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第21話 転生者と王太子の朝

秘密を打ち明けた翌朝は、世界が少しだけ違って見える。光の角度も、空気の匂いも、何もかもが昨日とは違う。


 側近室に入ったとき、殿下はすでに席についていた。いつもと同じ姿勢。いつもと同じ無表情。


 だが、わたしを見たとき——ほんの一瞬だけ、紫の瞳が揺れた。


「おはようございます、殿下」


「ああ」


 それだけだ。いつもと同じ挨拶。いつもと同じ返事。


 でも、空気が違う。殿下は昨夜の告白の後、一度もわたしの目を見ていない。書類に視線を落としたまま、ペンを回している。


 ゆっくりとした回転。考え事をしているときの速度だ。


「殿下。昨夜のことで、何か——」


「仕事の話は午後にする。午前は通常業務だ」


 遮られた。だが、声に拒絶はない。整理する時間が必要なのだ。


 転生者だと告げられて一晩。殿下なりに、受け止めようとしている。


 エルヴィンが書簡を整理している。彼にはまだ何も知らされていない。いつもと同じ無表情で、いつもと同じ手際で紙を捌いている。


 この男が辺境伯領出身であることを、わたしは知っている。だが、殿下にはまだ報告していない。


 今日の午後、殿下との話で切り出すべきか。いや、まずは殿下が何を話すつもりなのかを聞いてからだ。


「フラウ。今日の予定は」


「午前は枢密会議の資料整理、午後は——」


「午後は空けておけ。話がある」


 殿下の声は平坦だった。だが、「話がある」という言葉の温度が、いつもとは違う。


「かしこまりました」


 午前の業務をこなしながら、胸の奥がざわついた。殿下は何を話すつもりだろう。


 転生の件で追及されるのか。それとも——


 午前の業務は、普段より集中できなかった。殿下の視線を感じるたびに、昨夜の告白が蘇る。


あれから殿下の態度は変わっていない。少なくとも表面上は。


だが、ペンの回転がいつもよりゆっくりだ。考え込んでいる。


 昼を過ぎて、殿下がわたしを閲覧室に呼んだ。図書館は閑散としていて、ヴィルヘルミナの姿も見えない。


 閲覧室の扉を閉めると、殿下が口を開いた。


「フラウ。昨夜の話の続きだ」


「はい」


「お前が転生者であること、前世の記憶を持つこと、前世でコレット・ハイデンとして殺されたこと。すべて理解した」


「……はい」


「その上で、聞く。コレット・ハイデンが宰相の隠し子である可能性。これは、お前の推測か、それとも確証があるか」


「推測です。ただし、状況証拠は揃っています」


 殿下が椅子に座った。わたしも対面に座る。


「整理しよう」


 殿下が紙を広げた。ペンを取る。


 昨夜の混乱から一晩で、すでに情報を整理し始めていた。転生という常識外の話を聞いたのに、この切り替えの速さ。さすが推し。


「一。二十五年前、コレット・ハイデンは宮廷歌姫だった。宰相ギルベルトの恋人だった」


「はい」


「二。身分差のため追放された。追放後に娘を出産した」


「父親は宰相の可能性が高い」


「はい」


「三。その娘が、お前の前世——コレットだ。パン工房で育ち、何者かに殺された」


「はい」


「四。殺害犯の袖口には王宮の紋章があった。宰相府の紋章に近い」


「はい。ただし、暗闘の中での目撃なので、断定はできません」


 殿下がペンを止めた。わたしを見る。


「フラウ。お前は宰相が犯人だと思っているか」


 直球の質問。


「……分かりません。宰相が犯人である可能性はあります。しかし——」


「しかし?」


「宰相が自分の娘を殺す動機が、まだ見えません」


 殿下が頷いた。


「同感だ。宰相は合理的な人間だ。隠し子を殺すリスクと利益が釣り合わない」


「隠し子の存在が露見すること自体がリスクだとすれば、殺害は口封じになりますが——」


「二十四年間放置していた隠し子を、なぜ突然殺す必要がある」


「はい。何か——別の動きがあったはずです。二十四年目に、何かが変わった」


「それを特定する必要があるな」


 殿下がペンを置いた。窓の外を見る。


「フラウ。お前の前世で——殺される直前に、何か変わったことはなかったか」


前世の記憶を辿る。婚約破棄。


パン工房での日々。物語の新刊。


「……婚約破棄がありました。ダリウスに」


「ダリウスは伯爵家の人間だ。そして伯爵家は宰相府の手駒。婚約破棄のタイミングと、殺害のタイミングが近い」


「まさか——婚約破棄が、殺害のきっかけ?」


「分からない。だが、偶然にしてはタイミングが合いすぎる」


「殿下。もう一つ気になることがあります」


「言え」


「前世のダリウスは、婚約破棄の理由を『家の都合』と言いました。でも、伯爵家は当時すでに没落寸前でした」


「没落寸前の伯爵家が、格下の男爵家と縁談を結ぶ理由は薄いな」


「はい。つまり、婚約破棄の本当の理由は『家の都合』ではない。誰かに命じられた可能性があります」


「辺境伯か」


「分かりません。ただ——前世のわたしを殺す前段階として、婚約破棄が使われたのかもしれません」


 殿下が椅子の背にもたれた。


「婚約破棄された女が、誰に助けを求めるか。それを観察していた?」


「はい。もしわたしが宰相に接触すれば——隠し子の存在が確定する」


「助けを求めなかった場合は」


「親の存在を知らないということ。つまり——口封じが容易だという情報になる」


 殿下の目が鋭くなった。


「計画的だ。——辺境伯の手口だな」


 わたしは手帳を開いた。


『前世の時系列:婚約破棄→数日後に殺害。婚約破棄と殺害の関連を調査する。


ダリウスの婚約破棄が「誰かの指示」だった可能性。』


 ペンを置いた。前世のダリウスは、自分の意志で婚約を破棄したと思っていた。だが——誰かに指示されていたとしたら。


「殿下。一つ仮説があります」


「言え」


「宰相が犯人ではなく、宰相の周囲にいる人間が独断で動いた可能性です」


「辺境伯の私兵団か」


「はい。宰相の意図とは関係なく、『宰相のために』と思い込んだ第三者が、隠し子を排除した」


「忠誠心の暴走」


「そうです。ヘルマンが殿下の情報を宰相に流したのと同じ構造です。本人は『正しいこと』をしている気でいる」


 殿下の指が、ペンを一回だけ回した。考えが纏まったときの仕草だ。


「辺境伯を調べる。——フラウ」


「はい」


「まずヴェルナーという男を特定する。辺境伯の私兵団の中で、王宮に出入りしている人間だ」


「トビアスに騎士団経由で情報を集めてもらいます」


「それと、ベアトリスにも辺境伯の動向を聞け。公爵家の社交ネットワークなら、辺境伯の私的な行動も掴める」


「かしこまりました」


「もう一つ。エルヴィンについてだ」


 わたしの身体が強張った。切り出すタイミングを測っていた話題を、殿下の方から出してきた。


「殿下。エルヴィンの出身が——」


「クラインベルク辺境伯領だということは、知っている」


 ——知っていた。


「いつから」


「着任のときからだ。推薦したのは宰相だが、出身地は人事記録にある。わたしが確認しなかったわけがない」


「では、なぜ——」


「エルヴィンを側近に置き続けたのか? 行動で判断したからだ。十年間の行動が、忠誠を示していた」


「殿下はエルヴィンを信じているのですか」


「信じたい。——だが、ヘルマンのこともある。確認は必要だ」


 殿下の声に、静かな痛みがある。二人目の側近を疑わなければならないことの重み。


「殿下。わたしの考えを聞いてもらえますか」


「言え」


「エルヴィンを直接問い詰めるのは避けた方がいいと思います。追い詰めると、かえって本心が見えなくなる」


「待つのか」


「はい。この男は——自分から話す時を待った方がいい。そういう目をしていました」


「どういう目だ」


「話したいのに話せない。何かに縛られている人間の目です」


「ヘルマンとは違うのか」


「違います。ヘルマン殿は『正しいことをしている』という確信がありました」


「エルヴィンにはそれがない?」


「はい。確信がない。迷っている」


「迷いがある方が、まだ望みがあるということか」


「はい」


 殿下がわたしを見た。紫の瞳に、わずかな——感謝の色がある。


「フラウ。お前がいなければ、私はまた同じ失敗をしていたかもしれない」


「失敗?」


「ヘルマンのときは、気づくのが遅すぎた。エルヴィンのことは——お前の観察があるから、先手を打てる」


「殿下。わたしは側近です。殿下が見落とす部分を補うのが仕事です」


「退勤後のボランティアではなく?」


「……業務の延長です」


 殿下の唇が微かに上がった。


「はい」


「お前が転生者であることは、当面は二人だけの秘密にする。トビアスにも、ベアトリスにも言わない」


「かしこまりました」


「ただし、一つだけ約束しろ」


「何でしょうか」


「お前が危険だと感じたら、即座に私に言え。定時退勤よりも、お前の命の方が重い」


 ——推しが、わたしの命を定時退勤より重いと言ってくれた。


 胸が詰まった。返事が一拍遅れた。


「……かしこまりました」


「退勤時刻は守れ。だが、死ぬな」


「殿下。二回目ですよ、それ」


「何がだ」


「わたしの命を気にかけてくれたの、二回目です」


 殿下のペンが一瞬だけ止まった。すぐに再開する。


「回数を数えるな」


「側近ですから。記録は得意です」


「……退勤しろ」


「はい」


 閲覧室を出るとき、殿下がわたしの背中に声をかけた。


「フラウ」


「はい」


「お前の前世の話を聞いて——一つだけ、安心したことがある」


「何ですか」


「お前が私の側にいる理由が分かった。それだけで十分だ」


 背を向けたまま、わたしは唇を噛んだ。


 ——この人は。この人は、どうしてこう——的確に胸を刺してくるのだ。


 物語の中のセレスティン殿下は、冷徹で完璧で、感情を見せなかった。


 でも本物の殿下は——不器用に、ぎこちなく、だからこそ真っ直ぐに、大切なことを伝えてくれる。


 現実の殿下の方が、ずっと好きだ。


 廊下を歩きながら、目の奥が熱くなった。泣かない。泣く代わりに、歩幅を広げた。


 ——辺境伯を調べる。宰相の周囲にいる人間を洗い出す。


 犯人に辿り着くまで、あと少し。


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