母がスピり始めてる
初投稿です。多めに見てくれると嬉しいです。
登場人物紹介
父:陰謀論者。ティックトックに流れてきた情報をすぐに信じる。自分は気づいていると確信している。「私」を愛している。
母:父の再婚相手。父に影響され陰謀論者に。大変な美人だった。
私:語り手。父のことを煩わしいと思っている。母を愛している。厨二病。
「私気づき始めたのかも」
右手にあるスマホにはティックトックが開かれていた。
還元水素水を作る機械の音がリビングに響いた。
「やっとか!」
そう目を輝かせるその手にもティックトック。
ああ、修復された。そう思った。
父と母は再婚だ。私は父の連れ子だった。父が母を私に紹介してきた当時、私は9歳だった。「ママになるかもしれない人だよ」と言われた。第一印象は「綺麗な人」だった。動くたびに優雅に揺れる短くて細い髪。真珠のように大きく丸い目。鈴を転がすような声。美術館にあるような絵画にも見えた。今例えるとそれはまるでエル・エスコリアルの「無原罪の御宿り」のようだった。
私は母を愛した。きっとこれは子供の本能なのだろう。それと同時に疑問も持った。この人も居なくなるのだろうかと。私が愛した人は既に3人いた。しかし9歳の私ににとってそんな疑問は些細なことだった。
ちょうど一年たった頃、父と母は再婚した。式は挙げなかった。私がするなと言ったからだ。本当に挙げないとは思わなかった。試しに言ってみただけだった。
父は私を猛烈に愛していた。異常に。それは世間一般の父親の愛を優に超えていた。
結婚からしばらくたった冬の頃、その光景はまるで素晴らしい絵画が無能な修復家に全く違うものにされたかの様だった。母が言った。
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「無原罪の御宿り」には
・修復失敗した作品
・聖「母」マリア
・原罪の汚れと穢れを存在のはじめから一切受けていなかったとする、カトリック教会における教義
っていう意味があります。
最後のは、生まれた時は気づきなんてなかったけれど「父」と出会ったせいで気づいてしまったっていう解釈です。この教義の逆?みたいな解釈です。