悲劇
「なん……で……」
大きな血溜まりの中に倒れた闇の姿を、奏は呆然と見つめていた。
どうして闇がここにいるのだろう? 彼にはラズリの傍についているよう命令したはずなのに。
もしや自分の命令を破ってここへ来たのか? その理由は? ラズリに何かあったのだろうか?
「いや……それよりも……」
今はそんなつまらないことを気にしている場合ではない。なのに動揺しすぎて頭が上手く働かず、思うように身体も動かせないでいる。──いや、身体が上手く動かないのは、忌々しい札を貼り付けられたせいか。
本来であれば、今闇が倒れている場所には、奏が倒れているはずだった。
灰色の魔性と対峙している際、半天使の青年から意識を逸らした瞬間に札を貼り付けられ、膝をついた途端おびただしい数の攻撃に晒された。
それにはさすがの奏も咄嗟に反応することができず、結界を張るのが精一杯で、死を覚悟して目を閉じたのだが──。
痛みは、予想外に訪れなかった。
不思議に思って目を開いてみれば、目の前には切り刻まれた闇がいて、彼の緋色の髪と鮮血が混ざり合い、美しい絵画のような光景が広がっていた。そのあまりの美しさに、一瞬息をするのも忘れ、見入ってしまったほどだ。
だが、現実は残酷だった。
奏を庇って倒れた闇の傷は、札を貼り付けられ、弱った奏の能力では到底癒やすことなどできなかった。
歯を食いしばり、少しでも傷を癒やそうと奏が必死に力を込めても、闇の顔色はどんどん悪くなっていくばかりで。
「闇……駄目だ、逝くな。逝くな、闇」
震える声で祈るように言葉を紡げば、闇は弱々しく微笑んでこう言った。
「我が君……助けられて……良かった……」
「馬鹿! こんな時まで、俺の……うっ!」
〝俺の心配なんてしなくていい”と言うつもりだった。なのに言えなかったのは、札が更にもう一枚、奏の背中に貼り付けられたからだ。
「て……めぇ……」
全身を襲う脱力感で倒れ込みそうになりながら、それでも奏は両腕でなんとか身体を支え、半天使の青年を射殺さんばかりに睨みつけた。
たとえ半分だけでもラズリと血が繋がってると思ったから、多目に見てやろうと思ってたってのに……。
繋がってるのは、半分だけ。それは間違いない。
闇の調査結果によれば、二人は双子であるにも拘わらず、父親は別だということだった。その理由を、闇は苦虫を噛み潰したような顔をしながら、奏にこう説明してくれたのだ──。
ミースヴァル島が魔性に占拠された際、天界へ逃げ遅れ、ひっそりと隠れ住んでいた一組の天使夫婦を襲った悲劇があった。
それは、島に唯一残っていた女天使を賭け事の対象とし、『この場にいる全員で辱めを与えたら、女は誰の子供を妊娠するか』という最低の行いであったらしい。
無論それには人間──魔性により無理やり連れてこられた──も、彼女の夫である天使も辱めを与える側に含まれていて、妊娠した子を殺すことは神の意に背く行為であるという以外に、『愛する夫との初めての子かもしれないのに、殺すのか?』という脅しを女天使にかけるためだけに強制的に参加させられたものであったようだ。
どんなに嫌がっても逃げられず、自害もできない二人の天使は連日連夜、女天使が子を宿すまで魔性達の最低な遊びに付き合わされ──女天使に子ができるやいなや、男天使は命を奪われた。
そのことに衝撃を受けた女天使は出産とともに果てるかと思われたが──男児であった赤子が天使そのものの見目をしていたため、男天使の忘れ形見と考え、弱った身体で男児を育てる道を選んだという。
しかしラズリは──双子として生まれたもう片方の女児は、あまりにも見た目が人間そっくりであったため、魔性によってその場にいた人間の男に押しつけられ……結果、捨てられたのだ。




