誕生日パーティ.2
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てっきり私達ももう一曲踊ると思っていたのだけれど、アシュレン様に手を引かれ連れて来られたのは薬草園の端にある温室。そこには薬のもとにもなる花が、今が最盛期とばかりに咲き誇っていた。
木にはオレンジ色の花、足もとに長く伸びた茎の先には、スズランによく似た白い花がゆらゆらと揺れている。
「最近来ていなかったのですが、こんなに花が咲いていたのですか」
「今が一番綺麗だ。でも、見せたかったのはこれではなく……」
言いながらアシュレン様はどんどん奥へ歩いていくと、そこには見慣れない鉢植えがひとつ置いてあった。
「これはどうしたのですか?」
「ターテリア国に行ったときに、ライラへの土産に買ってきた」
長くまっすぐ伸びた茎に白銀の大きなつぼみがひとつ、今にも開こうとしていた。
「初めて見る植物です」
「ターテリア国原産の珍しいものだ。悪いが薬の材料にはならないぞ」
その言葉に私は首を傾げる。わざわざ買ってきたのだからてっきり珍しい薬草だと思った。
「ではどうしてこれを?」
「婚約者に花を贈る、というのを一度もしていなかったのを思いだしたからだ」
そう言うと、アシュレン様はしゃがみ花の高さに目線を合わす。ドレス姿の私はどうしようかと考えていたのだけれど、隣に来いと手招きされ、同じようにしゃがみ込んだ。
「この花は十年に一度だけ花を咲かすそうだ」
「つぼみが膨らんでいるように見えます。もしかして今夜、咲くのでしょうか」
「おそらく。あっ、ライラ見てみろ。花弁が開いてきた」
月の光に促されるように、アシュレン様の髪の色によく似た花弁がゆっくりと動いていく。と同時に、微かに甘い香りがする。
「ターテリア国では、この花を一緒に見た恋人はずっと一緒にいられると言われているらしい」
思わずパチリとしてアシュレン様を見上げた私は、そのままじっと整った横顔を観察する。
視線に気づいたアシュレン様が、照れくさそうに眉間に皺を寄せ私のほうへ顔を向けた。
「なんだ、その反応は。もっと感動すると思っていたのだが」
「だって、アシュレン様の口からそんなロマンティックなセリフが出るなんて、思いもしなかったので」
「前から思っていたが、ライラは俺を何だと思っている」
何って、腹黒ですよ。
ブレイクさんの件、忘れたわけではないですからね。スティラ王女殿下の相手が既婚者だと勘違いし、どれだけ狼狽えたことか。
教えてくれても良かったのに、と不満を訴えると、アシュレン様は片眉を上げ「密会を見たことを俺に黙っていたライラが悪い」と言う。
確かにそうですけれど、解せぬ。
ちょっと膨れっ面になった私の頬を、アシュレン様の指が突いた。
「機嫌を直せ。ライラの反応が面白くてつい、だ」
「納得できません」
「はは、では何をすれば許してくれるか? お姫様」
その口調、まったく反省していませんよね。もういいです、と不貞腐れながら花を見ていると、花弁はさらに開き、釣鐘を反対にしたような形になった。
「ライラ、花の中が見えるか?」
「中ですか?」
しゃがんでいた姿勢から中腰に変え真上から花を覗くも、温室の中は暗くて見えない。
アシュレン様も同様に花を見ると「温室では暗くて無理か」と言って、やけに慎重に鉢植えを持ち上げ外へ向かっていく。
温室の近くにある小さなベンチに花を置くと、それを挟むように私達は腰掛けた。
「うん、今夜は月が明るいし、この花を見るには最適だな」
アシュレン様が花の内側を指差すので身を乗り出して覗き込むと、釣鐘型の花の中、三分の一ぐらいにたゆんとした液体が溜まっていて、そこに金色の月が映っていた。
花が風にそよぐのと一緒に月もゆらゆらと揺らぎ、花弁の白銀がさらに輝く。
「これは、すごく幻想的です」
「この花の別名は月の雫、らしい。花の形と白銀の輝きからそう呼ばれるようになったそうだ」
アシュレン様は胸ポケットから銀色の板のようなものを取り出す。
手の平よりさらに小さいそれは、二枚の板が重なっているだけのように見えるのだけれど。
「ブレイクが作った金属からできている。だからほら、こうすれば……」
言いながら、アシュレン様が板と板の間に指を入れ広げると、ちょっといびつではあるけれど五センチほどのコップになった。凄い!
「錫を混ぜた金属でできているのですね」
「そうだ。ライラ、これをちょっと持っていてくれるか?」
手渡されたコップはほんのりと暖かい。そういえば、錫って熱の伝わりが良いと聞いたことが。ということは、これはアシュレン様のぬくもりかしら。
アシュレン様は片方の手で鉢植えの縁を摘まみ傾け、もう片方の手で花弁を下へと引っ張った。
「ライラ、コップを近くに」
「はい」
花弁の隙間から流れ落ちた液体は、シロップのような半透明で予想していたよりトロンとしている。アシュレン様は慎重に花を傾け、そのすべてをカップに移していく。
「うん、これで全部かな」
「ひと口、いえ、二口ぶんぐらいでしょうか」
決して多くはないそれからは、花と同じ甘い匂いが微かにした。
「美味しいのですか?」
「そこはまず、飲んで大丈夫か、と聞くところではないのか?」
呆れ顔のアシュレン様。でも、飲んではいけないものだったら、わざわざカップに注ぎませんよね。
「さっき、この花を見た恋人はずっと一緒にいられると言ったが、正確にはこの蜜を飲んだ恋人は、だ。……って、そんな驚いた顔で俺を見るのはやめろ」
「あ、いえ。嬉しいです」
普段の言動からアシュレン様が私を大切に思ってくれているのは分かっている。
でも、研究者でもあるアシュレン様はいつも現実的だから、ちょっと意外だったのだ。
「二人で飲むのですか?」
「そうだ。では、まず俺から」
と言ったのに、アシュレン様はそれをすべて口に含んでしまった。えっ、私の分は?
この場に及んで意地悪をするのですか?
呆気に取られている私に、アシュレン様はライトブルーの瞳を細めると、カップを持っていないほうの手を私の首筋に当てた。
そのまま近づいてくる顔が月の光を遮り、私の唇に触れる。
口内に流れ込んできた液体は甘く、飲み込むように喉を親指で撫でられた私は、
ごくん
指先の動きに誘われるように、喉を鳴らした。
ゆっくりと離れていく唇は、いたずらが成功した子供のように弧を描いている。
当然のごとく私の顔は真っ赤だ。
「美味いか?」
「……正直なところ、思ったより甘くはありません。ちょっと苦い?」
「同感だ。ま、人生甘いことばかりではないという意味なのだろう」
アシュレン様は鉢植えを地面に置くと、私の隣に座り直す。
「きっとこれから、いろいろあるだろう。でも、それらどの瞬間においてもライラには俺の傍に居て欲しいと願っている」
「はい。約束します。アシュレン様と離れていた十日間、寂しかったです。ジルギスタ国ではいつもひとりでしたから、私は自立した人間だと思っていました。でも、隣にアシュレン様がいないことが、心細くて悲しかった。いつの間にか、私の中でアシュレン様の存在はとても大きくなっていたのです」
「俺も会いたかった。正直、エリオット殿下がライラを側妃にすると言った時は、頭が真っ白になった。国勢を知っているだけに、それを突っぱねるだけの力がカニスタ国にないのも分かっていたからな」
意外な言葉だった。顔色ひとつ変えず冷静にみえたアシュレン様が、じつは焦っていたなんて。
「アシュレン様がそんなふうに思っていらしたなんて知らなかったです」
「そのせいかな、ちょっと迷信染みたことに頼りたくなった」
「……この花は、今夜で枯れてしまうのですか?」
「ああ。ただ、球根は残る。次に咲くのはまた十年後だ」
「では、その時も一緒に見てくれますか?」
「もちろん、十年後なら子供もいるかもな」
蕩けるような笑みと一緒に抱き寄せられる。すっかり慣れ親しんだぬくもりと香りに身体をゆだねつつ見上げれば、月の光を受け輝く銀色の髪が夜風になびいていた。
無意識にその髪に手を伸ばし撫でると、くすぐったいのか切れ長の目が細められる。
しばらく、さらりさらりと髪を触っていると、その手をアシュレン様が掴み頬に当てた。まるで自分のぬくもりを移すかのように頬ずりをすると、ちゅ、と唇を落とす音がする。
その音に、顔がぼっと赤くなれば、今度は指先に口付けをされた。
「ライラ。いい加減、慣れてくれないか?」
「……善処いたします」
とはいいつつ恥ずかしさから目線を下げれば、白銀の花弁が先程より大きく開き、花全体で月光を受け止めていた。
甘い香りはさらに強まり、喉には少し苦みが残っている。
夜風が私の髪を散らし、アシュレン様が耳にかけてくれた。
これから先、長い人生をこの人と一緒に歩む。
それはとても、心強く楽しいことに違いない。
時には苦く感じることがあるかもしれないけれど、それも全部ひっくるめて私はこの人の隣にいたい。
「アシュレン様、愛しています」
切れ長の瞳が丸く開き、次いで心底嬉しそうな笑顔が帰ってきた。
「何があっても手放さないから、覚悟しろ」
何度目かの口づけは、角度を変えて深く重なり、私は彼の愛の深さに溺れぬよう、その首に腕をまわした。
★お知らせ★
虐げられた令嬢のコミカライズが決定しました!
詳しいことはそのうちお伝えできればと思います。
これもすべて、この物語を読んでくださった読者様のおかげです。ありがとうございます!
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