第99話:過去のあなたは何も悪くない。
「こちらを」
「ありがとうございます……」
意気消沈、といったところだろうか。なんとか落ち着いたアザレアはゆっくりとハーブティを飲み始めた。
気になることは確かにある。でもそれを聞いていいのか、踏み込んでいいのか分からなくて、私たちはそれを聞けずにいた。
ただ沈黙する時間だけが流れていく。ノイヤーもただ黙って紅茶を飲んでいるだけだし、あのヴァレストでさえ、何も喋らずに俯いたまま。ツツジは、ただ目を瞑って壁によりかかるだけで動かない。
私、なんだろうか。踏み込むとしたら私しかいないんだろうか。
怖い。拒絶されたらどうしようとか、落ち込ませたらどうしようとか。そんなことばかりが頭によぎって、不安感が離れない。
でも踏み込むとしたら、アザレアの過去を聞くとしたら、この機会しかなくて、後にも先にも、多分ここで聞かなかったら後悔する、気がする。
勇気を出せ私。例え数ヶ月だったとしても、一番彼女と一緒にいたのは私なんだ。他のギルメンだけじゃなく、ノーハーツなんていうまがい物の主人なんかじゃなく、きっと私なんだ。私でありたい。私じゃなきゃダメだ。
だから一歩、足を踏み出して前に進め。それが未来のためになるんだ。
「あの、さ……」
あくまで目線は落としたまま話を切り出す。こんなんじゃダメだ。もっと、もっと歩み寄るんだ。私とアザレアが描いた道は今はもう繋がっていて、共に歩む仲間になっているんだ。
一緒に歩こう。そう思ったら、自然と顔はアザレアの方を向いていた。
「何があったの、あの男と」
「…………」
カチャリと、ソーサーにカップを置いて、目を閉じた。きっとこの質問は想定の範囲内だろう。だけど、一緒に未来まで歩くには、これは絶対条件であって、何より知っておきたい内容だった。
私は過去のアザレアを知らない。何があったか。何が起こったのか。どうして逃げてきたのか。それは友達として知りたい。好きだから、あなたの重い過去を受け止めたい。
「他愛ない話です。私だけじゃありません。彼のもとにいるIPCは皆私のような態度を取るでしょう」
アザレアはその瞳を憂いたまま、過去の話を振り返り始めた。
◇
私は俗に言うメイド型のIPCでした。これは見た目通りですが。
目的はと言えば、プレイヤーたちのお世話をしたり、戦闘や家事を手伝ったり、やっていたことは様々です。
そんなIPCを買い集めている、と噂だったご主人さまの元へと私は買われました。
名前はノーハーツ。私のご主人さまです。
彼の物腰は表向きはとても優しいものです。仮面、とも言うべきでしょうか。見た目通りの優男と言ったほうが適切でしょうね。私と接しているときも、表向きはそのような態度でした。
ですが、本当の姿は紳士とは程遠い存在です。
彼はメイド型IPCを手中に収めると、自分の屋敷に招いてはバレないように暴行を重ねました。彼は現実でうまく行かないことをこうやってVRに持ち込んでは、ストレスをIPCへの暴力という形で発散していました。
もちろん、私もされたことがあります。IPCにはもちろん痛覚がありますし、HPだって無限ではありません。ですがリスポーン地点をご主人さまの元、ノーハーツのお城に設定していたが故に、死んでもなお暴行を受けます。
永遠とも思える時間でした。彼が満足行くまで痛いと叫んで、やめてと懇願して、それで1日が終わっていきました。
私たちは肩を寄せ合って、彼のご機嫌を伺うことにしました。感情がない私たちにとって、初めて生まれた感情は恐怖というものでした。
衣服も与えられませんし、食事なんて「道具には必要ない」との一点張りでした。私たちの安息の時間は、彼がログインしていない時間だけです。
やがて不満は高まっていき、一度は暴動が起こりました。数十人の編隊を組んで、ノーハーツの支配を脱しようとしましたが、それは無駄に終わりました。彼のスキルはその上を行く。例えIPCが束になっても勝つことはありませんでした。
支配構造はより確固たるものとなり、私たちを締め付けました。
私たちは考えました。どうすればここから脱することができるかと。全員は無理でも、1人だけなら、と。
「それでアザレアが選ばれたの?」
はい。入ってから比較的日が浅かったため、合理的に判断されたのでしょう。古くから彼のIPCだった者たちはもう精神が摩耗しきっていて、外に出てもすぐ捕まるだけだと嘆いていました。
作戦は決行されました。残りの子たちが暴動を起こし、私だけが逃げ出す。個のために全が犠牲になったのです。その時点で合理性もなにもありませんが。
ノーハーツの城を脱した私は、走り続けました。そうでないとまた捕まって、より最悪な状態へと変わっていくと思ったから。
私は他のIPCたちの期待を一心に背負っていたんです。でも途中でモンスターに襲われて、命からがらサベージタウンの廃墟エリアでリスポーンしようとしたときでした。レアネラさんに出会ったのは。
◇
「そんな、過去がありましたのね」
「本当に主人が別にいて、レアネラが主人じゃなかったなんて」
4人が4人、それぞれアザレアの過去を深く受け止めていた。そうして私に出会って、明るい感情を手に入れていったんだ。他のIPCたちに負い目を感じながら。
「だから見つかった時はもうダメだと思いました。だってみんなの犠牲が無駄になってしまうって思ったから」
「アザレア……」
「私は、こんなところで遊んでいて良かったんでしょうか。私は、もっとより良いことができたのに、それなのに…………」
後悔は後に立たず。前で待っていて、私たちの道を妨害しようとする。
私には重くて、消化しきれない内容だし、きっと彼女も重くのしかかっている内容なんだと思う。まだ子供だから解決策が浮かばないけど、それでも私にできることがあるとすれば、それは……。
私はそっと肩を寄せて、アザレアの頭を胸に乗せるようにして抱き寄せた。
「私は一緒にいる。何があっても」
「でも…………」
「何もできないけど、そばにいることだけは絶対やめない。やめたくない。だって友達だから。一緒にいるのが普通でしょ?」
私にできるのはそばにいることだけ。何があってもどんな手段を講じても、私は彼女のそばにいたいんだ。それは義務感とか守りたいとかそういう感情じゃなくて、友達として当然だってことだと思う。ツツジなりに言うなら、好きってことだ。
「ごめんなさい。ごめんなさい…………ッ!」
「大丈夫。アザレアは、あなたは何も悪くないよ」
彼女の声がギルド内に響く。ごめんなさい、なんて謝罪の言葉はいらない。ただ一言、一緒にいたいって思ってくれれば、私は満足だから。
細長い髪の毛を指で撫でながら、私は決意した。何があっても、アザレアのそばにいようと。例え私が勝負で負けたとしても、地面に額をこすりつけて懇願してやる。
――アザレアにふさわしいのは私だってことを。
性暴力は流石にしていませんでしたが、
センシティブ機能がなければ、あるいは……。




