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第19話 すべての道は宰相府に通ず

一本の糸を引けば、もう一本が現れる。すべての糸を辿った先に、同じ顔がある。それが真実だ。


 ダリウスの検討資料は、期限までに提出されなかった。


 正確には、提出されたが——中身が空だった。ルートの安全性を裏付けるデータが一切なく、「検討中」の一言で埋められた報告書。


 枢密会議の席。長いテーブルの上座に殿下、左右に枢密院の老臣たちが並ぶ。ダリウスは末席に座っている。


 殿下は提出された報告書を読み上げた。淡々と。感情を交えず。


「ダリウス。検討中とのことだが、着任前に東方商人との面会を行っていた記録がある」


 会議室が静まった。


「検討は着任前から行われていたのではないか」


 ダリウスの顔から血の気が引いた。だが、すぐに笑みを取り繕う。


「それは……事前の情報収集でして——」


「外交局の規定では、着任前の個別面会は禁止されている。この違反について、説明を求める」


 殿下の声は平坦だ。感情がない。事実だけを並べる。


 逃げ場のない問い詰め方。オルランドのときと同じだ。


 ダリウスが襟元を正した。追い詰められたときの癖。


「……面会は個人的なものでした。外交業務とは関係ありません」


「個人的な面会で得た商人との関係を、公務に転用している。公私混同であり、規定の二重違反だ」


 わたしは記録を取りながら、ダリウスを見つめた。


 碧い瞳が泳いでいる。微笑みを保とうとしているが、指先が震えている。


 前世で婚約破棄を告げたときの、あの余裕はどこにもない。


「ダリウス。東棟三階の個室で行われていた密会についても、報告を求める」


 会議室に緊張が走った。老臣たちが顔を見合わせている。外交官の着任前違反は、前例がない。


 殿下の追撃は、間を置かなかった。


「次に、東棟三階の個室についてだ。外交官が個室を確保した理由を聞きたい」


「それは……資料の保管に」


「資料の保管であれば、外交局の書庫を使うのが規定だ。個室を使う理由にはならない」


 老臣たちがざわめき始めた。一人の老臣が手を挙げた。


「殿下。ここまでの指摘は、すべて規定違反に関するものです。故意の不正を示す証拠はありますか」


「ある」


 殿下がわたしに目を向けた。合図。


 ダリウスが弁明を終える前に、次の事実を突きつける。


 ダリウスの顔が蒼白になった。


「殿下、それは——」


「東方商人との取引と、辺境伯領を経由した物流。すべての記録がある」


 殿下がわたしに目を向けた。合図。


「ダリウス殿。密会は週二回、夕刻に行われています」


 わたしは手元の記録に目を落とした。


「取引内容は陶器と装飾品の流通。品目はオルランド元主席文官の不正取引と同一です」


 わたしの声は平坦だった。感情を排して、事実だけを並べる。殿下に教わったやり方だ。


「詳細は調査委員会に提出させる」


 ダリウスは椅子から立ち上がれなかった。膝に力が入らないのだろう。


 ——ざまあ、とは思わなかった。


 思ったのは、ただ「終わった」ということだけだ。前世のわたしを捨てた男が、嘘と打算で生きて、最後は事実の前に崩れた。


 劇的な敗北ではない。淡々とした決着。だが、それがいい。


 会議後、ダリウスは宮廷外交官の職を解かれ、外交局預かりとなった。


 処分が確定するまでの謹慎。実質的には王宮からの追放に等しい。


 ダリウスが会議室を出るとき、わたしの前を通り過ぎた。碧い目がわたしを捉えた。


 ダリウスの足取りは重かった。金髪が肩にかかり、いつもの完璧な姿勢が崩れている。


 わたしの前を通り過ぎるとき、立ち止まった。


「……君は、一体何者なんだ」


 低い声だった。怒りではない。困惑だ。


「側近です。殿下の」


 それだけ答えた。


 ダリウスの碧い目に、何かが揺れた。困惑だけではない。もっと深い——既視感のような何かが。


「……そうか。不思議な人だ。君は」


 ダリウスが去っていった。金髪が廊下の角に消える。


 前世で見送った背中と、同じ姿だった。だが、今回は——わたしの方が立っている側だ。


 それだけ答えて、わたしは視線を外した。これ以上、この男に費やす感情はない。





 退勤後。閲覧室で殿下と二人。


 閲覧室の燭台が、いつもより明るく感じた。一つの決着がついた安堵が、光の温度を変えているのかもしれない。


「ダリウスの件は片がついた。だが——」


「宰相への報告ラインが、まだ残っています」


「そうだ。ダリウスは尻尾に過ぎない」


 殿下が資料を広げた。これまでの調査をすべてまとめた一覧。


「マルグリットの横領。オルランドの収賄。ダリウスの不正取引」


 殿下が指で資料を追った。


「ホフマン商会。辺境伯領の物流ルート。特別予備費の直接決裁」


 殿下が広げた資料は、一月分の調査の結晶だ。わたしの手帳の記録と、殿下の分析が、一枚の地図になっている。


 わたしは一覧を指で追った。


「すべての線が、宰相ギルベルトに向かっています」


「だが、宰相が直接命令を出した証拠がない」


「すべて間接的な指示で、宰相の名前は記録に残っていません」


 殿下が頷いた。


「あの男は二十年間、自分の手を汚さずにこの王宮を支配してきた」


「中間者を使い、命令系統を曖昧にする」


「マルグリットも、オルランドも、ダリウスも——全員が宰相の駒だった。そして駒が摘発されても、本体は傷つかない構造だ」


「チェスで言えば、キングの周りにポーンが何層もある状態ですね」


「そうだ。ポーンを一枚ずつ剥がしてきたが——キングに届くまでに、まだ壁がある」


「だからこそ、二十年以上宰相でいられた」


「二十年。——父上が宰相を信頼してきた年月と同じだ」


 殿下の声が、少し低くなった。


「フラウ。二十五年前の件は、どこまで分かった」


 わたしは資料を手に取った。


「コレット・ハイデンは宰相の元恋人です。身分差のために追放されました。追放後に娘を産んでいます」


「宰相の子か」


「可能性が高いです。そして、その娘の存在が——わたしが追っている殺害事件の動機に繋がるかもしれません」


 殿下が立ち上がった。窓辺に歩み寄る。


「コレット・ハイデンの娘。その人物は、今どこにいる」


 わたしは答えなかった。答えられなかった。


 その人物は——前世のわたしだ。すでに死んでいる。そして、転生してこの王宮にいる。


「……調査中です」


「急げ。宰相を追い詰めるには、この線が必要だ」


「はい」


 すべての道は宰相府に通じている。だが、最後の一歩を踏み出すには——わたし自身の秘密を明かす必要があるかもしれない。


 転生者であること。前世の記憶を持っていること。宰相の隠し子の生まれ変わりであること。


 それを殿下に告げる日が、近づいている。


 ——その日が来たとき、殿下はわたしを信じてくれるだろうか。


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