第3話・咎封じの四族
村を出たイヴ達は、3日をかけてアハティス内海に面する港町・ツヴィトークへと辿り着いた。
ツヴィトークは『宝玉の港』と呼ばれており、国内と各国の間で宝石や貴金属の輸出入が盛んに行われている。
その為、町中では宝石・貴金属・アクセサリーを扱う商店が多く、町人の殆どが宝石商だ。
「わ…凄い…」
外の世界を知らないイヴは目を輝かせながら沢山の宝石店を見る。
「この町なら人が集まる。他の神霊使いや混血姫の情報が集まるぜ」
アストリットはニッと笑う。
彼女の一族は勉強熱心な者が多く『世界の裏事すら見透かす存在』とも呼ばれている。
「そうそう。この町は裏で人かっ!?」
アストリットの言葉を遮るように彼女の腕をオクタヴィアは掴む。
「情報収集は2手に分かれましょう。私はアストリットと行きますから、兄様はイヴ様と共に情報を集めてくださいね」
オクタヴィアはにこにこと笑いながら早口で語り、引き摺るようにアストリットを連れていった。
取り残された2人は、嵐の如く去っていったオクタヴィアに唖然とした。
「…行くぞ、イヴ」
「…はい」
何とか気を確かにした2人は情報収集しに、町へと入っていった。
しかし、沢山の人間の間を縫うように歩く事が慣れていないイヴにとっては大変なもので、先を歩くフローリアンの後を追うにも精一杯だ。
「港町って、人がとても多いんだね、フローリア…ン?」
気付くと前にいた筈のフローリアンの姿がなかった。
「あれ…?」
辺りを見渡しても彼の姿はない。
「うそ…フローリアン!」
イヴは慌てて走り出した。
しかし、走っても走ってもフローリアンの姿は見つからない。
「何処!?何処いったの!?フローリアン、フローリアンっ!」
走っていると、町の裏側へと着いていた。
「はぁ…はぁ…」
途切れ途切れになった息を整える為、イヴは一旦走るのを止めた。
そして、自分が知らない場所に来てしまった事に気付く。
「…ここは…何処…?」
表通りとは違う、真っ暗な雰囲気にイヴは怯えた。
その時。
「おい、此処では珍しい鳥が迷いこんだぞ」
突如聞こえてきた声に、イヴはビクリと体を大きく震わす。
彼の目の前と背後には荒くれを彷彿させる姿の大男2人が現れた。
「ネーヴェ族の女か…」
背後の男はイヴをジッと見る。
「…っ!」
イヴは逃げようとしたが、背後にいた男に両手首を掴まれ、煤けた煉瓦の壁に押し付けられた。
「うぅっ!」
強く壁に背中をぶつけ、脳髄を伝わる鈍い痛みにイヴは顔を歪める。
捕らえている男は片手で、嫌がる彼の上着を剥いた時、驚きの表情を見せた。
「おい、コイツ男だ!」
「どっちでもいいさ。コイツはかなりの金になるぜ」
傍らの男はイヴの顔や、頭の先から足元を眺めながら厭らしく嗤う。
「勿体ねぇよアニキ。確かにコイツは今まで見てきたヤツと違って上玉だけどよ…」
「ダメだ。商品をキズモノにしたら価値が下がるだろ」
「少しだけ、少しだけ頼む!」
男達の会話で、自分自身に起こることをイヴは完全に予想出来た。
「はな…してっ!」
イヴは男の手から離れようと暴れ始め、手首の拘束を解き放つが、傍らにいた男が腕を乱暴に掴む。
そして、灰色にくすんだ石畳に突き飛ばされ、イヴはうつ伏せに倒れこんだ。
肌が露になった胸元から伝わる石畳の冷たく硬い感触は更にイヴの恐怖心を煽る。
「この!暴れるな!」
手首を掴んでいた男はイヴの髪を乱暴に掴み、顔を無理やり上げさせる。
「お前にはさいっこうの屈辱を与えてやるよ。俺達に逆らったんだからな!」
「…い…や!誰か…!誰か助けてっ!!」
「うるせぇ!少し黙ってろ!」
男はもう一人の男に目配せをすると、片方の男はイヴの両腕を荒縄で縛り、口に白い布を噛ませた。
「んー!んーっ!」
じたばたと暴れるが、脂肪も筋肉も着いていないか細い躯と力が無い為、体格と力でイヴは負けていた。
魔術を使おうにも、彼は心のなかで詠唱するという事が出来なかった。
「大人しくしてろ。もし暴れたり叫んだりするなら痛い目にあうぜ?」
脅しをかける男に、イヴは恐怖心が大きくなり、瞳から一筋の涙が零れた、その時。
「ふーん…痛い目…ねぇ…」
裏路地の奥から聞こえてきた声に3人は路地の闇を見ると、其処には綺麗な緑の髪の少年が立っていた。
「その子、嫌がっているのに無理矢理するんだ…いい大人が情けないと思わないのか?」
少年の言葉に男達は顔を怒りで真っ赤にする。
「ガキが生意気な事言ってんじゃねぇ!テメェも売られてぇのか!?」
「僕は君たちの趣味に興味ないし、素直に躯を売る気もない。売春行為を強制させるつもりの人には従わない主義なんだ」
クスクスと冷たく笑う少年に男達は更に怒りだす。
「この…」
ついに1人が怒りに身を任せたのか、少年に殴りかかる。
が、少年は涼しい顔で殴りかかってきた男をかわし、首筋辺りに回転蹴りをお見舞いする。
軽く見えた蹴りは以外と重かったらしく、受けた男は煉瓦の壁にその巨体をぶつける。
イヴは唖然として少年と石畳に突っ伏して気を失っている男、蜘蛛の巣状にひび割れている壁を交互に見る。
細い躯からは想像もつかない鋭さを持った蹴りを放つ少年に、もう1人の男は真っ青になった。
少年はもう1人の男に目を向けると冷たい笑みを見せる。
「さて…手加減はしたけど、まだやるって言うのなら、2人共容赦はしないよ…」
「ひいぃっ!」
彼の気迫に負けた男は突っ伏している相方を抱え起こすと、脱兎の如く逃げ去っていった。
「だらしないなぁ…」
少年は楽しげに呟くとイヴの元に近寄り、しゃがみこむと彼の腕と口を縛っている拘束具を解く。
猿ぐつわが取れたイヴは肺に溜まっていた息を深く吐き出した。
「はぁっ…はぁ…あの…助けて頂いて…ありがとうございます」
「いいよ。だけど気を付けなよ。最近じゃ、人買いの奴等が彷徨いているからね」
お礼を述べるイヴに少年は人の良い笑顔を見せると、彼の顎に親指を当て、クイッと顔を上げる。
「君さ…そんな色っぽい表情で迷っていたら、悪い奴等に食べられちゃうよ」
「え…?」
妖艶に笑う少年にイヴはキョトンとした表情になる。
「君みたいな純真無垢な…純白一色の子は、特に…ね…」
そう少年が言った途端、イヴは唇に柔らかい感触を感じ、暫くして、少年が自身に口付けをしているのだと気付く。
少年の唇が離れると、彼はイヴの顔がほんのり朱に染まっている事に気付く。
「もしかして、初めて?どおりで甘いと思った」
「あ…ぅ…」
初の口付けにイヴの頭の中は真っ白になっており、そんな彼の様子に少年はクスクスと無邪気に笑う。
「可愛いなぁ…軽い口付けだけで骨砕けになるなんて…これはどうなるのかな?」
更に少年はイヴと唇を重ねる。
だが、先程とは違って貪るようなもので、何度も角度を変え、口付けをする。
「や…め…」
弱々しくイヴは声を出す。
連続の口付けで息がしにくく、イヴは酸欠状態になりかけていた。
少年はその事に気付くと口付けを止め、妖艶な表情で力なく座り込むイヴを眺める。
「へぇ…かなりイヤらしい姿になるんだ…深い口付けなら更に妖艶になるんだろうね」
「…っ」
彼の言葉にイヴは怒りを露にして睨み付けるが、あまり迫力は無かった。
「あまり怖くないなぁ。そんな潤んだ瞳と乱れた呼吸じゃ、更に食べられちゃうよ」
清楚な顔立ちに冷笑を浮かべる少年の言葉は、イヴの恐怖心を揺らがすのには十分な鋭さと無慈悲さを持っていた。
「僕だって他の男のように理性を持ってるし、それを崩壊させてしまうことがある。君も、君の一族も、この世界の人間も同じようなものだよ」
「そ…んな…こと…」
「ない…って言い切れる?じゃあ、ホントに君は理性を崩壊させないのかを見せてよ」
少年は怯えるイヴの両腕を上に上げ、片手だけで掴むと背もたれにしている壁に押さえ込む。
イヴは何が起こったのかは分からなかったが、段々今の状態が理解出来るようになり、自身が今、危険な状態に陥っている事を悟った。
「は…はなし…て…」
「あ、他の人は僕らの事は気にしないよ。此処は陰になっているし、声も聴こえたりしない。それに結界も張ってあるから」
その言葉にイヴは蒼白になる。
「やだ…!やめてっ!」
「その姿じゃ逆効果」
ニィと少年は笑いながら唇を重ねると、口腔に彼の舌が入り込み、舌を絡めとる。
「っ…ふぁ…」
口腔に水音が響き渡る度に、イヴの中で何かが爆ぜかけるような感覚に陥り、次第に躯から力が抜けていった。
唇が離れると同時に少年の舌は銀糸を引きながら離れた。
「ほら…もう熱くなってる。結局は君も他の皆と同じなんだよ」
「は…ぁ…はぁっ…」
冷たい言葉を聞きながら乱れた呼吸を整える、うっすらと涙ぐむイヴ。
すると、少年はイヴの乱れた衣服を整えると、スッと立ち上がった。
「中途半端じゃ気持ち悪いと思うけど、時間がないからね」
少年はニコリと笑うと踵を返す。
「さて、そろそろ君のお迎えが来るみたいだから僕は帰るよ、イヴ」
少年が言った自身の名前にイヴは驚きを隠せなかった。
彼に一切名前を名乗ってはいないはずなのに、何故少年は自身の名を知っているのか。
「な…なん…で…ボクの…な…まえ…」
「知ってるよ。僕の一族は聖霊達から星歌の氷姫、神霊使い達、混血姫の名を教えて貰えるから」
「え…?」
イヴが呆気に捕られると、少年はくるりとイヴに背を向ける。
「僕はテオ。琥珀、瑪瑙、瑠璃の一族と同じ存在である『翡翠の一族』の者さ」
じゃあね、とテオはヒラヒラと手を振りながら裏路地の闇へと消えていった。
そして、彼と入れ替わるようにフローリアン、アストリット、オクタヴィアが現れた。
「イヴ様、大丈夫ですか!?」
血相を変えたオクタヴィアはへたりこむイヴに駆け寄る。
「すまない。先に人買いがいるって伝えておきゃ良かったな」
「アストリットが謝る必要はない。お前の注意を遮ったオクタヴィアが悪いんだからな」
「…ごめんなさい、兄様」
しょんぼりとした表情でオクタヴィアは謝る。
本来なら笑える筈なのだが、様々な出来事に頭の整理が追い付かなくなっていたイヴの瞳と表情は虚ろになっていた。
「イヴ?」
彼の様子がおかしい事に気付いたアストリットは側に近寄り、そして彼の躯に残っている証拠を見つけた。
「お前…!人買いの奴等に襲われたのか!」
「「!!」」
彼女の言葉に、言い争っていた兄妹は驚愕の表情に変わった。
「一体、どんな奴等に襲われたのですか!?」
真っ青になったオクタヴィアはイヴの肩を掴もうとするが、フローリアンは素早く彼を抱え上げる。
力を失っているイヴの躯は異様に軽かった。
フローリアンは表情を険しくすると、2人と向き合う。
「…とりあえず、この場所から離れよう。宿屋に向かうぞ」
「分かりました」
「ああ…」
オクタヴィアは素直に頷いたが、アストリットは苦渋の色を浮かべていた。
―――ツヴィトーク港の近くにある宿屋。
宝石交易で栄えている為か、個室はかなり豪華なもので、隣部屋の音は些細な音さえ聞こえなかった。
更に異国の文明を取り入れた浴室や、色とりどりの宝石を散りばめた金縁の高価な鏡と大理石の洗面台がある洗面所もあった。
イヴとフローリアンがいる部屋にオクタヴィアとアストリットが入ってきた。
「イヴ様は?」
「今は風呂。入る前に聴いたが、あいつは人買いに連れ去られそうになった際、翡翠の一族と言う少年に助けられたらしい」
「翡翠の一族…フェツィ族だな」
部屋の壁に寄り掛かっているアストリットは腕を組みながら表情を渋める。
「知っているのか?」
「まあな。で、イヴはもう少しでそいつに食われかけたんだろうな。多分、口付けくらいはされたんじゃねぇのK…「なななっ!なんですって!?」オクタヴィアうるせぇっ!」
突然叫びだしたオクタヴィアに、アストリットは彼女の頭に強いのを一発お見舞いし、気絶させる。
彼女が混乱しているのは一目瞭然だったので、アストリットとフローリアンは「静かになった」と小さく溜め息をつく。
「まさか四族の1つであるフェツィ族が現れるとはな…」
「アストリット。四族とはどんな一族なんだ?俺は一般に出回っている書物に書いてある内容しか知らないんだ」
フローリアンの言葉にアストリットは頷く。
「四族は『原罪』が産み出した『七つの大罪』を封じる一族達の名称なのは知っているだろ」
「ああ。だが、どんな大罪を封じているかは知らない」
「だろうな。人間は穢れた族と呼んで蔑んでいるからな。ま、あたしらリコルヌ族やネーヴェ族、アンヘル族、他の一族も似たり寄ったりなもんだが…」
苦笑しながらアストリットは話を続けた。
「翡翠の一族であるフェツィ族は『色欲』と『強欲』の大罪を封じているんだ。琥珀の一族であるフィポ族は『怠惰』と『悪食』、瑪瑙の一族であるマナ族は『嫉妬』と『傲慢』、瑠璃の一族であるティア族は『憤怒』と最大の罪であり七つの大罪の母である『原罪』を封じている。あたしらリコルヌ族は四族の事は『咎封じの族』と呼んでる。それと、瑠璃とか翡翠とか宝石の名で呼ばれているのは、咎を封じている玉がそれぞれ瑠璃、翡翠、琥珀、瑪瑙だからなんだ。ついでだが、彼等は聖霊達と会話が出来る」
アストリットの説明にフローリアンは大体の予測がついた。
「多分、そいつは色欲の大罪を押さえられなかったんだろうな…」
その言葉にアストリットは更に表情を険しくする。
「大罪の波動は後遺症を残しやすい…云わば、呪いみたいなものだ。特にイヴみたいな純粋な奴ほど深く呪いが刻まれる。この後遺症は触れた奴にも映る事があるが、これは稀な事だ。軽い口付け位だったらなら良いが、深い口付けとなるとな…」
「それを消す方法は無いのか?」
「あるにはあるが…彼奴を穢す行為になるぞ。お前にそれが出来るのか?」
フローリアンは黙りこむ。
彼の様子にアストリットは厳しい表情に変えた。
「穢したくないならそれでもいい。けど、そのままにすればいずれ彼奴自身が勝手に穢れるぞ。彼奴を苦しませたくないなら、お前自身の覚悟を決めるんだな」
そう言うとアストリットは気絶しているオクタヴィアを肩に軽々と乗せ、部屋を後にしようと扉の前に立つ。
「それと、あたしの事はリットで構わない。アストリットなんて名前、長いだろ?その代わり、あたしもあんたらの事、リアンとヴィアって呼ぶからな」
それだけ語り、アストリットは部屋を後にした。
1人残されたフローリアンは俯くと額に手を当て、深く溜め息をつく。
「…俺は…彼奴を…穢す事なんて出来ない…けど…いずれ彼奴は他の奴等と交わる…」
そう考えた途端、フローリアンの胸が痛み始めた。
「…っ…俺は…どうすれば良いんだ?…母上…父上…リオン兄上…カノン姉上…リラ…」
フローリアンは胸をつかみ、苦しげにこの場所には居ない家族に尋ねた。
―――一方、浴室。
イヴは雪の様に白い湯が満たされている白の浴槽につかっていた。
水面には色とりどりの花や花弁が浮いており、甘い匂いが浴室を満たす。
ちゃぷ…と水面が波打つと花舟が揺れる。
(温かい…けど、躯が冷たい…)
温かい湯槽につかっている筈が、イヴの顔色は水が満たされた浴槽につかっているように真っ青だった。
ふと、イヴの脳裏にシルヴォとテオの姿が横切る。
(あの人…シルヴォさんみたいな目をしていた…ボクを…襲った時の…)
そう思った途端、イヴは躯を強く抱き締める。
「ぅ…あ…」
言葉に出来ない疼きが身体中に広がる。
(な…に…これ…?)
必死に躯の異変を抑えようとするが、嘲笑うかのように躯の疼きは治まらない。
「嫌…お願い…治まって…治まってよ…」
だが異変は治まらない。
「痛っ…」
無意識に爪を立てて腕を強く引っ掻いてしまったらしく、二の腕には紅い筋と血が滲んだ。
「…嫌…助けて…」
か細い呟きは誰にも聞かれず、水音にかき消された。
湯槽を出たイヴは宿屋で用意されている寝間着を着る。
―――が。
「…下…履けない…」
彼の体躯と身長には合わない、かなり大きいものだった。
上の寝間着もかなり大きく、袖はイヴの腕を完全に隠せる程の長さ。
襟口も両肩と鎖骨がはっきりと出てしまう程広く、裾口も太股辺りまで長かった。
イヴは、幾ら履いても下がり落ちてしまう下の寝間着をじっと見て考える。
「…上だけで…いいよね…?フローリアンしか居ないし…大きさ合わないし…」
そう呟くと、イヴは上だけ着ると下の寝間着を投げ捨て、浴室を後にする。
部屋に移動すると、ベッドに座り悩んでいるフローリアンの姿があった。
「フローリアン?」
「っ!?」
突然名を呼ばれて驚いたのか、フローリアンは勢いよく顔を上げる。
イヴはヒョコヒョコと歩きながらフローリアンに近寄り、彼が座っているベッドにちょこんと座る。
「どうしたの?」
「いや…お前こそ大丈夫なのか?」
「………………大丈夫って言うと嘘になるよ…」
イヴは自分の躯を抱き締める。
「躯が…おかしいんだ…気持ち悪いくらいに…疼く…彼に口付けをされてから…ずっと…」
「………………」
アストリットが言っていた言葉が的中していた。
やはり彼は色欲の大罪の波動による後遺症を深く身に刻まれていた。
「なんなのか…わからない…けど…呪いみたいなものだって…わかる…」
イヴはフローリアンをじっと見据える。
その瞳は潤んでいた。
「ねぇ…この呪いは解く事が出来るのかな?」
「…出来る…」
「本当!?」
嬉しそうに笑うイヴを見たフローリアンはやるせない気持ちになる。
言うべきか言わざるべきか悩んでいるのだ。
イヴはフローリアンが暗い表情になっている事に気付く。
「フローリアン?」
「けど…それを消すには…」
「……………………」
歯切れの悪いままのフローリアンに、イヴは何故か愛おしさを感じた。
イヴは悩み続けているフローリアンを優しく抱きしめた。
「イヴ…?」
「…分かっているよ…ボクを穢すのが怖いんでしょ?」
「っ!?」
その言葉にフローリアンは言葉を失った。
「…ボクなら覚悟が出来ているから。分かっているんだ。ずっと黒を知らない純粋のままでは生きてはいけない…ほんのすこし黒に染まれば生きていけるって」
フローリアンの背に回している腕に自然と力が籠る。
「本当は怖い…けど…生きるには怖さも必要だって…知ってるから…」
いつの間にかイヴの声は涙ぐんでおり、フローリアンは彼の頭を優しく撫でた。
「何時ボク自身が他の人達と交わるかは分からない…だったら…」
「…っ!」
咄嗟にフローリアンはイヴを強く抱きしめるが、どうしてそうしたのかは彼自身にも判らなかった。
「フロー…リアン…」
「何も言うな…」
恐怖心が露になっているか細い呟き。
イヴは幼子をあやすようにフローリアンの背を優しく撫でると、軽く口付けをする。
「なっ!」
突然の口付けにフローリアンは真っ赤になる。
「ちょっ!おまっ!?なにしてっ!?えぇっ!?」
初めて見せるフローリアンの狼狽えぶりにイヴはクスクスと笑う。
「笑うなっ!」
「ごめんなさい。けど…ボクはフローリアンとなら大丈夫だから…」
「…恥ずかしい事、サラリと言うな…つか…下履けよ…」
ふい…と、真っ赤になったフローリアンはそっぽを向きながら呟く。
「ごめんなさい…服…大きすぎて上しか着れなかった…」
「そんな身なりだと、欲求剥き出しの奴等に襲われるぞ?俺だけだからいいが…他の奴が居るときは気を付けろ。何時も俺が居るとは限らないからな」
そっぽを向きながらのフローリアンの注意にイヴは素直に頷いた。
「一応…俺だって男なんだからな…何時お前を襲うか分からないんだぞ」
「フローリアンなら平気…」
「だから…っ!そんな事、サラリと言うなっ!此方が恥ずかしくなる…!」
バッとイヴに顔を向け、真っ赤にして叫ぶフローリアンの何時もと違う様子に、イヴはとても新鮮だと感じた。
と、突然イヴはフローリアンに押し倒される。
「フロー…リアン…?」
「…すまない、イヴ。俺もお前が受けた呪いの波動を受けたのだろうな…」
トン…と、イヴの左肩にフローリアンは額を当てる。
「情けないな…お前を襲おうとする俺が俺の居る事…抑えきれなかった事が…」
「情けなくなんかないよ…ボクだって同じだから…」
そう呟くとイヴはフローリアンの髪を優しく梳く。
美しく輝く、か細い銀糸はイヴの華奢な指をするりと柔らかく流す。
「ボクは後悔はしない…大罪の呪いを解くのは、その大罪に適した方法しかないって知ってるから…」
「色欲なら交わり…憤怒なら誰かを憎む…嫉妬なら誰かを恨む…悪食なら何かを食べる…傲慢なら誰かを困らせる…強欲なら何かを欲する…怠惰は何もしない…といった感じか…今はこんな方法しか、解く事が出来ないんだな…」
「けど…何時かきっと…他の方法で解くことが出来る…ボクはそう信じてる…」
イヴは笑いながらそう語る。
そして二人が口付けを交わした瞬間、イヴは自身の躯の異変が消えたのを感じた。
「あ…れ…?」
「どうした?」
「…フローリアン…躯の…疼きが…消えた…」
彼の言葉にフローリアンは驚いたが、安堵した色もそこにはあった。
「…っ!本当か?」
「うん…!」
嬉しそうにイヴは笑い、しがみつくようにだが、フローリアンに抱きつく。
「もしかしたら、お前の中に流れている浄化の力が、俺達が受けた大罪の呪いを消したのかもな…」
「あ…氷姫は膨大な魔力の他に、様々な力を、その身に宿すからね…」
複雑な表情でイヴが呟くと、フローリアンはそんな彼を強く抱きしめた。
「…すまない…」
「謝らないで、フローリアン。ボクは嬉しいんだ。フローリアンの純潔を護れたし、何よりボク自身の力でフローリアンを助けられるって分かったから」
イヴの強気な言葉。
その裏には複雑な思いと、氷姫として生まれた運命の重さが見え隠れしていた。
神霊使いや混血姫に決められた運命よりも重い十字架。
イヴの華奢な体躯には似合わない業。
そんなものを背負いながら、村人の勝手な考えを受けながら、イヴは村で暮らしていた。
「すまない…けど、俺もお前の純潔を護れて良かったよ」
フローリアンはそんな彼に何度も謝る事、今思っている事を伝える事しか出来なかった。