完成薬のゆくえ.1
少し遅れました
現地調査から戻り、その足で本邸へ向かった私は、クラウド様に書き終えた本を渡す。
それと一緒に、帰路の途中、早馬で私を追いかけてきたハドレヌ家の使用人から預かった手紙も差し出すと、眉間に深い、深い、皺を寄せた。手紙はアシュレン様からのものだ。
「数日前に、アシュレンから帰りが遅くなるとだけ書いた手紙が届いたが……こういうことか。バレイヌレーク病といえば、ターテリア国を長い間悩ませていた風土病。その解毒薬を作るとは」
「偶然が積み重なっての結果です。それにしても、手紙を出すと仰っていたので、てっきり詳しく書かれていると思っていました」
まさか、帰るのが遅くなるとしか書いていなかったなんて。
確かにとても忙しかったけれど、もう少し書きようはったはず。
「ナトゥリ家の男性は言葉足らずだからね。ライラ、お帰り」
「室長。遅くなりました。早速ですが、解毒薬のレシピをまとめます」
「いや、今日はもう遅いからゆっくり寝なさい。かなり無理をしたのでしょう、明日も身体を休め、薬草研究室に来るのは明後日からよ。レシピもその時に書けばいいから」
頼まれていた本は二日前にできあがったからそこまで疲れてはいないけれど、と思いつつ、二人から絶対に仕事をしてはダメと念押しされ、苦笑いで頷いたのだけれど。
次の日、起きたのはすでに日が高くなってから。
移動だけでも身体に負担がかかっていたみたいで、思っていたより疲れていたみたい。
もしかして、クラウド様達に会った時、私は随分疲れた顔をしていて、そのせいで休むよう説得されたのかも。
お言葉に甘えてゆっくりしようと思っていたら、午後になると、頼んでいた家具が運ばれてきた。
私の部屋の家具は、アシュレン様に言われ配置を考えていたのでスムーズに運び込んでもらえたけれど、寝室はまったく分からない。
ベッドが大きくそのままでは扉から入らなかったから、小さいパーツに分けて部屋の中に運び込んでもらい、その場で組み立ててもらう。
場所はあとからでも変えられるらしいのでとりあえずお任せで頼んだところ、デン! と部屋の真ん中に配置された。
存在感が凄い。うん、見なかったことにしよう。
そしてさらに次の日、私は久しぶりに薬学研究室へ行った。
珍しい薬草(お土産)がないのが申し訳ないと思っていたのだけれど、フローラさんとティックは私達がバレイヌレーク病の解毒薬を作ったことに驚き、レシピを書くのを後ろからずっと見ていた。
「早く報告書を作って、正式に発表しなきゃ。これは重大発見よ」
「でも、副作用のこともありますし、アシュレン様が帰ってからその部分も含めて書くべきだと思うのです。それに私はバレイヌレーク病の知識が少ないので、文献を読んで調べたいこともあります」
きちんと報告書にまとめるなら、気温とバレイヌレーク病の関係についても書くべきだし、モニタレスの花についても詳細に記すべき。
ターテリア国の気温を書いた本はブレイクさんから借りてきたけれど、お城の図書館に行けば他にもあるかもしれない。
そう説明すると、
「それらを知らないのに、解毒薬を作ってしまうのがすごいわ」
「室長にも話しましたが偶然が重なったのです。もともとモニタレスの花で香水を作ろうとしていたことや、怪我した猿を保護したこと、他にも皆の協力があったからで、運が良かったとしかいいようがありません」
私ひとりではもちろん、私とアシュレン様だけでもできなかった。
関わった人達全員のおかげだ。
「そういう謙虚なところがライラらしいわ。私達に手伝えることがあったら何でも言ってね」
「それなら、虫よけのアロマキャンドルを沢山作ってくれませんか? クラウド様がカニスタ国で作られた品々をスティラ王女殿下の誕生日パーティでアピールしたいそうです」
昨日の夕方、カトレーヌさんがマフィンを持ってきてくれ、その時にお茶をしながらいろいろお話をした。
そこでふと、会場の前の庭をアロマキャンドルで飾ってはどうかと口にしたところ、「すごくいい!」と賛成してくれ、申請を通しておくからアロマキャンドルを沢山作るように頼まれたのだ。
「二人がアロマキャンドルを作ってくれたら、私は他の仕事ができます」
「分かったッス。じゃ、アロマキャンドルは俺とフローラに任せてくださいッス」
「ティック、ここでは私が先輩、それは私のセリフよ。ねぇ、ライラ、せっかくだからアロマキャンドルに色を付けたり、花弁を混ぜるのはどう? きっとよりロマンティックになるわ」
「素敵! ぜひお願いします。私はそういうのに疎いから、フローラさんに任せるわ」
さっそく、アロマキャンドルのデザインを考え始めた二人にその場を任せ、私は図書館へと向かった。
お城の図書館は広く、シンと静まりかえった空間と本の匂いが満ちるこの部屋は、薬草園の次に好きな場所だ。
隣国の本を集めた棚に行き目当ての本を探していると、背後からすっと髪を撫でられた。
こんなことするのはひとりしかいない、と嬉しさいっぱいに振り返る。
「アシュレン様! もう戻られ……」
でも、そこにいたのは褐色の肌に軽薄な笑みを浮かべた男性。さっと全身が冷たくなる。
「ライラ、遅かったな。少し痩せたんじゃないか?」
「……エリオット殿下」
バッ、と離れ下がろうとしたのだけれど、背中が本棚にぶつかってしまう。
エリオット殿下はそんな私の姿を見て笑みを深くすると、さらに一歩詰め寄り、再び私の髪に指を伸ばしながら黒い瞳を細めた。
「会いたかったよ」
その手を避けるように横に動き、距離をとってカーテシーで挨拶をする。
「その後、体調はいかがですか? 実は、解毒薬を服用した患者のうち数人に、軽い副作用が出たのです」
「ふーん、副作用か。俺は問題ないが、やっぱり解毒薬は完璧というわけではなかったんだな。ま、カニスタ国の研究者が作ったのだから仕方ない。もし、ターテリア国でもモニタレスの花が咲いていたら、とっくの昔に副作用のない解毒薬が開発されていたことだろう」
カニスタ国を下に見るその言い方に腹はたつけれど、その可能性は否定できない。
でも、こういう「もし、たられば」の話は好きじゃない。少なくともアシュレン様はそんな無意味なことを言わないわ。
「副作用がないのであれば良かったです。今はお城に滞在されているのですか?」
さらに一歩下がろうとしのだけれどそれより早くエリオット殿下が動き、私の行く手を阻むように本棚に手をついた。
キッと睨み上げるも、そんな私の反応を楽しむように髪を一束手にすると……あろうことかエリオット殿下はそこに唇を付けた
全身に嫌悪感が走り鳥肌が立つ。それと同時に早くここを立ち去らなくては危険だと感じた私は、エリオット殿下の持つ髪の根元を掴む。
「やめてください」
強引に髪を引っ張ったから何本か抜けた痛みがあったけれど、そんなことどうでもいい。
とにかくこの場を早く離れたい、その一心で腕を擦り抜けようとしたのだけれど、エリオット殿下は今度は両腕を本棚につき、私をその間に閉じ込めた。
ここで怯んでなるものかと「手を退けてください」といいつつ睨めば、ニンマリと口角を上げ私に顔を近づけてくる。
「なぁ、俺にしておけよ。アシュレンは伯爵になるのだろう。俺の側妃になれば働かなくていいし、贅沢し放題だ。豪華なドレスも貴重な宝石も手に入る」
「私は研究をしたいし、ドレスにも宝石にも興味はありません」
「ジルギスタ国ではひどい扱いを受けていたそうだな。そこから連れ出してくれたアシュレンに恩義を感じているのかも知れないが、そんな必要はない」
短い間に随分私のことを調べたようで。
もっとも、カーター様が作った薬の副作用で命の危険にあった人々を、カニスタ国の解毒薬が救ったことは、第二王子殿下が各国で話してくれている。
そこから私のことに辿り着くのはそう難しくはないかもしれない。
「そんな理由でアシュレン様と結婚するのではありません。彼でないと……」
「あぁ、もう!! どいつもこいつも、アシュレン、アシュレンと煩い。いったい、あいつのどこがそんなにいいというのだ? 凄いというのだ? あいつがいなければ、今頃、俺は、俺は……!」
「痛い!!」
突然顎を掴まれ、エリオット殿下の顔がさらに近づいてきた。顔を背けたいのに、力が思いのほか強く指が頬に食い込む。
「ライラを俺のものにしたら、あいつはどんな顔をするかな?」
低く囁かれたその声に全身から血の気が引いたその時、
バタバタバタッ!
激しい音が横の本棚から聞こえてきた。
目だけ動かし見れば、なぜか本棚が傾いていて、それを数人の護衛騎士が支えもとの位置に戻そうとしている。彼らの足元には本が幾つも重なりあっているから、さっきの音はそれらが床に落ちたときのものみたい。
「お前達、何をしている!」
「申し訳ありません。何故か急に本棚が倒れてきて……」
そう答えるのは、白髪交じりの護衛騎士。
私と目が合うと小さく頷き、さっと視線を図書館の入口扉へと動かした。
「どうして本棚が勝手に倒れ……おい! ライラッ!! どこに行く。チッ、クソッ」
隙を付きエリオット殿下の手を振り払うと必死で走り、ぶつかるようにして扉を押し開け図書館の外へと飛び出した。
そのまま走って、走って、息が切れるまで走った私は、やがて立ち止まり崩れ落ちるように座り込んだ。
「はぁ、はぁ……。うっ、ひくっ。……アシュレンさまぁ」
呼んでも返事がしないなんて分かっているのに、悲しくて涙が溢れてくる。
目の前では、初夏の風に薬草がそよそよと揺れていた。
無意識に走って辿り着いた場所が薬草畑なんて、私らしいと、アシュレン様がここにいたらきっと笑うだろう。
朝食をピクニックのようにしてここで食べたのはつい最近。メニューだって思い出せる。
カニスタ国へ来てかららずっと、アシュレン様は私の傍にいてくれた。
一緒に仕事に行って、同じ研究室で働いて、また同じ馬車で帰る。
夕食のあとは二人でお茶を楽しみ、時には夜更けまで話をした。
もちろん四六時中一緒だったわけではないけれど、でも、息遣いのようなものはいつでも感じることができた。
「……ライラ? どうしたの、こんなところで。図書館にいったんじゃなかったの?」
聞き慣れた声がしたほうを見れば、びっくりしたように私に駆け寄ってくるフローラさんの姿が見えた。
手にしている籠にはユーカリの葉が沢山入っているので、アロマキャンドルの材料を採りにきたらしい。
「ちょっと、図書館でエリオット殿下に……」
「エリオット殿下!? あの失礼な人がまた現れたの? 大丈夫? ……酷いことされてない?」
私の前にしゃがみ込むと、心配そうに手を伸ばし頬に触れてくれた。
「赤くなっているわ」
「大丈夫。ちょっとびっくりしただけ」
フローラさんの瞳に映る私は、迷子の子供のような顔をしていた。
「何もされなかった?」
「ええ、護衛騎士が機転を利かせてくれたから大丈夫。ただ……」
「ただ?」
ずずっと洟をすすり、私は困ったように笑う。
滲んだ涙のせいか、フローラさんの顔が歪んで見えた。
「……、アシュレン様に会いたくなっちゃった」
「ライラ。エリオット殿下と……」
「大丈夫! 本当に何もなかったの。ちょっとしつこく絡まれちゃったけれど、うまく逃げてきましたから」
白髪交じりの護衛騎士がわざと本棚を倒してくれたおかげで逃げる隙ができた。
あの人は職務に忠実で誠心誠意エリオット殿下に仕えてはいるけれど、常識を持っている。
エリオット殿下の横暴を真正面から止めることはできないけれど、そんな中でも私を助けようと知恵を出してくれたことには感謝だ。
今頃エリオット殿下に怒られながら、本を片付けているのかも知れない。
「アシュレン様とこんなに離れるのが初めてで、ちょっと心細くなってしまっただけなの。ダメですね、もっとしっかりしなきゃ」
「何言っているの、ライラ。あなたはしっかりしすぎているわ。もっと甘えればいいのよ。真面目過ぎるの、ティックの適当さをちょっとは見習ってもいいと思うわ」
「フローラさん、それはティックが可哀そう」
クスクス笑えば、フローラさんもふふっと笑った。そして、お姉さんみたいに私の頭を優しく撫でてくれる。
「無理はしない、抱え込まない。約束よ。それから、さっきのセリフ、私からアシュレン様に伝えてあげるわ」
「さっきの?」
「そう、ライラがアシュレン様に会いたがっていたって。にやける顔を必死で押さえ、ポーカーフェイスを作ろうとするアシュレン様が、今から目に浮かぶわ」
「そんな。アシュレン様なら、さらりと聞き流しておしまいですよ」
「……ライラ、それ、本気で言っているの? だとしたらアシュレン様が可哀そうだわ」
可哀相? この世で一番アシュレン様に不似合いな言葉に思わず吹き出した私を見て、フローラさんがまた笑うものだから、沈んでいた気持ちが少し軽くなった。
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