第4話 ベルベットの覆う空II
「フン、案外呆気なかったな。」
先程まで苦戦していたはずの敵を打ち砕いたというのに紅丸はどこか物足りなさそうに肩を竦めては言葉を零した。そんなことを言いつつも手は持っていた刀に付着していた赤色を振り払い、丁寧に鞘に収めていた。そのまま学園に戻ろうと言いたげに踵を返し歩き始めた。彼が数歩ほど歩いた頃だろうか、紅丸は空を見上げては顔を青ざめさせていた。その様子を向かいあわせで見ていたアリアは何事かと思った瞬間、紅丸は大きく息を吸っていた。
「イデン!上だ!避けろっ!!」
紅丸の叫び声に全員が驚きつつも顔を上に上げた。彼らの視界の先にはイデンの真上で段々と速度を上げて落下してきている小型のナイフによく似たものが空に浮かんでいた。あんなもの意図的に作らないと現れないと思いながらアリアが一瞬キメラの方を見た。もしかしたら、まだ死んでいなくてイデンくんを殺そうとしているのかもと思った瞬間キメラを殺してナイフが消えることに賭けるかナイフをどうにかするかを考えていた。
一方で狙われてしまったイデンは自身の置かれてしまった状況と周囲を見渡した。付近に使えそうな武器になるものは無くできることは避けることぐらいしか出来ないと頭では理解していた。しかし、全てを避け切れる自信がどうにも湧いてくることが無く内心ではかなりの焦りを感じていた。それでも行動に起こさなければこのまま何もすることなく殺されてしまうと思った彼はなるべく射程範囲外へと歩を進めようと走り出すために地面を足で蹴りあげた。運が良かったのか最初の踏み込みがかなり順調にいきこのまま行けば射程からズレられると思いながら後ろを振り向きナイフの状況を確認しようとした瞬間目を疑う光景が広げられていた。
先程まで地面へと垂直に向いていたナイフの矢先が彼を追跡するかのように方向を変え、急激に速度を上昇させながらイデンの方へと飛んで行ってしまった。そんな絶望的ともいえる状況に陥ってしまったイデンは避けきれるわけもないし、避けたとしてもまた追跡されて結局は刺されると思い結界を張った。しかし、魔力を十分に溜めれていない状態で張ってしまったせいか意図も容易く割れてしまった。ナイフを防ぎきれずイデンに当たってしまうとその場にいた誰もが思った途端、イデンの暗くも仄かに光を宿した藍色の瞳に一筋の雷光が現れた。
「怪我はしてないかい?」
「ぁ……ぃ、いや、僕は大丈夫。」
目を白黒させながらも先程目の前で起きた出来事をイデンは思い出していた。雷を彷彿とさせるように一瞬だけ光を放ちながら言葉では言い合わせないほどの速度を持っていた。速いなんてものではなくて速すぎると言った方が正しいのかもしれない。恐らく、予想に過ぎないのだがあれは"光の速さ"に等しいものだろうと考えていた。そんな彼の脳裏には光を反射させるように輝きを放ちながら無様に地面に落ちて行く結界の破片とアリアの速度についていけず対象まで届かずに距離を見誤り落ちていったナイフの数々。そして、汗ひとつ落とすことの無いまま光の如く僕を助けたアリアの表情だった。昨年から"最弱の魔法使い"として少しばかり噂になりイデンの耳にも入っていたアリアだが今回の行動と彼の持ちえる能力を見てはイデン自身が彼の評価が最弱ではなく並の生徒よりも上の存在だと見直さないとなと目の前のアリアを見ながらもイデンは彼の評価を改めていた。
「どうかしたのかい?もしかして、僕の顔に何か付いてるとか。」
「いや、何も変なものはついてないよ。」
あまりにもイデンがアリアのことをじっと見つめていたからかアリアは困ったかのように眉を下げてイデンに向けて質問をした。そんな彼らの様子をロロと紅丸は静かに見守っていた。そんな最中、彼らは背後から唯ならぬ気配を感じ取った。4人は気配のする方へと一斉に視線を向けた。
「…ようやく正体を現したな。」
「っ……アリアの言ってた通り、猫の形をしたスライムだね。」
少女の形をしていたものがドロドロと粘着質を持った液体のように溶けていき、正体が段々と明るみなっていく。猫のような耳が生えた頭部には蛍光色によく似たライムグリーンの肌を持つキメラにどんどんと変わっていき閉ざされていた瞳が開いた。そこには灰色の瞳を赤色に滲ませては目の前で武器や魔力を溜め、臨戦態勢に入った4人を睨みつける本物の"キメラ"が居た。
「ふざ、ケるな…っ!!何が正体を現したダ!もウ、いい…全員、コろしてヤる…っ!!!」
怒りを表に出したキメラはその怒りを押し沈めるように息を吐いた後、青々しい空へと手を掲げるとにんまりと楽しそうに口元で弧を描いた。その様子に見ながら来るかもしれない攻撃に備えるように視線を鋭くして辺りを見回す。増援も来ないことに驚いているとロロが空が暗くなったことに気がついた。それは気のせいなんかではなくその場所だけ厚い雲がかかったかのように彼らに影を落とした。
「どう、なってるの?」
「おい!なんだよ、これは…!」
ロロの困惑するような言葉に紅丸の焦る様な口調、そして顔色を青く染めながら呆然と空を見つめるイデンを見てはアリアも何が起きているんだと空を見上げた。そんな空中の様子を捉えた彼の赤色の瞳は驚くように丸くなっていた。気づけば空の色はアリアの鮮やかな赤色よりも何十倍も恐ろしさを感じる赤色を持っていた。
「ベルベット・スカイ。ボクがちゃーんトほんキで戦うときシか使わナイ技だよ。キミたちはぜイいんボクの手で…つぶしてあげる♥」
キメラがそう言葉を告げると4人の近くに自分たちと背丈の似た枯れ木のようなものが突然現れた。それぞれが警戒をしつつもその木を見ていると勢いよくそれぞれの心臓を目掛けて触手に似た枝のようなものを伸ばした。ロロは持っていた短剣で、紅丸は自分の愛用の刀で枝を切断することでなんとか最悪の事態を逃れていた。一方でイデンとアリアはギリギリのところ枝の攻撃を避けることに成功していた。全員が冷や汗を流している中、そんな光景を見ていたキメラは楽しそうに手を叩きながら頬を緩めて笑っていた。
「さすがダね!やっぱり、アズール・アルテミス学園の生徒ハ一味ちがうナァ…そのへんでボクらをとウバつしてる大人とはチがうっ!……でもでも、キミたちもキをつけないとボクに殺されるか、そのキのヨウブンにナっちゃうよ〜!」
キメラはケラケラと楽しそうに笑いながら言葉を放っていた。そんなことをしつつもソレは右手にあった短い爪を一気に長く伸ばしゆったりとした視線で4人を見ていた。彼らは各々木々の攻撃の対処をしており、キメラはその中から誰にちょっかいをかけようかと選んでいるようだった。そんな中で飛んでくるように枝を伸ばしてくる木を斬撃を与えることによってなんとか対処をしていた紅丸を見つけた。紅丸の切羽詰まったような様子を見てはゆらりと頬を緩めては持っている爪で紅丸に引っ掻こうとしていた。しかし、自分の方向へと来ていることに気づいていた紅丸は枯れ木の枝とキメラの爪での攻撃から逃れるために後ろに飛んだ。避けられてしまったキメラは目を丸くして数回瞬きをしては自分の爪を見ては頬を緩め、にんまりと楽しげな笑顔を浮かべた。
「まさか避けられちゃうダなんて〜!デも、2対1だシ、ボクのホうがゆうセイだよ!」
楽しそうに笑いながら右手の爪を紅丸に向けてそれを振りかざすキメラと枝を切り落としながら爪を避け続ける紅丸。一切攻撃を仕掛けられていないことで紅丸が焦りを感じつついるとキメラが飛び込んでくるように爪での引っ掻き技を出てきた。入れ違いになるようにキメラの進行方向の逆に行ったがすぐさま枝の攻撃が続き本格的に反撃が出来ずにいた。そんな光景を自分たちの近くにある枯れ木を対処しながらも3人とも追い込まれている紅丸を見ては助けないとと思っていた。
「…ここままでは紅丸くんの体力が無くなってしまう方が先かもしれないね。」
アリアはキメラに苦戦している彼の様子を見ては、彼の呼吸の速度や刀の振りかざし方に関して冷静に分析を行う。アリアが出した結果は紅丸の体力面の問題でこのまま耐久戦になれば彼の命が危ないと思っていた。枝を避けながらもアリアが視線を迷わすように様々な方向を見ているとなにか考え込むようにしながらナイフを構えているロロがいた。ロロはアリアの視線に気づいたのか目が合うと彼女はハッとしたように目を開き何かを閃いた様子だった。そして、イデンの方へと顔を向けては言葉を放った。
「今があのキメラの首を討ち取るチャンスかもしれない…っ!」
「そうだね。今が1番のチャンスかもしれない……アリア!君は紅丸くんとキメラを相手してくれる?ロロは木々の注意を引き付けてくれないかな?2人がキメラ本体にだけ集中出来る状況を作りたい。」
イデンから聞いた簡略的な作戦にアリアとロロが首を縦に振る。その行動を見てイデンは安心すると共に木の方へと視線を向けた。一方でアリアは右足に雷を纏っては目では追えないほどの速度で紅丸の方へと向かった。姿は視認できないものの落雷のような光と魔力を見ては今、自分の元へ向かっているのはアリアだと気づき自分の背後にあった木をわざとキメラに切らせることに成功した。
「マズはひトり…!え?」
振り下ろしが凄まじかったせいか砂埃が立ち上がっては視界を覆い隠してしまった。そんな砂が立ちこめる場所の中央にいたキメラは嬉しそうに言葉を発したが砂埃が止んで真実が見えるとキメラは顔を歪ませた。その隙にアリアがキメラの背後に回り込み、回し蹴りを食らわせた。
「フン、貴様にしては上出来だな。」
「そうかい?でも、まぁ紅丸くんのおかげだよ。」
鼻を鳴らしながら偉そうに笑う紅丸の言葉を聞いてアリアは眉を下げて困ったかのように笑みを浮かべていた。そんな彼の言葉を聞いた紅丸はさも当然のように笑うと2人はキメラを確認するためか顔をそちらに向けた。そんな2人の表情はどこか楽しそうであった。
一方では、ロロとイデンは猫型のキメラが生み出した枯れ木の対処を行っていた。イデンは自分自身が得意とする光魔法を使い、枝の注意をなるべく多くの注意を引きつけようとしていた。同時にロロも小型のナイフで枝を刺したり切り落とす事によっては相手が自分だけだと感知させ紅丸とアリアの方に矛先が向かないようにしていた。そして2人がうまく枝を2本ずつ引き付けていることを確認してから互いに交差するようにすれ違った。そして、直ぐにイデンが振り返り風魔法を使った。中央に吸い寄せられる力が働き4本の木の枝が複雑に絡み合って解けなくなったのを見ては魔力を解いた。今回は足止めのために行ったからこそ安易に攻撃を行ってはならないことをロロに伝えると2人は紅丸とアリアの方の様子を見ていた。
「イイかげんに……しロよナ!」
イライラとした様子のキメラがアリアに向けて長く、鋭い爪を振りかざした。しかし、乱雑な攻撃は簡単に避けてしまいやすいのか掠りもせずに避けられてしまった。だが、相手の攻撃の手数が異様に多いせいか2人は中々攻撃が出来ずにいた。防戦一方の現状に紅丸が険しい顔をして考えていることを読み取ったアリアは何かを思いつき彼の肩を軽く叩いた。
「…なんだ。」
「僕があいつの足止め役をするよ。」
「は…?」
突然の発言に紅丸は目を白黒とさせて驚いていた。そんな彼を無視してアリアは現状の防戦一方という状況をどうにかしたいと考えていた。しかし、紅丸からしたら2人がかりでも防戦のみでまともとに攻撃が出来ないと言うのにどうやって足止めをするのかと問いただそうとしていたがアリアが懐から折りたたみ式ナイフを取り出した。紅丸はそれを見ては開きかけていた口を噤んだ。あるのならば初めから出して戦えば良かったのにと思っていると彼はそのナイフに電気魔法を付着させた。
「もし、殺しにくい場合は僕ごと刺してくれないかい?」
「は…!?何を言っているんだ!貴様…!!」
紅丸が言葉を続けようとしている中、アリアはそんなことは関係ないと言わんばかりに独りでにキメラの方へと行ってしまった。そんな行動をされたことによって紅丸は青筋を立てたがそれよりもキメラの討伐を優先しなくてはと我に返り怒りを押し沈めた。そしてアリアの方へ視線を向けると人を超越したスピードでキメラと戦いを行っていた。あまりの速さに目ではついていけず思わず最悪の選択を取るしかないのか?と紅丸は焦りを覚えていた。いくらなんでも仲間を手にかけるほどの無情さは持ち合わせていないため何とかして策を考えなければと思った矢先にアリアの動きに違和感を感じてしまった。初めこそ何かの間違いや自分の考えすぎだと思っていたがじっと見ているとそれが動きのパターンによる違和感であることに気がついた。細かい点は多少違えど基本の所は変わらない。つまりはこの行動を予測してタイミングよく攻撃をしろということかと紅丸はアリアの考えが何となくわかった気がしていた。そして、相手にバレてしまう前に急いで攻撃に入らないとと思った紅丸は自身の腰にかけていた刀の柄を持ち、呼吸をひとつ吐いた。
アリアの戦い方からして1度でも俺が間違えを犯せば彼が死ぬかもしれないというプレッシャーを感じつつつも生半可の技は出せないと思考を回していた。必殺の技でなるべく早いものと考えた時にとある技が1つ頭を過った。それはまだ不完全なものだが殺すには申し分ないし失敗する確率も1番低いものかもしれないと思いその技を使おうと頭の中でイメージを組み立てた。
例え、1ヶ月という期間鬼人としての力が満足に出せずとも今ここにいる仲間と今ここにいる敵を打ち倒せるのならば惜しいことは無いと思いながら。
「紅に燃えし紅き月の。静寂を体現し一の潮の声さえかき乱せしよ。赤月残火・迅」
紅丸の纏っている雰囲気に気がついたのかアリアはキメラをその場から動かせまいと拘束魔法を使用した。その場から動けなくなったキメラはアリアの方を睨むが彼とは視線が合わず不思議に思っていた。そしてそんなアリアの視線の先を辿っているとそこには静かに刀を横に構えゆっくりと刀身を引き出している紅丸の姿があった。彼のやろうとしていることを理解していないのか訝しむような表情をしているとキーンと耳鳴りに近い音がキメラと3人の耳を擽った。
僅かに5人しかいない空間に静かな声が響き渡り誰にも拾われずに落ちる。全員の瞳に写っているのは眩いほどに野心を燃やし、輝きを放っていた瞳が閉じられている状態で何かを詠唱している紅丸の姿だった。彼が瞳を空け、叫ぶように単語を並べると数メートルほどは離れていたであろう距離を一瞬にして縮めたのだった。紅丸の持っていた微かに赤色を含んだ刀身はキメラを背後から貫き、相手の腹部には赤色が広げ渡っていた。そんな紅丸の額には嫌な汗が流れ落ちていた。ひりつくような痛みと熱を感じながらも紅丸が下に向けていた顔を軽く上げるとそこには、力を失くしぐったりとした様子のキメラがいた。そんな光景になんとか殺ったと頬を緩めながらキメラに最後の一撃を与えた少年はふらりとその身を地に落とした。そんな彼の様子を見ていた者たちは口々に彼の名前を呼びながら彼の近くへと駆け寄った。
最後にアリアが見た彼の姿は白く輝いていた髪が少しずつ黒色へと変わる瞬間だった。