第37話:私と私はあなたを友達と呼びたい。
アザレア友達大作戦、これにて閉幕
逃げたくない。ちゃんと向き合いたい。
でも勇気がない。踏み込むことができない。
相反する想いが、ぐちゃぐちゃに溶け合って、黒いヘドロみたいに心の中のアザレアとの思い出を塗りつぶしていく。
「どうすればよかったのかな、アザレア」
いつもそばにいる彼女の名前を呼ぶ。でも今はいない。
彼女を友達と呼べれば、あるいは。あったかもしれないIFを重ねても意味がない。
いったい、どうすれば正解だったんだろう。
いや、正解なんてとっくに分かっているはずだった。勇気がなくて、踏み出せなくて、ただ立ち止まって。それで何もできなくって。
「どん詰まりだ」
水たまりをピシャリと踏んで、映った私の顔を潰す。酷い顔だ。俯いて、目は楽しそうにしてないし、口は笑いもしてない。ただただ鬱屈した感情が顔から溢れ出ている。
水たまりは少し歪んでも、また元通りになる。それでも表情は明るくなったりしない。ただ一言あるとすれば、私とあなたの関係も、こうやって元通りになればいいのに。
「ん? メッセージ?」
突然メールの着信音が脳内で響く。1人で驚いていてもしょうがない。開いてみると、そこにはツツジからのメッセージがあった。
「でもこうも思ってるよ」
ツツジが1つ合間を置いて、文字を改行している。私を見つめている気がした。それは私ではなく、私の中の吉田幸歩としての私を見ているようなそんなメッセージ。
「私と友達になれたんだから、絶対アザレアとも友達になれるって、か」
ツツジを友達って呼べたのは、相手が良くしてくれたおかげだ。私はなんにもしてない。それでも嬉しかった。嬉しい、なんてものじゃない。初めて出来た友達だ。私を心配して、私のことを思ってくれている。そんな優しい存在。
こんな私のために、自分が悪役になってまで相談してくれたこと。それが、とっても嬉しくて。
短い文章を読み返すたびに、彼女の優しさが胸の奥に染みて、少し恥ずかしくなってしまう。ホント、なんで私なんかのためにそんなに良くしてくれるんだか。
でもちょっとだけ心がスッと軽くなった気がした。もちろんまだ鉛みたいに重たいけど、ツツジのおかげで自分がやらなきゃいけないことを見つめ直すことができた。
「ありがと、ツツジ」
軽くお礼のメッセージを返信する。感謝の気持ちは伝えなきゃ意味がない。伝わらなければ、きっと何も思わなかったと取られるんだ。
私は、アザレアにちゃんと感謝の気持ちを伝えたことがあっただろうか。ありがとうって、私と一緒にいてくれて嬉しいって。
言えてない。言わなきゃいけないのに。言わないと伝わらないのに。胸の奥にある、この感謝を伝えたい。
「アザレア、今どこにいる?」
ギルドホームだろうか。それともビターのアトリエ。
いや、今はなんとなくそのどれもが違う気がする。
私を探して、思い出を探して、最初に出会ったあの場所に私は自然と足を運んでいた。
◇
雨がしとしとと降り注ぐゴーストタウン。
傘もささずに、静かに降る雨をその身で受け止めている。
私とアザレアが出会ったあの場所で、もう一度彼女のことを思い出せば、私の想いを整理できる気がしたんだ。
「この辺、だったかな」
「あ……」
「あ」
透明なビニール傘をさした彼女は、ひたひたと私の元へ歩いてくる。
絹のように細くて、海のように青い髪の毛は雨の中でも一際潤んで見える。
丸くて、鮮やかで琥珀みたいな透き通る瞳は私をちゃんと見つけてくれた。
綺麗な肌と、それを隠すように、それでいて美しく着こなしたメイド服は、あの時のボロボロのものじゃない。
彼女が、アザレアが私のことを待っていたみたいに、そこにいた。
「レアネラ様……」
「あ、あはは。また会ったね」
気まずそうに笑みをこぼす彼女に、私まで申し訳なくなってしまう。
アザレアが傘を私に傾けて、濡れないようにしてくれているみたいだ。でもそんなんじゃアザレアが濡れちゃう。
「そこに座ろ。ゆっくり話したいし」
「はい。レアネラ様が言うのでしたら」
私たちは瓦礫の山に腰掛けて、お互いに濡れないように肩をくっつけあう。
少しだけ雨に濡れて、冷たい肩は程よく気持ちよくて、寄りかかってしまいそうになる。
そういえば、私たちが出会ったのはここだったっけ。なんだか想像してたより地味で殺風景。もっと輝くものがあったと思うんだけどな。
「最初、私はボロボロでした。ご主人さまから逃げるために」
「うん、あの時はびっくりしたな。だって瓦礫の中にアザレアがいるんだもん」
「本当にありがとうございました。あそこでポーションを使っていなければ、私はあのままリスポーンしていたでしょう」
最初に出会った時は、とてもボロボロだった。今の清楚な見た目なんて見る影もなく、ただ逃げてきた少女が瀕死の状態で倒れていたんだから。
「それから宿で脱がされかけましたね」
「あれは! ごめん」
「大丈夫です。過ぎたことですし」
そんな彼女を綺麗にしたくて、シャワーに入れたりして。
「あの時のアザレア、ホントに可愛かった」
「まるで今の私はそれほどでもないような言い方ですね」
「そんなことないよ。ほら、思い出補正ってやつ!」
「思い出に補正は付きません」
「人間には付くの! それに、あの時初めて綺麗になったアザレアを見たし」
それまで想像しか出来なかった彼女の本来の姿を見た時は、それはもう息を呑んだ。人じゃないけど、人ってこんなに変わることができるんだなって。ちょっと失礼かな。
でも、それだけ可愛らしくて、私は心を動かされたんだと思う。
その後は熊鍋を食べて美味しかったし、今の服装だってアザレアのアドバイスだったし。
ギルドだってそうだ。彼女が言い出さなかったら、結成することなんてなかっただろう。
「なんかホント、色々あったよね」
「そうですね。それに、レアネラ様は、私に感情をくださいました」
「感情なんて、大したもの。私は私が楽しいと思ったことだけをしただけ」
「それでもです。私の心は、あなたに救われました」
そんなことない。私は、私のことだけをいっぱい考えていて、自分のことだけで精一杯で。
そんな俯く私をしっかりと見て、アザレアは言葉を紡ぐ。
「嬉しいも楽しいもこの気持ちも、たくさん教えてくれたのはあなたです。だから私はあなたと一緒がいい。もっと2人でたくさんの感情を覚えていきたい」
その時の顔は今まで見てきた中で、一番人間らしいと思った。
人間じゃないのにだよ? それでも、私は美しいと思ったし、これから先、忘れたくない表情だと思った。
柔らかな冬の日の太陽のような微笑みは、私をちゃんと見てくれている気がして。だからかな。私は、胸のつっかえが取れたみたいに、心の声をつぶやいていた。
「私ね、アザレアから逃げていたの。私なんかと比べて、アザレアを見ようとしなかった。真っ直ぐに見ることができなかった」
何故。それは心の隣人だったから? 違う。
ただ友達とは常に対等なものだと思いこんでいたからだ。
でも今なら分かる。人間でも、人工知能でも、心を通わせて信頼できる間柄を、もしかしたら友達と呼ぶのかもしれない。
――だから、今度こそ言う。
「アザレア、私と、友達になってください……っ!」
「レアネラ様……」
勇気振り絞って、ようやく言えた言葉はホントに大したことない、普通の言葉。だけど、めいいっぱいの私の感謝の印。
断られたくない。断られたらどうしよう。そう思うと怖い。
でも、伝えなくちゃいけない。伝えたいと思った。だって、ずっとなりたかったんだもん。
ひと目見たときからずっと、アザレアと友達になりたいって思っていたんだ。ずっとその気持ちに蓋をして、ずっと胸の中でモヤモヤしてて。それが友達になりたいって思いだったのに、いつの間にか忘れてて。
でも今ならはっきり言える。私は、アザレアを友達と呼びたい。心の隣人なんていう曖昧なものじゃない。ちゃんとした、心を通わせた友達として。
震える手に、ひんやりとした手が触れる。両手で握られた私の手は、冷たいのにとても暖かく感じた。
「当然です。私の『友達』なんですから」
嬉しくて、たまらず私は手でぐっと引き寄せて、アザレアを力いっぱい抱きしめた。細くて、柔らかくて、それでいて暖かい。人間みたいに暖かい。
「レ、レアネラ様……?」
「やっと言えた。やっと、胸のつっかえが取れた」
かすかに漏れた声は、雨音で消えそうになったけど、ちゃんと耳に届いた。
彼女はちゃんとそこにいて、私のそばに居てくれている。それが嬉しくて、ちょっとだけ恥ずかしいけど、胸の奥が暖かい。
「レアネラ様……」
「ありがとう、一緒にいてくれて」
「私こそ。ありがとうございます、そばに居てくださって」
アザレアも背中に手を回してくれて、2人で確かめあった。
そこにいることと、友達であることを深く、深く心に刻みこむように。




