狙う者
「ふぅ、えらい目に遭ったぜ……」
ラズリと闇のいる宿屋の室内へ突如姿を現した奏が、空中に浮いた状態でため息を吐く。
いきなりの奏の登場に驚くこともなく、窓近くにいた彼を部屋の中心へと追いやった闇は、外からの視線に気を配ると窓を閉めた。
「あんなにも堂々と顔を晒していたら当然でしょう? 私達魔性の造形は人間のそれよりも格段に優れているのですから、もう少し自覚を持つべきかと」
「んなこと言われても、俺の顔は魔性の中では普通に分類されるんだから、忘れててもしょうがなくね?」
そんな奏の言い分に闇は言葉を失くすが、当の本人はケラケラと笑っている。
奏が突然目の前から姿を消したことで、彼を追ってきていた女性達が目を皿のようにして奏の姿を探し回っているというのに、当人のあまりの能天気さに、闇は頭を抱えたくなってしまう。
「貴方が注目を集めれば集めるほど、ラズリ殿が彼等に見つかる確率が上がってしまいます。できれば無用な争いは避けたいですし、貴方だってラズリ殿が嫌な思いをするのは本意ではないでしょう?」
そう言って諭せば、奏は嫌々ながらも「まぁな」と頷く。
「けど、アイツらは人間だろ? 見つかったところで空に飛んで逃げればいいし、なんだったら空間移動で逃げればいいんだから楽勝じゃね?」
何処までも楽天的な考えの主に、闇は思わず眉間に皺を寄せた。
ラズリはつい先ほど住んでいた村をなくし、大切な人達を根こそぎ全員奪われたばかりなのだから、少しでも平穏に過ごさせてあげたいと彼女のことをあまり知らない闇でさえも思うのに、目の前にいる青年は、欠片もそんな考えを抱いてはいないようだ。
これでよく好きだなんだと言えるものだな……。
とてもじゃないが、こんな状態で奏が本当の意味でラズリのことを好きだなどとは、闇には到底思えない。
ただ、奏本人が好きだと言っている以上、表立って否定することはなく、受け入れているに過ぎないだけだ。
好きだの嫌いだの、愛だの恋だの、そんな気持ちは人間が持つものであり、魔性である自分達には馴染みのないもの。魔性にあるのは、自分が主と定めた者に対する執着心、それだけ。
だから魔性は、通常魔神と呼ばれる強い力を持つ者を主として集団を形成する。
魔神とは、個々が勝手に名乗るものではなく、その見た目、強さに惹かれる者達が集い、集団を形成することで認められ、認知されていくものなのだ。
魔神の配下として認められると、その者の色と能力を下賜され、名前から何から全てが塗り替えられる。顔の造形以外はほぼ別人になると言ってもいい。
闇とて奏に出会うまでは、闇という名ではなかったし、雷を操る能力を基本としていた。けれど、奏と出会い色々な事情を経て、全身の色彩が緋色になり、操る能力が緋色の闇へと変化して、名前が闇に変わったのだ。
そこに忠誠心という執着はあっても、それだけ。愛や恋などという感情は理解できないし、知る必要もないと思っている。
なのに──闇の主である奏は、ラズリという人間の娘を好きになったと宣った。でも、無理矢理手に入れたいわけではないから暫く見守ると、自由にさせて様子を見たいと言って放置していた。
実際は放置ではなかったかもしれないが、あまりにも気に掛けている様子がなかったから、一時の気の迷いだったかと思っていたぐらいだ。
しかし、そうではなかった。彼女の身に危険が迫った瞬間、奏は動いた。
もう既に存在を忘れているだろうと思っていた為、彼が動いたことに闇はかなり驚かされたが、動いてからは迅速だった。一つだけ言わせてもらえるなら、彼女の身だけでなく、その周囲にも気を配っていたなら、村を焼かれることはなかったのではないかと思うが。
兎にも角にもラズリの身に危険が迫ると同時に奏は動き、思惑通り彼女を手に入れることに成功した。否、まだ手に入れたと言えるほどの信頼関係は構築されていないが、天涯孤独になったラズリに行く宛がない以上、成功したと言えるだろう。
だが、今後の問題は山積みだ。
「ご存知だとは思いますが、ラズリ殿を狙っているのは王宮の人間だけではありません。そちらへの対処はどうなされるおつもりですか?」
まだ直接手を出されたわけではないが、もう一人、ラズリを狙っている者がいる。それは王宮の人間などより余程厄介で、真正面から事を構えれば、無事に済むかどうかさえ分からない相手だ。
「ん~……取り敢えずまだ手は出して来てないし、対策は……考えてるから大丈夫だろ」
顎に手を当て、考えながら言う奏に、闇は鋭い瞳を向ける。
「対策など考えていませんよね。嘘を仰らないでいただきたいのですが?」
「へえっ!?」
図星を突かれたのか、驚いた奏が床に落下し、大きな音をたてた。
「いってぇ!」
強かに尻を打ちつけたようで、痛みに顔を歪め「いたたたた……」と摩っている。
「奏! どうしたの? 大丈夫!?」
物音に目を覚ましたラズリが起き上がって声を掛けると、打った場所が場所だからか、奏はラズリがベッドから降りようとするのを制止して「大丈夫だから……」と弱々しい声で言った。
こんな状態で、相手が本気を出してラズリに手を伸ばしてきた場合、守り切れるのかと闇は不安に苛まれる。
もう一人の相手は魔性。配下がいない為、魔神として周知されてはいないが、恐らく魔神に近しい強大な力と能力を有す者。
対して奏は、訳ありで闇が配下になっただけの魔性であり、魔神としての力も能力も有してはいない──だからこそ、闇を配下として認めていないのだが。
あちらが本気を出してきたら、絶対に敵わない。
そう遠くない未来に起こり得る出来事に、闇は一人戦慄した──。