悪いけど、さっさと故郷に帰ったらどうだい
「おいハコ王子。お前、寒菊って言ったな。もしかして時雨の弟か?」
誰かに電話を掛けていた白夜が、通話を終えると隼にそう問いかけた。しかし白鳳学園の悪魔たる彼に親しげな知り合いがいるとは驚きである。何せ白夜には大勢の下僕はいても、星達以外に友人はいないのだから。
「先輩は兄の時雨を御存じなんですか?」
星の中で会った事も無いというのに、時雨という人物の危険度合いがグッと上昇した。例えるならば関東平野から富士山頂まで一気に駆け上がり、余りの気圧の差に高山病になってしまうくらいの急上昇だ。袋に入ったスナック菓子をお供に連れていけば、確実にすごい勢いで破裂しそうである。
ムーミンとハコ王子が知り合い。それから時雨という人はハコ王子の兄で。それでもって極め付けとばかりに、危険度ナンバーワンの白夜とその時雨が知人。ということはだ。
ああ終わった。新たなる宇宙人ホイホイの誕生だと、星は乾いた笑いを漏らした。一体、霞の言う乙女ゲーとやらには何人の攻略対象がいるのだろうか。もういい加減に打ち止めにして欲しい。正直に言えばヘアースタイルの種類と表現も、乏しくなってきており限界が近い。もう最近出て来た登場人物なんて全員が緩いパーマをかけているし、そもそも凝った髪型なのは幸春だけというお粗末なイケメンヘアカタログぶりなのだから。こうなったらいっそ、もう斬新にしようとしたら七三分けしかない。お洒落なやつじゃなく、ぴっちりしたやつだ。30年くらい前のステレオタイプのサラリーマンカットでも、イケメンなら様になるに違いない。多分。
「知ってるも何も。あいつとは腐れ縁だぜ。弟がいるとは聞いてたけどよ。お前全然あいつに似てねえのな。まあ待ってな。そうじゃねえかと思って兄貴呼んでやったからよ」
「すみません。ご迷惑をお掛けします」
隼は白夜に丁寧にお辞儀をした。イケメンだという事。年甲斐も無く迷子になって号泣していたという事。携帯が無くなったくらいで連絡手段が断たれたと絶望するくらいの世間知らずの方向音痴だという事以外は、一見普通の男子高校生なのに、こういうところを見るとやはり育ちの良いお坊ちゃんなんだなあと星は思った。が、すぐにおかしくねと自分自身に疑問を抱いた。
今、省いた部分って結構重要じゃない? イケメンはともかく、十六歳にもなって自分の学校で迷子になってわんわん泣いちゃって、しかも校内なのに自分が何処にいるのか分からないくらいの方向音痴で、携帯が無いと何も出来ないくらい判断能力がないってヤバくない? 箱入り云々の前に人として危険じゃない?
星は思わず無いわあと呟いた。それからきっとこの子のお嫁さんになる人は苦労をするに違いないと、近所で井戸端会議を催すおば様方のようないらない心配をした。
「そんなに畏まるなよハコ王子。シロ先輩なんて、毎日俺らの勝負に負けて食堂までアイスとかジュース買いにパシってるんだぜ。これくらいどうってことねえよ」
「そうだよハコ王子。今日なんてシロ先輩、負けに負けて五回くらい行ってるし。こんなの気にすることないよねー」
兄に連絡を取ってくれた白夜に対し隼は恐縮していたが、それを見た幸春と茅が調子に乗って余計なことを言い出した。このコンビは白夜をおちょくり、怒らせる事にかけては天才的である。特に茅は人を怒らせることにかけたら右に出る者はいない。現に白夜のこめかみ辺りに青筋が浮かんでいる。
こいつらこのまま調子に乗ってたら、いつか本当にガチギレした先輩に沈められるんじゃなかろうか。ある朝に登校したら普通に消息不明になってるとか有り得そうで怖い。先輩なら、それくらいやりそうだと星はひやひやした。
「よし。ちょっとこっち来いや手前ら」
白夜は幸春と茅の方へ向き、不気味なほどにニコニコとした笑いを浮かべた。あ、ヤバい。ちょっとキレてるかもしれない。
「無理だって死ぬもん。やだやだ」
「シロ先輩やる気? じゃあ俺も頑張ろうかなー」
手招きする白夜から徐々に後退しつつ、けれども嘲るような笑みを浮かべ馬鹿にしたような態度の幸春に対し、茅は肩を回しながらやる気満々だ。だが何故か茅の言うやる気は、喧嘩をする気という意味ではなく殺す気満々の様な気がしてしまうのは、星がこのクズ組メンバーに毒され過ぎてしまったからだろうか。
ああ、久しぶりに本気の喧嘩が始まってしまいそうだ。このままでは巻き込まれてしまうと星は青ざめた。
彼らが喧嘩をするのはいつぶりだろうか。小さな言い合いの喧嘩は日常茶飯事だけれども、殴り合うような大きな喧嘩は意外なことにほぼ無い。これまた驚くほど意外な事に白夜が大人の対応をし、手加減をしてやって終いには二人を許してやるので、彼らが殴り合いの喧嘩をしたのはたったの二回だ。最後にしたのは半年、いやもうちょっと前だっただろうか。今よりも随分と尖っていた茅が、まだ仲良くなかった幸春と白夜にこてんぱんにされた。最初のは言わずもがな、尖っていた幸春が白夜にこてんぱんにされたのだ。血を流し顔を青紫色に腫らす彼らを見るのも怖いのだが、一度喧嘩を始めた彼らを星が止める事なんて出来ないのだから、大怪我さえしなければもうどうでもいい。
ならば何を彼女が恐れているのかというと、このメンバーでいる時に起こった喧嘩の被害に対しての反省文を、ほぼ部外者の星に丸投げされる事だ。過去二回とも星は怒ったのだが、白夜には適当に買収され、幸春は馬鹿だから当てになるわけもなく。茅は自由人なので興味ないの一言で却下されるのだ。そのくせ茅はうんうんと唸りながら苦心して書いている星の髪を面白おかしくいじりながら、あーちゃんその漢字間違ってるよとか、その文は反省して無くないとか姑の様に監視してくるし、残りの二人はそれを小馬鹿にしてくるしでウザったいにもほどがある。ああ、またあの状況で四百字詰めの原稿に十枚とかマジで死ぬんですけど。星は大きなため息を吐いた。
「あ、あの、喧嘩はよくないです」
膠着状態の三人に隼はおろおろし、蚊の鳴くような声でそう言ったが彼らに聞こえる訳も無く空しい結果に終わった。
「じゅん君、無理だって。あれはもう止まらないんじゃない? マタドールに向かう闘牛と同じだと思う。本能なんだろうねえ。可哀想にねえ」
また睦月が隼の肩に手を乗せ首を横に振った。その様子を見ていた星は、あれムーミン随分と図太くなってねと思った。ついこの間、白夜にパシリをさせるなんてと戦々恐々としていたのが嘘のようだ。て、ああそうだ。こいつその後すぐに、その白夜が買ってきたガリガリ君を真っ先に取ってたっけ。本来ならばクズ組とは無縁の温室育ちのはずの勝ち組のくせして、本当に適応力が半端ねえな。お前すげえなムーミン。
星は呆れ半分、尊敬半分で睦月を見た。
「だから先程から言っている。申し訳ないが、私は生憎と宇宙語には精通してなくてね。君が何を言っているのかさっぱりと分らない。通訳を呼んでくるか故郷に帰るかしたらどうだ」
何か小さな切っ掛けでもあれば、すぐにでも殴り合いが始まりそうな雰囲気を破るようにして霞を引き連れた男が現れた。男の眉間には深い皺が刻まれており、初対面の人間でも分かるほど彼が不機嫌なのが見て取れた。
しかし本当に電波女は良い時に現れるな。うざいキャラなのは実は嘘で、私を助ける正義の味方なんじゃないかってくらい絶妙なタイミングだ。戦隊もので言えば特別枠レンジャーだ。金とか銀とか黒色で孤高の戦士っぽく見せといて、最後はデレて仲間になる感じ。たまに最初っから仲間の寿司レンジャーとかいるけど、そうじゃない方でお願いします。
「ああ、兄さん助けて! 今にも抗争が起きそうなんです!」
突然現れた男に隼が駆け寄った。兄さんという事は彼が噂の時雨なのだろう。しかしその言い方では、まるで三人がやくざのようですね。まあでも電波女の殺害計画を立てたり、海外に売り飛ばそうとしたりしているんだから強ち間違いでもないような。あれ、どうしよう。今更ながら、ちょっと怖くなってきちゃったんですけど。
星は恐怖を誤魔化す為に時雨を観察した。彼は長い前髪を七三に分け、全体的に清潔に見えるよう整えられた黒髪のショートカットをしていた。確かに七三だ。もう斬新にするには七三にするしかないと言ったけれども。私はぴっちりだと言ったはずだ。なのに全体に緩やかなウェーブがかかり、毛先を遊ばせていてはお洒落になってしまうではないか。これではイケメン以外がやると本気で事故になる髪型だ。もうお約束だが、勿論のこと彼はすっきりした顔立ちの日本的イケメンである。
「ああ~。隼君、見つけたんだから! うららを放っておいてどこ行ってたの!? うらら、もうプンプンなんだからね!? あ、皆もいたんだね! うららの為に集まっててくれたの~?」
霞の見当違いの言葉を聞いたクズ組メンバーは射殺しそうな目で彼女を見た。普段は彼女を怖がりガタガタと震える幸春ですら睨んでいる。これはヤバい。今まで防いできたというのに、これでは遂に殺人事件が起きかねない。
それにしても、さっきの嘘でした。正義のヒーローとか嘘でした。ただの空気が読めない電波でした。星は先程の考えを己の頭の中から勢いよく振り払った。プンプンってなんじゃそりゃ。余りの気持ち悪さに鳥肌が立ったわ。寒くも無いのに体が震えてきた。
しかしどうやってこの場を収めようか。一触即発状態のクズ組メンバー。そいつらを刺激して止まない天然起爆スイッチの霞。その彼女に恐怖し星の背中に隠れて全く役に立たない睦月。社会的に霞を抹殺したいほど嫌悪している時雨。その彼の後ろに睦月と同じように震えて隠れる隼。
神よ、もしいるのならば私を助けて下さい。神様なんて欠片も信じていない癖に、もうどうしようもなくなった星は天を仰いだ。
あ、もし宇宙人がいるのならば、あなた方の同胞を回収して下さっても結構ですよ。と本物の宇宙人に対して失礼な事も考えていた。