完成薬のゆくえ.2
アロマキャンドル作りはフローラさん達に任せ、自分の仕事にとりかかり始めて数日。
今頃アシュレン様も頑張っているのだと思うと、気合が入る。
この数日でさらに改良したピンク色の溶液に磨り潰したモニタレスの花を入れ、固まるまでゆっくりと混ぜていく。今日はとりあえず赤い塊を十個ほど作ることに専念しよう。
ハドレヌ領では一度しか作らなかったから、熱する時間や花弁の量など調整すべきことはたくさんある。
少しずつ時間と量を変えて作り、それぞれメモを取っていく。単純な作業なのだけれど、ひとりでするとなると少し忙しい。
ひとり研究室にいるとジルギスタ国の孤独だった日々を思い出す。あの頃は、だれとも話すこともなく、こうして黙々とただ研究をしていた。
カニスタ国にきてからはフローラさんやティックが補佐をしてくれるし、困ったことがあれば誰でもすぐに相談にのってくれる。研究が孤独なものだと思っていた私には、目から鱗の日々だったけれど、いつの間にかそれが当然となっていた。
だって今、こうして一人でいるのが少し寂しいもの。
とはいえ、実験を始めるうちにいつの間にか夢中になっていて、気づけば日が少し傾いていた。
「やぁ、ライラ。今日もひとりなのか?」
そのせいだろうか、扉が開かれたのにも気づかず、顔を上げたときにはすでにエリオット殿下は私の前に立っていた。
思わず一歩下がった私に余裕の笑みを見せつつ、エリオット殿下は研究室を物珍しそうに眺めながら歩きまわりだした。
「他の研究員は? ほら、そばかすの女と、黒髪の男がいただろう」
「彼女達は別の場所でアロマキャンドルを作っています」
実験室はモニタレスの花の香りでいっぱい。アロマキャンドルも匂いの強い葉を使うので、別の場所で作ったほうがいいだろうということになり、二人は薬草課の一室を借りてそこで作っている。
「はっ? 研究者がアロマキャンドルを作っているのか。さすがカニスタ国だな」
馬鹿にしたように笑いながら、テーブルに置いてあるノートを勝手に手に取り捲る。
特に見られてこまるようなものは置いていないけれど、エリオット殿下もかつて研究者だったのだから、それがどれだけ失礼な行為か分かっているはず。
つまらんとばかりにノートを机の上に放り投げると私のもとへ戻ってきて、かき混ぜているビーカーを覗き込む。
「ふーん、これが解毒薬のもとか。蒸留法を使わなかった理由は?」
「……うまく抽出できなかったからです」
解毒薬の作り方は研究結果として報告するまで口外したくない。できるだけ最小限の会話ですませるよう気を付けなくては。
「このピンク色の溶液は?」
「カニスタ国で使われていたものを私が改良しました」
「レシピは?」
「申し訳ありませんが、私の一存でお教えするわけにはいきません」
「だよねー」
クツクツと喉を鳴らしながらエリオット殿下はピンク色の液体が入ったビーカーを揺する。手つきだけは慣れているわね。
「俺が留学していたのは数年前だけれど、そのとき、カニスタ国で使っていた成分を抽出する溶液は効き目が強すぎた。葉や根ならともかく花弁といった薄いものに対しては、成分組織そのものを壊し使い物にならなくする。おそらくそこを改良したのだろう」
するどい。エリオット殿下が仰る通り、私が改良したのはその点。
さらにいえば、他国では薬草の部位によって溶液を使い分けるけれど、これはすべてに対応できる。
薬を開発するのも大事だけれど、こういった下準備に使う薬品の開発も大切な仕事のひとつだ。
ただ、モニタレスの成分を抽出するのはこの溶液ではなくてはいけない、というわけではない。
あくまでも手段のひとつなので、ターテリア国で使われている溶液を使っても成分の抽出はできるはず。もちろん薬の出来に違いは出てくると思うけれど。
だから、今している作業を見られるぶんにはまったく問題ない。
材料と少しの時間があれば、ターテリア国でもできることだもの。
ただ、解毒薬のレシピだけは絶対に知られないようにしなくては。
エリオット殿下は、今度は磨り潰したモニタレスの花が入ったビーカーに顔を近付ける。
ドロリとした乳白色のそれからは濃厚な甘い香りが立ちのぼる。少々匂いが強すぎるので硝子の板で蓋をしていたのだけれど、エリオット殿下はそれをも取って匂いをかぐ。
えっ、大丈夫ですか?
あまりにも至近距離で匂いを嗅ぐと「うっ」と思ってしまうほどに香りが強い。
よい香りではあるけれど、鼻の奥がツンとなってしまう。
それなのに、エリオット殿下は平然とし、さらにビーカーを傾ける。
「……エリオット殿下、もしかして解毒薬の副作用が出ていませんか?」
「いや、健康そのものだが。そういえば昨日も副作用と言っていたな。それはどんな症状なのだ?」
ビーカー片手に近寄ってきたので、鼻を押さえつつエリオット殿下の手からビーカーを取り返し、硝子板で再び蓋をする。
解毒薬について多くを語りたくはないけれど、服用した患者に副作用の説明をしないわけにはいかない。命に関わることではないけれど、黙っていることは許されないのだ。
「……鼻づまりを訴える患者が数名おりました。拝見する限りエリオット殿下もそうかと思うのですが」
「なるほど、鼻詰まりか。確かに解毒薬を飲んでからその症状はあったが、軽いから気にしていなかった。もともとこの時期によくあることだしな」
どうやら、エリオット殿下も室長と同じように花粉症らしい。
話ながらも「すん」と洟を啜っている。
「しかし、この程度の副作用なら気にするほどでもないだろう。俺の症状も日ごとにマシになってきているし、問題ない。そういえばアシュレンの姿が見えないが、もしかして、こんなつまらん副作用を調べるためにハドレヌ領に残っているのか?」
「軽度でも副作用ですから対策を考えるべきです」
「ふん、カニスタ国の奴はこれだから。なんでも杓子定規にしか考えず、ものごとの本質をみていない。バレイヌレーク病の解毒薬だぞ、そんな些細な副作用など気にする必要もないだろう」
馬鹿にしたように鼻で笑うその姿を、私は冷めた目で見る。
症状が軽くても、副作用があればその対策を考えるのが当然。
薬は開発して終わりではない、安全に使えることが分かってこそ完成なのだ。
「それで、だ。この解毒薬については誰がどこまで知っているんだ」
「……ナトゥリ侯爵様と室長には話してあります」
「国王陛下には?」
「正式な報告は、アシュレン様が戻られ副作用の経過を聞いてからするつもりです」
ふーん、と気のない返事をしながら、エリオット殿下は再び研究室内をうろうろし始め「こんな古い実験器具を使っているのか」とか「これは、我が国の学生が使う参考書と同じだ」といちいちうるさい。
カニスタ国が劣っている、遅れていると言いたいのでしょうけれど、実験器具は古くてもよく手入れされているし、基本を書いた参考書を疎かにしてはいけない。
それに、ここに出していないだけで、最新の実験器具も倉庫にはあるのだ。
「すごいな。数十年前の実験室に来たようで面白い。あっ、ライラは気にせず実験を続けてくれていいよ」
気障っぽくニコリと笑われても、私が気にします。
とはいえ、時間がないのも事実。
「ではそうさせていただきます」
護衛騎士が扉を開けたままにしてくれているのを確認し、再び作業にとりかかる。
あと少しでフローラさん達も戻ってくるし、今日中にここまでは仕上げておきたいもの。
エリオット殿下と目を合わせたくなくてひたすらビーカーを見ていたせいか、私は彼の視線がどこに向けられているのか、この時気がつかなかった。
アシュレンはどこで何しているか…。
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