月の姫(10)
フラウ・ダートル…彼はリヒトゲーニウス王国の準男爵であり、また"表向き"は生粋の商人だ。
そんな彼が住まう屋敷にアポラウシウスとフィートが来たのは、養子縁組を行う為であった。
『この人がフラウ・ダートル…』
談話室に案内されたフィートは、向かいに座るフラウをジッと見つめた。
黒髪をオールバックに纏め、紳士服を身に纏った出立ち、加えて妙に目が行く赤色のネクタイ。
中肉中背な体つきで人の良さそうな顔をしている。
やはり貴族と言うよりは、どう繕っても商人に見えてしまう。
ひょっとすれば、それを繕う気も無いのかも知れない。
フィートの右隣に座るアス・トゥート準男爵…もといアポラウシウスが言った。
「こちらでの事業は順調そうですね」
フラウは恭しく会釈する。
「はい、お陰様で上手く行っております。上級貴族の方々から贔屓にして頂き、社交界の情報も随分と収集出来ました」
「ふむ、それは後で報告を聞きましょう。それよりもフィートさんとの件が先です」
頷くフラウは、ソッと書類をテーブルに置いた。
「はい…既に書類の方は準備済みです」
「フフッ…相変わらず準備が良いですね。では私は忙しいので、フィートさんを任せますよ」
そう告げたアポラウシウスは立ち上がる。
「え?! マスター…私を1人置いて行くのですか?」
これにフィートは慌てた。
今まで一握りの人間としか接触しておらず、その中でアポラウシウスが一番親しかったからだ。
「1人って…フラウが居るじゃありませんか。これからは彼が貴女の養父となるのですから、何か有るのなら彼を頼って下さい」
などと言ってアポラウシウスは背を向けてしまった。
「そんな……急に…」
半ば唖然とするフィート。
今までの関係は一体何だったのか?…そんな怒りにも似た情動が胸中を満たした。
片やアポラウシウスは、何の情動も抱いていないかの様に続ける。
「さて、私は此処に来た序での仕事を済ませます。フラウの報告は後日聞くとしましょう」
そうして足早に部屋を出て行くのだった。
落胆し項垂れるフィートへ、フラウは優し気に告げた。
「そう落ち込まないで下さい。ああ見えてマスターもお忙しい方ですから…ですから私が選ばれたのでしょう」
「……? どういう意味ですか?」
「私は上級貴族相手に家庭教師業を営んでおります。”教える事”に於いて、私の右に出る者は少ないでしょう。つまり…」
食い気味にフィートが続いた。
「つまり私に今の世の常識を教えてくれると?」
頷くフラウ。
「そうなりますね…ですが、それだけでは有りません。多種多様な職に関しても教える事が可能です。と言っても専門家に比べれば劣りますけどね」
「……」
フィートの中で色々な思いが巡った。
裏切られたような気持ち、信じたい気持ち、それらの感情を越えた思考が彼女を冷静にさせる。
「……きっと意図や何か理由が有るのでしょう?」
「はい…」
「なら良いです。私は大人しく此処で生活するとします」
「……そ、そうですか」
フラウは目の前の少女に驚きを隠せなかった。
この年齢の少女が普通ならば、これ程に聞き訳が良い筈も無いのだ。
見るに人間らしい情動も有るが、それは極めて希薄。
尚且つ制御する自制心も備え、実に大人びていると言える。
しかし反面的に全てを諦めたような雰囲気…傍に居るこちらが居た堪れなく思えた。
『やはり封印されたとは言え、王族の魂が影響しているのか? いや……』
推測しようとした自分を慌てて止めるフラウ。
そんな権限など自分には無いのだから。
兎に角は、目の前の少女が健やかに暮らせるよう、自分は最善を尽くさなければ為らない。
「さぁフィートさん、貴女が暮らす屋敷の中を案内しましょう。それに使用人たちも紹介しますよ」
「はい、分かりました」
そう返したフィートは、その声音に殆ど抑揚が籠っては居なかった。
『やれやれ……これは苦戦しそうですね』
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
一週間程が過ぎ、ダートル邸での生活も慣れてきたフィート。
その間、アポラウシウスは一切訪ねて来る事は無かった。
『以前は週に1、2度は会えていたのに……』
本当に捨てられたのではないか?…そんな不安ばかりがフィートの脳裏を巡る。
「フィートさん…」
テラスで呆然と佇むフィートへ、フラウが心配そうに声を掛けた。
「私は大丈夫です。以前の事を考えれば、ここは天国の様な場所ですから」
素っ気ない返しのフィートに、苦笑いを浮かべるフラウ。
「それは生活環境が…と言う事でしょう? 心が満たされていないのなら、それは決して健やかな生活とは言えませんよ」
「……今の私にどうしろと?」
何も見返りを求めず、手を差し伸べてくれたのがアポラウシウスだった。
そんな彼はフィートにとって恩人以上の存在であり、もう今では唯一の心の拠所でもあった。
なのに自分は何も返せていない上、会う事も儘ならない。
だからと言って子供のように駄々をこねて、周りに迷惑を掛けたくも無い。
故に今のフィートは、完全な手詰まりな状況に陥っていたのだ。
「貴女は人として幸福な生活を送らねば為りません。それがマスターの願いなのですから」
そうフラウは告げると、懐から出した手紙をソッとフィートに差し出したのであった。
楽しんで頂けたでしょうか?
もし面白いと感じられましたら、↓↓↓の方で☆☆☆☆☆評価が出来ますので、良かったら評価お願いします。
続きが読みたいと思えましたら、是非ともブックマークして頂ければ幸いです。
また初見の読者様で興味が惹かれましたら、良ければ各章のプロローグも読んで貰いたいです。
なろう作家は読者様の評価、感想、レビュー、ブックマークで成り立っており、して頂ければ非常に励みになります・・・今後とも宜しくお願いします。
〜「封印されし魔王は隠遁を望む」作者・おにくもんでした〜




