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第11章 笑い方

第11章 笑い方


 長い黒髪をなびかせ、ヒールの音を響かせながら私は歩く。行き交う人々は私を纏う黒い煙を浴びようがどこ吹く風である。誰とも目が合う事も無いが、そんなものは日常だ。私の姿が見えるのは私が話しかけたか、私と何らかの関係性を持った者だけだから。


 大通りから小道へ、そして住宅街へ。そうして前方に見えてくる公園の入り口を捉えた。この黒い煙を薄める為に何度も通ったこの公園。石崎圭太が傷つく度に、私の煙は薄まった。そうやって、私は常に誰かの悲しみや苦しみを糧にしているんだと改めて考える。


 入口までやってくると、公園の奥で話している賑やかな男女を発見した。


「だから、大丈夫だって! 私が圭太の友達のことだって知ってるんだから!」


「でも、俺は何も知らないし」


「任せといて。絶対に私がフォローするから! だから、無くしちゃった分取り戻しに行かなきゃ」


賑やかなその女、三上桜が私を見つけて石崎圭太の肩をつつく。


「あ、来たよ! こんにちは!」


この二人が笑っている。その姿にどこか安心している自分がいる。一体、何を考えているのかしら。


「わざわざ私を呼び出すなんて物好きな人達」


安堵を悟られないように鼻で嗤ってやる。


「ご飯をごちそうするって名目だけど、それ以上にどうしても言いたい事があったんだ」


私が笑った事に動じる事も無く、石崎圭太は前に進み出るなり深々と頭を下げた。


「ありがとう」


「な……」


動揺したのは私だった。皮肉も、嘲笑も、何も出てこないのは初めてだった。


「あんたがいなかったら俺は桜とこうして一緒にいる事はできなかった」


三上桜もまた前に進み出て同じように丁寧に頭を下げた。


「圭太と一緒に私の命を救ってくれてありがとう」


思い出されるのはいつも人生が狂っていく人達ばかりだった。


 少年はいじめられていた。それでも成績だけは良くて、親には誉められていた。それなのに、私は自分が生きながらえたいがために彼の成績、それに直結する知識を奪った。私は彼のたった一つの笑顔を奪ってしまったのだ。それどころか、基礎知識を失った彼はこれから学歴社会で大いに苦労することになるだろう。誉められる事は無くなり、テストで良い点を取れると言う自信すらも失うのだろう。


 強い感情なんてものは一時の物。怒りにせよ悲しみにせよ、それが全てではない。私はその負の感情をその人間の全てになるようにそそのかし、その人間の人生を狂わせてきたんだ。


 何人にも私は力を与え、その人間の大切なもの、結果的にその人間が後に苦しむための物を奪ってきた。それでもそれは私が生きていくため。人間が生命を殺して生きていくように、私もまた人間の微かな幸せを殺して生きている。


 そう分かっていても、かつての彼らの笑顔は私の心を引き裂いた。




私が関わらなければ




私が力を与えなければ




私が




私が




私が、彼らに不幸を与えたのだ。




「な、何を言ってるの。私はお前達の不幸を利用して生きる事だけを考えてきたのよ」


怯えたような声が自分の耳から聞こえてくる。これが、私の声なの?


「圭太から全部聞きました。今の私にはその記憶は無いけれど、命を延長させて、未練なく私が死んでいけるように力を貸してくれた事も、何度も圭太を過去に送ってくれた事も、全部。今私がここにいられるのはあなたのおかげです。圭太と一緒に私を救ってくれて、本当にありがとう」


「過去で桜を救った時点で、大きく未来は変わったはずだ。あんたの事も、大学に入るまでの記憶が無い理由も、恐らく分からなくなっていただろう。でも、今俺には分かる。あんたは桜が助かることで起こる未来への影響を最低限に抑えてくれたんじゃないか?」


図星だった。いつもは放っておくのに、どうしても石崎圭太がまた苦しむのは見たくなかった。いつの間にか私は自分の力を使っていた。感情の波を無しに力を使えば、煙は一気に黒くなってしまうと言うのに。


「ずっと、後悔してきたんじゃないのか? 誰かを不幸にして生きてきたことを。本当は、人一倍誰かの幸せを願ってたんじゃないのか?」


「何言ってるの?」


そう言いながら私は二人に背中を向けた。地面に水滴が落ちていく。自分の目から零れ落ちているものだとようやく気がついた。




本当は笑っていて欲しかった。




幸せでいて欲しかった。




でも、幸せは私を生かしてはくれなかった。人を幸せにすればするほど、私は煙に飲まれていったから。幸せなんて続かない。だって人は慣れてしまうから。だから私は生きていくために人の幸せを願ってはならない。


「ありがとう」


背中から聞こえてくるその声は、もう何十年も、いやもっと前に失った胸の温かさを思い出させてくれた。ふと顔をあげてみると、煙は更に色を失い、もはや目の前にあるのかすら分からなくなるほどに薄まっていた。


 景色が鮮やかに見える。空の青も、葉の緑も、雲の白も、今まで見た中で一番鮮明で、晴れ渡っていた。


「幸せって慣れやすいものです。でも、感謝の気持ちはずっと残ると思います。その人に会う度に思い出すものだから」


三上桜がそう言うと、石崎圭太はいたずらっぽく笑って言った。


「ほら、感謝も悪くないだろ?」


その声を聞くなり、ふと頭の中に声が響いてきた。





―俺は絶対に助けてみせます。あなたに記憶を消されて、結果的に俺自身に起きた事が何も分からなくても、絶対に桜を救って見せます。それから――





中身が入れ替わった、過去の石崎圭太に全てを話したあの時、元に戻る寸前で彼が言った言葉。





―それから、ありがとう。





過去の石崎圭太はいたずらっぽく笑って、続けて言ったのだ。





―ほら、感謝も悪くないでしょう。





石崎圭太、あんたは記憶を失ってもあんたのまま、なのね。感謝。そんなもの考えた事も無かった。その気持ちもまた強ければ私を生かす感情の波となるのかしら。


「そうね。あんたの言う通り、感謝されるって言うのも良いかもしれないわね」


今と過去、2人の石崎圭太に私は小さく答えた。


「こっちこそ、ありがとう」


誰にも聞こえない小声でそう言ってから、私は振り返った。


「で、これから美味しいご飯をごちそうしてくれるんじゃなかったかしら?」


「そうだな。そろそろ行こうか」


「そうね、行きましょ魔女さん」


2人が歩きだしたのを見て、私もまた遅れて歩きだす。


 私は自分の存在を保つためだけに石崎圭太に力を貸した? いや、いつの間にか私自身が三上桜の生存を望んで……?


「あ、でもずっと魔女さんって呼ぶのも変な感じだし、何か名前つけるのはどうでしょう?」


三上桜が突然立ち止り、その場でクルッと回った。


「あのね、そんなもの私には――」


「椿はどうです?」


人差し指を立て、にっこりと笑って言う。これが、石崎圭太が記憶を犠牲にしても手放したくなかったものなのね。そう思うと、なんだか石崎圭太の気持ちが分かる気がした。


「椿。春に咲くの。私と同じ春よ?」


 何にも知らないのに、能天気な事言っちゃって。でも、悪くない。


「別にいいわよ桜。それに割と良い名前じゃない。そう思わない? 圭太」


自然に頬が緩むのは久しぶりだった。そうだ。こうやって笑うんだ。


 私の前を二人が歩きだしたのを見て、私もまた歩き始めた。二人の薬指についたおそろいの指輪に、満ち足りた気持ちで微笑んだ。


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