第36話:NPCの私はあなたに感謝がしたい。
気づけば、私は昔に比べて色んなものを持っていた。
ご主人さまの元にいた頃よりも、もっと、ずっと色んなものを。
だからいつしか彼女と、レアネラ様ともっとずっと一緒にいたいと思うようになったのは。
「不思議ですね、ただの人工知能なのに」
人工知能にしては、多くのものをもらいすぎた。
例えばこの嬉しいという感情。胸の奥がホカホカして、奥からこみ上がってくる感謝を伝えたいという気持ち。
例えばこの楽しいという感情。心の奥底から何かが湧き上がって、気持ちを明るくさせてくれる気持ち。
最初は何らかのバグだと思って、修復を試みたが、レアネラ様はそれでいいと仰ってくれた。それもまた嬉しい、という感情なのだろう。
私はレアネラ様から色んなものをもらいすぎた。
だからだろうか。彼女が私を拒んだように見えたのは、驚きだった。
「レアネラ様が仰ってた、嫉妬の意味が、いまいちよく分からない」
検索すればどういうのが嫉妬なのか分かる。でもいざ自分のことに重ねようとしても、私には分からなかった。
「あのとき、何故そんなことを言ったのでしょうか」
「私って、頼りないかな?」の一言は、私にとってありえない言葉の1つだった。
いつも感謝してるし、頼りにしている。なのに彼女の顔はとても寂しそうにしていた。どこまでも一人ぼっちで、孤独で、触れてしまえば、フッと消えてしまいそうなほど曖昧な存在に見えた。
「大丈夫だよ!」
私は肩をピクリと揺らして、それっきり。彼女は逃げるようにしてその場を去っていった。
レアネラ様が1人で行けるから、と言って部屋を抜け出していった後、私は物思いに耽っていました。
「私とレアネラ様は、心の隣人ではなかったのでしょうか」
分からなかった。いや、分からなくなった。
私と彼女を繋いでいた確かな絆がなくなったような気がしたんだ。
心の隣人とは。検索しても出てくるのは心理学や精神学といった類だけで、具体的に心の隣人とは何か、というものは書いてなかった。
検索しても出てこないものは理解のしようがない。IPCに組み込まれた考え方の一つだ。私たちは人間と比べて、圧倒的に経験が不足している。だから検索エンジンを使って知識を補っているのだが、やはり心というのは分からないもんだ。
私たちのあり方。それはいったい何だったのだろうか。
心の隣人でもなく、主従の関係でもなく、ただ寄り添いあう者たちのような、そんな関係をいったい何と呼ぶのだろうか。
「同じ人間に聞いてみるのが一番でしょうか」
確かこのギルドホームにはまだツツジ様がいらっしゃったはずだ。聞いてみることにしよう。私たちのあり方というものを。
◇
「それで私に相談しに来たと」
「そうです」
私にそっくりな人間。理由は存じていませんが、何故だか彼女には親近感と嫌悪感を抱かずにはいられません。
何故嫌悪感なのか。その正体は私には理解しかねるものだった。
「って言ってもなぁ。私が口出して良いことないと思うんだけど」
「どういうことでしょうか?」
それほど私たちの関係はよくないものなのでしょうか。
「なんていうの、こう、デリケートな問題と言うか、私が口出すよりもレアに直接聞いたほうがいいと思うんだけど」
「ですが、私たちは心の隣人と言ったらレアネラ様は酷く嫌そうな顔をしていました」
「ん? 心の隣人って?」
「レアネラ様が仰られた私たちの関係です。心のままを信じれば分かるらしいのですが」
突然ツツジ様が息を吐き出しました。胸の奥から勢いよく、これはいわゆるため息というやつなのでしょう。
「あの子そんなふうに誤魔化してたのか」
「誤魔化すとは?」
「知らないよ。どんな理由があろうと、そこを誤魔化すのは卑怯だと思っただけ」
「どういうことですか?」
疑問の表情を浮かべてみるが、ツツジ様は相変わらず顔をしかめて、考え事をしているようです。
「まぁ何? 私も手伝うから、アザレアも一つ自分の思いについて考えてみれば?」
「思い、ですか」
「そ。今までのことでもいい。それで考えて、胸の奥に感じたことを素直に吐き出してみるの。そうすれば分かるんじゃないかなってね」
「……人工知能の私にできるでしょうか」
胸に靄がかかるイメージ。これには私も感じたことのある感情だ。
不安。もしも失敗したら。もしもできなかったら。そんなIFを考えてしまう、負の感情だ。
「できるよ」
「そう、でしょうか?」
「あなたなら、レアの信じたアザレアならできる。私はそう思うよ」
「ツツジ様……」
「あー、私も恥ずかしくなってきたし、レアのケツ叩いてくるよ。じゃね!」
ツツジ様は慌ててルームから出ていってしまいましたが、ツツジ様には感謝の念しかありません。
さっきまで靄がかかっていた胸の奥がほんのりと暖かくなっているのを感じます。これは嬉しいとも、楽しいとも違う感情。あるとすれば、勇気と言う想いなのでしょうか。分からない。分からないけど、これがあると、前向きになった気持ちになります。
さて、ツツジ様に言われたとおり、今までのことを振り返る。
拾われて、洗われて、調理したり、釣りをしたり。
いろんな事があった。ありすぎて今までの生活はなんだったのだろうかと思うほどだ。
「これが、思い出」
思い出すだけで、胸の奥が暖かくなっていく。これは嬉しいという感情だと思う。
同時に弾むように高鳴りを覚えている。嬉しいと楽しいを合わせた感情。
今、レアネラ様に感じている感情。それは……。
「感謝……」
それを口にするだけで嬉しいと楽しいが膨れ上がっていくのを感じる。
そうか、これが胸の奥で感じた感情なんだ。
「レアネラ様を探しに行こう」
この想いを伝えたくて、私は歩き始めた。外はあいにくの雨だったが、この想いには変えられない。私を突き動かしているこの想いは、きっと大切なもので、レアネラ様に伝えなくちゃいけないんだ。
想いという名の傘を差して、あの場所にいると信じて、私は歩く。この感謝を届けるために。




