強力な駒
「答える義理はありませんね」
告げられた一言に、ルーチェは大きく目を見張った。
そのように反抗的なことを言うなど、目の前の男が人間であった頃には決してあり得なかったことだ。だが今、完全に魔性へと姿を変えたミルドは、主君であるルーチェに対しそんな言葉を放った後だというのに、表情一つ変えず、こちらを睨みつけている。
完全に人格が変わってしまった──。
果たして、こんなことがあり得るのだろうか?
どんなに認められなくとも、目の前にいる変わり果てた男の姿と雰囲気は、容赦なくルーチェに現実を突きつけてくる。
自分にとって有用な駒である──所詮駒でしかない──と思っていたミルドが、実は魔性であったなんて。
今までどういった方法で魔性が人間などに擬態していたのかは分からないし、そこにどんな目的があったのかなど知るよしもないが、そんなことはこの際どうでもいい。問題なのは、氷依という駒に続きミルドという駒までをも失いかけているという事実だ。
「冗談じゃない……冗談じゃないぞ……」
これでは、作戦通りにいかなくなってしまう。
ただでさえ氷依という強力な駒を失い、作戦の変更を余儀なくされているというのに。
「このままじゃ……」
自分の望むものを手に入れられなくなるばかりか、立ち位置さえ危うくなる可能性がある。それだけは、何がなんでも避けなければならなかった。
だがしかし、だからといって、突如魔性へと変貌したミルドを、どう制御したらいいのか──。
まるでこちらの動向を窺っているかのようにピクリとも動かないミルドを、ルーチェも負けじと睨み返す。刹那、バチッと音がしそうなほど真正面から視線が合って、一瞬ミルドの表情が歪んだ。
「……っ⁉︎」
それは本当に、一瞬の出来事だった。
もしその瞬間に瞬きをしていたら、確実に見逃していたであろうほど僅かな間。けれど──。
幸運にもそれを見逃さなかったルーチェは、その理由に思い当たった瞬間、にやりと口角を上げた。
「僕はまだ、天に見放されたわけじゃなかったということなんだ……」
食い入るようにミルドの瞳を見つめ、彼の瞳が金色を帯びていることを認め、笑みを深くする。
氷依の瞳は金よりも青みの方が強かったが、魔性となったミルドの瞳は彼女のものより黄金色が強く出ていた。
「ということは……」
まだ、手遅れではないかもしれない。魔性となったミルドを氷依の代わりの駒として、使うことができるかもしれない。
一枚だけ残った、この札を使えばきっと──。
懐に忍ばせた札を服の上からそっと押さえ、心を落ち着けるべくルーチェは深呼吸する。
これを使わずに済めば、それでいい。現状のミルドがどれだけ強いか分からないからこそ、できれば使わずに済ませたいところだ。
しかし、いくら人間に擬態していたとはいえ、ミルドはルーチェの洗脳ともいえる魅了術に唯一抗った存在でもある。もし僅かでも危険を感じたら、その時は迷わず使うしかないだろう。
「貴重な駒を、これ以上失うわけにはいかないからね……」
氷依とミルドという二つの駒を失ったのは痛いが、代わりにもっと強力な駒が手に入るのなら、必要な犠牲であったといえなくもない。欲を言えば、氷依を連れ去った灰色の魔性も同様に手に入れたいところだが、欲張りすぎてもよくないことは分かっているので、それについては取り敢えず考えないことにした。
「焦らなくても、いずれ機会は巡ってくるだろうし……ね」
おもむろにルーチェが足を踏み出せば、ミルドは怪訝そうに表情を顰める。
そんな彼の瞳から視線を逸らさないようにしながら、ルーチェは黄金色の瞳をきらめかせた。




