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カレンは悩んでいた。
年頃の乙女は悩みが尽きないのは悠久からのセオリーなのだが、ストレスと甘味摂取量は比例するもので。ストレスも糖分の取りすぎも乙女には美容の大敵である故に早急に解決しなければならない。
悩み事とは他でもない、今自分の後ろを歩く少年のことだ。
少年、いや正確には少年の姿をした悪魔、だ。
決して比喩的な意味ではなく、本当に悪魔だという証明に少年には鴉のような黒い翼が一対、そして耳はなんか少し尖ってる。
この悪魔の何が問題かというと、存在自体問題なのだが、カレンに魔女にならないかと勧誘してくるのだ。
魔女とは悪魔に魂を売り渡した悪しき者。
この国のみならず大陸全土で禁忌とされる存在。
多くはおとぎ話の悪役として描かれる。
連日、悪質訪問販売の如くカレンの部屋を押し掛けてくる悪魔ロイ。最初はご近所さん(寮生)の迷惑にならないよう内々で片付けようと、ちょっとしたスコップで後頭部を撃破したが、悪魔は普通の人間より無駄に頑丈らしい、効果はあまり望めなかった。折角校内の倉庫から工具一式(セメント含む)を借りてきたのに無駄な労力に終わった。
魔物というのはこちらから扉を開けなければ家の中には入って来れないらしい。
しかしうっかり悪魔の姑息な罠で部屋のドアを開けてしまった。菓子で釣るとはなんて卑怯な。部屋に入れるようになったロイはカレンの部屋に来るようになった。
しかも寮母さんやらを上手いこと懐柔され、下の部屋に住み着いてしまった。
奴があまりに堂々と出入りしてるせいで皆して「何か自分達の知らない事情があるのだろう」という感じでスルーしやがる。誰か一人くらい事情を聞いてこい。
こういう場合まず誰に相談すればいいのだろうか。
教会か学校か警察か弁護士か。
本気で悩んだ末片っ端から頼っていくことに。
街にある聖霊神殿で祈ってみた。
本来悪魔というのはロベリア国の2大宗教の一つ、天使教の神話に出てくる教えを邪魔する架空の魔物のこと。なので、悪魔対策は天使教の専売特許なのだが、カレンの家は代々続く精霊教。教徒でもないのに都合のいい時にだけ天使に祈るのはどうかと思ったので、天使教の教会ではなく精霊教の神殿に行くことに。
精霊をかたどる御神体を前に黙して祈るカレンの隣で魔女が如何に素晴らしいか説くロイ。神殿にまで入り込むとか、止めろよそこの神官。悪魔が祓えなかったらお前は一体何の為に存在するんだと小一時間問い詰めたい。
担任の教師に相談をした。
「俺に彼氏紹介されても困る」とかほざきやがった。困ってるのは此方だ。それくらい察しろ。それよりも隣で転入の手続きをしているロイを何とか出来ないか。戸籍も無いのに入学とか詐欺だぞ。学費とかどうするんだ。
その後、警察や弁護士も悪戯かと信じてくれず危うく大人不信になる所だった。
一応通っているのが宗教系の学校なので最悪学校生活に関わるかもしれない、友人達にも軽々しく話すのは極力避けたい。
役に立たない社会的保護に見切りをつけ、自分で何とかしようと図書館で悪魔祓いの方法を調べ試してみた。天使教の聖書には悪魔の張る結界を破る効果があるらしい。早速、図書館にあった聖書(凄く分厚い)を丁度隣にいたロイに思いっきりぶつけた。至近距離から放ったので無論顔面にクリティカルヒットしたが、その後公共の物を粗末に扱うなとか、人に投げ付けるなど言語道断とかロイに説教されたが反省も後悔もしていない。そもそもお前に当てる為に投げたんだぞ。なんで効かないんだ。
思い付く限りのやれることは全てやったので後は彼が諦めるのを待つしかない。暴力で解決する方法も慎ましやかな淑女として控えたい。人事は尽くしたが天命はいつまで待っても来ない。自分は神にまで見放されたてしまったのか。あんなに祈ってやったのに。
それからかれこれ1ヶ月以上経つが未だ状況の進展はない。
*****
「魔女になればいいのに」
今日も今日とて纏わり付いてくる悪魔のロイはいつも以上に気持ち悪い程上機嫌。
しかしカレンが返す言葉もいつもと同じ。
「だが断る」
カレン振り向きもせず夜の商店街をぐいぐい進む。夜と言っても街灯や店のイルミネーションで昼のように賑やかで明るい。
年に一度の祭の日ともなれば尚更。
だから自然と歩調が速くなるのはロイへの苛つきのせいか。
特に今日はハロウィンでカレンが魔女の仮装をしてるからテンションが妙に高い。左側だけ垂れ伸ばしている耳の横の髪のひと束が生き物のようにゆらゆら動いていて、つい引きちぎるタイミングを測ってしまう。この日の為の衣装の新調したのはひと月以上前なので他に衣装がなかったとはいえ今は若干後悔気味だ。
こんなことなら出掛けなければいいのだろうが、何せハロウィン。学校近くの商店街がかぼちゃのオレンジに染まるこの時期。期間限定の菓子が出ると聞いて参加しないわけにはいかない。仮装すると貰える菓子もあるので尚更。既にカレンの腹の中にも鞄の中にも菓子類が詰まってる。
仮装と言っても烏色の三角帽子に同じ色のローブと簡単なものだから脱げばいいだけなのだろうが、ローブの下は薄手のパーティードレス一枚なので十月末のこの時期には肌寒い。
だから寮までの辛抱だ。
「仮装ついで本物に」
「あんたみたいな悪魔の下僕なんて御免被る」
「一体俺の何処が駄目なんだ。言ってよ! 俺直すから!」
「存在全て」
「ひどい! 俺はこんなにも頑張ってるのに! もっと努力の面も評価して!」
わっと泣き出すロイ。
しかし構ってはいられない。これもカレンを誘惑する為の罠なのだから。悪魔の声に耳を貸してはならない。心の隙を見せてはならない。
そのくらい分かるともさ。
時折、顔を覆った指の隙間からチラ見で此方の反応を伺っている。何がしたいんだお前は。
そもそも何故悪魔なんぞに付きまとわれているのかと言えば、以前カレンの学校の同級生が呪術で悪魔を呼び出してしまい、とばっちりでカレンも巻き込まれた。すったもんだの末、契約の破棄に成功したがうっかり封印の鎖を壊してしまい、ロイを自由にしてしまった。
あの後、殴って気絶させてダッシュで学生寮の自室に帰ったのだが、次の日の夜になるとやってきやがった。どうやってカレンの部屋を見つけたのか。何でも実家に帰れないから魔女になれと学校に住み着いてまでカレンに付き纏っているのだ。
「何故帰らないのか」
「わけあって今故郷の魔界に帰れない。帰る為には魔女が必要なんだ」
「何故私なのか」
「なんとなく!」
元気良く答えたロイに思わず溜め息が漏れる。
「女性を口説くにあたってその返しはなかろうよ」
「なんで!?」
「他当たれ」
「別に悪い話じゃないぞ。魔術が使えようになるから普通の人間より色んなこと出来るし。死後はあらゆる苦罰を受けずに魔界で俺に仕えることになる。世界中のありとあらゆる享楽を堪能出来る素晴らしい毎日だぞ。ジュースもお菓子も健康に気遣わなくても済むから食べ放題。無論俺の下僕だから金銀あらゆる宝石も好きなだけ与えられるぞ。女の子は光り物好きだよね?」
「悪魔の本分は誘惑だと聞いたことあるが、内容がベタ過ぎる」
「よ、夜の相手なら俺頑張るから」
視線を反らしながら少し頬を赤らめる。
──夜の……? こいつに私の鍛練の相手が出来るのか? そんな細っこい体格ではサンドバッグにすらならんだろうが。
「私に悪魔いたぶる趣味はない」
「その歳でSMプレイを嗜むの!?」
*****
ハロウィンの日、いい子にしてないとお化けに仮装した子供達に紛れて魔物が連れ帰ってしまう。
そういう言い伝えがこの街にはある。
精霊教由来のこのお祭りは昔の精霊教の暦で年末にあたり、先祖の霊があの世から帰ってくると言われていて、本来家族でゆっくり過ごしたり地域で子供たちがお化けの仮装をして家々を周り「お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ」なんて言って菓子を貰ってくる行事なのだが、最近は年を重ねるごとに宗教色より商業色の方が強くなってきている。街を飾るイルミネーションが派手になったり、仮装をするのが子供限定でなくなっていったり、お化け限定でなくなっていったり等々。今年も去年より洋菓子屋にいるお化けかぼちゃの量が増えていた気がする。
「俺をこんな身体にしといて今更捨てるってのか! もうカレン無しじゃ生きていけないのに! 酷い!」
「お前なら私じゃなくとも、もっといい人見つけられる。このままじゃお互い不幸になる。暫し離れような」
「嫌だ! 俺はカレンがいいの! カレンじゃなきゃ駄目なんだ!」
きつく当たっても優しく諭しても諦める気はないようだ。
はてどうしたものか。色事のもつれ話のような会話を繰り広げながら夕闇に染まりつつある塗装された道を行く。商店街の長い道を潜り、角の花屋を曲がり、噴水のある中央広場を抜け石畳の道をてくてく歩く。
家路を急ぐカレンは道の端にカボチャ型の馬車が止めてあるのに気付いた。油燃料を使った自動車が増えてきて馬車もちらほらとしか見なくなってきている昨今の事情を差し引いても、食べ物の形をした馬車は珍しかった。ファンシーな感じもするので何処かのテーマパークの物だろうか。
「ラ・パンプキンのものか?」
あの遊園地はかぼちゃがシンボルマークだったはず。
好奇心で近付くと、思っているより小さなカボチャ。馬車を引いているのはハロウィン風のお洒落をした馬が大人しく主人を待っている。カーテン付きの窓から覗く車内は人が乗るには十分な広さ。
「宣伝用じゃないかな?」
目の前に停まってるカボチャは勿論作り物だがこれほど大きなカボチャが存在したら一体どれくらいのパンプキンパイが出来るだろうと思考を巡らせているカレンに声がかかった。
「おや、お姉さん魔女さんですか?」
小学生くらいの小さな少年だった。頭に被ったジャコランタンの大きさが小さな身体に釣り合わずよろよろと今にも転びそう。確かに魔女の仮装をしているので「ああ、そうだが」と答えるとぱっと嬉しそうに反応した。
「やっぱり! その格好はもしやと思ったんですよ! あ、もう出発の時間だ! さぁさ早くお乗りになって」
「む、何だ?」
「痛っ! 羽根引っ掛かった!」
カボチャ頭の少年はカレンとロイを押し込むように馬車に乗せると騎手に発車するよう合図した。黒馬が嘶き馬車がゆっくり動き出す。何処に向かってるのか聞くと含み笑いで、着けばわかりますと答える。よく見るとカボチャの馬車はハロウィン仕様に目と口がくり貫かれていた。やはりハロウィンのイベントか。
隣では涙目で自分の羽根をさすっているロイ。
カタポコ、カタポコ。
木製の車輪が煉瓦道を走る。
揺られ揺られ灰色に塗装された綺麗な車道に出て、辿り着いた場所は大きな白い建物。
表の表札には『ホテル・カーミラ』。
「さあさ着きましたよ」
カボチャ少年が先に降りて馬車の扉を開ける。 目の前に聳え立つ建造物は城にしか見えない。建物の扉や柱、彼方此方にあしらわれたガラスの靴を象る刻印に見覚えがあった。
「まさかあのサンドリヨンか?」
「知ってるの?」
サンドリヨンと言えば全世界に店を展開するこの国では知らない人はいない程の有名な製菓会社だ。学校の近くにある商店街にも割とこじんまりしているが系列の店がいくつもあるほどだ。
しかし、何故彼が態々自分達をこんな所まで運んだのか甚だ疑問である。それについて尋ねるとカボチャ頭の少年は楽しそうに答えた。
「今宵はサンドリヨンの三百周年記念パーティということで、社長の屋敷に皆様をご案内させていただいてます」
あぁ成程と合点がいった。
本社はこの国の首都にあるらしいが、しかしまさか主人の所有するホテルがカレンのいる街の近くにあったとは知るよしもなかった。
「なんなの?」
「有名な老舗製菓会社。ここのガトーショコラがまた格別なんだ」
「カレンはチョコが好きなのか? なら俺の魔女になればいくらでも」
「馬鹿めが。量があればいいという問題ではない」
高級だろうが市販だろうが他のチョコレートでは駄目なのだ。今はまだサンドリヨンより美味しいガトーショコラを口にしたことがない。
多少の不祥事を起こしても根強いファンが多い為決して倒れない不動の人気を誇る、それがサンドリヨンだ。