誕生日パーティ.1
本日1話目
昼食後、湯に入り全身に香油を塗り込むところから始まった身支度は、日が沈む少し前にやっと終わった。
アシュレン様があまり夜会に出席されないこともあり、ドレスを着るのは久しぶりだ。
たくさんあるドレスの中から選んだのは、もちろんライトブルーのドレス。それも一番豪華なものを選び、髪型も小さな宝石を散りばめ華やかに仕上げてもらった。
胸に光るネックレスは指輪と同じブルーダイヤで、今夜の私はこれでもかとアシュレン様の色に染まっている。
そんな私を部屋まで迎えに来てくれたアシュレン様は、指輪と同じ色の瞳を大きく見開くと、数秒、黙ってしまった。
「……おかしいでしょうか?」
「い、いや。綺麗だ。他の奴に見せるのが惜しい」
「ふふ、アシュレン様のほうが素敵ですよ」
光沢のあるライトグレーのスーツはそのスタイルの良さが引き立ち、いつもよりさらに艶を増した髪がキラキラと美しい。この人の隣に立つと、せっかく着飾ってもらったのに霞んでしまうわ。
「では行こう」と手を出すアシュレン様に少し待って欲しいと答え、仕上げの香水を手に取る。数日前にできたこの香水は、もちろんモニタレスの花から作ったものだ。
「何とか間に合いました。協力していただいた調香師の方には感謝しかありません」
練香水に指先の温度を移すようにして少し掬いあげると、それを指先でさらに溶かし首筋と手首に塗る。
「練香水か。初めて見るな」
アシュレン様は練香水の入った容器を手にすると、同じように少し指先にとり、鼻に近付ける。
「以前、カトレーヌさんからお土産にいただいたものを参考にさせてもらいました」
モニタレスの花の抽出液はカチコチだった。
初めは薬と同じように粉にしてみたのだけれど、水に溶けにくいせいでうまくいかない。
調香以前の問題で躓いてしまい、どうしようかと悩んでいたところで思い出したのが、練香水だ。
調香師の方に相談したところ、作り方を書いた本はあるけれど実際に作ったことはないと言われ、それならとその本を読むところから始まった。
形になるまで三日。そこから匂いの調整はプロに任せ、私は使いやすい硬さにすべく試作品を作り続け、誕生日パーティにぎりぎり間に合ったのだ。
モニタレスの花を使うから鼻詰まりをしないか心配だったので、花粉症の薬に使った薬草も少し混ぜることにした。
「室長が試作品を自ら試してくださり、鼻が詰まらないか身をもって確かめてくれました。室長の知人の方も何名か協力してくれたそうです」
「あぁ。国王陛下にも頼んだと言っていたな」
「えっ、国王陛下に、ですか?」
驚いて聞き返せば、アシュレン様も呆れるように眉を下げた。
ご姉弟だから遠慮がないのかも知れないし、副作用といっても鼻詰まりで命に関わることはないのだけれど、一国の王に私の試作品が使われたなんて。
「胃が痛くなってきました」
「スティラ王女殿下も試していたぞ」
「……知っていたなら止めてくださいよぉ」
半泣きで訴えたのに、アシュレン様はさらりと笑うばかり。もしかして室長と一緒に薦めました?
「うん、いい香りだ」
すっと私の首筋に顔を近づけ匂いをかがれ、顔が赤くなる。
「ご自分の指につけ、匂いを嗅いでいましたよね」
「ライラの香りと混ざるとなおいい、ということだ」
「~~! 侍女がいます。室長に告げ口をされますよ?」
「そうだな、しかたない、少し離れるか」
お目付け役の侍女の名を出せば、意外とすんなり引き下がってくれた、そう思っていたのに。
「ひゃっ」
離れ際、耳朶に唇を落とされ、小さな悲鳴を漏らしてしまう。唇が触れた耳を手で押さえ、プルプルと震えながら見上げると、甘い笑みが返ってきた。
「ライラの甘い匂いに引き寄せられた」
まだ部屋も出ていないのにこれなんて。今夜、私の心臓は最後までもつのかしら。
真っ赤になった私にクツクツ笑うアシュレン様をひと睨みし、私達は夜会が開かれるお城の大広間へと向かった。
大きなシャンデリアが天井からぶら下がる大広間は、すでに沢山の招待客でいっぱい。
異国のデザインらしき服を着ている若い男性も数名いるから、彼らがスティラ王女殿下の婚約者候補なのかもしれない。
「やはりスティラ王女殿下のお相手は隣国の方になるのでしょうか?」
「どうだろう。その最有力候補は消えたから、可能性は五分五分だな」
アシュレン様に聞いたはずなのに、真後ろから答えが返ってきて、びっくりして振り返るとそこにはクラウド様とカトレーヌさんがいた。
「クラウド様、カトレーヌさん、もういらしていたのですね」
「もちろん。さきほどから隣国の要人を回ってカトレーヌのドレスをアピールしていた」
カトレーヌさんが着ているのは、モニタレスの葉で染められたグリーンのドレス。
シャンデリアの灯の下、動く度にオレンジや青色が差し、周りの人の注目を集めていた。
「綺麗です。でも。大量生産できないのですよね?」
「染料の開発が進み、この二ヶ月で倍は作れるようになった。希少価値の高さを売りにしてアピールしようと思う」
「ライラさんが昨日くれた香水もつけたのよ。こちらもご婦人達から高評価だわ」
昨日のうちに、できた香水はすべてクラウド様に届けた。
隣国から来たパーティの出席者は、スティラ王女殿下に誕生日のプレゼントを贈る。
カニスタ国は、そのお返しに特産品をあれこれ詰めたギフトを渡すことになっていた。
私が書いた薬草の乾燥時間をまとめた本や、練香水もその一つで、あとはモニタレスの葉で染めたポケットチーフや、フローラさんとティックの作ったアロマキャンドルも含まれている。他にも諸々あるそうだ。
「クラウド様。お話中のところ失礼します。隣国の外交官が、会場で出している我が国特産の葡萄酒について話があるそうです」
「おっ、さっそく食いついてきたか。葡萄酒の在庫はどうなっている?」
「三百本確保しています」
話しかけてきたクラウド様の部下を見た私は、思わず声をあげそうになった。
赤い髪を後ろに撫でつけ正装に身を包んでいるのは、ブレイク様のお兄様でありスティラ王女殿下の密会相手、イーサン様だ。
目の色こそ違うけれど、こうやって見るとブレイクさんとよく似ている。とくに髪型を覗けば背格好は一緒で、やはり兄弟なのだと思う。
エリオット殿下がいない今、この人とスティラ王女殿下が結婚できる可能性も以前より増したはず。
カニスタ国王陛下がスティラ王女殿下の結婚相手に隣国の王太子を考えているのは、まだ隣国より立場の弱いカニスタ国の地位を結婚という結びつきによって少しでも高めるため。
でも、この夜会でカニスタ国の技術や製品を認めてもらい、国としての存在を印象づけられれば、その必要だって減るはず。クラウド様には是非頑張ってもらいたいところだ。
そう思っていたのだけれど、クラウド様の口から出た言葉は予想外のもの。
「分かった。俺が話をしてくるから、イーサンは奥方の相手でもしてやれ」
「よろしいのですか?」
「もちろん。では、カトレーヌ、行くぞ。あの国の言葉はカトレーヌのほうが得意だから頼んだ」
「はい、葡萄酒はあとからでも取り寄せられますから、三百本とはいわず、五百本ほど売り込みましょう」
カトレーヌさんの顔がきりっとしたものに変わる。これが彼女の仕事の時の姿なのでしょう、凛々しくて素敵だ。
と感動しつつも、クラウド様『奥方』って言いましたよね。
「ア、アシュレン様。イーサン様はご結婚されているのですか?」
「ああ、卒業してすぐに同級生と。確か子供もいたはずだ」
そんな!! お相手の方が同級生ということはスティラ王女殿下も顔見知りのはず。としたら、私が見たのは恋人の密会ではなく不貞現場だったの?
「どうしたライラ、顔色が悪いぞ」
「あ、あの。私、とんでもないものを見てしまいました」
スティラ王女殿下には黙っているよう言われたけれど、こうなってはとてもではないけれど私の胸だけにしまってはおけない。泣きそうになりながら、私は薬草畑で見たことをアシュレン様に伝えた。
「あぁ。そういうことか」
「アシュレン様はご存知だったのですか?」
戸惑いつつ聞けば、唇の片方だけを上げて笑う。なんとも判断しにくいその顔に、さらに問いかけようとしたときだ、会場にワルツの音楽が流れ始めた。
「ライラ、踊ろう」
「まだ話は終わっておりません」
「それは後だ。おそらくこれが婚約者として踊る最後のダンス。俺の手を取ってくれないか?」
そう言いながらアシュレン様は片手を私に差し出し、完璧な微笑を向けてきた。
不覚にも胸がドクン、となってしまう。顔がいいのも考えものでこうなると私は頷くしかない。
アシュレン様はダンスが好きではないというわりに、お上手だ。今までにも数回踊ったことがあるけれど、リードも完璧でいつも視線を集めている。
でも、今日は違った。一番注目を集めていたのはクラウド様とカトレーヌさん。
広間の真ん中で、大きな歩幅で踊る二人はとても目立っていて、カトレーヌさんが動くたびにドレスのフリルがふわりと揺れ、グリーンの生地が色を変える。
「背の高いカトレーヌさんが着ると、さらにドレスが映えますね」
「兄の計算通り、夜会のあとはモニタレスの葉で染めた生地に注文が殺到しそうだ」
大広間がお二人の独壇場となっているなか、ふと思ったのは今夜の主役はどこにいるのか、ということ。
ダンスをしながら会場を見渡せば、前方にある大きな扉の前で数人の男性に囲まれているスティラ王女殿下を見つけた。あれ、絶対に困っていらっしゃるわ。
「スティラ王女殿下は踊られないのですか?」
「エリオット殿下が脱落したからな。誰と踊るか決める時間がなかったのだろう」
この状況でスティラ王女殿下とファーストダンスを踊った人は、暗黙の了解として婚約者の最有力候補とみなされる。当初ならエリオット殿下になるはずだった。
彼が急遽帰国したのがあの騒動の次の日。それからパーティまでの間に決め手となるものが見つからず、今日を迎えてしまったらしい。
「あの、こういう場合、兄弟、親戚がファーストダンスのお相手をしてお茶を濁すのではありませんか?」
「だが、兄はカトレーヌと踊ることを選んだのだから仕方ないだろう」
「それは、あのドレスを隣国の方に印象付けるために、あえてそうされたのですよね」
クラウド様には外交官としての立場もある。だから、この場合、
「アシュレン様がスティラ王女殿下をファーストダンスに誘うべきだったのではありませんか?」
少し嗜めるように言えば、アシュレン様はあからさまに不機嫌な顔をした。
「俺は、ライラ以外と踊るつもりはない。ライラは、俺がスティラ王女殿下をファーストダンスに誘ってもいいのか?」
そう聞かれても。アシュレン様が私以外の人と踊るのを、ましてやファーストダンスをするのを見るのは正直、いい気はしない。
「それは……ちょっと嫌、ですけれど」
蚊の鳴くような声で言えば、満足気な笑みが返ってきた。
「そうだろう」
「でも。スティラ王女殿下の置かれている立場も理解しています。ですから、このダンスが終わったら……誘ってあげてください」
本当はイーサン様と踊りたいのでしょうけれど、そこは諦めてもらうしかない。
アシュレン様とスティラ王女殿下が踊るのを想像すると、煌びやかで、自分の地味な容姿に落ち込むだろうけれど、社交の場は政治にもつながるのだから我儘を言っている場合ではない。
「はぁ、気乗りしないが分かった。兄はダンスのあとも忙しそうだしな」
「そうしてください」
改めてお願いすれば、ぐっと腰を引き寄せられピタリと身体がくっつく。
「少し、近すぎませんか?」
「そんなことはないと思うが」
言葉と同時に頬に口付けが落とされる。周りから「きゃあ」と嬌声が上がるも、しかけた当人は平然と私をみつめるばかり。
「ひ、人前、ですよ」
「俺がスティラ王女殿下と踊っている間に、虫が寄ってきてはいけないだろう」
これだけアシュレン様の色を身に着けていれば、誰も寄ってこないと思いますよ。
まして、私は壁の華どころか壁に同化するぐらい地味な容姿なのですから。
やけに密着したダンスを終えると、アシュレン様は約束通りスティラ王女殿下のもとへと向かった。
それを少し複雑な気持ちで見送りながら、喉がかわいたと飲み物を探していると、はい、と果実水が差し出される。
「ありがとうござ……!?」
受け取ろうとした手が宙で止まり、目をパチクリしながらグラスを持ってきてくれた男性を凝視した。
えっ? この綺麗な緑色の瞳は……
「ブレイクさん、ですか?」
「はい。本来なら私なんか場違いなのですが、解毒剤と香水作りに貢献したからと、特別に声をかけていただきました」
「そう、ですか」
呆然としつつ答えたのは、ブレイクさんの容姿がいつもとまったく違うから。
鳥の巣のようなもさもさ、ふわふわの髪は、ワックスで固められ後ろに撫でつけられている。形のよい額と、はっきり見えるエメラルドの宝石のような瞳は、いつもよりずっと大人びて知的に見えた。
「あ、あの。ブレイクさん。ちょっとそのままでいてください」
「はい?」
不思議そうに首を傾げるブレイクさんの背後に周り込み改めて全身を眺めると、その後ろ姿はお兄様であるイーサン様にとてもよく似ている。
「……ブレイクさんは時々、お兄様のお手伝いをするためにお城に来られるのですよね」
「ええ。勉強になるので手伝わせてもらっていますが、それが何か?」
「その時、髪や服装はどうされていますか?」
「髪と服ですか? 服は兄が見習いの時に来ていたものを借り、髪は今みたいにワックスで固めていますよ。いつもの鳥の巣頭で登城するわけにはいきませんからね」
自分で鳥の巣って言った。いや、今気にすべきはそこではない。
もしかしてと思っていると、ブレイクさんの肩越しに、アシュレン様とスティラ王女殿下がこちらに向かってくる姿が見えた。と同時にブレイクさんの肩がピクリと跳ねる。
「ライラ、ダンスの前にスティラ王女殿下が話をしたいそうだ。あぁ、ブレイク、やっときたか。遅かったな」
「大広間に来るのは初めてで、少し迷ってしまいました。スティラ王女殿下、お誕生日おめでとうございます」
「ありがとう、ブレイク。貴方のおかげで、強引な結婚は避けられそうよ。感謝しています」
「……私は何もしていません。ですが……良かったです」
一瞬だけれど絡み合う視線。
はっとしてアシュレン様を見れば……したり顔で笑っていた。これは。
カツカツとヒールを鳴らしてアシュレン様の腕を掴むと、その場から数歩離れる。
「知っていましたね」
「なんのことだか」
「いつからですか?」
うん? と首を傾げるアシュレン様の腕を軽くつねれば、「痛い痛い」と笑いながらわざとらしく腕をさする。
「あのふたりは時折、薬草園で会っていたからな。薬草園から帰ってきたライラの様子がおかしかったからもしかして、とは思っていた」
やっぱり。私が見たのはイーサン様ではなくブレイクさんだったのだ!
「ではフローラさんやティックも知っているのですか?」
「いや、ブレイクが城に来るとき責任者である兄上の許可が必要なんだ。で、兄がそれを俺に教え、その日は誰も薬草園に行かないように仕事を割り振っていた。薬草課の人間が薬草を採りに行く時間は大抵決まっているから、そこを避ければ密会を見られることはない」
そういえば、私が薬草園に行くと言った時に妙な間があったような。
えっ、それじゃ、クラウド様もアシュレン様もお二人の仲を知っていたということ?
「現地調査に行くとき、私、イーサン様についてアシュレン様に聞きましたよね」
「あぁ、そうだな」
思い出したかのようにクツクツと笑うその顔をじとりと睨むも、そんな私の反応が面白いのかさらに笑われてしまう。
「さっきだって、私がスティラ王女殿下の密会相手をイーサン様だと勘違いしていると分かっていましたよね」
「あの二人は後ろ姿が似ているからな。髪を整えたブレイクは大人びてみえるだろう」
「~~!!」
これだから、これだから! アシュレン様は腹黒って言われるんですよ!!
「私が勘違いしているのを楽しんでいましたね」
「はは、そう怒るな」
アシュレン様は私の肩をポンと叩くと、スティラ王女殿下へと視線を向ける。
「スティラ王女殿下、ダンスの相手をするつもりだったが、ライラが焼きもちをやいてしまった。ブレイク、すまないが俺の代わりにスティラ王女殿下の相手をしてやってくれ」
私の肩に手を回し、引き寄せながらアシュレン様が二人に声をかける。
さらに、まるで私の嫉妬を宥めるかのように旋毛に口付けを落とすものだから、スティラ王女殿下が「あらあら」と扇子で口元を隠しながら笑われた。
「で、ですが。私なんかではスティラ王女殿下に不釣り合いです」
「それなら釣り合う男になればいいだけだろう?」
アシュレン様の視線を受け、ブレイク様の喉がゴクンと上下する。
少しの間のあと、ブレイクさんはぐっと拳を握ると深く息を吸い、覚悟を決めたようにスティラ王女殿下と真正面から視線を合わせた。
「……私と一曲踊っていただけませんか?」
「はい!」
きっとその言葉を待っていたのでしょう、スティラ王女殿下の笑顔は花が咲き誇ったかのようにキラキラしていた。
ブレイクさんが出した手に、スティラ王女殿下が手を重ね、ふたりは大広間の中央へと向かっていく。
もしかして、薬草畑で私が見たのは、スティラ王女殿下の立場を思い身を引こうと決めたブレイクさんと、それに怒り悲しんだスティラ王女殿下なのかもしれない。
だとすると、これは二人にとって大きな進展なのでは。
「今回の騒動で、ハドレヌ領は一目置かれることとなった。ターテリア国の風土病を治癒する解毒薬のおかげで、石炭は今後も安定して我が国に輸出される。そういう意味では、ハドレヌ領は我が国の産業の要だ」
「では、身分差は問題ではないと?」
「あとは本人の努力次第といったところだろう。王配にふさわしいと周りを納得させられる人柄と知識、実績が必要だ」
まだまだ足りない部分はあるのでしょうけれど、ブレイクさんならいずれすべての条件を身に着けるのではないかしら。
だって、あの腹黒兄弟が二人の仲を見守るほどには、ブレイクさんは認められているのだから。




