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「何これ?」
渡された紙を見つめて、カレンは目の前の友人に尋ねた。
20cm四方の白い紙に何かわからない絵がボールペンで描かれている。
友人はカレンの問に答える間もなく、近くにいた子達にも同じように白い紙を一枚ずつ渡していく。どうやらクラスの皆に配っているようだ。ぐるりと教室を見渡して皆に行き渡ったことを確認すると、その友人、クレールはようやく口を開いた。クラスの中心的人物なので皆大人しく話を聞く体勢でいる。
「今、学院内を騒がせている噂は皆知ってるな」
「それって魔術書のバラマキ事件のことか」
ここ数日、魔術書の切れ端らしき紙が校舎のいたるところで発見される事件が発生していた。犯人の目的や魔術書の内容など不明瞭な点が多く色んな噂が飛び交ってる状態だ。
「とある筋からの情報なのだが……ばらまかれた魔術書のページはどうやら、黒魔術に関する物らしいのだ」
その言葉に教室内がざわつく。
この国は三十年ほど前、危険魔術禁止法が制定され黒魔術に関する書物は発禁、学校や図書館などの公共の場からは姿を消したはずだから無理もない。
「誰かが外から持ち込んだのかな。裏では出回ってるってよく聞くし」
「黒魔術復古を支持する黒魔女の仕業かも」
「悪い魔女や魔術師は可愛い子を浚って食べちゃうらしいよ」
「魔術師が凶悪な魔物を呼び出そうとしてるとか」
「誰かが生贄にされるってこと!?」
「霊感強い子ほど狙われやすいって聞いたことある」
「魔術だの魔物だの馬鹿馬鹿しい。このご時世にそんな非科学的なこと起こるわけないでしょう」
動揺を見せるクラスメイト達に否定意見を出したのは学年の才女と名高いウェンディ。
入念に手入れされているであろう艶やかな髪や肌は、いかにもお嬢様な雰囲気を醸し出している。
魔女や魔術師が使うとされている黒魔術は、道徳倫理に反するものが多い。国の法律で禁止された理由は魔術を行った結果ではなく過程にある。想像上の生き物である魔物を召喚したり誰かを呪ったりするのがいけないのではなく、それらを行うために人や動物を生贄として殺すなどをすること自体が禁止なのだ。魔術が存在するかどうかの問題ではなく、魔術を行おうとする人間の犯す罪が問題なのだ。
つまり黒魔術を禁止にしているからと言って魔術が存在すると公言したわけではない。
それを国民は知っている。
それでも信じる信じないは個人差だ。
「大体それなら学校一の美少女、このウェンディ様が真っ先に狙われる筈でしょう?私が無事ということは」
「ウェンディがブスってことか」
「なんですってぇカレン! あんたが言うんじゃないわよこの鉄面皮!」
つい頭の中に浮かんだことを口にしてしまった。全く素直な口である。それに対してすぐさま暴言が飛んできたが気にしない。
カレンとウェンディの細々とした衝突は、二人が幼い頃からのものだ。
きっかけなんて本当に大したことはない。ウェンディがカレンを男の子と間違えた上一目惚れ、告白してしまったというのが原因だ。初見はお互いにとって苦い思い出になってしまった訳だが、それ以来二人は何かにつけて突っかかるようになり、二人の仲の悪さは同学年では定評であるため、しかも毎度のことなので皆には仲裁に入られることもなく温かく見守られてる。
「確かにお化けは恐いけど妖精なら可愛いからいても良いと思うな」
「ユル君可愛ー」
女子と一部の男子に密かに人気のユルに周りのの女子がきゃいのきゃいの。
ユルもカレン達の幼馴染み。普通男一人に女二人の幼馴染みの関係は両手に花という言葉があるように羨ましがられる構図のはずだが、三人の中で一番可愛いと評判なのは断トツでユル。解せぬ。
「「チッ、草食系が」」
「二人怖いよ」
「別にほっといても良くなくないか?被害らしい被害は出てないんだし。大人に任せるのが最良かと」
「被害が出てからでは遅いんだよカレン。だからこそ自分達の身は自分達守らねばならない!」
「わあ、神父の息子が言うことは流石違いますわねぇ。ただ……」
棒読みでそこまで言うとウェンディは視線を手元の紙に向ける。先程から皆が抱えていた疑問だ。
「この紙は一体何の意味が」
「それは神聖なる力が込められた魔除けの護符だ。皆、肌身離さず持っておいてくれ」
「素人絵のペラ紙ごときで効果あるなんて思えませんが」
「何を言うか。この紋様は我が家に代々伝わる至高の天使メタ……」
「ではこれを持っとけば何も心配いらないな」
「まぁ確かに自衛はする気持ちは大事だよね」
「クレールサン御守リアリガトー大事ニシマスワネー」
「……おい君ら、こちらは真面目に話をしてるんだが」
神や天使や魔物といった宗教的な話となるとクレールは途端に話が長くなる。彼の親が天使を奉る宗派の司教であるらしい。
なので、長くなりそうな話を遮ってテキパキと帰る準備をする。皆にも帰宅を促し、教室の扉に手をかける。
「お先ー。暗くならないうちに帰れよー」
「行こう、カレン」
*****
教室が並ぶ廊下を進み昇降口へと向かうカレンとユル。友人お手製の護符は、曰く家に代々伝わる魔を祓う聖なる紋様だとか。円の中に目がいっぱい描かれてて名前も確か目取ろんだった気がする、気色悪い。
「……カオスだ」
「だけど彼も心配なんだよ。そういうとこ優しいよね」
「仕方ない。しばらく持ち歩いとくか。それであいつも納得するだろう」
ふと窓を見ると外で女の人が歩いていた。服装からこの学校の教員ではなさそうだ、見覚えもないし。誰かの保護者だろうかと思ったが、即座にそれはないなと否定した。
そしてその女性を視界から外し、素早く隣を歩くユルの手を引き近くの階段を降りる。
ここは三階。外に人が立てる足場はない。
二階を通り過ぎる時、チラリと見えてしまった。窓の下から上に伸びる彼女の長い胴と、恐らく身体を折り曲げているのだろう、上から此方を覗く不気味に笑う顔を。開けろと窓をノックしていた。
「何かいたの?」
「窓の外。多分幽霊か魔物か」
それを聞いたユルが外を見ないようにさっと目を伏せる。
どちらにせよこの世のもの、人の理解の及ぶものではない。無視するに限る。下手に関心を買って粘着されては厄介だ。
「大丈夫だ。中にまでは入って来れない」
聖都大学院附属学校中等部。
聖都にあるこの学校は精霊の加護を受けているらしく、浮遊霊や弱い魔物は敷地内に入って来れなくなっているらしい。
ただ、信仰の薄れゆく現代にあって、どれだけ効果があるのか分からない。
人の生活が豊かになれば信仰は薄れるもの。信仰が薄れ人々が油断した心の隙へ闇は忍び込む、闇は魔を生み、魔への恐怖から再び拠り所にする信仰が生まれ、そこから新たな精霊が誕生する。そのようにして信仰は闇を糧に生き続けた。
しかし近年現れた科学の光は日増しに強くなっている。いずれ闇もろとも信仰さえも呑み込むだろう。 ウェンディのように精霊や魔物の存在を信じない者も多くなってきている。
薄れゆく精霊と魔物の姿を己が目に映せる者は今となっては殆どいない。
「なんでカレンは見えるのかな?」
「さあな。お前の影響かもな」
「そうかもね」
「お前は襲われやすい」
「気をつけてるから大丈夫だよ」
子供の内は稀にそういったモノ達が見えるのだ。見える力が強いせいかユルはそういうのに狙われやすい。遭遇すれば必ずしも襲われるわけではないが。
これは二人の秘密である。クラスの皆にも内緒、特にクレールの奴に知られれば根掘り葉掘り聞かれそうで面倒である。
*****
昇降口付近の掲示板の前で、クラスの担任がどこから持ってきたのか椅子に座って箒で肩をトントン叩きながら何やらぼやいてた。
「ったく仕事増やしやがって。俺の授業時間減るってなら歓迎だけどよお。職員会議なんざ別に休み時間にやらなくてもいいじゃねぇか」
「教師がそれ言うんですか」
「どうせ餓鬼の悪戯だろ。っていうかやった奴に責任持って片付けさせるのが教育だと思うんだけどねー。あのハゲ何考えてんだ」
今起きたのではないかと思えるくらいボサボサの髪をかきながら気だるそうに悪態をつく。
「そのやった奴が誰だか分からないんでしょう。ってか先生ですよね?クレールの奴に変な事吹き込んだの」
「ちっと面白そうだから喋っただけだろ。別に問題ねぇよ。こっちはおちおち眠ることすら出来ねぇってのに。俺の睡眠時間返せ」
「本当に寝てたんですか。だから毎回授業遅れてくるんですか」
「寝る子は育つって言うだろ。俺の成長を妨げるなよな」
もう成長しませんよと言い返そうとして止めた。
これ以上不毛な議論に時間を割きたくない。
適当に返事をして自分のロッカーへ向かう。
まだお喋りで集っている生徒に担任が箒を振り回して帰宅を促していた。
「あの人本当に教師?」
「あ、そうだロット」
寝ぼけ眼の教師はロッカーに鍵をかけたカレンを呼び、箒を投げてきた。
「それ返しておいてくれ。うちのクラスだ」
「三階じゃないですか。今降りてきたばかりなんですけど」
「じゃあ誰に任せりゃいいんだよ。こういう雑用こそ誰かがやらなきゃいけねぇんだ。そういや今俺のポケットにチロリチョコがあったな」
「ユルは先に寮に帰っとけ」
「カレンはプライドないの?」