居場所の外側:誰かの世界じゃなく、自分の世界で 〜選ばれなかった副局長が見つけた、自分だけの居場所の話〜
魔法局の朝は、だいたいいつも騒がしい。
魔道具の起動音。
書類をめくる音。
誰かが誰かを呼ぶ声。
その真ん中に、局長はいる。
「おはよう! 今日は冷えるな。あ、昨日の件どうなった?」
人の輪の中心で、笑って、肩を叩いて、空気を回していく人。
気づけば自然と人が集まってくるタイプだ。
私は少し離れた自分の机で、記録簿を整理しながら、その背中を見ていた。
――局長は“表”。
私は“裏”。
それが、ずっと当たり前だった。
⸻
副局長という肩書きはあるけれど、
実際にやっていることは、人の抜けを埋める係。
誰かが困ったら、先に気づく。
何も言わずに、さっと支える。
「副局長、この申請どう処理します?」
「第三区画の許可がまだだから、ここは保留で」
一対一なら話せる。
仕事なら、ちゃんとできる。
でも、大勢の中心に立つことはない。
――それで、よかった。
⸻
私は昔から、そういう役だった。
才能に恵まれた兄姉がいた。
彼らはいつも中心にいて、注目されていて。
親や周囲から褒められるのも、期待されるのも、当然のように彼らだった。
私が何かをしても、
「悪くないけど、あの子ほどじゃないね」
「でも、支える役なら向いてるわね」
褒めてるようで、
ちゃんと“主役じゃない”って線を引かれる感じ。
その言葉を聞くたびに、
私は“価値がない“と言われているように感じていた。
だから、自信を持てなかった。
役に立つことはできても、
選ばれる人間にはなれない。
そう、ずっと思っていた。
⸻
局長は、止まれない人だった。
何かを追い続けていないと、
自分が消えてしまいそうなタイプ。
だから彼は、
仕事か、酒か、誰かとの会話で、
いつも自分を動かしている。
机仕事より、人の中にいる方が性に合っている人だ。
リーダーシップがあって、
チームをまとめるのは本当に上手い。
その代わり、
書類仕事や数字を詰める作業は、あまり好きじゃない。
細かい作業は、いつも私の担当だった。
彼は「人の中」にいて、私は「机の前」にいる。
それが自然な役割分担だった。
そして局長には、女性の友人が何人もいる。
誰にでも距離が近い人だから。
でも、不思議なことに、
誰とも「付き合って」はいない。
私から見た局長は、
立ち止まることを恐れているように感じられた。
止まった瞬間に、
何かを考えてしまいそうだから。
だから彼は、
休める場所を“人の中”に作っていた。
そして――
その“休憩所”のひとつが、私だった。
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深い話はしない。
踏み込んだことも聞かない。
未来の話もしない。
ただ、どうでもいい雑談をして、
笑って、少し息を整えるだけ。
私は察しがいいタイプだから、
「今は重い話いらないな」って空気も、すぐ分かる。
踏み込まない。
期待しない。
重くならない。
その距離感が、
彼にとっては、きっと楽だった。
……でも。
私のほうは、違った。
⸻
局長は距離が近い。
よく笑う。
雑談も多い。
ランチも一緒に行く。
二人きりも、珍しくない。
「おーい、副局長」
局長が、私の机に肘をつく。
距離が近い。無意識に。
「今日、昼どうする?」
「……今日は簡単に済ませる予定ですが」
「じゃあ一緒に外行こう。走りすぎるとさ、昼忘れるんだよ」
食堂で向かい合って座る。
雑談。
どうでもいい話。
業務とは関係のない、取るに足らない時間。
天気の話。
売店の新メニュー。
学生時代の失敗談。
そんな時間が、私は、好きだった。
それは、恋愛に慣れていない私にとって、
「特別」に見えてしまう距離だった。
ほんの少し、心が近づいた気がして。
ほんの少し、期待してしまって。
――でも。
その“少し”が育ちかけると、
彼は必ず、さりげなく線を引く。
触れない距離に戻す。
笑顔のまま、戻す。
それを、私は察してしまう。
だから私は、
自分の気持ちが大きくならないようにする。
育てない。
深くしない。
越えない。
彼が引いた線を、
自分から越えないように。
⸻
その日、売店で局長の好きなチョコの限定品を見つけた。
買うか迷って――
結局、買った。
「これ、よかったら」
鞄から、小さな包みを出す。
局長の好きな、少し苦いチョコレート。
何気ない雑談で聞いたものだ。
「お、覚えてたんだ」
少し驚いて、すぐに笑った。
「嬉しいな、ありがとう」
その表情が、ほんの一瞬だけ柔らいだのを、私は見逃さなかった。
――覚えていたことを、喜んでくれた。
それだけで、十分だった。
⸻
その日も、最後まで残っていたのは私と局長だった。
帰り道も、自然と並んで歩く。
話すのは、いつも軽いことばかりだ。
食べ物の話。
学生時代の話。
好きな音楽の話。
旅行の話。
でも――
「いつか」「今度」みたいな言葉だけは、
局長はほとんど口にしなかった。
約束を作らない人。
未来を置いていかない人。
雑談はするけど、
“先”の話はしない人だった。
だから――
「今度さ、一緒に行こうね」
その言葉がこぼれたとき、
私は、少しだけ息を止めた。
未来の話をしてもらえたことが、
素直に嬉しかった。
季節は真冬だったけれど、
その日は珍しく、寒さが緩んでいた。
⸻
翌日も一緒に帰った。
局長は、寒いのが苦手な人だ。
「今日も寒くないですね」
私がそう言うと、彼は歩きながら、ほっとした声で言った。
「そうそう。昨日も帰り道に電話しながら帰ってたんだけどさ」
私は黙って聞いていた。
「『今日は寒い?』って聞かれてさ、
俺、全然寒くないよって答えたんだ」
その声が――
一瞬だけ、柔らかくなった。
相手の言葉を真似るとき、
彼はいつも無意識に相手の口調に寄せる。
その“寄せ方”が、
はっきり女性のものに聞こえた。
……ああ。
電話の相手は、女性だ。
⸻
昨日、未来の話をしたばかりだった。
現実になるかどうかは別として、
「今度」の話をしたのは、あれが初めてだった。
だから私は、その言葉だけで、胸の奥が少し温かくなってしまった。
だけど、
その足で彼は、別の誰か――女性と、電話していた。
局長が電話で、いろいろな人の相談に乗っていることは知っていた。
その中に、女性がいるであろうことも、分かっていた。
でも――
昨日の今日で、それを私に話すということは。
……私が、勝手に期待してただけなんだ。
線を引かれた。
そう思った。
「また明日な」
別れ際のその言葉が、今日は少し遠く聞こえた。
⸻
局長は、私を雑に扱わなかった。
一人の人間として尊重してくれた。
感謝してくれた。
存在を認めてくれた。
だから、居心地がよかった。
私は、取り残されるのが怖かった。
そこに“いるのに”、
誰にも見てもらえないまま、
存在しないみたいに扱われることが。
周りは結婚して、パートナーがいて、
人生が進んでるように見えるのに、
自分だけ止まっている気がして。
本当は、誰かの“特別”でいたかった。
だから――
局長の何気ない気遣いが、自分の居場所みたいに感じられて心の奥に刺さった。
⸻
兄姉がどれだけ優秀でも、
私の存在を、親にも認めてほしかった。
愛してほしかった。
その気持ちを、
ずっと抱えたまま、
誰にも出さずに、ここまで来た。
だから。
局長が私を一人の人間として尊重してくれた時、
その優しさが、
心の奥のいちばん飢えていたところに触れた。
他の人と少し違うトーン。
私にだけ相談する感じ。
未来の話を、ふと口にした瞬間。
「副局長がいてくれて助かるよ」
その言葉が、
“ここにいていい”って言われた気がして、
私は嬉しかった。
でも。
局長との未来はないんだと、思い知らされたとき、
喉が詰まった。
また、取り残されるのか。
誰にも選ばれないのか。
愛してもらえないのか。
声にならなかった感情が、
そこに全部、詰まっていた。
⸻
好きになってしまった。
でも、選ばれていない。
でも、近くにいる。
でも、他の女性がいる。
でも、優しいことも言う。
「期待してしまう私」と
「期待しちゃダメだと分かってる私」が
同時にいて、苦しかった。
⸻
……でも、気づいた。
私が本当に欲しかったのは、
局長じゃなかった。
“居場所“だった。
局長の隣に、ではない。
“局長のいる世界”の中に。
誰かの世界に、存在していたかった。
でも、その世界は、
最初から私の居場所ではなかった。
⸻
局長が
気にかけてくれる。
他の人と違うトーンで接してくれる。
自分にだけ見せる顔がある気がする。
その瞬間に、
心の奥の“やっと私を見てもらえた“が、
勝手に恋の形をとっただけだったのかもしれない。
それでも。
局長が私を一人の人間として尊重してくれたその世界は、
私にとって、かけがえのない居場所だった。
でも――
その“居場所”を、
局長に求め続けるのは、違う。
居場所は、
人に与えられるものじゃない。
その世界は、その人の居場所だ。
私の居場所は、私の世界にある。
誰かに居場所を求め続けたら、
きっとその人は、苦しくなる。
局長に、
これ以上執着しなくて、よかった。
それに気づけて、よかった。
⸻
翌朝。
魔法局は、いつも通り動いている。
局長は中央で笑っている。
私は少し離れた机で、今日も書類を整える。
でも――
今日は、少しだけ違った。
彼の背中を、
“追わなくなった“自分がいた。
⸻
私は、ずっと
“誰かの世界“に居場所が、欲しかった。
家族の、親の世界に、居場所が欲しかった。
私自身を見て欲しかった。
でも――
今はもう、分かる。
私は、誰かの世界じゃなくて、
私自身の世界に、居場所をつくっていける。
⸻
恋は、終わった。
大きな別れじゃない。
言葉もない。
ただ、
自分の居場所がそこじゃないと分かっただけ。
それだけで、人は前に進める。
私は今日も、静かに魔法局を支えている。
今度は――
誰かの世界ではなく、
自分の世界で。




