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第24話 沈黙の側近

黙っている人間は、二種類いる。話すことがない人間と、話せないことがある人間だ。


 エルヴィンを観察し始めて三日。彼の行動に不審な点はなかった。


朝、定刻に出勤する。書簡を整理する。


殿下の指示に短く応える。退勤時刻を過ぎても黙々と仕事をする。


 完璧に「普通」だった。だからこそ、不気味だ。


「エルヴィン殿。少しよろしいですか」


 昼休み、わたしはエルヴィンに声をかけた。


エルヴィンが顔を上げた。整った顔立ち。


表情が薄い。殿下に似ているが、殿下のような鋭さがない。


「何だ」


「ヘルマン殿の退任で、業務が増えています。分担を見直したいのですが」


「必要ない。現状で回っている」


「そうですか。——エルヴィン殿は、いつから殿下にお仕えですか」


「十年だ」


「長いですね。きっかけは何だったんですか」


「宰相閣下の推薦だ」


 エルヴィンは淡々と答えた。宰相の推薦であることを隠すつもりはないらしい。


「推薦の経緯は?」


「辺境出身の人材登用制度だ。それ以上でも以下でもない」


「出身はどちらですか」


 唐突な質問。エルヴィンの目が、一瞬だけ動いた。


「なぜ聞く」


「業務の分担を考える上で、得意分野を知りたくて。出身地によって教育課程が違うので」


「……辺境だ」


「辺境のどちらですか」


「フラウ」


 エルヴィンの声が、初めて硬くなった。


「業務の分担に出身地は関係ない。それ以上は私事だ」


「失礼しました」


 わたしは引き下がった。だが、確認できた。出身地を聞かれることを警戒している。


 だが——別のことにも気づいた。エルヴィンの目だ。


 拒絶ではなく、苦しみの色がある。聞かれたくないのではなく、話したいのに話せない。何かに縛られている人間の目だ。


 ヘルマンが宰相に縛られていたのと、同じ構造かもしれない。


 午後。殿下にエルヴィンの件を報告した。


「エルヴィンの出身はクラインベルク辺境伯領。ベアトリスの情報と一致します」


「エルヴィンに直接聞いたのか」


「はい。出身地について明確な警戒を示しました。ただ——」


「ただ?」


「拒絶ではなく、苦痛に近い反応でした。隠したいのではなく、話せない事情があるように見えます」


「……フラウ。お前の観察は、いつも表情まで読む」


「側近ですから」


「それは側近の技能ではなく、お前の才能だ」


 ——推しに才能を認められた。


 胸が温かくなるが、今は素直に喜べない。エルヴィンの苦しみが、頭から離れないからだ。


「殿下。エルヴィンを直接問い詰めるのは避けた方がいいと思います」


「理由は」


「追い詰めると、かえって本心が見えなくなります。ヘルマン殿とは性格が違います」


「どう違う」


「ヘルマン殿は自分の行動に確信がありました。『王国のため』という大義があった。エルヴィンには、その確信がありません」


「確信がない?」


「迷っています。出身地を聞かれたときの反応は、拒絶ではなく苦痛でした」


「苦痛」


「隠したいのではなく、話せない事情がある。話したいのに話せない——そういう目をしていました」


「お前にはそう見えるのか」


「はい。わたしは前世で、そういう目を何度も見ました」


「前世で?」


「パン工房の同僚に、借金を抱えていた女性がいました。誰にも言えずに、一人で苦しんでいた。エルヴィンの目は、あの人と同じでした」


 殿下が振り向いた。


「お前の観察は——前世の経験に基づいているのか」


「はい。推理小説ではなく、パン工房です」


 殿下の唇が微かに上がった。


「パン工房で培った人間観察か。——侮れないな」


「殿下。エルヴィンは、自分から話す時を待った方がいいと思います」


「分かった。待とう。——だが、裏取りは怠るな」


「ヴィルヘルミナさんに確認してきます」


 殿下が窓辺に歩み寄った。背中を見つめる。銀灰色の髪が、午後の光に揺れている。


 この人は、また——信頼していた人間を疑わなければならない。


「殿下」


「何だ」


「わたしは殿下の味方です。それだけは——変わりません」


 殿下は振り向かなかった。だが、背中の力が、わずかに抜けた。


「知っている」





 退勤後。わたしはヴィルヘルミナの図書館を訪ねた。


「ヴィルヘルミナさん。エルヴィンという第二側近について、記録はありますか」


「エルヴィン。——ええ、あるわ」


 ヴィルヘルミナが棚から一冊を取り出した。側近の人事記録だ。


「エルヴィンは十五歳で王宮に入っている。推薦者は——」


「誰ですか」


「宰相ギルベルトよ」


 また宰相だ。すべての糸が、ギルベルトに繋がっている。


「ただし、フラウ」


「はい」


「推薦者が宰相であることと、エルヴィンが宰相の手駒であることは、必ずしも同じではないわ」


「分かっています」


「エルヴィンの推薦理由は『辺境出身の優秀な人材を王宮に登用する制度』に基づいている。制度そのものは正当よ」


「制度は正当でも、運用が恣意的である可能性は」


「その通り」


 ヴィルヘルミナが棚からもう一冊取り出した。


「これは同じ制度で登用された人間の一覧よ。過去三十年分。エルヴィン以外にも——辺境伯領出身者が多く含まれているわ」


「辺境伯が制度を利用して、王宮に人員を送り込んでいる」


「そういう見方もできるわね。でも——」


 ヴィルヘルミナが本の頁を押さえた。


「エルヴィンの行動を見なさい。記録ではなく、行動を。人は記録では嘘をつけるけれど、行動では——いつか本性が出る」


 行動を見る。記録ではなく。


 ——ヴィルヘルミナの助言は、いつも正しい。


 宿舎に戻り、手帳を開いた。


『エルヴィン:宰相の推薦で王宮入り。辺境伯領出身。


出身地について苦痛を伴う警戒あり。殿下に十年仕えている。


行動を観察する。母親の記録が不明。』


『同じ制度で登用された辺境伯領出身者が複数名。辺境伯が制度を利用して王宮に人員を送り込んでいる可能性。


エルヴィンだけが特別ではない。だからこそ——エルヴィン個人の行動で判断する必要がある。』


 ペンを置いた。


 エルヴィンは敵か味方か。まだ分からない。


 だが、わたしの直感は——この男は話したがっている、と告げている。


 前世のパン工房で、同僚たちが心配そうにわたしを見ていたときと同じ目だ。声をかけたいのに、かけられない。


 ——だが、三日後に答えが出ることになる。わたしの予想とは、まったく違う形で。


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