第30話 玉座の前で
王の前に立つとき、人は二つのものを差し出す。真実か、嘘か。わたしたちが差し出すのは——真実だ。
玉座の間。
国王グランヴェールが、高い椅子に座っている。銀灰色の髪は殿下に似ている。
だが、目は違う。殿下の鋭さではなく——疲労の色がある。
長年の統治が、この人の体力を削ってきたのだろう。
「セレスティン。突然の直訴とは、穏やかではないな」
「父上。お時間をいただきありがとうございます」
「横には、噂の側近か。定時退勤のフラウ」
「はい。わたしの側近です」
国王の目がわたしを捉えた。品定めではない。もっと柔らかい視線だ。
「定時退勤を貫く側近か。面白い人材だ」
「恐縮です、陛下」
「恐縮するな。この王宮で、王太子に対して定時退勤を主張できる人間は——お前だけだろう」
「規定ですので」
国王が笑った。殿下とは違う笑い方。もっと開放的で、だが目元に疲労がにじんでいる。
「して、用件は」
殿下が文書を差し出した。
「父上。辺境伯クラインベルクに関する調査報告です。王宮内の不正が、すべてこの人物に繋がっています」
国王が文書を受け取った。頁をめくる指が、ゆっくりと動いていく。
一頁目。マルグリットの横領。
二頁目。オルランドの収賄。
三頁目。ダリウスの不正取引。
四頁目。辺境伯の私兵団。
五頁目。特別予備費の二重記録。
六頁目。コレット・ハイデンの殺害。
国王の表情が、頁を追うごとに硬くなっていく。指先に力が入っている。
「……重い報告だな」
「はい」
「宰相も関与しているのか」
「宰相は——辺境伯の脅威から王宮を守ろうとしていた側です」
「宰相がそう言ったのか」
「はい。そして、二重記録がそれを裏付けています。正規記録では宰相が決裁していますが、機密記録では——差額が辺境伯の私兵団に流れていることが分かります」
「つまり、宰相は辺境伯に脅されて資金を流していた?」
「脅迫か、あるいは——辺境伯を泳がせるための意図的な資金提供です。証拠を掴むために、あえて金の流れを作った可能性もあります」
殿下が補足した。
「父上。宰相は二十年間、一人でこの問題を抱えていました。わたしにすら打ち明けなかった」
「なぜだ」
「わたしが王太子として成長するまで、余計な重荷を背負わせたくなかったと」
国王の目が、息子を見つめた。
「……セレスティン。お前は知っていたのか。宰相の真意を」
「最近知りました。フラウの調査がなければ——今でも知らなかった」
国王が文書を閉じた。
「セレスティン。辺境伯は、わたしの古い友人でもある」
「存じています」
「友人を告発するのか、と問いたいのではない。——友人でも見逃せないほどの証拠を、お前が揃えたのか。それを聞いている」
「揃えました。フラウと、わたしの仲間たちが」
国王の目が、再びわたしに向いた。
「フラウ」
「はい、陛下」
「この文書は、お前が作成したのか」
「はい。殿下の指示のもと、関係者の協力を得て作成しました」
「一つ聞こう。お前は、なぜここまでするのだ。側近の業務範囲を超えている」
わたしは一拍、間を置いた。
「陛下。わたしには、追わなければならない理由があります」
「それは何だ」
「この王宮で出会った人たちを守りたいからです」
「具体的に」
「侍女長の横領で苦しんでいた侍女たち。文官の収賄で歪められた制度。そして——殿下が正しい王になるために、邪魔をする人間を排除したいからです」
国王がわたしを見つめた。
「お前は——殿下のために戦っているのか」
「殿下だけではありません。この王宮で声を上げられなかった人たちのために。前世で——」
言葉が詰まった。前世のことは言えない。
「前世?」
「失礼しました。以前の職場で——声を上げられずに苦しんだ経験があります。だからわたしは、事実を追います」
嘘ではない。全部は言えないが。
国王は長い間わたしを見つめてから、微かに頷いた。
「セレスティン。お前はいい側近を持ったな」
「……はい」
殿下の声が、かすかに——温かかった。
「分かった。辺境伯クラインベルクに対し、王の権限で調査を命じる」
国王が立ち上がった。
「騎士団に辺境伯領の封鎖を指示しろ。宰相には事情聴取を行う。——ただし」
「ただし?」
「辺境伯は老獪な男だ。追い詰められたとき、何をするか分からない」
国王の視線がわたしに向いた。
「身辺に注意しろ。特に——」
「その側近を。守れ」
殿下が頷いた。力強く。
「必ず」
国王は椅子に深く腰を下ろした。疲労の色が濃い。だが、目には決意があった。
「セレスティン。わたしは宰相を信頼してきた。だが——辺境伯の暗躍を見逃してきたのかもしれない」
「父上——」
「お前が真実を突きつけてくれた。王として——感謝する」
殿下の目が揺れた。父に認められた瞬間を、わたしは隣で見つめていた。
殿下は完璧主義だ。冷徹で、感情を見せない。
だが今——紫の瞳に、子供のような脆さが一瞬だけ覗いた。父に認められたいと、ずっと思っていたのだ。
わたしは何も言わなかった。この瞬間は、殿下と国王の——親子の時間だ。
◇
玉座の間を出た。廊下を歩きながら、わたしの膝は震えていた。
国王の前に立った。真実を差し出した。そして——国王が動いた。
辺境伯への包囲が始まる。
「フラウ」
「はい」
「よくやった」
殿下の声は短かった。でも、その中に——これまでのすべてが詰まっている。
侍女長の横領を暴いた日。オルランドの収賄を追及した日。
ダリウスの不正を摘発した日。宰相の真意を知った日。
すべてが、ここに繋がっていた。
「殿下。辺境伯はまだ倒れていません」
「ああ」
「でも、もう一人ではありません」
「そうだな」
殿下がわたしの横を歩いている。半歩の距離が、今は——肩が触れそうな近さになっている。
「殿下」
「何だ」
「定時退勤、今日は少しだけ遅れてもいいですか」
殿下が立ち止まった。わたしを見た。紫の瞳に、驚きと——温かさがあった。
「……お前が自分から残業を申し出るとは。何があった」
「国王陛下の前に立てた記念に。少しだけ、殿下の傍にいたいです」
——言ってしまった。
殿下は数秒間わたしを見つめてから、前を向いて歩き出した。
「好きにしろ」
その声は——微かに、震えていた。
わたしは殿下の隣を歩いた。定時を過ぎても。
——辺境伯との決着は、まだこれからだ。だが、今夜だけは——推しの隣を歩きたい。
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