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【嵯峨 卯近/2001年~2018年】執筆した過去小説

くれないの京

作者: 嵯峨 卯近

 生暖かい一陣の夜風が身体をすり抜けた。じっとりと狩衣かりぎぬに汗がまとわり付く。

「奇妙な風やナァ……、なんや気色悪いわ」

 そう言いながらも男は、風が運んだ草の匂いをしばし楽しんだ。この時期、梅雨の湿った空気のせいで様々な匂いが立ち込める。

「それに、三日月か……」

 夜空を見上げれば、久方ぶりに顔を覗かせた月が雲間に見え隠れしている。その中途半端な光は、下界を怪しい雰囲気に包み込むのに一役買っているようだ。そして、そのような寂しい夜道を歩く男はぶるっと身体を震わせて、こう呟くのだった。

「今宵は出るかも知れへんナァ……」

 そう、この辺りに出るのだ。辻斬りが──。

 全身を無残に切り刻まれた、最初の死体が発見されたのはひと月前の事。その手口から、物怪もののけの仕業ではないだろうか、というのが京の治安を守る検非違使庁けびいしちょうの見解であった。故にこの事件は解決を見ぬまま、犠牲者は今も増え続けている。

「まぁ……、そん時は麻呂まろの太刀さばきで……」

 腰にいた毛抜形太刀けぬきがたのたちを掴んで何とか恐怖を押さえつけた男が、再び歩みを進めようとしたその時──。

「ゲッゲッゲッゲ、太刀さばきがなんじゃって?」

 突然、岩を磨り潰したようなくぐもった声が、後ろの方から聞こえてきた。先ほど押さえつけた恐怖がぞわっと脹らみ、男の身体を強張らせる。

「そっ、そなた、何者か? なっ、名を名乗れぇ!」

 そのまま振り向きもせず、男は上擦った声で叫んだ。恐怖心が首を硬直させて後ろを覗く事を許さない。

「名を尋ねる時は、自分から先に名乗るものじゃて。ゲッゲッゲッゲェー」

 後ろの何者かはすぐさま、下品な笑い声を発しながら男の非礼を指摘した。その言葉によって男の恐怖は吹っ飛び、代わって怒りが沸きあがる。

「ぶっ、無礼者っ!」

 公達きんだちは、優雅な振る舞いと礼儀作法を尊ぶが為に、非礼を特に恥とする。同じ公達きんだちならいざ知らず、下賎な輩に不覚をとってしまった現実は、彼のプライドを深く傷つけた。

麻呂まろこそは、従三位検非違使別当(けびいしのべっとう)はぎの 明房あきふさであるぞよ!」

 従三位とは、簡潔に言えば朝廷のランクである。そして検非違使別当けびいしのべっとうとは、京の治安を守る役所、検非違使庁けびいしちょうのトップ。つまりは今でいう警視庁長官にあたる。

 半ばヤケクソ気味に名乗った後で、すらりと太刀を抜き放つ明房あきふさ。刀身に宿ったわずかな月の光が、美しい刃文を浮かび上がらせながら滑り落ちた。

「曲者め、成敗してくれようぞ!」

 もはや恥を揉み消す事しか、明房あきふさの頭にはなかった。しかし、怒りに身を任せて太刀を振りかぶったその時、相手の姿を目の当たりにして背筋が凍りつく。

「ゲッゲッゲェー、恐怖のあまり声も出んか?」

 それは一見、茶色い小動物であった。おそらくイタチだと思われる。しかし、前足の肘から先が鋭い刃物になっており、既にどす黒い液体がねっとり付いていた。

「如何にもワシは物怪もののけじゃ。まぁ、人間どもはワシの事をカマイタチと呼んどるから、それが名前なんじゃろう」

 そして血のように赤い目が、ぎらぎらと妖しい殺気を湛えていた。

「つっ……、辻斬りは……、そなたの仕業か?」

 太刀を持つ手がカタカタと震え始めている。さらに、全身に汗が噴き出してきたようだ。そんな明房あきふさの口から咄嗟に出たのは、確認するまでもないような問い掛けであった。

「ゲッゲッゲ、お前さんを入れてひぃ、ふぅ、みぃ……と、十六人じゃなあ」

 それを聞いて、明房あきふさの腹は据わった。

「まっ、麻呂まろは……、斬られはせんぞ!」

 太刀の切っ先を前へ突き出し、相手の出方を伺う明房あきふさ。さすがは警察のトップというべきか。覚悟が定まったその構えに、隙は見つからない。

 しかし──。                                

「何を言っとるんじゃ。もう、お前さんは斬られとるわい!」

 突然、そんな彼に向かってカマイタチは驚愕の一言を浴びせた。

「戯言を申すな。麻呂まろは斬られた覚えがないわ!」

 この期に及んで何を言うかと、明房あきふさは激怒する。されど、カマイタチは真面目な顔つきでその証拠を指摘した。

「鈍いヤツはこれじゃから困るのぅ。ほれ、自分の手でも見てみぃ!」

「これは汗や。見て分から…………」

 明房あきふさは、言葉を失った。

 袖から流れ落ちている液体は、確かに血だった。わずかな月明かりではあったが、さすがに汗と血を見間違えるはずはない。そういえばカマイタチは、風の妖術を使って人を斬り付けるという噂を聞いた事がある。

「ゲッゲッゲェー、この瞬間が一番面白いのぅ!」

 カマイタチは刃物となっている右手の先をペロリと舐めて、恐慌をきたした明房あきふさの様子を楽しげに眺めている。

「さ~て、そろそろ切り刻んでやるか」

 そして今夜も、生暖かい夜風が断末魔の悲鳴をさらっていった。


 次の朝──。

 かまいたちの辻と、後世に名を残す場所で、奇妙な死体が発見された。

 血の毛が引いて真っ白になった瞳は大きく見開かれ、口は苦悶に歪んでいる。

 絶命の瞬間まで、自分の身に降りかかった出来事を信じられない様子であったようだ。

 それは──。

 全身をまっ茶色の毛に覆われた化けイタチであったという。


はじめまして、嵯峨卯近と申します。

この作品が初投稿となります。


約10年前に書いた短編をリメイクしてみました。

よろしくお願いします。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 粗筋はシンプルで明快、短くて読みやすく、緊迫した場面ながら明房とカマイタチがともにひょうきんなキャラクター性を持つので気楽に読めます。 [一言] 明房が毎度脅かされながら妖怪を返り討ちにし…
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