ミルドと奏
ラズリと奏が話をしていると、やや離れた場所から唐突に声が掛けられた。
「ラズリ殿? もしやラズリ殿ではありませんか?」
聞き覚えのある声に、嫌な予感がして振り返る。
視線の先には案の定、青いマントを羽織った黒髪の騎士──ミルドがいて。彼はこちらに向かって歩いてくる所だった。
「そちらにいらっしゃるのは、やはりラズリ殿でしたか。遠くからお姿をお見かけして、もしやと思い来てみたのですが……正解でしたね」
穏やかな声を発してはいるが、不穏な気配を隠しきれていない。
ラズリが勝手に馬から降りていることに、腹を立てているのだろう。
背後に一人の騎士を従え、右手を隙なく剣の柄に添えた状態で、油断なく近付いてくる。
「一人では馬から降りられないと思っていたのですが、驚きましたね……。一体どうやって降りたのです?」
言いながら足を止め、ミルドはラズリの隣にいる青年へと目を向ける。
瞬間、彼は顔色を変え、即座に剣を抜き放った。
「ラズリ殿! その者は魔性です! 離れてください!」
しかしラズリは、ミルドの言葉に平然と答える。
「うん、知ってる。けど、どうして離れないといけないの?」
それが魔性であるからという理由だけなら、当然ラズリは聞くつもりがない。
だって自分は、奏を信じると決めたから。
悪人であるミルド達の言う通りにする義理はないのだ。
「どうしてって……当たり前ではないですか。……いいですか? 魔性とは、人間に害を為す生き物なのです。今は優しくされているとしても、それは必ず何か企みがあってのこと。だから惑わされてはいけません! お願いですから、どうか此方に!」
「さあ!」と手を差し出してくるが、ラズリはそれを無視する。
その上で、ミルドを睨みつつ言葉を紡いだ。
「そもそも私に害を為したのはあなた達じゃない。なのにどうして私がそっちに行かなきゃいけないの? そんなの絶対にお断りよ」
一体どういう精神構造をしていたら、自分達のしたことを棚に上げ、何もしていない青年を貶めることができるのか。
そしてその言葉を、此方が信じると思うのか。
全く持って分からない。
これが王宮騎士なのか。
人間の誉れと言われる王宮騎士が、こんな人達だなんて終わってる。
もっとまともな人達が王宮騎士であったなら、自分の運命も変わっていたかもしれないのに。
「自分の立場も弁えない小娘が……」
ミルドの口から、低い声が漏れる。
気付けば、彼の背後にいる騎士もまた、剣を抜き放っていて。
思わずラズリがゴクリと唾を飲み込むと、奏が庇うように前へ出た。
「お前達、何おかしなことを言ってるんだ? 言っておくが、俺はまだ人間を害したことは一度もない。ただの一度もだ。だが、お前らは違うよな? まさに今、目の前で自分達と同じ人間を害してる。違うか?」
青年の言葉に、ミルドは訳が分からないといった顔をする。
それから徐に剣を構え直すと、何を馬鹿なことを……と、青年の主張を鼻で笑った。
「言ってる意味が分からんな。貴様の方こそ、嫌がるラズリ殿を無理矢理手中に収めているではないか。それを害ではなくて何と言う?」
いや、別に全然嫌がってないんですけど……とラズリは思ったが、奏はミルドの言葉に仰々しく驚いてみせた。
「えっ!? 言ってる意味が分からないってマジ? あんた頭大丈夫? それにラズリだって嫌がってるようには見えないんだけど……あんたには嫌がってるように見えるのか? もしかして目も悪い?」
「ち、ちょっと!」
どうして態々怒らせるようなことを言うんだろう?
ラズリは慌てて青年の袖を引っ張ったが、遅かった。
「貴様ぁぁぁぁぁっ!」
怒りに目を血走らせたミルドが、一気に距離を詰めてくる。
「死ねぇっ!」
大きく振りかぶられた剣に、恐怖を感じたラズリが目を閉じた刹那──。
「うわああああああああっ!」
ミルドの叫び声がし、やや遠くの方でドン、とぶつかるような音がした。
「…………?」
一旦そこで音がなくなった為、どうなっているのか分からず、ラズリは恐る恐る目を開ける。
聞こえてきた音的に、奏は大丈夫そうだけど……ていうか、大丈夫でありますように!
そう祈りながら開けた視界の目の前に、先程と変わらぬ彼の背中があって。
「良かった……!」
ラズリは思わず奏に抱きつき、ぎゅっと両腕に力を込めた。
「なんだなんだ? 嬉しいけどいきなり熱烈だな」
くるりと体の向きを変えた奏に、すぐさま正面から抱きしめ返される。
それによってラズリは正気に戻ると、奏の腕の中でジタバタと暴れた。
「ち、違うの! 無事だったんだと思ったら、なんか安心して、それで……」
「へえ? 俺のこと心配してくれたんだ? ラズリってば優しいな~」
益々強く抱きしめられて動揺しながらも、ラズリは「ん?」と首を傾げる。
「ねぇ、どうして私の名前……」
「さっきあのムカつく男が呼んでただろ? だから分かったんだが……呼びやすくていい名前だな」
名前を褒められ、至近距離で微笑まれて、ラズリはつい羞恥のあまり青年を力一杯突き飛ばしてしまう。
「うっ……ラズリ酷い」
見事突き飛ばされて尻餅をついた奏は、わざとらしく傷付いた顔をしたが、そんなのは無視だ。
絶対わざとに決まってる。
「今はこんなことしてる場合じゃないでしょ。あの人達は……」
言いながらミルドの姿を探そうとして、ラズリは離れた位置に倒れている二つの人影に気付く。
よく見ると、ミルドともう一人の騎士であるようだ。
どうしてあんな所に……?
不思議に思って奏を見ると、彼も同じようにミルド達を見つめ、それからラズリに向き直った。
「ラズリにかっこいいとこ見せようと思ったら、ちょっと力が入って……纏めてぶっ飛ばしちまった」
「てへっ!」とでも言いそうな顔で、小さく舌を出して笑う。
が、申し訳ないがラズリはそれを見て『可愛い』とは思えなかった。
超絶美形が可愛い顔をすると、微妙にしかならないのね……。
心の中で、そんなことを呟いて。
「これからどうしよう? まず、この火をなんとかしないと……」
そう、ミルド達の姿を見た時からずっと気になっていた。
彼等の歩いて来た先が、真っ赤な炎に包まれている事が。
先程奏の言った「同じ人間を害している」というのはつまり、彼等が放火したという事で。
森を屠り続ける炎へと目をやり、その先にあるであろう村へとラズリが想いを馳せると──。
「取り敢えず消すか」
奏がこともなげに、そう言った。