第10話 共犯者の条件
共犯者という言葉には、暗い響きがある。だが、信頼する相手と秘密を共有することは、ときに暗がりの中の灯りになる。
朝の側近室で、殿下が口を開いた。
「フラウ。今日の午後、ベアトリス公爵令嬢との面会がある」
「かしこまりました。陪席の準備をいたします」
「陪席ではない。お前に直接話してもらいたいことがある」
わたしは一瞬、耳を疑った。
「ベアトリス様に……わたしが?」
「ベアトリスは公爵家の令嬢だ。宮廷内の社交ネットワークを持っている。彼女の情報網は、私の手が届かない場所に張り巡らされている」
殿下が資料を差し出した。中身は、ベアトリスの人物概要。
「ベアトリスは聡明だが、警戒心が強い。正面から協力を求めても応じない。だが——」
「利害が一致すれば、動くかもしれない」
殿下がわたしを見た。ペンは回していない。
「そうだ。お前の交渉力に期待している」
交渉力。わたしにそんなものがあるとは思わないが、殿下がそう判断したなら、やるしかない。
午後。面会室。
ベアトリスは、噂通りの美しさだった。蜂蜜色の巻き髪が肩に流れ、翡翠の瞳がわたしを冷たく見据えている。扇で口元を隠し、こちらの出方を窺っている。
「王太子殿下の側近が、わたくしに何の御用かしら」
声は柔らかいが、警戒の針が隠れている。
「ベアトリス様。本日は、お時間をいただきありがとうございます。単刀直入に申し上げます」
扇の向こうで、翡翠の瞳が動いた。
「侍女長マルグリットの解任と、財務局オルランドの不正調査についてはご存じかと思います」
「ええ。宮廷中の噂になっているわ」
「これらの不正は、個別の犯行ではなく、組織的な構造の一部です。そして——その構造は、ベアトリス様のお立場にも影響を及ぼす可能性があります」
ベアトリスの扇が、一瞬止まった。
「……どういう意味かしら」
「公爵家は、王宮の行事に多額の出資をされています。その出資金の一部が、不正な流れの中に組み込まれている可能性があります」
これは推測だが、根拠のない推測ではない。公爵家が行事に出資し、行事備品が横領される。出資金が結果的に横領の原資になっているなら、公爵家は被害者だ。そして、ベアトリスはそれを知れば黙っていられないはずだ。
——公爵家の名誉を傷つけることは、ベアトリスが最も恐れていること。
扇が閉じられた。翡翠の瞳が、わたしをまっすぐ見た。
「あなた、名前は」
「フラウと申します」
「フラウ。——あなた、侮れないわね。平民の側近と聞いていたけれど」
「平民だからこそ、見えるものがあります」
ベアトリスの唇が、微かに弧を描いた。笑みとも皮肉ともつかない表情。
「それで? わたくしに何を求めているのかしら」
「情報です。ベアトリス様の社交ネットワークを通じて、王宮内の資金の流れに関する情報を提供していただきたい。特に、公爵家と王宮の間の取引に不審な点がないかを」
「それは殿下からの依頼?」
「殿下の意向を受けたものです。ただし、殿下は直接お願いするのは適切ではないと判断されました。婚約者候補への過度な介入と取られることを懸念されて」
ベアトリスの目が、ほんの一瞬だけ揺れた。殿下が自分の立場を慮ってくれたことへの反応だ。
「……殿下は、相変わらず堅い方ね」
「誠実な方です」
「誠実。——ええ、そうね。それは認めるわ」
ベアトリスが立ち上がった。窓際に歩み寄り、中庭を見下ろした。
「フラウ。一つ条件があるわ」
「何でしょうか」
「わたくしが提供した情報の出元は、絶対に明かさないこと。公爵家が密告者になったと知れたら、社交界での立場が危うくなるわ」
「もちろんです。情報源の秘匿は最優先事項です」
ベアトリスが振り向いた。扇を手に、わたしに向き直る。
「それと、もう一つ」
「はい」
「あなた個人について、教えてほしいの。なぜ、わざわざ退勤後の時間を使ってまで王宮の不正を追うのか。側近の義務の範囲を超えているわ」
鋭い。殿下と同じ質問だ。
「……わたしには、追わなければならない理由があります」
「それは殿下のため?」
「殿下のためでもあり、わたし自身のためでもあります」
ベアトリスがわたしの目を見た。長い、探るような視線。
「——分かったわ。協力する。ただし、嘘をついたら即座に手を引く」
「嘘はつきません」
「いい返事ね。嘘つきは、たいてい同じことを言うけれど」
ベアトリスの皮肉交じりの笑みは、不思議と嫌な感じがしなかった。この人は、信用に足るかどうかを自分の目で確かめる人間だ。それは——正しい態度だ。
面会を終えて、側近室に戻った。殿下が待っていた。
「どうだった」
「協力を得られました。条件は情報源の秘匿です」
「予想通りだ。ベアトリスは慎重な女だ」
「聡明な方だと思います」
殿下がわたしを見た。何か言いかけて、やめた。代わりに、ペンを手に取った。
「フラウ。お前の交渉は見事だった」
——推しに「見事」と言われた。
心の中で「ぶふぉ」が百回ぐらい鳴った。
「ありがとうございます」
退勤時刻。五の刻。わたしは書類を閉じた。
「殿下、失礼いたします」
「ああ。——今夜の合流は不要だ。少し、一人で考えたいことがある」
「かしこまりました」
珍しい。殿下が「一人で考えたい」と言うのは。
気にはなったが、詮索はしない。推しにも一人の時間は必要だ。
退勤後、宿舎に戻る前に図書館に寄った。ヴィルヘルミナから借りた宮廷年鑑の続きを調べるためだ。
図書館は閉館間際で、ヴィルヘルミナだけがカウンターにいた。
「フラウ。来ると思ったわ」
「ヴィルヘルミナさん。二十五年前の宮廷年鑑について、質問があります」
「どうぞ」
「コレット・ハイデンという宮廷楽師が辞任した件。『不祥事』と記載されていますが、詳細はありますか」
ヴィルヘルミナの指が、カウンターの本の上で止まった。穏やかな表情に変化はないが、指の力が少し強くなった。
「……コレット・ハイデンについて調べているの」
「はい」
「なぜ?」
答えに詰まった。前世のわたしと同じ名前だから、とは言えない。
「……個人的な関心です」
ヴィルヘルミナはわたしの目を見た。長い、長い沈黙。
「フラウ。一つだけ教えてあげるわ」
「何ですか」
「コレット・ハイデンは、辞任したのではないの。——消されたのよ」
背筋に氷が走った。
「消された……」
「公式記録では辞任。でも、実際には王宮から追放された。理由は——ある人物の秘密を、知ってしまったから」
「ある人物とは」
ヴィルヘルミナが首を横に振った。
「それは、自分で辿り着きなさい。答えを先に教えたら、あなたの調査が歪む」
「……分かりました」
「ただ、一つだけ忠告。二十五年前のコレット・ハイデンと、あなたの間には——糸があるわ。それは偶然ではない」
ヴィルヘルミナの穏やかな笑みが、初めて——少しだけ悲しそうに見えた。
「気をつけなさい、フラウ。真実は、ときに刃物よりも鋭いから」
図書館を出て、宿舎に戻った。
手帳を開く。手が震えていた。
『ヴィルヘルミナの証言:二十五年前のコレット・ハイデンは辞任ではなく追放。「ある人物の秘密を知ったから」。詳細不明。』
『前世のわたし(コレット・ハイデン)と、二十五年前のコレット・ハイデン。同姓同名。ヴィルヘルミナは「糸がある」と言った。偶然ではない、と。』
『仮説:前世のわたしは、この世界の「コレット・ハイデン」と何らかの関連がある。前世で殺された理由は——二十五年前の秘密と繋がっているのか?』
頭が混乱している。整理しなければ。
前世のコレットは、パン工房で働く平凡な平民だった。王宮とは無縁の生活をしていた。
でも、殺された。王宮の紋章を持つ人間に。
なぜ、無関係な平民を殺す必要があった?
答えは一つ。
——無関係ではなかったのだ。
前世のコレット・ハイデンは、二十五年前の宮廷楽師コレット・ハイデンと、何らかの血縁関係にあるのかもしれない。そして、その血縁が——誰かにとって都合の悪い存在だった。
糸が、増えた。
手帳を閉じた。
明日、殿下に相談するかどうか迷う。前世の記憶を持つ転生者だと明かすことは、まだできない。でも、二十五年前の不祥事について調べることはできる。
ランプを消す前に、窓の外を見た。
月のない夜だった。暗い空に、星だけが散っている。
前世で見上げた空と、同じ星があるのだろうか。
「……ぶふぉ」
今度の「ぶふぉ」は、動揺の「ぶふぉ」だった。推しの尊さではなく、自分の存在の根底が揺らぐ恐怖から出た音。
でも、止まるわけにはいかない。
わたしを殺した犯人は、この王宮にいる。そしてその動機は、二十五年前の秘密と繋がっている。
殿下との共同調査。ベアトリスとの協力関係。ニナの情報提供。ヴィルヘルミナの助言。
一人では辿り着けなかった場所に、わたしは立っている。
前世で失った命の意味を、今度こそ——自分の手で、掴み取る。
手帳の最後のページに、小さく書いた。
『共犯者が増えた。殿下、トビアス、ニナ、ベアトリス、ヴィルヘルミナ。わたしはもう、一人じゃない。』
ペンを置いて、目を閉じた。
明日も、定時で帰る。そして、調べる。
——二十五年前の秘密と、わたしの死を繋ぐ糸を、手繰り寄せるために。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
第1完結となります!
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