卒業と別れ
それから約一か月が経ち、僕は晴れてブリッジハンク研究学園を卒業した。
今思えばあっという間の三年間だったが、それだけに得られることも多かった。
万感の思いと感謝の気持ちを胸に自分の研究室を後にし、最後にクラウド先生のもとを訪ねようとしたが生憎と先生は留守の様だった。
一応は卒院式の時に挨拶は済ませていたが、最後にもう一言だけでも感謝の気持ちを伝えておきたかっただけに残念だ。
仕方なく、学園を出て街の西にある駅へと歩みを進める。
ここにもあと一時は訪れないだろうため最後くらいはしっかり街の様子を目に焼き付けておきたい。
白いレンガ造りの歩道と、美しい緑の街路樹、そして澄んだ空気は何よりも僕の気持ちを静めてくれた。
その綺麗な街を横目で眺めていると一本の電柱に張り紙があった。
『空挺士試験、受験者募集』
まるでひと目から隠れるように、貼ってあったその張り紙に僕の胸は急激に高鳴る。
思い出すのは、楽しかった日々と悲しみに暮れるあの日の事。
その二つが同時にこみ上げてきて、息が苦しくなる。
押し寄せる感傷に胸を痛めつつ、僕は無理やりにでも足を動かした。
あまり思い悩んでいると、決心が鈍ってしまそうだったから。
今の僕はあの時と違って確実の前に進んだはずだ、今度こそは上手くやってみせる。
そう言い聞かせ、今は前だけを見る。
それが合理的で自分にとって一番の生き方だと、そう信じて。
駅は大勢の人でにぎわっていた。
その中にはうちの学園の生徒もいるようで、おそらく卒業記念の思い出に旅行に出かけたりするのだろう。
誰もがとても幸せでどこか、寂しそうな顔をしていた。
僕はぼんやりとその光景を眺めながら、汽車の来る時間を待つ。
不思議と今は何も感じることなく、穏やかな心持ちだ。
汽車が来るまでにはまだまだ時間はかかりそうだ。
駅のホームの中には土産屋や車内で飲み食いするための商店が並び、どれも人でにぎわっている。
そのホームのさらに先には、真っ直ぐに伸びる線路がある。
それは真っ直ぐと一直線に伸び、このレールの上を汽車が走るのだがその中でさらに目を引くのはレールの外側、つまり線路の通っている周囲の環境にある。
視界一杯に微細な砂が覆い街の中とはうって変わって緑が少なく、生き物が住んでいそうな気配はない。
そして時折、激しい砂嵐が起きて砂塵がもうもうと吹き荒れる。
まるですべての物を死に誘うようなそこは、紛れもない砂漠だ。
見える範囲で砂以外には何も目につかず、時間の流れを感じさせないような砂漠には元は美しい緑が広がっていたという。
今となっては信じられない話だが。
時を遡ること、今から約二百年前。
人々は戦争に明け暮れていた。
その原因は宗教とか、民族とか、貧困とか、資源とか、色々なことが言われているが僕には詳しく分からない。ただ過去の文献によると平和だった国が存在しなかったほどの大規模で、凄惨な戦争だったという。
兎に角、その戦争で人々は多くの自然を破壊して搾取し地球を亡きものにした。
自然は荒廃し尽くされ、地表の温暖化がすすんで多くの湖が干上がり、そして残ったのは搾りかすのようなこの風景だけだ。
そのことに気づいた時には時すでに遅く、ようやく戦争を終えた人々を待っていたのは過酷な環境での生活だった。
地表のほとんどが砂漠と化し、飲み水すらロクに手に入れられないこの地で僕たちのご先祖様達は懸命に地下の水脈を探し
出し、開拓して何とか居住が出来るような環境を作り出した。
その例が、今ここに居るブリッジハンクだったり僕の故郷であるガーネストだったりする。
僕たちのこの生活基盤はご先祖様の偉業の上に成り立っていると言っても過言ではない。
ここで話は少し変わるが、戦争で失われた物は何も地球の環境だけではない。
戦時中、攻撃の対象となったのは人が住む都市だけではなく研究機関や工場にも向けられ、果ては空のはるか向こうの宇宙空間にまで及んだという。
そのせいで多くの技術が失われていた。
衛星通信やGPSといった交信技術はもちろん、液晶や半導体、インターネット回線やIT産業など
かつてこの世界ではごく普通に流行していた先端技術たちが荒廃し、それに伴って付随する技術も消滅してしまった。
その中の知識や技術の一部は文献として残り、後世に伝わるも今の僕らの文化
水準は過去の人々の文化基準に則ると『二十世紀』と呼ばれる時代に大凡一致するらしい。
戦争から二百年経ったというのにだ。
嘆かわしいことだが、これがこの世界の現実で僕たちの今なのだ。
もしも戦争がなければとも考えたりもするが、何もかもが失われた今となっては詮のないことだ。
一人、はるか昔に起きた人の過ちに頭を働かせていると背後から声をかけられた。
「どうしたのかな、元学生さん。」
びっくりして振り返るとそこには二人の見知った顔。
いつもと違うカジュアルな私服姿のマリーナさんといつもと同じスーツ姿のクラウド先生だ。
「せ、先生!?」
一年のうち三百六十日は研究室に籠っていると揶揄されるほどの先生がこうして今僕の前に立っているのだ。
驚き思わず叫んでしまうとマリーナさんは不服そうな顔を向けてくる。
「どうして、私へのリアクションはないのかな?トーマス君。」
「あ、ご、ごめんなさい。マリーナさん、つい」
これだから研究バカはとぶつぶつと愚痴をこぼすマリーナさんを見ながら、僕は素直に驚いていた。
確かにこの二人には学園でも懇意にしてもらったが、所詮はあくまでも一生徒に過ぎない。
そんな僕にマリーナさんだけではなく多忙でそれこそ持ち受けの生徒など百はくだらないクラウド先生がわざわざ見送りに来てくれたのだ。
驚かない方が難しい。
すぐにベンチから立ち上がり後ろに立っている二人に向き直った。
「えっと、そのわざわざありがとうございます。僕のために駅まで来てくれて。」
「はあ、来るに決まっているでしょ。私があんなに面倒を見てあげたんだから。」
「その分、マリーナさんの仕事手伝いましたけどね。」
「相変わらず可愛くないな、この坊主は。」
そう言って僕の頭をぐりぐりとかき回すマリーナさん。
学院に入学した時もよくされていたが、しかし今はもう僕の方が身長が高いためマリーナさんは背伸びをしている。
「全くいつの間にか、こんなに大きくなっちゃって。」
しばらく僕の頭を撫でまわして、急にそんなことを話し出すマリーナさん。
「私は研究とかの難しいことは良く分からないけど、君がちゃんと自分の道を思い描ていたことは嬉しいよ。三年間君の面倒を見てきた立場としてね。」
少し、寂しそうに笑いながら続ける。
「私の目から見てもトーマス君はすごく頑張っていたよ。少なくとも私が尊敬するくらいには。」
おそらう本心であろうその労いの言葉に僕は静かに耳を傾ける。
「だから、あっちに行ったらもう少し研究以外にも目を向けてほしいかな、例えばガールフレンドとか。」
「ブッ」
せっかくいい話だと思っていたのに、突然場違いな事を言われ思わず吹き出してしまった。
「なーに、そのリアクションは!私はトーマス君の事を思って本気で言っているのに。」
「そ、そうは言われても…」
「いい?今度こっちに来るときはちゃんとガールフレンドを連れてくること。
じゃないとここの敷居は跨がせないからね。」
きつい口調でまるで子供に言い聞かせるようにそう言うマリーナさん。
今思えばこの人はずっとこうして僕の事を案じてくれた。
時には、交友関係の悩みを聞いてくれたり、時に美味しいものを差し入れしてくれたりとまるで年の離れた姉のように甲斐がいしく世話をしてくれた。
そんな彼女の言葉なのだから、やはりこれも本心から言ってくれているのだろう。
「分かったよ、マリーナさん。今度はちゃんと連れてくるよ。」
だから、僕も出来るだけマリーナさんに少しでも報いるためにそう答えた。
なら良しと顔に満面の笑みを浮かべて、また僕の頭を背伸びで撫でるとマリーナさんは後ろに引いた。
クラウド先生に場を譲ったのだろう。
僕もマリーナさんの背後に立っていたクラウド先生に体を向けると、こちらに歩いてきた。
「先生…」
黒いスーツに身を包み、どこか所帯なさげな様子の先生は研究室で見るよりもどこか小さく見えた。
「卒業おめでとう。」
「あ、ありがとうございます。」
しかし、小さく見えても先生は先生だった。
ぎこちなく応じる僕に先生は少し躊躇いながら口を開いた。
「空挺機に関わるという事は君は今から研究を執り行う科学者ではなく設計や製作に携わる技術者になるということだ。
しかし、生憎私はそんな技術者ではないから自分の口で言えることはさしてない。」
そう、クラウド先生は根っからの科学者なため油にまみれる技術者の事を毛嫌いしている…と僕は長年思っていた。
その考えは今後の進路を先生に話した時に払拭されたが、まだ思う事はあるのかもしれない。
「正直に言って、私は技術者という人間が嫌いだ。
彼らは理論やデータではどうにもならないことを我々に要求してくるし、何よりも頑なだ。」
進路に賛成のようだが、毛嫌いなのはあっていたようだ。
そんな先生の言葉に僕はゴクリと唾を飲みこむ。ちなみに頑ななのは先生も同じだと思います。
「だが、彼らはその性分のためかこれまで多くの素晴らしい技術を生み出し、文明を発展させてきた。これ事実だ。
今から言う言葉はそんな技術者のなかで私が最も敬意を払っている者の言葉だ。」
先生はその言葉を自身にも言い聞かせるように、噛みしめながら言った。
『無理だと思われることにも、自分なりの理論と可能性を見出してこれを実証させる。それが技術者というものだ。』
汽笛が鳴り、僕は汽車に乗り込む。
窓の外には少し潤んだ瞳のマリーナさんと、いつも通りのクラウド先生。
今度こっちに帰ってくるのはいつになるかは分からないが、二人の顔を見ることは一時ないだろう。
ピーと汽笛を鳴らし汽車が動き出す。
マリーナさんは両手をいっぱいに振って見送るのを見て僕も小さく手を振る。
なんだか、ここにきて急に目の奥が熱くなってきたが、泣くなんて情けないとそう思い気丈に振る舞う。
徐々に小さくなっていく二人の姿を僕は見えなくなるまで目で追って、最後に一筋の涙を流した。