第27話 宰相の真意
人は見たいものを見る。だから、真実はいつも——見たくない場所に隠れている。
オルランドの走り書き。『真犯人は宰相ではない。
守ってくれていたのはあの人だ。』
翌朝、殿下に報告した。
「オルランドが消えた。部屋に残されていたのは、この一文だけです」
殿下が紙片を見つめた。
「守ってくれていた、か」
「宰相が犯人ではなく、むしろ——誰かを守っていた。これが本当なら、わたしたちの調査の前提が覆ります」
「前提?」
「宰相が王宮の不正の中心にいるという前提です。もし宰相が不正に関与していたのが——不正を行うためではなく、何かを守るためだったとしたら」
殿下が椅子から立ち上がった。
「何を守る?」
「分かりません。ただ——ヴィルヘルミナさんが言っていたことを思い出しました」
「何だ」
「コレット・ハイデンを追放したのは宰相です。でも、殺してはいない。追放で済ませた」
「社会的に消したが、命は奪わなかった」
「はい。宰相が本当に冷徹な人間なら——殺す方が確実です。なぜ追放で済ませたのか」
殿下の目が鋭くなった。
「コレットを守ろうとした、と?」
「仮説です。王宮に残れば危険だった。だから追放という形で——王宮から遠ざけた」
「口封じではなく、保護だった可能性」
「はい」
沈黙が落ちた。
もし宰相が、コレット・ハイデンを守るために追放したのだとしたら——隠し子であるわたしの前世を守ろうとしていた可能性もある。
では、前世のわたしを殺したのは誰だ。
「殿下。宰相に直接会いたいです」
「宰相に?」
「はい。この走り書きを見せて、真意を確認します」
「危険だ」
「承知しています。でも、このまま推測を重ねても真実には辿り着けません」
殿下がわたしを見つめた。長い、長い視線。
「——私も同席する」
「殿下が?」
「お前一人で宰相の前に立たせるわけにはいかない」
——推しが、わたしを守ろうとしている。
胸が詰まった。でも、今は感傷に浸っている暇はない。
◇
午後。宰相の執務室。
ギルベルトは穏やかに微笑んで、わたしたちを迎えた。紅茶のカップを手に。
「殿下。そして、フラウ殿。珍しい組み合わせですね」
「宰相。聞きたいことがある」
殿下がオルランドの紙片を机に置いた。
「これを読め」
ギルベルトが紙片を見下ろした。穏やかな笑みが——初めて、消えた。
「……これは」
「オルランドが残した走り書きだ。宰相、答えろ。お前はコレット・ハイデンを守っていたのか」
ギルベルトの手が動いた。紅茶のカップを机に置く。
初めて見る動作だ。カップを手放した。
「殿下。フラウ殿」
ギルベルトが椅子を示した。
「座っていただけますか。長い話になります」
ギルベルトの声が、変わった。穏やかな仮面が外れて、その下にあるのは——疲弊した男の声だった。
「二十五年前。わたしはコレットを愛していました」
「知っている」
「彼女を追放したのは、わたしの判断です。ですが——それは口封じではありません」
「では何だ」
「保護です。コレットは、先代宰相の失脚に関する真実を知っていました。証拠の捏造ではなく——先代宰相が本当に不正を行っていたという真実を」
わたしの思考が止まった。
「証拠の捏造ではなかった?」
「いいえ。わたしが先代を失脚させるために使った証拠は、本物です」
ギルベルトの声が低くなった。
「ですが——先代の背後にいた人物が、証拠は捏造だという噂を流したのです」
「先代の背後にいた人物?」
「辺境伯クラインベルクです」
——辺境伯。
すべての糸が、また一つの名前に向かって収束し始めた。
「辺境伯は先代宰相の盟友でした。わたしが先代を失脚させたとき、辺境伯は復讐を誓いました」
「どんな復讐を」
「わたしの弱点を突く復讐です。わたしが最も守りたかったもの——コレットと、その娘を標的にした」
ギルベルトの手が震えていた。
「コレットを追放したのは——」
「辺境伯からコレットを隠すためです。王宮にいれば殺される」
ギルベルトの声が震えた。
「だから市井に逃がした。名前を変え、歌を捨てさせて」
「パン工房で暮らしたのも」
「わたしが手配しました。人目につかない場所で、静かに暮らせるように」
二十五年間。宰相は影から、コレット・ハイデンとその娘を守り続けていたのだ。
ギルベルトの手が震えていた。紅茶のカップを手放した手が。あの完璧な制御が、崩れている。
「そして——コレットの娘。わたしの娘も。辺境伯の標的でした」
「前世のわたしを殺したのは——辺境伯の指示だったのですか」
ギルベルトがわたしを見た。穏やかな笑みではなく、苦痛に歪んだ顔で。
「わたしは——守れなかった」
その一言に、二十五年分の後悔が詰まっていた。
「コレットを市井に隠した。娘が生まれたことも把握していた」
ギルベルトの手が、机の上で握り締められていた。
「遠くから見守り続けた。金も送った」
「金?」
「パン工房の運営資金だ。表向きは商人からの融資として。コレットは——わたしから金を受け取っているとは知らなかったはずだ」
前世のパン工房。工房の親方が「なぜか経営が安定している」と不思議がっていたのを覚えている。
あれは——宰相の援助だったのか。
「ですが——娘は殺されました」
「ああ。辺境伯が動いたのだ。わたしの監視の隙を突いて」
「どうやって見つけたのですか。コレットの娘の居場所を」
「分からない。わたしは——あらゆる手を使って隠した。名前を変え、住む場所を変え、痕跡を消した」
「それでも、見つけられた」
「ああ。辺境伯には——わたしの知らない情報源があったのだ」
「宰相の周囲に、辺境伯の内通者がいた」
「……恥ずかしながら、そう考えている」
「ヘルマンですか」
「ヘルマンは三年前からだ。二十五年前には——別の人間がいたのだろう。だが、特定できなかった」
二十五年間の暗闗。宰相は一人で、辺境伯と戦い続けていた。
「なぜ、殿下に打ち明けなかったのですか」
「殿下は当時、まだ子供だった。王太子として成長するまで——余計な重荷を背負わせたくなかった」
「でも、結果として——殿下の周囲に辺境伯の手駒が入り込んだ」
「ああ。わたしの判断ミスだ。一人で抱え込みすぎた」
ギルベルトの声が、震えていた。完璧な制御が——崩れている。
「なぜ、そのタイミングで」
「婚約破棄だ」
わたしの心臓が跳ねた。
「婚約破棄?」
「ダリウスとの婚約破棄は、偶然ではない。辺境伯がダリウスに指示した。わたしの隠し子を炙り出すための罠だ」
「炙り出す……?」
「婚約破棄された女が、誰に助けを求めるか。辺境伯はそれを観察していた。もしコレットの娘がわたしに接触すれば——隠し子の存在が確定する」
「わたしは——助けを求めなかった」
「ああ。だが、辺境伯にとってはそれも情報だった」
ギルベルトの声が低くなった。
「助けを求めないということは、親の存在を知らないということ。つまり——口封じが容易だということだ」
吐き気がした。婚約破棄は、殺害のための布石だった。ダリウスに三年間を捧げたことも、捨てられたことも——すべて辺境伯の計画の一部。
宰相は犯人ではなかった。守っていた人物だった。
本当の黒幕は——辺境伯クラインベルク。
「殿下。辺境伯を——」
ギルベルトの声が途切れた。
執務室の扉が開いた。立っていたのは——ヴェルナー。
「宰相閣下。辺境伯がお呼びです」
ギルベルトの顔から、血の気が引いた。
——辺境伯が動いた。




