第七話『生きてこの世は出られない』
久しぶりです。
是非、よんでけろ
窓の外を見る。雨、が降っている。
雨の日であるからもともとじめじめした嫌な空気が漂っているのだが、学校の中には人がたくさんいるので、殊更に湿度が私を懲らしめにかかる。
雨の日の教室は暗い。太陽が雨雲の向こうに隠れただけでこうも明度が落ちるのか。と、私は雨の日の教室にくるたびに驚かされる。
私は湿度も暗澹も好きではない。なので、私を懲らしめるに雨の日の教室というその両方の要素が入り混じった空間は覿面であった。私は机に肘をついてぼおっとしている。動けば動くほど体に水滴がつくような気がするのだ。それも生温い水滴が・・・!
なのでこのような日、私は自分から動くことはまずしない。無駄な労力を使うこともしない。頭を使うこともしない。それでも学校に来ているのは、シロの強い後押しと、学校に来るだけであれば頭を使う必要はないという揺るがぬ事実の賜物である。これらが無ければ私は今頃こんな所にはいない。恐らく家で、お気に入りのTV番組でも・・・いや、家に居たところで、寝ているだろうな。
私ったら、自他ともに認める壮絶な雨嫌いなのである。雨は、いやだなあ!
☆★☆
「あの映画、見たかい?」
「見てないねえ、面白いのかい?」
「それがね、私も見ていないんだ。だけどね、面白いらしい。どうも。」
「そうかい。ふむ、ところで・・・その映画の主人公の名前、なんてんだい?」
「どうしたんだいだしぬけに。そうだね・・・よく覚えておらんが確か、ダチだかタチだかそんな名前ではなかったか。そんなことを気にして、一体どうしたというんだい。」
「いや、なんとなくだが。」
「どれもちがう。『ゴンザレス』だ・・・。」
いきなり第三者の声が響いた。重苦しく、その場の会話の空気を搦めとるには十二分。といった声であった。二人で会話をしていた女生徒のペアは大変びっくりした様子で声のする方を徐に見た。
「・・・なんなんだい。一体。」
するとそこには、驚くほど顰め面の女子が鎮座している席があった。女生徒はぎくりとした。――・・・誰だ、こいつ。――それが女生徒の素直な感情だった。何故ならその女子とは顔を合わせたことも、まともに喋ったこともなかった。だのに、その女子は容赦のない重苦しい言葉を彼女らの会話の外から被せてきた。
女生徒は暫時頭をひねった。うーん、ほんとに誰だっけこいつ・・・。といった苦悶の表情でその場に立ち尽くすこと二十数秒。女生徒の頭に去来する名前があった。
・・・十、露美・・・!
十露美!たしかこいつ、ヤンキーじゃないかい!いつの間に目をつけられていたんだろう、おっかないなあ!女生徒はあからさまに後ずさりをする。
――なんだって私が、こんな目に合うんだ!勘弁しとくれーッ!
☆★☆
さっきから聞いていればこいつら、ダチだのタチだの好き勝手言いやがって。
恐らくこいつらが話しているのは映画「優曇華之華」の事だろう。ここ数日日本中で物凄い興行収入を叩き出している、新進気鋭の若手監督が主となって作成したアニメ映画だ。マスコミ・ネットでの評判も良い方向に厚い。なのでこのような普段映画などには無頓着そうな輩がわざわざ雨の日の教室で語り合う「映画」といえば、現在日本中で最もヒットしている映画「優曇華之華」の事であると見て外れてないだろう。
かくいう私も、世間のその映画に対する余りの信頼にあてられ、見に行った。
正直、良かった。あの映画は好きだ。
なので、許せないのだ。主人公の名前など、大事な部分をいい加減にして忸怩の念も抱かぬようなやつは。
主人公の名前はダチでもタチでもない!ゴンザレスだ!
私は胸を張ってそう主張したつもりだったが、めっっっちゃ嫌がられた。
まあ確かに私はちょこっと怒っていたけれど、大半は親切心からの誤認指摘であるのに、この女たち、嫌がりやがった。
そうすると、私の表情態度がまずかったのだろうな。とは想像がつくところである。
表情を繕おうとはするが、生憎今日は雨である。私の機嫌は頗る悪い!
表情を繕うことはできない。そう思った私はふんすと鼻を鳴らしてとりあえずはまたぼぉっとし始めた。何も考えなーい。雨の日はこれが一番やね。
そうしているといつの間にか女生徒たちは私の周りから消え去っていて、私は一安心した。危機は去った!
私は座席にふんぞり返って暫し達成感に打たれた。自分の力で何かを成し遂げるというのは気持ちのいいことではないか。
そうしていると不意に、後ろから気配がした。空や華怜の気配ではない。
だれだろう。そう思って振り向くと、そこにいたのはマスクをした明らかに根の暗そうな男子だった。彼は私が振り返ったのを確認して、ゆっくりと云った。
「雨の日は、世界が開くのさ。十、だっけ?君の名前だよ。」
私は思った。
め、めんどくせええのが来たあ!よりめんどくせえのが!
☆★☆
――で、僕は思ったわけだけだよ。ラジオってあるじゃないか。あの、電波に乗せて音などを飛ばす、そうそう。そのラジオだ。放射線の方じゃないよ。英語の綴りはradioだ。でだ、僕は思ったわけよ。ラジオで音波が飛ばせるなら、僕の呪詛だって電波に載ってくれるんじゃないのか?それで、葉書に書きまくった。僕の呪詛をね。適当なラジオ番組の投書コーナーに送りまくったさ。やれることは全部試した。赤属性呪詛から瑠璃属性呪詛まで、全部送った。ん?何円かかったかって?そうだね・・・六千円くらいかな・・・?
まあ、僕の呪詛は世界を救うのだから、大した出費じゃあない。
それで、僕の呪詛が見事電波に載ったのは昨日の話だ。あるラジオ番組。これも、僕が無差別に呪詛を送った番組の一つなのだけれど、そこのパーソナリティーがね、「リスナーからの質問コーナー」で、高らかと読み上げてしまったのさ。僕の、黒属性呪詛「アガルタ・ダアクネス」をね。あのパーソナリティー、今頃怪我してなきゃいいけど・・・。
まあこれで、電波に呪詛が乗るという歴史的事実が確認されたわけなのだけれども、これはきっと白日の下にさらされてはいけない技法だろうと思う。だって危険すぎるじゃあないか。見たところ君は僕と同じ「影」のにおいがする。そこで君に聴きたい・・・。どう思う?十。この力は、むやみに使ってもいいのだろうか?
「・・・知らん」
私は短く答えた。
この長広舌不審男の名前は田辺。下は知らない。
先程いきなり私に声を掛けて来たかと思えば礼儀だけは弁えているのか先ず名を名乗っていきなり話を始めた。酒でも飲んでいるのかという勢いだ。そしてそのすべてが何処をとってもまず論として成り立っておらぬことは明白な様な、中学生じみた妄想ばかりだった。
それにしても、長かった。
途中から聞くのも嫌になり、最後意外なことに私に質問が飛んできたので、「知らん」と答えた。私としてはバッサリ切ったつもりである。
しかし、見たところ、この男、挫けていない・・・。
寧ろ目を輝かせたように見える。
「夜空の後には朝日。雨の後には虹。呪詛の後には死体なんだ。わかってくれるか。十。」
田辺は一気呵成にそんなことをまくしたて得意満面である。
まるで話が通じていない。
ここは高校だ。私は義務教育の機能不足を確認した。
☆★☆
「つゆちゃんたいへんだったねー」空がゲラゲラ笑う。
「わらいごとじゃねえ。怖かったんだぞっ!最早。」
「笑い事ではないですか。笑い事以外の何なんですか。それ。」華怜もくくくっと笑っている。
「しかしあんな中二病?いるんだな。びっくりだよ。」私は軽く言った。
「そりゃあどこにでもいます。今の日本、そんな奴だらけですよ。」
「んなわきゃねーよ。あんなのだらけでたまるか」
「それもそうだよねー。」空が軽く言う。
すると華怜が徐にPCを取り出してニヤッと笑って言った。(華怜は情報収集のためと称して小遣い全てはたいて買ったPCとWi-fiを常に肌身離さず持っている)
「そういうやつって大体わかりやすいSNSアカウントがありますよね。覗いてやろう。」
「おっ、文明の利器」
「そんなの、簡単に探せるの?」
明らかに個人のプライバシーを踏み荒らす行為であるのに、ここで誰も反対の色を示さないのが負け犬ガールズの負け犬ガールズたる所以である。
「簡単ですよ。十さん、そいつは、『黒色呪詛』と言っていたんですよね?」
「ああ。」私は答える。確かに田辺は、「黒色呪詛」という言葉を口にした。
華怜の細い指がカタカタとキーボードをたた叩き、「黒色呪詛」と打ち込まれる。心地のいい音だ。
「あ、ほら、出てきましたよ。アカウントがたくさん。」
「うわ、すげえ」「すごおい」
私は驚嘆の念を禁じえなかった。中二病ってこんなにたくさんいるのか?華怜の論もあながち間違いではなく、日本は今中二病ブームなのかもしれん。
「うーん、出てくるアカウントが多いですねえ・・・、ほかにキーワードはありませんか」
華怜が頭を掻きながら言った。
私は一つ閃くことがあったので、言ってみた。
「そうだな・・・『ラジオ』を検索に付け加えてくれ。」
「了解」
また空の指がカタカタとキーボードをたたく。路傍で三人でPCを囲む。傍から見たらこれはどんな光景だろうか。あまり目にいいものじゃないだろうな。と私は思った。
「ああ、五つ、アカウントが出ました。P.N.、IDの順で上から読み上げますと、
わかち@エクソシスト好き @develop_wanderlust
悪魔祓士小宮 @aint_aint_aint
蜃気楼のあいつ @fatafata_wang
エクソリスナー@アガルタ @agaruta_tanabe
ふぉんた @islandingerman_danger
という感じですね。どうですか十さん。わかりますか?」
わかりやすいなあ。と私は呟いて指さした。「上から四番目」
「ほう。入ってみましょうか。」
カチッとクリック音が鳴り、PCの画面に「エクソリスナー@アガルタ」のプロフィールが映し出される。
『エクソシスト/ボーカロイド/歌い手/絵師修行中/まだ高校生/ラジオリスナー』
と自己紹介文にある。
そして直近の投稿が、『下校だ。今日はつかれた。六限に体育はこたえる』となっていた。
「ほう、私たちの時間割と合致するではないですか。」華怜が言う「然し、確たる証拠にはなりませんね、念のため他のアカウントも見て回りますか。」
「いや、いいよ。そいつのID、@agaruta_tanabeが答えになる。」
「えーっと、あがるた、あんだーばー、たなべ?」IDを音読した空が不思議そうに言う。「これが何なの?」
私は種明かしをするマジシャンのように得意に言って見せた。「いままでお前らに話していた中二病、同じクラスの田辺ってやつなんだ。それに奴はラジオを聴いていると言っていたし、アガルタなんちゃらってのも本人の口から聞いたような聞かなかったような・・・」
「あ、いましたね。そんなの」「いたいた、いたよ」一同納得。
「成程、それは証拠になりそうです。じゃあ、このアカウントに絞って覗いてみるとしましょう。」華怜が画面をスクロールし始めた。田辺(と目されるアカウント)の投稿が次々と映し出される。
『呪詛が届いた!』
『果物ナイフとは小回りが利いてよい』
『絵をかいてみた』(あまり上手では無い絵が画面上に現れたが、皆、見て見ぬふりをした。)
『学校に行きたくない』
『呼吸をするんだよ。呼吸をすることが、許されているうちは・・・。』
『やっぱり行きたくない』
「・・・つまんね」空が突然言った。
堰を切ったように私たちの中の緊張感が解け、華怜は無表情でPCを仕舞うと、「帰りましょうか」と言った。
「そうだな。」と私は言った。
私たちはみんな見てはならぬものを見てしまったような感覚にとらわれていたのだと思う。結局、三人は口を利かず、下校路を下って行った。
『呼吸をするんだよ。呼吸をすることが許されているうちは…』
期待していたような恥ずかしい文言も特になく、注目すべき言葉も何もない中、私は何となく、この文言は好きになれた。力強い言葉ではないか。と素直に思った。
喉に手を当てる。
私は今、呼吸できているだろうか。雨は昼のうちにあがってしまって、今は降っていないが、朝の私は雨に呼吸を阻まれていたように思う。
雨が降っているからと自分の殻にとぢこもり、出てこようともせず。
私はいま一度自分の呼吸を確かめる。
ちゃんと呼吸はできているか。頭は晴れているか。笑顔は作れるか。
少なくとも呼吸のできるうちは、呼吸するのだ。死ねば呼吸はできない。生きてこの世は出られない。
そこまで考えて、きづいた。
――傘、学校に忘れた。
雨がしとしとと降って来た。空と華怜はもう走り出していた。
半笑いで私はそれを追いかけた。待てよ。
☆★☆
夜、食卓に着いて、私は考えていた。
そもそもの話、田辺はなぜ私に話しかけてきたの?
「それは、お姉ちゃんが好きだからでしょう」
「それはない。」
私は一蹴する。シロにも事情を話して考えてもらっているのだ。
「じゃあ、お姉ちゃんを同胞とみなしたんだよ。中二病?ってそういうの好きでしょう」
「それは嫌だな・・・。」
実は私の中には考えがあった。それがまとまらないでいるので、他愛ない会話を繰り広げているのだ。
不意にシロが言う。
「そういえばお姉ちゃん、このまえ『優曇華之華』見て来たでしょう?」
「ん?ああ。」
「私も、今日見て来たよ。おもしろかった~!なによりもね、タヂがかっこいいの!頭いいし、優しいし、強いしで」
「ああ・・・あ?」
違和感。
違和感が走った。
今、シロはなんといった?タヂが格好いい?誰だそれは。
「『優曇華之華』の主人公はゴンザレスだろう?何を言ってるんだ?」
私は首を傾げた。
「えっ?だれそれ」
シロは首を傾げた。
――つまり、私の嫌な「予感」は的中したのかと思い至るまでに時間はかからなかった。
☆★☆
要するに、私の見た映画は『優曇華之華』では無かったのだ。
そう考えると、タヂとゴンザレスの謎には決着がつく。
あの女生徒は、ダチとかタチとか言っていた。どちらも、ゴンザレスよりはタヂに近い。つまり、そういう事なのだろう。
そしてそれが何故田辺が話しかけてきたことにつながるのか。
問題はSNSで五つのアカウントを打ち出した時の、五つのアカウント名だ。確か、
わかち@エクソシスト好き @develop_wanderlust
悪魔祓士小宮 @aint_aint_aint
蜃気楼のあいつ @fatafata_wang
エクソリスナー@アガルタ @agaruta_tanabe
ふぉんた @islandingerman_danger
という感じだったと思うのだが、ここで違和感。
やけに、エクソシストが多くないか・・・?
三番目と五番目のアカウントは問題外だが、それ以外のアカウントはエクソシスト成分を含有した。悪魔祓士とはつまり、エクソシストの事だろう。
そして極めつけは、田辺(と目されるアカウント)のプロフィールだ。
趣味を羅列する欄に。奴はエクソシストと書いていた。「エクソシスト」というコンテンツ乃至は作品が存在するという事だろう。
そこから導き出される結論は、こういうことにならないだろうか。
「黒色呪詛 ラジオ」という共通の言葉の検索で出てきた五つのアカウント。
そのうち三つのアカウント名が「エクソシスト」を含む。つまりは三つのアカウントが「エクソシスト」という共通の趣味を持つ人物により運営されている。
では、エクソシストとはなんなのか?
文明の利器登場。検索してみた。
結論から言うと、アニメ映画だった。
「Exorcist~盲亀の浮木~」というあまり売れていない映画だ。
調べていくと、その敵キャラの使う技の名前が「呪詛」であることが解った。
極めつけは、主人公の名前が、「ゴンザレス」らしかった。
そこにあった設定などには、私も見覚えがあった。私が面白いと思ってみていた、あの映画の設定と同じではないか。
私は「優曇華之華」を見るつもりが間違ってこっちを見ていたようだ。呆れた。
つまり、田辺は「Exorcist~盲亀の浮木~」の熱意あるファンで、日常に支障をきたすレベルで影響を受けていて、教室で「ゴンザレス」と唸った私を同類とみなし、話しかけてきた。向こうは最初っからこっちがその映画に詳しいと思って話しかけてきているから、マニアック方面の話をするし、私は私でその映画を見た自覚は無いので、情報伝達が上手く行かなかった。だから、話が通じなかったのだ。
なんだ、シロの言う通りじゃないか・・・。私は同胞とみなされていたのか。
大きくため息をついて、ふと文明の利器の画面に目を戻すと、そこには「スタッフ紹介」のページが映し出されていて、監督の言葉が乗っていた。
『夜空の後には朝日。雨の後には虹。呪詛の後には死体。そういう単純明快なお話です。是非、ご賞味ください。』
――丸パクリじゃないか!田辺!芸がない!
私は唸った。
これは恥ずかしいなあ。私も、田辺も。
できることなら記憶から消し去ってやりたい。いっそ雨が降ってきて、ざあっと流してくれないだろうか。頭の中に、ざあっと降ってきて。記憶をさらう。それでお願い!と私は強く思った。
でも、無理なことだ。記憶は、マインドは、消えない!
死ぬまで消えない!
そこで私は「お」ときづいた。
記憶は死ぬまで消えない。逆を言えばどうだろうか。
死ねば消える!
よかった!寿命が来るまでの辛抱じゃないか。どちらにせよこの話は私と田辺しか知らんし、墓場まで隠し通すのもそう難しい話ではないだろう。
よかったな。田辺。記憶は我々が漏らさない限り漏れないぞ。
じゃあそれまでせめてお前の言う、「許されている限り呼吸を」しようじゃないか。
死ぬまで吸ってはいて吸ってはいて・・・。
どのみち、リタイアが来るのだ。
どのみち、生きてこの世は出られない・・・。
じゃあ隠し通すんだぞ田辺。それしかない。それしかないぞ。田辺。
二人だけの、秘密だ。
よろしくです