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「多分二人は人質みたいなもんだったんじゃない?」
「人質?」
「君らが試そうとしてた召喚術に使うもの。あれってよく黒魔術で使うものなんだぞ。恐らく術式と呪文はカモフラ! 俺が喚び出されたのも偶然! アルコール、勿忘草、合わせ鏡、黒い獣の毛、闇の精霊、これを順に辿って五芒星を描けば多分黒魔術的な何かが出来ちゃうぞ!」
「そう言えば魔術の紙は全部小屋で見つけた物。じゃあ、今まで私達は……誘導されていたの……?」
「ど、どうしよう……! 全部やっちゃってるよ!」
ビビアンが愕然とした声を上げ、ネビルはわなないた。ヒューイも血の気の失せた顔をしている。
「こいつ精霊じゃないだろ。それは奴も誤算だったんじゃないか?」
「あ、そか」
「悪魔って闇精霊の類い……ではないよね?」
ビビアンが疑わしげにロイを見つめると、ロイは途端に顔を真っ赤にして憤慨した。
「全然違うんだぞ! 間違われるなんて激おこ!」
「大丈夫だな」
*****
「そう言えばこの鎖どうなってんだ?」
ロイにはめられた首輪の鎖は地面につく長さで途切れている。持ち上げてみるとその分鎖の長さが増し、常に先端は地面につくように保たれる。
「今の住処と繋がってる。繋がってるってか繋がれてるって言うか」
「繋がれてるのか」
「極悪聖女に封印されたの! 俺可哀想でしょ!? 魔女がいないと外出られないの!」
「……」
「だから俺の魔女になっ……で!?」
みなまで言う前にその頭を平手(垂直)で叩いた。ロイはその場に蹲り涙目で痛みに耐えながら抗議。
「痛いんだぞー」
「黒いの、そのまま動くな」
「ふえ?」
ロイが顔を上げると目の前のカレンの手には鉄製の棒が握られている。何処から拾ってきたのか所々錆びついている。
カレンは空いてる手でロイの頭を押さえ込むように掴むと、それを思いっきり振り回した。
「ひゃっ」
頭上を掠める鉄の棒に思わず短な悲鳴を上げる。そして背後で大きな音と、ギャンっと獣の声。
「え」
振り返れば廊下に倒れてる狼、とその後ろに何匹かその狼のお仲間さんが此方を凝視して唸っていた。
「二人とも早くこっちに!」
*****
「あわわわ、気づかなかったあー……」
「ろ、ロットさんすごいね。あんな大きな狼殴り飛ばすなんて」
「なんか軽かったがな。あれが二人が見たと言う霊か?」
「ううん。霊は人の形してる、よく本に出てくる幽霊みたいな半透明な奴。あの狼は初めて見る」
「ふむ……」
逃げ込んだ部屋は薬棚が並ぶ倉庫のような場所。素早く扉を閉め取っ手に鉄の棒を滑り込ませた。直後扉にぶつかる音がしたが、この扉は頑丈そうだ。四回程ぶつかって無駄だと諦めたのか、それっきり何も聞こえなくなった。
殴った感触が普通の動物と違った。重量がないというか、詰まってる物が違うというか。
さて、これからどうするか。と言っても出口への手掛かりになりそうなのは、クレイグの言っていた入っていない奥の大部屋。
「そこには入れるのか?」
「うん。正面扉からは無理だけど隣の部屋に穴があるから、そこからなら行けるわ」
「ならそこまで走るか。案内任せる」
廊下に出て狼達がいないことを確認すると先頭をクレイグに任せ奥へと進む。
「向こうは幽霊がうろついてるから気を付けて」
ユリアが言った通り、触れたら一発アウトみたいな外見の幽霊が大して広くない廊下のそこかしこに這っていた。それをよけて進む。思った以上に動きがのろいので走れば十分かわせた。
「追ってきてない?」
狼達の動向を確認しようと後ろを振り返る。
直後、狼達が姿を現した。俊敏な動きですぐに数メートル先まで迫っている。
しかし、カレン達より近くにいる幽霊に食いついた。這い逃げようともがく半透明の身体を前足で押えつけ、頭から食いちぎる。
「幽霊を、食べてる……?」
「う、うわー。現世の魔物は人間の魂を捕食する奴もいるとは聞いていたけど……超グロいんだぞ。うわー」
いささかショッキングな光景だが時間稼ぎにはなってるので助かった。この隙に廊下の角を曲がり、板が張り付けられて入れなくなっている大きな扉の隣にある小さなドアに入った。
部屋はこじんまりとした病室。ベッドが六台あり、ベッドの隣にはそれぞれ小さな棚が置いてる。天井から吊り下がったカーテンは破れて、かつては白く清潔を保っていたであろう壁も大きく剥げて、カビの不快な臭いが漂う。
床には三人ほど幽霊が這っていた。此方の存在を知ると這って迫ってきたので、クレイグに言われた通りベッドの上に乗る。床を這う幽霊は少しの段差も登れないそうな。
「ここから入れるよ」
ユリアが壁の上を指差す。そこには通気孔。
ダイヤル式の南京錠がかけられていた。
「番号は分かるのか?」
「さっき見つけた。これ見つける為に部屋という部屋を駆け巡ったんだ」
「大変だったよねー」
メモ帳を見ながらクレイグに肩車をされダイヤルを回すユリア。
「2、7、4、3……開いたよ」
そのまま隣の部屋へ進む。
「何にもいないみたい」
「飛び降りれそうか?」
「ええ、下にベッドがあるから大丈夫よ」
「じゃあ、小さい順に」
ネビル、ビビアン、カレン、クレイグの順に、一番背の高いヒューイの肩を借りて通気孔を通る。ロイは羽根があるから自力で飛んで、ヒューイは此方側から引っ張り上げて部屋に入れた。
大部屋はさっきの六人部屋の四倍はありそうな広さ。配置されているベッドの数も倍はある。
ちょうど追ってきた狼達は隣の部屋で何やら此方を探している様子だが、通気孔は一人ずつ通るのがやっとな狭さなので、もし気付かれても大きな狼の身体は通らない。大部屋の扉は外と内、両側から板が張られ頑丈にバリケードされたものなので、他に抜け道がない限り入って来られないだろう。
「ベッドの周りに仕切りのカーテンがないな」
「もしかしたらこの大部屋、元は外に出られない患者さんの為の礼拝堂だったのかもね」
一番奥の壁には天使が描かれたステンドグラス。かつては色鮮やかだったのだろうが今は薄汚れていて、所々割れたり硝子が剥がれている。その手前には祭壇。ベッドが置かれた床には長椅子が並べていたのを退かした跡がはっきりと残っていた。
「祭壇の裏に隠し通路があったりするのかな?」
祭壇の上には水晶が祀られており、水晶が乗った台座の下には読めない文字がびっしり台座を囲うように書かれていた。
「ロイ君にはこれ何か分かる?」
「見るからに黒魔術だぞ。さっきの狼も人狼じゃないや、ミラージュっていう人の手で作られた不完全な精霊なんだぞ。多分この中身が本体」
「作られた精霊?」
「きっとああやって霊魂を食べて力をつけてるんだろうね」
「食べられた人はどうなるの?」
「消化されて魔物の一部になる。成仏しないから転生も出来ない」
*****
「あら何かしら?」
部屋をくまなく調べていたユリアがベッドから小さな手紙を見つけた。隠すようにシーツの下に挟まれていたそれを、封を開けて紙を広げる。
『伝染病など存在しない。街を呑み込むこれは黒魔術師の呪いだ』
その一文に全員言葉が出なかった。
「ここは、病室として使われていたのではなかったのか」
礼拝堂の奥の祭壇に祀られた水晶。
この部屋の本来の御神体はこれではないはずだった。
確かに他の病室と比べると、明らかに生活感がない。ベッドの横に私物を置く棚もなかった。
此処に寝かされていたのは患者ではなく、生贄。恐ろしき黒魔術の代償として用意された者。
この水晶もネビル達に行わせようとしていた黒魔術とも何か関係があるのだろうか。魔術といったものに疎いカレンには分からない。しかし、
「そういうのは危ないから触らないほうが」
いいんだぞ、とロイが言う前にカレンは水晶を台座から外し、それを持つ手に力を入れる。ピシッと全体にひびが入り、粉々に砕け散った。
「……水晶って握力で壊れるもんだっけ?」
「……」
ロイの問いかけにネビル達は沈黙した。
すると、祭壇の上に散らばった水晶の破片から黒い煙が噴き出してきた。そこから周囲に反響するような禍々しい声が聴こえてくる。
──くく……ようやく、この時が……
──ご苦労だったな……
──外に……出られる
──長かった……
──大いなる……暗黒の世界を……作り出す……魔王となる………
──………あれ……
──だんだん……
──薄くなって……
──あ、我まだ空気に適応してなかっ……
「おいお前」
カレンが声をかける前に出てきたばかりの魔王(自称)は周囲に霧散してしまった。
「……消えたんだが」
「代わりの媒体も用意してないのに壊すからだぞ。あーあ、精霊さん殺しちゃった」
「魔王とかいってたが」
「なりたかったんだろうね。知らないけど」
「では、今のでここの親玉倒したことになるのか」
「そうなるなる……あ」
肝心なことを思い出したロイ。その場で硬直して青ざめる。
「じゃあ、終わったんだね……」
いつの間にか周りの景色は礼拝堂が消え、地下ではなく外の薄暗い荒地に立っていた。
もう何年も人が足を踏み入れてないのか、雑草が膝まで伸びている。近くの塀の向こうにはカレン達の通う校舎が見えた。
「あ……!」
思わず声を上げたのは誰だったか。
生い茂る雑草の隙間から白い光が浮き上がった。
それも一つや二つではなく、カレン達の周りを取り囲むように次々と地面から出てきて、ゆっくり夜空へ昇っていく。
その幻想的な光景に、しばらく目を奪われたまま動けなかった。
*****
必死にペコペコお礼を言っていた五人だったが、皆に無事を知らせるのが先だと家や寮に帰した。全員が帰るのを見届けるとさっきから呆然としてるロイと二人きり。辺りはすっかり日が暮れていて真っ暗だ。
(夕飯食べ損なったな……)
思い出したように手を見ると契約の印は消えている。どうやらこっちも終わったようだ。
ロイの顔を覗き込めば気付いたのかはっとして、気の抜けた顔が何が不満なのかどんどん不機嫌な表情になる。
「お前は帰らないのか?」
「責任取って」
「?」
「せっかく魔女出来そうだったのに! 魔女との繋がり利用していつでも封印場所から出られると思ったのに! 俺の計画台無しになった!」
「??」
「責任取って俺の魔女になって!」
ぎゅむっと正面から抱き着いてきた。
ロイの体格はカレンの中での同年代男子のザ・基準値である幼馴染みとくらべたら……大して変わらない。ひょろさはユルの方が勝ってるが、ロイは肌が透き通る程に白い。自然の太陽を浴びてない証拠だ。きっと冷暗所で暮らしてたに違いない。人工灯で育った豆もやしだ。
「召喚の契約が解けたからもう時間がないんだ。書面へのサインは後でいいから、手っ取り早く既成事実をごにょごにょ」
耳元で聞こえるロイの言葉の意味は分からないが自分に何かやらかそうとしているのは確か。現に手首に繋がれた鎖をカレンに巻き付け拘束しようとしてくる。
逃げられたら困るということか。
だが甘い。
カレンはその鎖を掴み地面に垂れている所を足で踏みつけると身体を捻り鎖を引き千切った。
ブチッと。
あまりの呆気なさにいささか拍子抜けしたが、ロイも状況が飲み込めないのか、唖然と切れた鎖を見ながら固まっている。暫しの間沈黙が降りる。
「……」
「……」
「封印の鎖が解けた」
「封印?」
「自由になった」
しまった、と思った時にはロイの手首に嵌められていた手錠が砂塵に変わり風とともに夜空へと消えていった。
あの鎖は悪魔を縛る拘束具だったのか。余計なことをしてしまった。
だがあの程度でちぎれる鎖に繋がれるような豆もやし、はっきり言って敵ではない。勿論相手の出方を見るなどの後手に回るつもりはなく、先手は必勝。
「俺のためにこの忌まわしい封印解いてくれたんだ」
気付かれないようにすすすっと死角に回るカレンをよそに、自由になったことを喜び浮かれてるロイ。
「三十年振りの自由だ。きっとこれ運命なんだぞ。だからカレン! 改めて俺の魔女に」
直後、カレンの手刀がロイの後頭部を襲った。
*****
結局、地下の礼拝堂で魔術師達が何をしようもしていたのかも、襲ってきた狼達や水晶の魔王のことも、最後に見た白い光の正体がなんだったのかも、何も分からず終わってしまった。
後日改めて菓子折りを持ってお礼に来た五人と共に、再び小屋に行ってみたが隠し通路はまるで初めからそこになかったかのように跡形もなく消えていた。
教師に確認したところ、病院の地下は校舎を建てる計画が持ち上がった時に病院ごと取り壊されたという。