モニタレスの花と樹液.1
ハドレヌ伯爵の別荘は、突然現れた隣国の王子に上を下への大騒ぎとなった。
私としてはもっとゆっくり植物園を見たかったのに、と思うも仕方ない。
エリオット殿下を引っ掻いた猿は、足を怪我していたので一緒に連れ帰り、今は何故かアシュレン様の肩にいる。
「随分懐かれていますね」
「……」
不本意だとばかりにむすっとしていますが、私が見ていないところでもふもふと触っているの、知っていますよ。
「動かないでくださいね」
アシュレン様に言いつつ、肩の上の猿の足に傷薬を塗り包帯をしてあげる。ブレイクさんと数少ない別荘の使用人は忙しいので、猿は私達で預かることにした。
そして今いるのは、私達のために用意されたもう一つの部屋。
大きなベットがひと際存在感を放っているその部屋にテーブルを三つ持ち込んで、手持ちの器具を並べていく。
この部屋をエリオット殿下が使うのかな、と思ったのだけれど、ここは昨晩私達が泊まった部屋と階が同じで近い。だからもう一つ上の三階にある、普段使われていない部屋を使用してもらうらしい。
諸悪の根源は、料理人にモニタレスの樹液を使って料理を作れと命じ、できあがるまでは一階のサロンで寛ぐらしい。当然、同席を求められたけれど香水を作るからと断った。
「で、さっそく香水作りとは、ライラらしいな」
「言った手前、作らないとおかしいですから」
「眠たそうにしていたから暫くは来ないだろう。その間にやってしまうか」
今からするのは、水蒸気蒸留法。香水作りではよく使用する方法で、薬草の成分を抽出する際にも使うことがある。アロマキャンドルもこの方法で作った。
まず一番端に水の入った容器を置き、そこから伸びた管に、モニタレスの花を入れた容器を繋ぐ。
「花弁はかなり肉厚ですし、細かく刻んで入れましょうか?」
「そうだな。試しに作るだけだから量はそれほど必要ない。はさみで切ろう」
アシュレン様が数枚の花弁を重ね三センチ四方程度に切っていく。私は紙を取り出し、その工程をメモする。
切ったモニタレスの花を容器に入れ、新たに管を一本通す。この管を水と氷のはいった水槽の中に潜らし、管の反対側には空のビーカーを置く。
一番端の水が入った容器をアルコールランプで熱し、できた水蒸気がモニタレスの花の入った容器に流れる。さらに、冷却管を通し冷やすことで、最後のビーカーに植物由来の油――天然香料が溜まっていく仕組みだ。
ビーカーに天然香料が少し溜まったところで鼻を近づけ嗅いでみた。
「どうだ?」
「……微妙です」
あまり匂いがしない。まだ数滴ということもあるだろうけれど、でも、レモングラスやユーカリはこれぐらいの量でもしっかりと香りがした。
アシュレン様にビーカーを渡せば、指にとって匂いを嗅ぐ。
「微妙だな」
「はい。まったく匂いがしないかと聞かれれば、そうではないのですが。では、これを使えるかと聞かれると、それもまた断言しにくいです」
はっきり言えば、花のまま嗅いだほうが匂いは強かった。本来なら、ぎゅっと濃縮されるはずなのに、薄まるとは。
「これはやり方を変えなくてはいけないですね」
「どうするつもりだ」
ふたりしてうーん、と唸ったところで、さっきまで大人しく椅子の上にいた猿がアシュレン様の肩に乗った。くるくると回り、座る場所を決めると当たり前のように腰を降ろす。
「その猿、絶対、雌だと思います」
「焼きもちか?」
「さすがに、猿にしませんよ」
「学生時代、取り巻きがいたと知っても平然としているし、つまらん。俺は、結構エリオット殿下に焼いているぞ?」
「はいはい。心配しなくても私はアシュレン様一筋ですよ」
どうせ冗談で言っているのだろうと、さらりと流したのだけれど、なぜか反応が返ってこない。
どうしたのかと見れば、片手で顔を隠しあらぬ方を見ていた。なんだか耳が赤い気もするけれど……
「どうしたのですか?」
「なんでもない! ライラの無自覚に慄いているだけだ。それよりモニタレスの花で香水は無理かもしれないな」
ごほんと取り繕うような咳払いをして、アシュレン様は花弁を一枚掴む。すると、猿が手を伸ばしそれを奪って口にした。美味しいの?
「あの、薄々感じていたのですが、アシュレン様、香水作りにあまり乗り気ではありませんよね」
「正確には全く乗り気でない。兄の手のひらで踊らされていると思うとなおさらだ」
ま、そうかな、とは思っていたのですが。
今だって、香水作りに飽きたようで、花弁を摘まんでは猿にあげている。どう見ても餌付けだ。
でも、私としてはどうしても香水を作りたい。これができたからと言って、スティラ王女殿下の置かれた状況が劇的に変わるとは思えないけれど、イーサン様のご実家で採れたモニタレスの花を使った香水が話題になるのは、お二人にとってマイナスではないはず。
政治とは何がどう転ぶか分からないのだから、札数が多いにこしたことはない。
私ひとりでもやろうと気合を入れたところで、扉が叩かれ使用人が食事の準備ができたと伝えにきた。仕方ないわ、続きは食事が終わってからにしましょう。
この話を作るために水蒸気蒸留法などいろいろ調べました。溶液を使う方法は難しい…。
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