1316話・失意の夜明け
柔らかな木漏れ日のような光と、優しい暖かな微風がプリームスの頬を撫でた。
いや、それは随分と前から触れていたに違い無い。
何故ならプリームスは、ある時の記憶から一切何も思い出せないからだ。
『どれだけ眠ってたのか……』
極度の魔力消耗と脳への負荷が、自分を深い眠りに就かせたのは間違い無いだろう。
問題は、どれだけ眠っていたかである。
『兎に角は起きないと…』
皆が心配している筈だ。
気怠くて力の入らない体を何とか起こそうとする…しかし目を開けるのも難しい。
『やれやれ…こんな情けない有様は、精霊化を使って以来だな』
何にしろ起きる努力をしなければ、いつまで経っても起きれる気がしない。
なので先ずは寝返りを打ってみる事にする。
これは仰向けだったので然して難しくは無かったが、顔と手が柔らかな物に触れて驚く事に。
『おおぅ! これは!』
紛う事なき女体の柔らかさと察する。
しかも出る所は出ているが、まだ成長途上を感じさせる感触…。
「あぅ…?」
プリームスが胸の谷間にガッツリ顔を埋めた所為か、褥を共にしていた相手が声を漏らした。
そして直ぐさまプリームスが目覚めたと気付き慌てる。
「プ、プリームス様!!」
「うぅ……アグノス…」
声でプリームスは確信した…と言うか、触れた体の感触で既に分かっていた。
「良かった……もう目覚めないかと…どれだけ心配したか」
まだ目を開けられないが、アグノスが泣いているのをプリームスは感じた。
「ごめんね心配かけて……私…どれだけ眠っていたの?」
「……今日で丁度、1ヶ月になります」
とアグノスは少し言い淀みながら答える。
プリームスの反応が分かっていた為だ。
すると案の定、プリームスは驚愕して声を張り上げ…られずに、かすれた声を漏らして硬直した。
「な、何っ………」
「プリームス様…無理を為さってはいけません。落ち着いて下さい」
アグノスはソッとプリームスを抱きしめて言った。
『あぅあぅ…柔らかくて暖かい…』
それに仄かな良い香りがして、ウットリしてしまうプリームス。
お陰で力みが抜け、落ち着きを取り戻したのだった。
ホッと胸を撫で下ろすアグノス。
そして抱きしめたまま、あやすように告げる。
「プリームス様…この1ヶ月間、貴女様が困らぬよう皆で協力して、問題となる事は全て処理致しました。ですから何も心配する事は有りません」
「うぅ…? 皆んなで?」
「はい…永劫の騎士だけでなく、武國の皆さんも総出で協力してくれましたよ。と言っても、そもそもが武國の事なので当たり前ですけど…」
『総出…』
プリームスの脳裏に幾人もの人物が過ぎる。
「ごめんね…大変だったでしょうに…」
武國は既に武王デンを失い、国の統率は至難を極めた筈。
そんな時に1ヶ月も眠っていた自分が、もどかしくて為らなかった。
「いえ…武國の負債を全て背負ったのはプリームス様です。その苦労に比べれば全然大した事はありません」
「……」
武國の負債…言い得て妙とプリームスは思えた。
確かに自分が武國を訪れていなければ、またギンレイに関わっていなければ、武國は魔神王に滅ぼされていただろう。
そう、正に負債…しかも破綻する事を前提に武國は存在していたのだ。
ならば結局のところギンレイは、自分が関わる云々関係なしに命を落とす運命だったのだろうか?
『今更何を…』
仮定の話など何の意味も成さない。
只々、後悔ばかりが募るたけたった。
「プリームス様…」
触れ合っている所為か感情が伝わってしまい、アグノスが心配そうに名を呼んだ。
「大丈夫…」
本当は大丈夫などでは無かった。
ギンレイの事を思うと今にも泣き出しそうで仕方ない…それでも努めて微笑んだ。
悲しんでばかり居ては、身を呈して武國と自分を救ったギンレイが浮かばれない。
『ギンレイを弔ってあげなきゃ……』
弔いは死者を悼む為の物だが、残された者が死者との別れを果たす儀式でもある。
そうして漸く意識的に区切りを付けられるのだ。
「アグノス……ギンレイの葬儀をしなくちゃ…」
弱々しく言葉を溢すプリームスに、アグノスは言い淀みながら告げた。
「プリームス様…その…お伝えしなければ為らない事があります」
「え…?」
そんなに憚る事なのかとプリームスは不安になってしまう。
自分にとって現状は、これまでに無い程のドン底に在る。
それを覆す位に酷い話なのかと勘繰ったのだ。
「あ…申し訳ありません、変に不安にさせてしまいましたね。只、決して楽観的な事では無くてですね…その根本的に問題が」
回りくどい上に要領を得ないアグノスの言い様。
益々プリームスの不安が膨らむ羽目に。
「はっきり言って欲しい。もう落ち込んでいる場合じゃないし…だから気にしないで話して」
アグノスは覚悟を決めたように深呼吸をして、徐に話し出した。
「実は…」
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プリームスが1ヶ月ぶりに目を覚まし、永劫の騎士だけでなく武國の中枢までもが騒然となった。
それも当然だろう。
プリームスは武國を魔神王の脅威から救った英雄なのだから。
また武王の最終候補となっていたタトリクスが、実は聖女王の偽装した姿だった事も起因している。
武國からすれば次期武王が昏睡状態で気を揉むのも然る事乍ら、南方の軍事強国の王を害してしまったに等しいからだ。
もしプリームスが目覚めなければ、永劫の王国から武國への責任追求は免れない。
下手をすれば報復戦争へと発展していただろう。
〜〜武林館・大宗師大所〜〜
ジズオは執務席の椅子へ深く身を預け、長く溜息をついた。
救国の英雄もとい…聖女王への謁見を一番に望んでいたのだが、その許可が下りなかった為だ。
そんな"元"同僚へズィーナミは、椅子に腰掛けながら言った。
「ジズオ大人…仕方なかろう。聖女陛下はお目覚めになられたばかりだ、今は絶対安静なのは当然だ」
「分かっています…」
そこまで言ったジズオは、少し恨めしそうに尋ねた。
「そう言う貴殿は私に何用ですか? 永劫の王国に鞍替えした貴殿が、私の悩んでいる姿を見て笑いに来たのですか?」
「そんな訳が無かろう…儂がジズオ大人に会いに来たのは、アグノス王妃殿下から預かった物を渡す為だ」
そう返したズィーナミは、ジズオの前へ書簡を置いた。
「アグノス王妃殿下から?!」
謁見の許可を下ろさず、なのに密書を突き付けるなど嫌な予感しかしない。
だが密書を確認したジズオは、それが杞憂である事に目を見張ったのであった。




