表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/13

第2章 小さな夢を叶えに(1)

第2章 小さな夢を叶えに


 景色が流れていく。水田が広がる田舎の景色。点々と存在する一軒家。景色は枠の中で動いていて、それは車窓だ。しばらく景色は続いて、やがて現れたのは巨大な山。山頂はまだ雪が積もっているのか、白く、麓には樹海が広がっていた。車窓いっぱいに見えたのは、大きな富士山だった。揺れの少ない車内。座席シートが並んでいて、それは新幹線だと分かった。飛ぶように過ぎていく景色の中、富士山から目線はそれて。


「ほんっとにごめんね桜」


その声で、はっとした。


 私ったら親友を前にして夢を見てるなんて、よほどの寝不足だろうか。まぁ、最近石崎君から連絡がある度に目が冴えるから仕方ない。もっと仲良くなれたら富士山見に行くのもありだよね。きっと綺麗なんだろうな。一度でいいからこの目で見て見たい。あ、でもそれは泊まりになっちゃうかって、何を考えてるんだ私は。


 肉の乗った網を前にして、顔の前で両手を合わせているのは咲だ。髪を1つに結い、眼鏡を掛けている姿だけを見るとバリバリのキャリアウーマンである。咲が会社に入ったのは私と同じ時期なはずなのに、既に4、5年働いているように見えるほどだ。そんな咲は焼肉屋に入って落ちつくなり謝罪してきたのだった。


「光輝のお迎えどうしても行かなきゃならなくて!」


「まぁね、光輝君まだ保育園だし? 仕方ないったら仕方ないんだけどねぇ」


母親の再婚相手の連れ子、だったっけ。元々咲の母親は高校生の時に咲を産んでいると言う事もあるし、再婚相手が年下と言う事もあり、咲と光輝君はかなり年の差がある兄弟と言う事になる。母親は光輝君のためにとバリバリ働いており、職場が光輝君の通う保育園に近い事から咲が迎えを頼まれる事も多く、ドタキャンも日常茶飯事だった。もちろん仕方ないし納得もしている。


「でもぉ、ほんとに楽しみにしてたしぃ」


と語尾を伸ばしながら細目で咲を見ると、咲は鞄の中で財布の中身を睨んでいた。


「食事代3分の2負担でどうだ!」


指示待ちする犬のように真剣な目で見てくる咲に、こらえきれずに吹きだした。


「うっそー。今日は割り勘でいいって」


「え、なんで? 頭でも打ったの? 変な物でも食べたの? 大丈夫?」


「本気で心配するな」


と、咲の頭に軽くチョップしておく。


 気前よく割り勘でいいとこちらから言ったにも関わらず、本気で心配してくるとは、なんて失礼なやつだ。まぁ、今回に関しては正直石崎君と出会えたっていうのもあるし、ドタキャンのペナルティは大目に見てやろうと思った。そんなことを知らないからびっくりするのも納得と言ったところなのだが。


「ほんとに!」


石崎君の事を聞くなり咲がお箸から肉を落とした。一気に周囲の客の視線が集中して、知らないフリをしながら肉をひっくり返す。


「まっさか、この食欲でできたような桜に男の影が現れるなんて! 明日桜全部散ってるんじゃないの?」


「あのねー、紛らわしいから桜の花って言ってくれる? それに散りませんから。私だって、本気を出せばこれくらい」


本気でレジ袋隠したあの日を思い出す。


「でも、向こうは桜の食欲については知らないわけでしょ?」


「ま、まぁね」


「そこ! そこが甘いのよ桜は!」


また声を張り上げる咲に、再び周囲の視線を感じて目を伏せる。


「あのね、もうちょっとボリュームを落として――」


「そういう大切な事を相手に言わずして切り抜けられると思う?」


最近気にしていた事を言われて押し黙る。


「隠してたって結局ばれるんだって。もしその石崎君と結婚でもしたらどうするの? 一生その食欲を隠して生きていくの?」


それは非常に困る。そんなことになったら私は毎晩寝静まった頃に冷蔵庫を訪ねていかなくちゃいけなくなるわけだし、夜食をほおばる姿を見られるなんて考えるだけで嫌だ。


「って、まだ会ったばかりだから結婚なんて!」


「わっかんないよー。もしかしたら一年もしないうちにゴールインかもね。その時は結婚式呼んでね。もちろん、我が家のかわいい弟、光輝も連れていくから」


「もう、気が早いんだから。それに光輝君はまだ何がおいしいとか分からないんだから、ちょっともったいないって。もうちょっと大人になってから」


「いや、別に結婚式の料理の話をしてるんじゃないのよ私は」


「とにかく、結婚式は早いって話よ!」





 食事が終わると、私はそそくさと席を立ってレジに直行した。先ほどまで私達がいた席にはラストオーダーで頼んだ大量の皿が片付けられるのを待っているのだが、その量が尋常ではない。なぜこんなにお腹がすくのかよくわからない。高く積まれた皿の前に私がいたなんて目撃情報が会社で流れでもしたら一大事である。毎日持っていく小さなお弁当箱がまるで羞恥プレイだ。


「ほらほら、咲急いで」


一刻も早くこの店を出なければと焦っている私をよそに、咲はマイペースに財布からお金を出す。


「はい、私の分」


と、咲がお金を出した瞬間に何食わぬ顔で店を出たが内心ヒヤヒヤである。今日も誰にも会わなかったという安堵でまたお腹が空いてきそうだ。


「絶対逆に怪しいと思うんだけどな、私は」


咲が遅れて店から出てきたのを見て、私は持っていた財布を鞄にねじ込みながら答えた。


「あのね、こう言うのはスピードが大切なの。もたもたしてたら見つかっちゃうのよ。そしたら私のご飯の時間は毎回誰かに見られてからかわれて、それはもう悲しい人生になっちゃうの」


そうだ。もう二度と重箱とは呼ばせない。


「それはいいけど、桜、まだそのボロ使ってるわけ? いい加減買い変えたら?」


と、言われてから再度鞄の中の財布を確認する。確かにところどころボロボロになってめくれてきているし、桜の花びらが散ったような柄も色が落ちてくすんでいる。何年前に買った財布だったかは忘れてしまった。正直新しい財布を買う気が起こらない。


「あぁ、でもこれお気に入りなのよね」


「買った場所も覚えてないのに?」


「そうなのよ。買うなら同じ絵柄がいいかなーって、咲、あれ見て!」


私の目に飛び込んできたのは、食品サンプルのパフェが並んだファミレスだった。


「あの大きなパフェおいしそうじゃない?」


「いや、今さっき食べ放題で食べたからお腹一杯なんだけど」


「デザートは別腹って言うじゃない!」


「何十皿食べたと思ってんのよ。太るよ」


「いいよ太っても! せっかくここまで来たんだから行こうよ!」


ガラスの向こうに並んでいるパフェを見たら、食べずにはいられない。先ほどまでお腹の中を満たしていた肉は既にないし、食後のデザートも時には必要である。


「わーかった。私はコーヒー飲んでるから食べてて」


「そんなの私が大食いみたいじゃん! 咲も食べて! おごるから!」


「無理。私は絶対に無理!」


そう言う咲の腕を引っ張って、次のお店に入って行った。







 天気は快晴。桜が満開の今日は、絶好の花見日和。堤防には残念ながら桜の木は1本もないが、遠くに見える小学校を取り囲むように植わっている桜が満開なのが見えた。すれ違う人達はレジャーシートにクーラーボックス、中にはお弁当箱を持っている人もいて、お花見ムード一色である。今日は石崎君の夢叶えよう企画の初日だ。


 こまめに連絡をとってはいたが、会うのは夜堤防で会って以来初となる。正直緊張して昨晩はなかなか眠れず、今朝は四時に目が覚めてそのまま眠れなかった。


 ふと自分の身なりを再確認してみる。白いワンピースにジージャンを合わせたのだが、ワンピースの丈が短かったのではないかと今さら気になる。もう少し長くならないかと下に引っ張ってもみたが、一ミリも伸びない。こいつこんなにガッツ入れてくるとか引くわ、とか思われたら嫌だし、でもラフな格好をしすぎたら、やる気ねぇなこいつとか思われるんだろうなと考えてみると、結局これでも良かったのかとも思う。


「ごめん、待たせちゃったかな」


反射的に声の方を見ると、小走りで石崎君がやってきた。


 この前は夜だったこともあってよく見えなかったのだが、こうして昼間に、しかも間近で会うとその明るくて豊かな表情に頭が真っ白になった。先ほどの言葉に返事をしたくても何と言っていいか分からない。頭が麻痺したようにうまく働かなかった。


「もうちょい早く出れば良かった」


そう言って悔やしそうにしている姿を見ていても、とても同い年とは思えない大人っぽさがあり、何より心臓が潰れてしまいそうに痛かった。


「俺から誘っておいて待たせるなんて、ごめんね」


「ううん。私が早く来すぎちゃっただけだから」


正確には待ち切れずに1時間前からここにいました、とは口が裂けても言えない。


 石崎君は私をじっと見ると、口元に手を当てた。私の顔に何かついているのかと思って今朝食べた物を思い返してみるが、歯につきそうなものは特になかった。歯磨きだってしたし、と考えていたが、その視線は私の服に向けられていた。目だけで今日の私服を改めてみてみる。


 ま、まさか、短すぎ? 膝丈くらいにしておけばハズレは無いと思ってたけど、石崎君的にはいい年して若づくりしてんじゃねーよ的な感じなのかな。いや、とはいっても私まだ20代だし、まだまだ大丈夫のラインだと思うんだけど、それってあくまでも私の価値観の話で。


「ワンピース、かわいいね。すごく似合ってる」


数秒間全細胞が活動を停止した。鼻を擦りながら笑う石崎君とワンピースを交互に見てみる。


 ワンピースかわいいね?


「ま、まままままさか! そんな、その」


その意味を理解した直後、顔に全身の血液が集中してくるような感覚があり、咄嗟に俯いて視線を逸らした。顔が真っ赤になっている事は嫌でも分かるし、思わず手で顔をパタパタしそうになる。


 何この彼氏彼女みたいな雰囲気。夜の堤防で会ったのを除けばこうやって会うのは初めてだっていうのに、私何考えてんだろ。こんなに惚れっぽい女だったっけ。石崎君はただ服を褒めてくれただけなのに。


「夜だからよく見えなかったけど、昼間に会うと三上さんもかわいさ3倍増しだね」


3倍増し! おっと、何食いつきかけてるんだ。そんなわけがない。石崎君がもしかして私の事を、なんて何を考えているのか。そんなはずがない。違う違う。勘違いしたら絶対悲しくなるパターンのやつだ。


「あ、ありがとう」


私はこの笑顔に騙されないぞ。彼女がいなくても、こんなに素敵な人が私を好きになるはずがない。だって、私には恐ろしい程の食欲が。いや、考えるな、今は現実を見るな。でも、まぁ癒されるくらいならバチも当たらないよね。心が潤うくらいならいいよね。


「じゃあ、行こっか」


と、声を掛けられたが、正直頭の回転が遅すぎて返事が通常より数秒遅くなる。


 あぁ、もう私のバカ。今さら緊張してどうするの。このままじゃ私と一緒にいて楽しくなかった、なんて思われちゃう。せめて顔はあげなくちゃ。せめて目を見て話さなきゃ。よし、行くぞ。


 意を決して顔を上げて返事をしようとしたが、石崎君と目が合った瞬間声が出なくなった。あまりに素敵な笑顔で、胸が締めつけられる。返事をする前にこらえきれずに俯いた。


 ダメだ。笑顔がかっこよすぎてとても石崎君の顔を見て話せない。今日1日どうしよう。


「あ、三上さんこれ」


困り果てた私の視線に差し出されたのは5センチ程の小さな箱。一度石崎君の顔を見てみる。


「今日付き合ってくれるからさ、プレゼント用意してきたんだ。本当にちょっとしたものだけどね」

「そ、そそそんな! わ、私、そんな、ププププレゼントもらう程大層な事は」


嬉しさと申し訳なさが交互にこみ上げて、もう何回噛んだか分からない。噛んだことへの恥ずかしさなのか、石崎君と目が合ったことへの反応なのか、体感温度が急上昇している。


 笑顔の石崎君を見続ける事ができるはずもなく、箱に意識を集中する。グレーの箱は軽く、中に何が入っているのか一切予想ができなかった。


「開けてみて」


そう促され、箱が手から滑り落ちてしまわないように注意しながら箱に手を掛けてみる。手が震えて落としてしまいそうになりながら蓋の隙間に指を入れてみる。固く閉じられた蓋を引くようにすると、もう少しで蓋が開くというところで箱の内側から押し上げるような力を感じた。それが何なのか理解するよりも先に蓋は勢いよく開き、箱の中から何かが顔に向けて飛び出してきた。


「ぬあぁぁぁ!」


勢い余って放り投げられた箱は綺麗な放物線を描きながら宙を飛び、やがて軽い音を立ててアスファルトに着地した。蓋が開いたままの箱からは長いバネが飛び出しており、先端につけられた小さなヒヨコの人形が上下に弾むように揺れている。心臓が違う意味で暴れ、全身の筋肉が緊張していた。


「な、なななな……」


何を言っていいか分からず、口をパクパクさせながら箱と石崎君を交互に見るのが精一杯だった。


 石崎君は笑顔を浮かべたまま未だヒヨコが小さく揺れるびっくり箱を拾い上げて顔の横までもっていった。それから箱を小さく揺らして、ヒヨコの人形についているバネを強調する。


「びっくりした? 俺のお手製びっくり箱」


いつもの私ならそんなに仲良くなってないのに突然びっくり箱でからかうなんて信じられないと怒って帰ってやるところである。


 石崎君がびっくり箱を鞄に押し込むのを見ていると、唐突に彼は私の手を取って歩きだした。


「緊張解けた? ほら、行こう」


その言葉に、先ほどの不満にも似た気持ちは吹き飛んでいた。向けられた笑顔の中にはただ純粋な優しさが詰まっている気がした。からかってバカにする事も、笑い者にする事も無い。その証拠に、先ほどまでの私の緊張は消え失せてしまっていた。


「今日はどうしても一緒に来て欲しいパン屋があるんだ!」


正直今まで生きてきて初めてだった。男性と手を繋ぐのも、手を引かれるのも。大きな手が私の手を包み込むようで、温かくて不思議な気持ち。落ち着かないような、落ち着くような、嬉しいような、恥ずかしいような、どこか矛盾すらしているそんな不思議な気持ちだ。石崎君が笑っていて、それだけでとても幸せだなんて。


 子供の様に無邪気に進んでいく石崎君の隣へ小走りになって並ぶ。また押し寄せてくるであろう緊張に飲まれてしまわないように、まるで手なんて繋いでないみたいに冗談っぽく話しかける。


「あのね、びっくり箱余計に緊張するからね。そういうことは言ってからにしてよね」


「そうだなぁ。今度からはもっと人ごみでしてみようかな。驚いた声が面白すぎるから」


くくく、と笑いながら言われて、今さらかわいげのない声を上げていた事に気づく。


「ちょっと! ちょっとちょっと、絶対ダメだから!」


「え? ダメ? 絶対面白いと思うんだけど」


禁止される意味が理解できないとでも言いたげに真顔で尋ねてくる石崎君に私は目を細めた。


「ダメに決まってるでしょ」


「なんで?」


「だって可愛げがないし、こう見えても私だって女だし」


テレビでよく見る女性の悲鳴、きゃあ! なんてものはただの幻想だ。実際驚いたら誰しもドスのきいた声を出すのであって、そんな悲鳴を上げるのは大抵演技か、天使かの2つに1つである。とはいえやはり恥ずかしさと言うものはこみ上げるわけで。それも、石崎君に聞かれたと思うと穴があれば入る、どころではなく潜り込みたい勢いである。


「でも、俺はそんな三上さんも好きだな」


はっと石崎君を見上げてみれば、照れたような笑顔と目が合う。心臓がギュッと縮んで固くなった様な、一瞬本当に止まっていた様な胸の痛みがした。


 その好きは、人として好きってことなの? それとも……。


「ほら、早く行こう!」


私がそう考え始める前に石崎君がさらに大股になり、また手を引かれた。頬が緩みそうになってそっと顔を伏せた私は、手を引く腕に巻かれた黒い腕時計を見つけた。石崎君によく似合っている大きな文字盤の物。黒い大きな腕時計。文字盤が大きく割れた、腕時計を。


 どうして壊れた時計をつけてるんだろう。もしかして、壊れてることに気づいてないのかな。


「そこのメロンパンが評判らしいんだ!」


石崎君が今にもスキップしだしそうなほど楽しそうに言っているのを聞いて、私は前を向いた。


 でも、今はいいや。また今度聞けばいいよね。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ