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第4話 鍵束が語る嘘

人間の嘘は、些細な数字のずれに宿る。前世のパン工房で仕入れの管理をしていたとき、わたしはそのことを嫌というほど学んだ。


 西棟地下倉庫の前に立ったのは、退勤後の夕刻だった。


 誰もいない。廊下は薄暗く、壁の燭台だけがちらちらと揺れている。倉庫の扉は重い木製で、大きな錠前がかかっていた。


 ニナが紛失したとされる鍵は、この錠前の鍵だ。


 扉に触れてみる。冷たい木の感触。錠前は頑丈だが、新しい。周囲の金具に比べて錠前だけが真新しい。


 ——最近、取り替えられた?


 手帳に書き留める。


 倉庫の周囲を観察した。廊下の突き当たりは行き止まり。つまり、この倉庫に来るには廊下を真っ直ぐ歩いてくるしかない。逃げ道が一本しかない場所だ。誰かが不正にアクセスするなら、見張りがいないタイミングを計る必要がある。


 壁際に、小さな棚があった。埃をかぶった花瓶が置かれている。花瓶の下に——何かある。


 花瓶をそっとずらした。棚板に、薄い擦り傷が複数ある。何かを繰り返し置いた痕跡。鍵ぐらいの大きさの。


 仮説。誰かがこの棚を、鍵の一時保管場所として使っている。公式の鍵管理所ではなく、こんな目立たない場所に鍵を置く理由はひとつ。


 管理記録に残したくないからだ。


 足音が聞こえた。


 わたしは咄嗟に花瓶を元に戻し、廊下の角に身を隠した。


 足音の主は、銀混じりの黒髪をきっちりまとめた女性だった。侍女長マルグリット。


 彼女は周囲を確認してから——わたしが隠れている角には目を向けなかった——鍵束から一本の鍵を抜き、錠前を開けた。


 中に入り、しばらくして出てきた。両手に小さな箱を抱えている。箱の側面に、王宮の行事用備品を示す刻印が見えた。


 マルグリットは錠前を閉め、鍵を——鍵管理所ではなく、棚の上の花瓶の下に滑り込ませた。


 やはり。


 備品の持ち出し。記録を残さない鍵の管理。そして、鍵の紛失をニナに押しつけた。


 なぜニナなのか。


 答えは簡単だ。ニナが正規の手順で鍵を返却した記録が存在する。その記録がある限り、「正規の鍵は返却済み」になる。つまりマルグリットが使っているのは——


 合い鍵だ。


 正規の鍵とは別に、合い鍵を作らせた。だが、万が一合い鍵の存在が露見したときのために、正規の鍵を「紛失」扱いにした。「紛失した正規の鍵を誰かが拾って使った」というシナリオを作るために。


 ニナは、アリバイ工作のスケープゴートにされたのだ。


 マルグリットの足音が遠ざかるのを確認してから、わたしは棚に近寄った。花瓶をずらす。


 鍵があった。


 手に取りはしない。指紋を残すわけにはいかない。ただ、鍵の形状を目に焼き付けた。正規の管理鍵と同じデザインだが、柄の部分に小さな傷がある。量産品ではなく、個別に作らせた鍵だ。


 花瓶を戻し、その場を離れた。


 宿舎に戻る途中、頭の中で情報を整理した。


 マルグリットは西棟地下倉庫から備品を無断で持ち出している。高価な食器や装飾品を、記録に残さずに。横領だ。


 だが、証拠はまだ不十分だ。わたしが目撃しただけでは「見間違い」で片づけられる。一介の第三側近の証言など、長年の侍女長の信用には勝てない。


 必要なのは、動かぬ証拠。


 具体的には、合い鍵の存在を証明すること。そして、持ち出された備品の行方を突き止めること。


 前者は、棚の上の鍵を確認すれば済む。だが勝手に触れば「盗み」と言われかねない。第三者の立ち会いが要る。


 後者は——もう少し調査が必要だ。


 宿舎の部屋で、手帳を開いた。窓から差し込む月明かりの下で、今日一日の出来事を書き記す。前世のパン工房でも、仕入れの記録は毎日つけていた。正確な記録は嘘を見破る武器になる。逆に言えば、記録を怠る人間は嘘を見逃す。


『マルグリットの行動パターン:退勤後(五の刻以降)に西棟地下倉庫に出入り。合い鍵を花瓶の下に隠している。備品を箱ごと持ち出し。行き先は不明。』


『次のステップ:① 合い鍵の存在を第三者に確認させる方法を考える。② 持ち出し備品の行き先を追跡する。③ ニナの無実を証明する。』


 窓の外はすっかり暗くなっていた。


 ニナのことを思い出す。スカートの裾を握りしめて、震えていた小さな手。泣き腫らした目。


 前世のわたしなら、見て見ぬふりをしていただろう。平民の娘が権力者に逆らっても、潰されるだけだ。ダリウスに婚約破棄されたときも、わたしは何も言い返せなかった。


 でも今のわたしは——王太子の側近だ。


 地位は低い。権限も少ない。それでも、前世の自分よりは少しだけ、できることがある。


 明日の計画を立てた。まず、備品の管理規定をもう一度精査する。倉庫の出入り記録と、実際の備品数との整合性を確認する。


 そして——侍女長の鍵束の本数を、数える。


 公式記録上、侍女長の管理鍵は何本か。実際に腰にぶら下げている鍵は何本か。その差が、合い鍵の証拠になる。


 計画は単純だが、実行には細心の注意が要る。侍女長は用心深い女だ。嗅ぎ回っていることが露見すれば、わたしの立場が危うくなる。


 ——前世では、嗅ぎ回る前に殺された。今度は殺される前に証拠を掴む。


 手帳を閉じた。


 翌朝。


 側近室に入ると、殿下はもう席についていた。今日はペンを回していない。書類を読みながら、時折目を細めている。


 この表情は——感心しているときの表情だ。フラウの記憶がそう教えてくれる。


 何の書類を読んでいるのだろう。わたしの好奇心がうずくが、覗き込むわけにはいかない。


「フラウ」


「はい、殿下」


「今日の予定は」


「午前は衛兵の巡回報告の取りまとめ、午後は——」


「午後は空けておけ。付き合ってもらいたい場所がある」


 ——殿下に「付き合え」と言われた。


 心臓が暴れる。手のひらに汗。呼吸を整えて、平静な声を出す。


「かしこまりました。どちらへ」


「王宮図書館だ」


 図書館。王宮の知識の宝庫。主席司書のヴィルヘルミナが管理する、あの場所。


「資料の調査を手伝え。お前の整理能力は使える」


 使える。道具としての評価。それで十分だ。推しに「使える」と認められるだけで、わたしの人生は完結する。


「光栄です」


 午前の業務をこなしながら、昼休みに侍女棟を訪れた。ニナを探すためだ。


 ニナは洗濯場にいた。白いシーツを絞りながら、浮かない顔をしている。


「ニナ」


「フラウさん!」


 ニナが駆け寄ってきた。スカートの裾を、やはり握っている。


「あの、鍵のこと……始末書は出しました。でも、お給金の差し引きが……」


「ニナ、ひとつ聞いていい?」


「はい、なんでも」


「侍女長の鍵束、普段は何本ぶら下がっているか、覚えてる?」


 ニナは首を傾げた。


「鍵束ですか? えっと……七本、だったと思います。いつもじゃらじゃら鳴ってるので」


「管理規定上、侍女長の管理鍵は何本か知ってる?」


「六本です。各区画の管理鍵が六つ」


 七本と六本。


 一本多い。


「ニナ、ありがとう。あと少しだけ待ってて。きっとお給金の件、なんとかなるから」


 ニナの目が丸くなった。信じていいのか迷うような表情。でも、小さく頷いてくれた。


 ——証拠が揃いつつある。


 だが、まだ足りない。合い鍵の存在を証明しても、「予備鍵だ」と言い逃れされる可能性がある。必要なのは、備品の持ち出しと流出先を結びつける直接的な証拠だ。


 午後。殿下に従って王宮図書館に向かった。


 図書館は王宮の北棟にある。高い天井に木製の書架が並び、古い紙と革の匂いが充満している。


 そして、入り口で迎えてくれたのは——白髪交じりの三つ編みを垂らした、穏やかな老婦人。


「セレスティン殿下。ようこそ」


「ヴィルヘルミナ。先日の資料の続きを見せてほしい」


「もちろん。奥の閲覧室にご案内いたします」


 主席司書ヴィルヘルミナ。どの派閥にも属さず、知識を守る番人。原作でも重要な役割を担っていた人物だ。


 閲覧室に案内される途中、ヴィルヘルミナがふとわたしを見た。穏やかな瞳。でも、その奥に——何か、測るような光がある。


「新しい側近さんね。お名前は?」


「フラウと申します」


「フラウ。いい名前。本を読む人の目をしているわ」


 不思議な言い方だった。「本を読む人の目」。


「……ありがとうございます」


「何か調べものがあれば、いつでもいらっしゃい。図書館は、全ての問いに開かれているものだから」


 意味深な微笑みを残して、ヴィルヘルミナは殿下を閲覧室に案内した。


 殿下が調べていたのは、過去十年間の王宮の予算配分に関する記録だった。分厚い資料の束を、黙々と読み進める殿下の横顔を、わたしは仕事の合間にちらちらと盗み見た。


 紫の瞳が紙面を追う。銀灰色の前髪が、わずかに揺れる。


 ——ぶふぉ。心の中で一回。


 図書館の静謐な空間で、推しの隣で資料を整理する。それだけで、前世の未練が少しだけ報われる気がした。


「フラウ」


「はい」


「この記録に、不自然な点はないか」


 殿下が指さした資料を覗き込んだ。行事用備品の購入記録。


 ——あ。


 毎年の購入量が、特定の年だけ突出して多い。しかも、突出している年は決まって侍女長の管轄する行事の年だ。


「殿下。この購入量の推移ですが——」


 わたしは指で年度を追いながら、不自然な突出を示した。殿下の目が細まった。


「気づいたか」


「はい。ここ数年、特定の行事に紐づく備品の購入量が増加しています。ですが、行事の規模自体は変わっていません」


「つまり、購入した備品がどこかに消えている」


 殿下の声が低くなった。ペンを回す代わりに、指先で資料の端を叩いている。苛立ちではなく、確認の仕草だ。


 わたしは答えを控えた。殿下自身が結論に至ることが重要だ。側近が先走って結論を言えば、殿下の判断を妨げることになる。


「……調べる必要があるな」


 殿下が呟いた。


 わたしは静かに頷いた。


 ——殿下は、すでに王宮の腐敗を疑っている。


 原作通りだ。セレスティン殿下は、即位前に王宮の浄化を志す。その過程で多くの敵を作り、孤立していく。


 だが原作と違うのは、今回はわたしがここにいるということだ。


 図書館を出て、側近室に戻った。五の刻が近い。


「殿下。本日の業務は以上です」


「ああ。明日も図書館に来い」


「かしこまりました」


 退勤。


 今日得た情報は大きい。殿下が独自に王宮の不正を調べていること。そして、侍女長の横領と思しき痕跡が、殿下の調査とも重なること。


 宿舎に戻り、手帳を更新した。


『合い鍵:ニナの証言により、侍女長の鍵束は管理規定より1本多い(7本/6本)。花瓶の下の鍵と合わせ、少なくとも合い鍵が2本存在する可能性。』


『備品横領の仮説:マルグリットは行事備品の購入量を水増しし、余剰を倉庫から持ち出している。行き先は外部の商人か貴族か。要追跡。』


『殿下の動向:殿下も独自に王宮の不正を調査中。現時点では協力関係にないが、利害は一致する。』


 ペンを置いて、深呼吸した。


 明日の退勤後、マルグリットの備品の持ち出し先を追跡する。侍女長が箱を抱えて向かった先を突き止めれば、横領の全貌が見える。


 それと同時に、この横領が前世の殺害事件とどう繋がるのかも、考え続けなければならない。


 ——まだ、線が足りない。


 でも、足りないなら作ればいい。前世は、真実に辿り着く前に命を奪われた。今度は違う。今度のわたしには、推しの傍で働ける身分と、退勤後の自由な時間と、前世の教訓がある。


 手帳の余白に、小さく書き足した。


『推しが「来い」と言ってくれた。明日も図書館。ぶふぉ。』


 ——だから仕事の手帳にそれを書くなって。


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