好意を無駄にすることにした。
「知らない」
「知らないじゃない! ツツジのそんな顔、見たくない!」
何も知らないくせに。ふつふつと胸の奥から黒い液体が沸騰する。
何か知ってたら、対策できた? 出来なかったでしょ。だって私が近くにいたんだから。私が、あなたに見てもらいたくてやったことなんだから。
「ほっといて」
「ほっとけない」
「ほっといてよ!」
「だからほっとけないって言ってるじゃん!」
ギリッと睨む。一瞬だけ怯えた表情をするけど、ちゃんと向き直して私を見る。
だから、そんな目で見ないで。私は、ただ自己満足のためにこんな事件を起こした。それを言うつもりは……。
「大丈夫。私に言ってみて」
「……言ったら、どうにかなるの?」
「少なくとも気が晴れる、と思う」
さっちーは目をつぶって、風に揺らぐように両手を広げて天を仰ぐ。揺れる髪の毛にはためく制服。その全てが、なんだか幻想的に見えた。
「私は大人でもないし、誰かを助けられるようなヒーローじゃない。何か言えるかもしれないけど、それで悩みが晴れることはないと思う。だけど、気は紛れると思うから」
「さっちー……」
「だから、遠慮なく言ってみて?」
あぁ、彼女は私を見てくれている。それが気恥ずかしくて、でも怖い。
私の悪い部分も全て見ているようで、とても怖い。
でも。
でも、彼女が、私の好きな人が私を受け入れてくれるなら……。
「あのね。私はさっちーに謝らないといけないことがあるの」
「私に?」
神に懺悔するように、私は今までのことを思い出しながらコクリと頷いた。
「私が、アザレアを奪ったゴエモンなの」
「え……?」
「ゴエモンは本来の私のアカウント。私が操作して、あなたと戦った」
「なんで……」
そんなの決まっている。でも言いたくない。私の悪いところを見せたくない。
「…………」
「ツツジ、大丈夫だよ」
「……さっちーは、なんでそんな平気そうな顔してるの?」
「んー、なんでだろ」
「なんでじゃないよ! 私がさっちーの大切なものを奪ったんだよ?! それなのに、なんでさっちーは平気そうな顔してるの!」
怒ってもいいはず。嫌ってもいいと思う。
なのに。なのになんで、そんな優しい微笑みができるの?
「分かんないけど、多分ツツジがなにか考えてたんだろうなって思ったから」
「私の考えなんて薄汚いものだよ! さっちーに、私だけを見てもらいたくて……っ!」
「ツツジ……?」
「ごめん」
私は逃げ出そうとした。勢い余って、私の欲望が漏れ出してしまったから。だからさっちーに背を向けて逃げ出そうとした。
「待って!」
手首を掴まれて、脱走は阻止された。
「離して!」
「嫌だ!」
「なんで!」
その手は、震えていた。その顔も、泣きそうで。
――なんで?
なんで、さっちーがそんな顔してるの?
私がそうさせたの? だとしたら。いや、そういうことをしたんだ。当たり前か。
「だって。今離したら、ツツジがどっか行っちゃいそうなんだもん」
「……私が?」
「うん。どこか遠くに。私のいない場所に行っちゃいそうで、怖かった」
そんな。そんな優しい言葉を使ったって、騙されない。私は、ワガママで自分勝手にさっちーを傷つけた。だったら、もう私が側にいる理由なんて……。
「一緒にいてよ!」
「……私がさっちーのこと、どう見てるか分かってないくせに」
「分かんないよ! だって教えてくれないじゃん!」
教えられるわけない。アザレアを誘拐したのも、私を見てほしいのも、全部全部さっちーが好きだからで。そんなこと言えるわけない。
「ねぇ。ツツジはどうしたい?」
「…………」
「ツツジは、私たちといたくないの? 許してもらいたくないの?」
「――私は」
許してほしい。一緒にいたい。
だって、好きなんだもん。さっちーが、世界で一番大好きなんだもん!
掴んでいた手首の力が緩む。こぼれ落ちるようにそのまま腕は解放された。でも、とても逃げ出す気にはなれなかった。
足の力が抜けて、その場にしゃがみ込む。ダメだよ。そんな優しい言葉で、私を惑わさないで。
「許してほしい。一緒にいたいよ……」
「当たり前じゃん。だって。……だって、私たち友達なんだよ?」
私は友達だなんて思ってない。
「だとしてもだよ! 私のしたことは許されることじゃ」
私のしたことは、悪いことで、許されることなんかじゃない。
「私、なんでツツジがそんな事したか分からない。でも。でもね? それでも私は許したい。友達なんだもん」
友達だから。そんな理由で私を……ゆるして……。
「でも……」
「何度でも言うよ。私はツツジを許す。だって大好きなんだもん」
振り向けば、私に向けて手を広げていた。
まるで聖女みたいだ。こんな私のことを許してくれて、それで大好きだって言ってくれて。
私はさっちーの胸元に抱きついた。ダメだ。また泣いちゃう。昨日あれだけ泣いたのに。今度は胸の奥から何かが溢れ出すように涙を流す。
さっちー。あなたは本当に優しすぎる。友達だからって、普通こんなことしないよ。こんなこと、許したりなんかしないよ。
「ごめん。ごめんね、さっちー……」
「うん」
「私も、さっちーが好き」
「うん。知ってる」
でも、私の好きとさっちーの好きは、多分違う。
彼女の好きは友達で、私の好きは恋愛で。
いつか振り向かせたい。
このワガママで、自分勝手で、嫉妬深い私のことを見てくれるように。
――その好きが、私と同じになるように。




