無償の親切
「……で? これからどうする?」
ミルドから逃れるため、適当に飛んで逃げ出した空中で、奏がラズリへと声をかけてくる。
「取り敢えず王宮へ向かって行くか、それとも逆方向へ行くか。俺はラズリのしたいようにするけど」
好きな方を選べと言われ、ラズリはゆっくりと周囲を見回す。
ラズリの住んでいた村は、随分と深い森の中にあったようで、ここまでかなりの距離を飛んで来たような気がするのに、二人の足元には未だ森が広がっている。
随分遠くの方に、先が見えない程に高く聳え立つ建物が見えるが、造形的に、恐らくあれが王城なのだろう。
大切な物を自分から全て奪った、元凶のいる場所──。
君主がどんな人物であるのかは分からない。
だが、自分の敵であることだけは確かだ。
あんな立派な場所に住んでいながら、どうしてあんな暴挙に出たのか。
できるなら今すぐにでもあそこへ乗り込んで行って、その命令を下した人物を問い詰めてやりたい。けれど相手が自分のことを欲しているのであれば、それは向こうを喜ばせることにしかならないから、絶対にしたくない。
相反する気持ちを抱え、ラズリは王城を鋭い目で睨み付ける。
絶対にいつかは、自分をこんな境遇へ追い込んだ張本人に、理由を問い詰めに行く。
だけど、それは確実に今ではない。
かといって、反対方向へ行くというのは、流石に違う気もして。
「取り敢えず、近くの町か村に下ろしてくれる? 私は住んでいた村のことしか知らないから、この世界のことを色々知るところから始めたいわ」
暫く考えた後、ラズリはそう提案した。
「分かった。確かにそれが一番良いかもしれないな」
奏が頷き、ゆっくりと飛行を開始する。
本当はもっと早く飛べるだろうに、恐らくラズリのことを気遣ってくれているのだろう。
魔性であるのに、彼は本当にどこまでも優しい。
何故、初対面の自分にそこまで優しくしてくれるのか。彼は何故、自分を助けに来てくれたのか。
そういえば、肝心なその理由を聞き忘れていたと、唐突に思い出す。
今なら聞くのに丁度良い機会だと、ラズリは口を開いた。
「一つ聞きたいことがあるんだけど……いい?」
「なんだ?」
森の上空を飛びながら、奏が優しい瞳で見つめてくる。
至近距離から向けられた視線に、ラズリの胸は予期せず高鳴った。
けれど、今はときめいている場合ではないと、脈打つ胸を懸命に落ち着かせながら、ラズリは次の言葉を紡ぐ。
「あのね、奏はどうして私を助けに来てくれたの?」
さっきまでは、時間がなくて聞けなかった問い。
気になってはいたものの、とてもそれどころではなかったし、すぐにミルド達が姿を現したことにより、今の今まで聞くことができなかった。
無条件で助けてくれるなら、いっそ理由なんてどうでも良いとさえ思えるが、それでも一応聞くだけは聞いておきたい。
本来ならば人間と敵対しているはずの魔性が、人間である自分を助けてくれるだけでもあり得ないのに、その対価すら求められないのは、どう考えてもおかしいと思うから。
「私は魔性のことをよく知らないし、だからこそあなたが魔性というだけで差別したりはしないけど、魔性だとか人間だとかは関係なく、無償の親切はないって言われて育ってきたから……」
ラズリの住んでいた村の人達は、基本的に親切な人達ばかりだった。
でもやはり全員が全員そうではなくて、その中の数人は、他の村人達にいくら野菜や薬草を貰おうと、体調不良で仕事が滞っている時に手伝って貰おうと、お礼の一つすら言わない者達だったのだ。
それでも村人達は、何ら気にすることなく彼等にも平等に親切にしていたのだけれど──。
ある日突然、礼儀を失した者達が、村から忽然と姿を消した。
なんの前触れもなく、突然に。
ラズリはそのことに驚き、何か手掛かりはないかと彼等の家に行ってみたのだが、家の中は住んでいたそのままの状態になっていて。引っ越した様子なんて微塵も感じられなかった。
だから不審に思って祖父に尋ねたところ──『彼等のことは忘れるんだ』と、言葉少なに言われたのだ。
その理由をどんなに聞いても、祖父はそれ以上教えてくれることはなかった。
ただ一言だけ「無償の親切なんてない」とだけ、随分後になってから言われ、そのことを他の村人達に聞いてみたら「世の中は助け合いで回ってるんだ。特に俺らの村みたいなところはな。無償の親切なんてできる奴は、余程恵まれた生活をしてなきゃ無理なんだよ。つまり、そういうことだ」と答えてくれた。
あの時は、そういうこととはどういうことなのか理解できなかったが、自分で育てた野菜を村の人達にお裾分けするようになって、ラズリは漸くその意味を知ることができたのだ。
親切心で周りに与えるだけでは、自分達は暮らしていけない。
人間関係を良好にするために与えられる物は与えるけれど、替わりとなるお礼を貰わなければ、自分達の絶対必要量が足りなくなってしまうということに。
「だから教えてほしいの。あなたは私を助けて、替わりに何が欲しいの? 分かってると思うけど、私は人にあげられるような物なんて何も持ってない。もしも、私の命が欲しいって言うんだったら──」
「あ~違う違う! 俺は別に命なんかいらないって。そんなもん貰ったところで、どうしようもないし」
焦ったように言われた言葉に、取り敢えずラズリはほっと息を吐く。
もし本当に命が欲しいと言われたら、これから何処に連れて行かれるのだろうと、恐怖に怯えるところだったから。
けれど、違うのならば安心だ。
「じゃあ、どうして?」
首を傾げて尋ねると、奏は何故か言いにくそうに、赤い瞳を逸らした。