解毒薬のゆくえ.3
*(エリオット視点)
カニスタ国に滞在している間、俺に用意されたのは城にある客間。異国から来た客人の滞在用にと誂えた部屋だけあって、調度品はまずまずな物だった。ソファの使い勝手についてだけはよいと言ってもいいだろう。
カニスタ国の護衛をつけると言われたが煩わしいと断ったのが幸いして、俺は夜中、簡単にその部屋を抜け出した。なに、「ちょっと散歩にいってくる、付いてくるな」と命じれば、俺直属の護衛騎士達はそれに従うから、抜け出した、というより堂々と部屋を出た。
向かうは薬学研究室だ。
ライラの話では、解毒薬の正式な発表はまだらしく、知っている人間もアシュレンの身内のみ。
その話を聞いたとき思ったんだ。
――それなら、俺が解毒薬を作ったことにして、ターテリア国で発表できるんじゃないかって。
アシュレンが俺の作った解毒薬をさも自分の手柄のように兄と母親に報告したことにすればいい。ハドレヌ領の人間には金を積めば済む話だし、公に発表してしまえばこっちのものだ。
こういうのは先に言ったもの勝ちだし、あとからアシュレンやカニスタ国が文句を言ってきても、石炭をちらつかせればあいつらは言うことを聞かざるを得ない。
他国の連中も、劣っているカニスタ国の言葉より、ターテリア国の王子である俺の言葉を信じるだろう。
それに、もしモニタレスの花が我が国に咲いていれば、俺がとっくに解毒薬を開発していた。カニスタ国の連中がたった一晩で作り上げるほど簡単なレシピを、俺が思いつかないはずがないからな。
俺が寝込んでいる間に、アシュレンが卑怯にも抜け駆けし完成させただけで、本来なら解毒薬を開発したのは俺だったのだ。
だから、俺の名で公表するのは当然のことで、そのことに対する賞賛も俺に向けられるべきもの。
ターテリア国を長年苦しめてきたバレイヌレーク病の解毒薬を開発したとなれば、祖父も母もきっと喜んでくれるだろう。
長兄を後継ぎに選んだ国王陛下だって、きっと考えを改め、俺を次期国王に任命するに違いない。
そうなれば、長年の祖父の願いを叶え、母の無念を晴らすことができる。俺は昔のように祖父と母から認められ、必要とされるのだ。
いや、あの二人からだけではない、国中の人間が俺の能力を称え、優秀だった兄達が俺の足元にひれ伏す。ははは、想像しただけで笑いが止まらない。
ずっと俺を下に見ていた連中を見返し、俺がいかに優れた人間かを認めさせる、そんな望んでいた未来があと少しで手に入るんだ。
薬学研究室の扉には案の定、鍵がかけられていたので、建物沿いに進み窓の前までくる。
昼間に来た時に下見をしたが、研究室の窓は特別なものではなかった。不用心な話だ。
俺は手近にあった石を持つと、それを何度か窓に打ち付ける。大きな音を出すと見回りの護衛が来るかもしれないので、慎重にヒビを入れ硝子の破片を取り除くと、腕を入れて鍵を開けた。
予想以上に簡単に入れたことに、あっけなさを感じてしまう。これだから田舎者は不用心なのだ。
しかも、ライラが昼間作っていた赤色の塊は、保管庫や金庫にしまわれることなく机の上に置かれていた。こんなもの、とってくださいと言っているようなものではないか。
「さて、あとは解毒薬のレシピだな」
今、ライラが作っているのは解毒薬だ。まずはそれを作り、副作用を抑えるための改良を加えていくという手順はどこでも変わらない。
それなら、レシピを書いた紙がこの研究室のどこかに必ずある。
薬は、使う薬草の種類、分量、火加減、混ぜるタイミングがひとつでも間違えば同じものができないので、レシピを見ながら作るのが常識だ。
副作用といっても鼻水程度なんだから気にする必要はないし、とりあえず発表してから後日、改良してさらに完成度を高めていけばいい。
「暗いな。やはり灯は必要か」
月明かりでどうにかなるかと思っていたが、念のためにカンテラを持ってきてよかった。
火をつけ机の上を照らせば、昼間と同じように無動作に紙が置かれていて、それ以外にも試験管に入った液体や細かく刻んだ葉もある。
これらも解毒薬の材料なのだろう。
持ってきたカンテラは中に入っているオイルの量を調整することで灯を大きくも小さくもできる。見つからないように灯を小さくしているので文字が読みづらいが、これが解毒薬のレシピだろう。
ターテリア国なら金庫にしまって然るべきものを机に出したまま帰るなど、研究者としての基礎も責任もまったくなっていない。
ま、カニスタ国に我が国と同じ水準を求めるのが酷というものだろう。そう思い、紙をたたんで胸ポケットに入れた時、扉の向こうから足音が近づいてきた。
まさか、まだ人が残っていたのか? この国の人間に、夜遅くまで働くほど勤勉な者はいないはず。しかし、明らかに足音はこの部屋へと近づいてくる。
どうする? 机の下に隠れるか? それとも窓から逃げるか?
決めかねているうちに扉が開き、俺の持つカンテラとは違う灯が部屋に差した。
「誰? ここで何をしているのですか?」
か弱い声が響き、赤銅色の震える瞳としっかりと視線があった。
*
私が黙って研究を続けていることに興をそがれたのか、エリオット殿下は暫くすると意外ほどあっさりと研究室を出ていかれた。
入れ替わるようにして、フローラさんとティックが戻ってきたので、アロマキャンドル作りについて聞けば順調に進んでいるとのこと。
今は薬草課の一室で固まるのを待っているらしい。
「ありがとうございます」
「いいのよ。とっても楽しくて夢中になっちゃたわ」
「フローラが工夫して、花弁を混ぜたり、マーブル柄にしてみたりと、いろんな種類ができたんッスよ」
「フローラさんはセンスがいいので出来上がりが楽しみです」
虫よけとして騎士向けに作ったものだけれど、それに加え室長が女性達に販売しようとしていることを考えると、デザインを可愛くして夫人や令嬢も興味を持つものにしたほうがいいはず。
「でも、きちんと固まるか心配なのよね」
「それでしたら、今夜は残業をするつもりなので私が見に行きます。あとで薬草課に行ってレイザン様に頼み鍵をもらいます」
「だったら私達も残るわ。ライラにだけ残業させられないもの」
「誕生日パーティに完成品を間に合わせたいので、気にしないでください。日付が変わるまでに帰りますから大丈夫です。ジルギスタ国では徹夜も当たり前でしたから、これぐらいたいしたことありません」
そう言えば、フローラさんが目を丸くし、ティックが「ヒッッ」と声を上げ嫌だとばかりに首を振った。この国で徹夜なんて護衛騎士ぐらいだものね。
でも理由はそれだけではない。ひとり別邸にいるのが落ち着かなくて寂しいから、仕事をしていたほうが気が紛れるのだ。
そんな私の気持ちにフローラさんは気がついたようで「無理しないでね」と言って、ティックを連れて帰っていった。
そのあとはモニタレスの花の成分の抽出を続け、そのあいまに一緒に混ぜる予定の植物の下準備もこなす。
夜食を食べ終えたところで薬草課に行ってアロマキャンドルを見ると、いい感じに固まってきていた。しかも、どれもおしゃれなデザインで、これ、余ったらもらえないかしら。
そんなことを考えながら、研究室に帰ってきたのだけれど……。
「誰? ここで何をしているのですか?」
火事になってはいけないと火を消して出て行ったはずの研究室の中に、カンテラの弱い灯がぽかんと浮かんでいた。薄暗い闇に初めははっきりと分からなかったけれど、目が慣れるにつれそこにいるのが人物の顔がはっきりとし、驚きはさらに増す。
「エリオット殿下……」
「ら、ライラ。帰っていなかったのか」
「できるだけ早く完成させたかったので、今夜は残業をしています。……それで、どうしこんな場所にエリオット殿下がいるのですか? 入り口の鍵は閉まっていました」
たとえ近くの薬草課に行くだけだとしても、鍵を開けたままになんてしない。ここには大事な研究の書類が沢山あるから、帰る前にはすべて金庫にしまい、しっかり施錠をする。
では、エリオット殿下はどこから? と思っていると、風が頬を撫でた。
「……私、窓にも鍵を掛けました。もしかして割って入ってこられたのですか?」
「ふっ、まぁそんなところかな」
開き直ったように言うと、エリオット殿下はこちらに向かって歩いてくる。背後を振り返ったけれど、護衛騎士の姿はなく、どうやら抜け出してここに来たらしい。
「ご自分が何をされているのか分かっているのですか?」
「もちろん。俺は自分が本来手に入れるべきものを取り戻そうとしているだけだ。そうだ、ライラ。この場で俺につくと決めれば、お前を妻にしてやってもいい」
「仰っている意味が理解できません」
「バレイヌレーク病の解毒薬を開発したのは俺だ。そう発表すれば俺は兄達を蹴落としターテリア国の王太子になれる。祖父の後押しがあるので、ことは簡単に進むだろう。カニスタ国なんて小国の王配ではなく、ゆくゆくはターテリア国の国王となるのだ」
この人は何を言っているのだろう。
弱い灯に照らされたその顔はうっとりと目を細め、陶酔しているようにも思える。
「つまり、解毒薬のレシピを盗みに来たということですか?」
「人聞きが悪いな。言っただろう、それは本来なら俺が開発するはずのものだ。そして俺を見下し馬鹿にしていた連中を見返し、祖父と母に認めてもらい、国王になるんだ。アシュレンのせいで一度は手放したその夢をもうすぐ現実のものとすることができる。その時はライラ、お前を正妃にしてやろう。側妃ではなく、正式な妻だ。悪い話ではないだろう」
護衛騎士からエリオット殿下は優秀な兄と、過度に期待をかけてくる祖父の間で苦しんでいたと聞いたときは、彼なりに大変なこともあるのだと思ったけれど、私の想像以上にかなり感情を拗らせているみたい。
王太子となることでしか自分に価値と存在を見いだせず、周りに認めさせるためには手段を択ばない、その考えはもはや常軌を逸している。
図書館でのこともあるし、この場をすぐに立ち去るべき、そう思っていたのに私が動くより僅かに早くリオット殿下がこちらに向かってきて素早く扉を閉めた。
「……どうして私にこだわるのですか?」
逃げ道を塞がれ、声が震えそうになるのを必死で押さえながら、できるだけ冷静に問いかけた。
「もちろんライラが好きだからだ」
「……嘘です。エリオット殿下はアシュレン様から私を奪いたいだけで、私自身を見たことは一度もありませんよね」
「悲しいな。そんなことを思っていたんだ」
フッと片方の口角を上げ肩を竦めると、私にゆっくりと近づいてきた。
じわりじわりと距離を詰められ、私は暗がりで転ばないよう気を付けながら後ずさる。
「何度かお話をする機会はありましたが、エリオット殿下は一度も私のことを知ろうとはなさいませんでした。貴方が欲しいのは私ではなく、アシュレン様の婚約者です。どうして、そこまでアシュレン様を嫌うのですか?」
「あいつのせいで、俺はすべてを失ったんだ。だから、アシュレンが完成させた解毒薬ですべてを取り戻す。至極当然のことだろう?」
「そうは思いません」
「ライラ、考えてみろ。隣国より劣っているこの国で研究を続けるより、将来国王になる俺を選んだほうがよいことぐらい簡単に理解できるだろう。それに、アシュレンはライラが思っているほどお前のことを大切にしていないと思うぞ。俺なら、自分の婚約者を口説く男がいる王都へ一人帰らせたりしない」
言い終わる前に間を詰められ、エリオット殿下に肩をつかまれた私はそのまま壁に押し付けられた。
「やめてください」
両手でエリオット殿下を押しのけようと暴れるも、手首を掴まれ頭の上でまとめられてしまう。
片方の手で私の両手首を掴んだエリオット殿下は、唇でいやらしい弧を描いた。
「いい眺めだな。俺なら大切なものは傍に置いて離さない。いつ誰がかっさらっていくか分からないからな。あいつは今も呑気にハドレヌ領で研究をしているのだろう、これから自分の女が俺のものになるなんて考えもせず……ククッ、帰ってきて悔しがるアシュレンの顔はさぞかし見ものだろうな」
もう片方の手が私の頬をなぞり、顎を掴むと強引に上を向かせる。
感情の読み取れない黒い瞳は洞のようで、エリオット殿下の心の闇を垣間見たように思えた。
「アシュレン様がそんなこと許すはずがありません。エリオット殿下、あの人がどれだけ腹黒かご存知ないでしょう? 今頃きっと、彼は私のために奔走しています」
アシュレン様は決して私を手放さない。そのためにはなんだってする。
不可能だと思うことだってひっくり返し、それ以上の結果を連れて帰ってくるのが、アシュレン様なのだ。
まっすぐにエリオット殿下を見据え言い返すと、僅かに黒い瞳が怒りで揺れた。
「私はそんな彼を信じ、ひとりで帰ってきました。同じように、アシュレン様も私を信じてくれています」
黒曜石のような瞳に映る私の顔は、自信に満ちている。いつのまに私はこんな顔ができるようになったのだろう。すべてアシュレン様が私に教え、与えてくれたもののおかげだ。
「う、煩い!! どうしてアシュレンなのだ! どうして皆、俺を見ない、俺を必要としない、俺の能力を認めないんだ!!」
「キャァッ!」
ドタン!
エリオット殿下は私を床に押し倒すと馬乗りになって見下ろしてきた。
床に落ちた硝子の破片が月明かりのしたギラリと光るのに気がついたのは同時で、あっと思った時にはエリオット殿下はそれを掴み私の頬にピタリと当てた。
「俺は本来、手にすべきものを取り戻すだけだ。後継者の地位も、祖父と母の期待も、研究者としての実績も、もともとは俺が持つべきものなんだ。それを邪魔したアシュレンには、それ相応の罰が必要だとは思わないか」
「…っつ!」
頬に痛みが走る。数センチ切られたのか血の匂いが微かにした。
こんな人に負けたくないと足をばたつかせるも、抑え込まれる力が増すばかり。悲鳴を上げようと口をあければ、手でふさがれた。
どうしよう、なんとかしなくては。
落ち着いて冷静に考えなきゃと思うも考えが空回りして何をすべきか分からない。焦っている間にも、私を見降ろす黒い瞳に浮かぶ嗜虐的な光がどんどん濃くなっていく。
このままではまずい、そう思ったとき。
続きは明日。おおよそ、ご想像の通りですが、予想外のこともあるはずです!
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