願い
ピクリ、と意識を失い倒れていた氷依の指が動いた。
新たに貼り付けられた札に残っていた魔力を吸われ、既に動く気力さえもない。
だというのに、何処からか頭の中に響いてくるルーチェの呼び声に何とかして応えたいと、精神が悲鳴を上げる。
『氷依、氷依……』
ああ、そんな風に呼ばないで。わたくしはもう精も根も尽き果ててしまったの。だからどんなに呼ばれようとも、二度と貴方の元へ行くことはできないわ。
『氷依、氷依……』
やめて、もう呼ばないで。
行けないと、もう動けないと言っているのに、どうして諦めてくれないの? わたくしはもう、貴方の役に立つことは出来ないのよ──。
嫌だ、やめてと繰り返すのに、自分の名を呼ぶ声はいつまで経っても止む気配がない。
何故、どうして──もう嫌。これ以上こき使われるのは沢山なのよ。
嫌々と、心の中で頭を振りながら懸命に拒否の言葉を紡ぎ出すも、何の役にも立ちはしない。
結局のところ、氷依は既に身も心もルーチェのものなのだ。完全に彼に囚われ、どう足掻いてもそこから抜け出すことができず、ただ表面上のみ虚勢を張って見せることしかできない。
『氷依……氷依……』
段々と、ルーチェの声が遠くなっていく。
ついさっきまではそれを待ち望んでいたはずなのに、いざ彼の声が聞こえなくなると思ったら、氷依は心の底から恐怖に駆られた。
嫌……ルーチェ様……嫌! 行かないで‼︎
ほぼ無意識に、氷依は指を動かす。
その方向に、ルーチェがいると思ったからではない。体内の魔力が尽きかけ、消滅寸前となっていた氷依は、ただ魔力を感じる方向へと無意識に指を伸ばしていた。
ルーチェ様に会いたい──消滅する前に、もう一度。
だが魔力が足りない、動けない。
これでは転移など出来ないし、たとえ出来たとしても彼の元へなど到底辿り着けはしないだろう。
分かっていても、願うことは止められない。
会いたい……ルーチェ様に。どうしても。
行かなければならないのだ。愛しい人が自分の名を呼んでいるのなら──。
「………………」
僅かずつ、本当に僅かずつ指を動かし、氷依は目の前に散らばる灰色の髪に手を伸ばす。
それに届いたところで、何がどうなるわけでもない。魔性同士で魔力の受け渡しや吸収などは出来ないため、ある意味その行為は単に無意味なものとも言えた。
しかし氷依はルーチェのことだけを頭に思い描きながら、まるで引き寄せられてでもいるかのように、灰色の髪へと手を伸ばし──そして、辛うじて指先の爪が僅かにそれへと触れた。
刹那、膨大な魔力が身体の内へと流れ込んでくるのを感じ、氷依はほぅ──と大きな息を一つ吐いた。
「なっ……! 貴様!」
すぐに気付いた死灰栖が身を起こしたことにより、髪は氷依の指から難なく離れてしまったが。
それでもう十分だった。
(ルーチェ様、今、貴方様の元へ……)
転移するために十分な魔力は手に入れた。
あとは愛しい人の元へと最後の挨拶に向かうだけ──。
無駄な魔力をほんの少しでも使うことを厭うたのか、氷依は起き上がることもなく、倒れた体勢のまま自分を呼ぶ主の元へと──転移した。




