第112話:旅館で私は色んなことがしたい。
「んっ……んっ……ぷはーっ。やっぱお風呂上がりの牛乳はいいね」
「そうですわねぇ、これが至福……」
ふざけたことをノイヤーが言ってるけど、まぁいいか。
私たちは湯船にのぼせる寸前まで入った後、こうしてお風呂上がりの牛乳を嗜んでいた。
やっぱ日本人といえばこれだよね。なんでか、と言われたら意味はわからないけど、とにかく牛乳を飲んでおけば日本人らしいということで。
ちなみに私はフルーツ牛乳。このフルーティな味わいがやっぱり美味しいのと、滅多に飲む機会がないので飲んでて美味しい、というのもある。
「今日はもう一日ここにいていいんじゃない? 絆を深めるのも含めて」
「もういっか、特訓とか。ゆっくりしたい」
特訓バカのツツジを懐柔してみせたのだ、咲良さんの功績は大きい。
少なくとも今日はすぐに特訓しようなんて気は起きないだろう。
だったら私はゆっくり英気を養うことにする。なにせVRは身体が資本なんだし。VRのシステムをよく分かってないけど、多分そうなんだろう。そういうことにして、お願い。
「そういえば旅館って何すればいいの?」
「えっ?」
「え?」
ツツジが顔を見合わせて意外そうな顔をする。
いや、だってそうじゃない? 部屋にいてもテレビを見るか、すぐに消えるお茶菓子を食べるか。それぐらいだと思ってたんだけど、私はそれほど意外なのか。
「レア、聞いても差し支えないことをお聞きしても?」
「よく分からないけど、どうぞ」
「旅行のご経験は?」
私はNOとキッパリ答えておいた。
転勤族だった私にとって、普段の生活が旅行のようなもので、半年ぐらいまでの間に色んな所を転々とする日々。休日があっても、だいたい疲れて横になっているか、リビングでテレビをぼーっと眺める父の姿は日常茶飯事だった。
なので、まとまった休みなんてあっても、一日中ゴロゴロする父親を見ているだけだった。なんでお母さんはこんな人と結婚したんだろう、って心の底から思ってたよ。
だからNOなんだけど、私とアザレアを除く全員が意外そうな顔をしていた。みんな旅行とか泊まりとか行くものなの?
「ありえませんわ……。月1ペースぐらいでお誘いが来るものでなくて?」
「それはおかしいと思うが、旅行経験無しの人材を初めて見た」
ヴァレストやアレクさんですら同意の意見を重ねるんだから、私の人生はさぞ薄っぺらいものだったのだろう。しくしく。
ノイヤーがさらっと富豪発言していたことは置いておくとして、話題は私を如何に楽しませるかに変わっていった。
「よし、まずやりたいことを決めようぜ! 俺は缶詰だ」
「いっちょ前に作家気取りですか? 寝言はヒット作を作ってからおっしゃって」
「こいつがヒット作なんて作れるわけないだろ、ヴァレストだぞ」
「超ディスられてるんだけど?!」
ノイヤーとビターに散々いじられているヴァレストを尻目に見ながら、私もやりたいことをなんとなく思い返してみる。
旅館といえば、かー。実際に部屋の中を見てみないと分からないから何も言えない。どんな風になっているんだろう。やっぱり和室かな。火サスとかで見たことあるのは窓際の椅子に座ってよく分からないパズルゲームしてることぐらい、かな。あれがどういうルール知らない。
「アザレア、なんか思い当たることある?」
「と言われましても……。私は洋風の部屋ぐらいしか思い当たらないので」
それもそうか。第一格好が洋風のメイドさんだし。
……私、さり気なく当然のことのように考えてたけど、実は失礼なことだったんじゃ
。言葉に出さなかったってことで水に流そう。
「フフフ。レア、後でいいもの見せてあげるから部屋で待っててね」
「お、おう……」
背中に走る悪寒が少しだけ嫌な予感を感じさせた。
この悪意と企みが充満した悪い悪戯顔は、どことなく夏の終わりにマリカを持ってきたあの時を感じさせる。またゲームでフルボッコに遭うのかな。
◇
部屋は確かに和室だった。男女に分かれて、向こうは小部屋でこっちが大部屋。夜になればログアウトするから大して変わりはないと思うけど、気分的に男女混合はちょっと嫌な気持ちになるわけでして。
「広いねー。アザレアちゃん、こっち来て」
「咲良様、なんでしょうか?」
「ほら、桜饅頭! 食べてみて」
「は、はい。ではありがたく。いただきます」
咲良さんは何故だかアザレアに桜饅頭を食べさせていた。
両手で饅頭を持ちながらモキュモキュ食べている様子は確かに可愛いけど、いったい何故。
「やね、IPCなら味を覚えて、そのうち作ってくれないかなーって」
なるほど、食がメインですか。多分アザレアなら行けると思うけど、思うけど割烹着を着て、練り物を一生懸命作っているアザレアの姿を見たら、ちょっとだけクスリと笑ってしまう。
「和菓子職人アザレア……」
「ブフッ!」
ビターのツボに入ったようで、お腹を抱えて肩を揺らしている。そんなに面白かったかな。
こんなに露骨に反応を示してくれると、心の中のいたずらごころが目を覚ます。悟られないようにビターの耳元までこっそり近づいて一言。
「創業140年 老舗和菓子屋 アザレア堂」
「フフッ!」
「や、やめてくれ!」
ノイヤーに飛び火しながら、ビターが笑って転げ回る。
なんて犯罪的な図なんだ。これを生み出した私は悪魔かもしれない。
でもホントの悪魔は後ろで饅頭を食べていたはずだが、私の肩をぽんっとさり気なく、そして並々ならぬ怨念を練り込みながら叩いた。
「レアネラさん。人には笑いものにしてはいけないことというのがあると思います」
「い、いやさ。冗談だよ冗談。そんなアザレアを笑いものにしようなんて……」
「座ってください。正座で」
「あ、はい」
何も言い返せない圧がアザレアの後ろからにじみ出ていた。これは、ダメなやつだ。数少ないアザレアの地雷を踏み抜いてしまったらしい。じ、冗談のつもりだったんだよ。ホントだよ?
でも人工知能にはそれは効かないらしい。いや、人工知能でも人間でも、それは変わらないだろう。私は改めよう。今後人を笑いのネタにしないと。そのぐらいには反省しました、はい。
「レアネラさんは普段からそうです。ツツジさんと一緒になって鍋のふたをフリスビーにして遊んだりして。この件が片付いたら、レアネラさんが私のご主人さまになるかもしれないんですから、もう少し凛々しく落ち着いた態度をですね……」
「とったどー!」
ふすまを勢いよく開けて、片手で少し半透明な箱のようなものを天に掲げながら乱入してきた。
でも私は正座で、アザレアはお説教モードで。そしてビターという笑い転げた後の死体。ノイヤーは笑って畳を叩いているね。咲良さんも同じく。分かるか、この異様な光景が。そりゃ、ツツジでさえふすまを閉めますよね。
「待ってツツジ!」
「ごめんレア。この状況ついていけない」
「私だってついていけないよ!」
「話をそらさないでください。やはりもっと私が厳しく接していれば良かったですね。ノーハーツ様の件が終わったら、お作法を教えましょう。嫌と言っても通じません。私は本気です。本気であなたには……」
「誰か助けてよー!」
この後、ツツジが次に戻ってくる1時間ほど、アザレアのお説教が続きました。
足、めっちゃしびれてます。




